180 綺麗ごとでも構わない
ここ、魔物の村クラーレットは、ソルフェリノの大穴というダンジョンの下層にある。
穴というより、大きすぎるので渓谷と言っていいかもしれない。確かに、ここにたどり着くプレイヤーは少ないだろう。
モンスターの村なので、家は岩肌に掘られた洞穴だ。一応、月の光はここまで届いているが、暗雲に包まれた【ヴァイオット大陸】だけあって薄暗い。まあ、モンスターには丁度いいかもな。
闘技場から出た俺たちは、村の広場でブレインさんと話す。
決闘で負けたこともあり、彼はすっかり意気消沈していた。今まで自分の行ってきたことを改めて振り返っているのだろう。
しかし、だからと言って、NPCの問題が解決するはずがない。これは世界規模の問題だった。
「僕の力では世界を変えることは出来ません。僕はただ、人々が望むままにゲームを作り続けるだけ。例え貴方たちの言葉がその心に響いても、研究が止まることはないでしょう……」
まあ、正論だな。ブレインさん一人を責ても仕方がないし、何よりNPCの生産消去は合法的だ。俺にとやかく言われる筋合いはない。
「でも、貴方たちの世代なら出来るかもしれない。僕のような人間が根絶し、NPCが人と認められる世界になる。そんな未来を僕は信じたいですね……」
しかし、少なくとも彼は考えを改めているようだ。こうやって、少しずつ世界は変わっていくかもしれない。
ブレインさんと和解したことにより、【ダブルブレイン】の計画はいよいよ破綻する。彼から聞いた話だが、記憶操作システムをイシュラが破壊したらしい。
それに加え、ルルノーさんとエルドも撃破。ギルド【エルドガルド】も壊滅状態で、プレイヤーたちの暴走も止まったらしい。
そうか、ルルノーさんもエルドも死んだのか……少ししんみりしていると、PCさんが言葉をこぼす。
「どうやら、私は貴方たちを見くびっていたようですね……」
「PCさん……?」
「いえ、こっちの話しです」
彼女は俺たちが負けるとでも思っていたのだろうか。まあ、ブレインさんの指示で、この人も手を出さなかったんだ。自分の力が発揮できなくて悔しいんだろう。
とにかく、これで残る敵はビューシアのみ。あとは俺がきっちり蹴りをつけるしかないな。
ハクシャは催促するように、ブレインさんに約束のことを切り出す。
「なあ、約束は覚えてるよな?」
「ええ、当然ですよ。これからレンジさん、貴方をこの【ディープガルド】からログアウトさせます。しかし、貴方の精神が現実に戻る事はありません。別の電脳世界へと送ります」
そうだ、アイはゲームからログアウトした後も、別の電脳世界で生活していたんだ。それが、意識のない人にとっての現実だ。
俺はダイブシステムを毛嫌いしていたが、こうやってそのシステムに救われている人もいる。ダイブシステムを否定することは、電脳世界で生きる人全てを否定することだ。
「事故や病気によって意識を失ってしまった人たちが集まる世界。私たちはそこをユートピアと呼んでします。本来は身内の方しか立ち入る事が許されませんが、貴方はアイさんの友達でしたね」
ブレインさんの言うように、俺はアイの友達だ。たとえ強引でも、そう言い切ってやる。
たぶん、今のあいつを引っ張り込めるのは、俺しかいないんだ。
「彼女の心は深い闇に覆われています。でも、貴方なら……その暗雲を晴らせるかもしれません」
「ああ、レンジならやってくれるぜ。俺たちは待ってるから、さっさと蹴りを付けてこいよ」
どうやら、ハクシャはここに残るらしい。当然、ブレインさんもついてきてはくれない。
正真正銘、俺の戦いってことか。今まで、俺は色々な人に助けられてきた。ギルド【IRIS】のメンバーに、他のギルドの人たち。敵にだって助けられたこともある。
でも、アイは俺一人で倒さなくちゃならない。これが俺の天命だ。
「ありがとう。じゃあ、行ってくる!」
身体が光に包まれ、俺は【ディープガルド】からログアウトされる。
いよいよだ……ついに、決着の時が迫っていた。
ログアウトした俺は、一人小高い丘に立っていた。
服装はゲームの物ではなく、現実のリクルートスーツ。ここは現実を模した場所なんだと俺を確信させる。
そんな俺の目の前には大きな屋敷が建っていた。下界には家々が見え、この屋敷は周囲から外れた場所にあると分かる。どうやら、ここにアイが住んでいるらしい。
ユートピア、意識を失った人々が集まる電脳世界。アイ以外の人とは会わないほうが良さそうだな。
俺はすぐに屋敷のチャイムを鳴らす。屋敷からの返事はない。
ドアノブに手をかけると、不用心にもその扉は開かれる。入れってことか……?
「アイ! 入るぞ!」
不法侵入だが、一応親には許可をもらっているんだ。遠慮せずに入らせてもらう。
玄関を上がり、廊下を進んでいく。流石は電脳世界と言うべきか、VRMMOの大権威と言うべきか、少女一人には不相応の家だな。それに、まるで生活感を感じられない。
あらゆるドアを開けて虱潰しに見ていくが、人の痕跡が見当たらない。本当に、ここにあいつが住んでいるのか……?
やがて、二階の一番奥に電気がついた部屋が見える。残った部屋はここだけだ。ここにあいつがいるだろう。
唾を飲み、俺はドアを開ける。視界に広がった部屋を見て俺は驚愕した。
どうか、この部屋に居ないでくれ。俺はそう願ったが、それに反して部屋には誰かが遊んだ跡が残っていた。
「高校生だろ……卒業しろよ……」
そう、そこは子供部屋だったのだ……
積み木にクレヨン、ぬいぐるみにままごとセット。とても、高校生の部屋とは思えない。
知れば知るほど、あいつの闇が見えてくる。どうして俺は気づいてやれなかったんだ。みんなで楽しくゲームをしていた裏では、こんな事になっていたのか……
「来てくれたんですねレンジさん。嬉しいな」
部屋の奥から歩いてくるのは一人の少女。お金持ちのお嬢様という服装をしており、ゲームのような素朴な仕立て服ではない。それに、現実と違ってやせ細ってもいなかった。
彼女はなんて事のない会話をふる。しかし、それはどこかズレていた。
「今朝のニュース見ました? 交通事故で女児二人が死んじゃったニュースですよ。ご飯が美味しいですね」
気分が悪い……何を言っているんだ……
「あーあ、世界中のみんなが不幸になれば良いのになー」
「なあ、アイ……どうしてこんな事になったんだろうな。俺たち、分かりあえたはずなのに……」
アイ、彼女の瞳は真っ黒に染まっている。ずっと一緒に旅をしてきた。無邪気に笑っていたあの頃とはすっかり変わってしまった。
だけど、俺は信じない。笑顔で旅をしたあいつは演技なんかじゃなかった。確かに心で繋がっていたはずなんだ。
でも、その繋がりより、あいつの闇は深かった。
「見たんですよね。現実の私」
「ああ、見たよ」
確かに見てしまった。どうにも出来ない現実というものを……
「分かったでしょう? 私たちは決して一つになれない。身体の繋がりを持つこともできない。住む世界が違うんですよ」
「それでもいい……お前が戻ってきてくれるならそれで!」
俺はアイがどんな存在であろうと構わない。ただ、あの頃に戻りたいだけだ。
だけど、あいつはそう思っていないらしい。むっとした表情で彼女は足元のぬいぐるみを踏む。
「じゃあなんですか? 仮想世界で結婚して、NPCの子供を作って……あーなんて幸せなんだって、薄っぺらい家族ごっこでもするつもりですか? あーくだらない。本当にくだらない! そういうの、虫唾が走るんですよ!」
彼女は何度も何度も踏み潰す。やがて、それは蹴飛ばされて俺の足元に転がった。
姿勢をかがめ、俺はそのぬいぐるみを拾う。相当酷く扱ったのか、何ヶ所も縫い目がついている。破っては直し、破っては直しを繰り返したのだろうか。
「大切な友達なんだろ。大事にしろよ」
「私に友達なんていませんよ。真の悪には不必要なものです」
不必要なら、ぬいぐるみなんて全部燃やせよ。お前は寂しいから、こうやって自分の周りに人形を置いているんだ。悪意で自分の気持ちを誤魔化しても、俺にははっきりと見えていた。
こいつは確実に俺に対して仲間意識を持っている。お前はスマルトの教会で戦った時、それが決定的となる行動を取ったんだ。
「ヴィルさんが乱入したとき、お前は俺を助けてくてた。あれはお前の言う真の悪だったのかよ……」
「私はずっと、貴方に好意を持っているという演技をしてきました。ですが、いつしかそれが本当の思いに変わってしまったのも事実。こうなった以上、それはもういいんです……もう……」
両思いだ。だけど、二人の溝は深い。
俺だってよく分かっているよ。このまま恋愛関係になる事なんてありえない。俺たちはただ武器を握り、その力と力をぶつけ合うのみだ。全てを解決するにはゲームしかない。
「俺たちはもう一つになれない。俺は完全に失恋したし、お前も俺を諦めている。だけど、せめてあの頃には戻れるはずだ」
ああ、これで良い。これが俺の選んだ最善の策。
最初から決めていた。俺の目的はあいつの裏切りをなかったことにする事。だから、それ以上は望まない。
そしてそれを実行するには、力だけは解決できないだろう。あいつの闇を振り払うんだ。
「マシロに謝れ。それで俺は全部を許すつもりだ。敵をぶっ倒して償わせるっていうやつ。俺はああいうのが大っ嫌いだからな。そんな暴力で相手を屈服させるより、もっとクールに穏便に物事を解決したいんだよ」
俺が【ディープガルド】で学んだこと……それは人と人との絆。人間という歯車の噛みあいだ。
アスールさんはそんな俺を甘いだけだと言っていたが、それでも最後には認めてくれた。ハクシャだって、そんな俺を間違っていないと言っていたな。
なら、俺は貫くよ。怖くても良い、逃げても良い、だけど自分の心に嘘はつかない。それが、あの世界でお前が教えてくれたことだ。
そんな俺の覚悟に対し、アイはムッと口を曲げる。どうやら、自分に情を掛けられているように思ったようだ。
「私に同情する気ですか……? ふざけないでください」
「ふざけてなんかいない。同情や理解を得られて気分を悪くする奴なんて、俺はいないと思う」
そうだ、誰だって分かってもらいたいし、励ましてもらいたい。それは、人間として恥ずかしいことじゃないし、巡り巡って強さになる。お前も同じはずだ。
俺たちが戦った【ダブルブレイン】の奴らだって、そういう感情によって分かり合えたんだと思う。だけど、あいつらには退けない訳があった。
「でも、敵には敵の意地がある。同情や情けを受けないっていうのなら、せめて戦う事で分かり合いたい。認められないまま終わるのは嫌だからな」
「理想論ですね。世の中はそんなに甘くありません」
「理想を掲げたから、ダイブシステムはここまで進化した。お前が好きなゲームも理想の先にあるんだ」
人間の進化は理想の先にある。夢を見られなくなったらそれこそお終いだ。
だから、俺は夢を見続ける。例えそれが甘くても、綺麗事でも構わない。他から何を言われようとも、この考えを改める気はなかった。
「俺は正義の味方なんかじゃない……でも、正義の味方すらも匙を投げたゲス野郎と分かり合えたら。それって、正義の味方より凄いって事になるよな?」
俺は曇ったアイの瞳を直視する。
「だったら、俺がやってやる……! 断罪なんかじゃない。最高に気持ちよく、最高に都合よく、全部まとめて解決してやる! 正義の味方にだって吠え面かかせてやるよ!」
「そうですね……それでこそレンジさんです!」
今日、初めてアイが笑った。
邪悪な笑みなんかじゃない。まるで天使のような眩しい笑顔。ずっと旅の中で当たり前のように見てきた。もう二度と見れないかもしれないと思っていた。
それを再びこの目に焼き付けれるなんて……
ここまで来た甲斐はあったな。間違いなく、アイはビューシアの中にいる。
それは憶測でもなんでもない。確信だ。