179 その拳は己がために
クラーレットの闘技場で始まったハクシャとブレインさんの決闘。レベルや装備などは平等だが、相手は罠を仕掛けている。油断は禁物だ。
しかし、ハクシャは全く怯まない。いつもと同じ必勝法で、自らの攻撃力を高めていく。
「いくぜ! スキル【渾身】!」
「スキル【商人召喚】。速度の薬を購入しましょうか」
防御力を下げ、攻撃力を上げる【渾身】。それに対し、ブレインさんはフィールドにNPCのドワーフを召喚した。
なんだこのスキルは……ドワーフにお金を渡し、ブレインさんは薬を一瓶購入する。この行動には流石のハクシャも驚いていた。
すぐにPCさんの解説が入る。
「スキル【商人召喚】は文字通り商人を召喚し、どこでも買い物が出来るスキルです」
「攻略向けのスキルですね。初めからアイテムを買い揃えていれば、使う必要もなかったでしょう」
ブレインさんが薬を飲んだのと同時に、NPCのドワーフは消える。決闘中なのに呑気なものだな。挑発しているのだろうか。
しかし、ハクシャはそのペースに飲まれなかった。上昇した攻撃力と【軽業】による身のこなしをフル活用し、相手に拳を放っていく。
「オラオラオラ! どんどんいくぜ!」
「いやー、素晴らしい攻撃ですね」
格闘家による猛ラッシュ。本来なら生産職の力で凌げるはずがないが、ブレインさんは杖によって上手くガードしていた。
防戦一方な様子だが、速度の薬によってスピードは対抗できている。それに加え、防御上から受けるダメージもそれほど深刻ではない。まるで戦闘職の能力スペックだ。
「生産職の割には能力が高いですね。技術の方はへなちょこに感じますが……」
「商人は戦闘用スキルを殆ど習得できませんが、マスターはスキル【金しだい】によって能力を上げています。【金しだい】は所持ゴールドが多いほど、自信の能力が上昇するスキルです」
「PCさん、ヘルプ機能の仕事熟しまくってますね……」
仕事熱心で何よりです。どうやら、自動スキルの【金しだい】にスキルポイントをふっているようだ。
まあ、能力だけなら何とかなる。例えステータスが高くとも、上級者には全く歯が立たないのがこのゲーム。ハクシャは明らかにブレインさんの技術を上回っていた。
徐々にダメージを重ねる商人。そんな彼に、ハクシャはスキルによって追い打ちを加えていく。
「スキル【鉄山靠】!」
背中から相手にタックルする【鉄山靠】。移動しながら攻撃するこのスキルは威力も相当に高い。ブレインさんは杖によってガードするが、その上からかなりのダメージを受けてしまった。
こんな状態でも彼は一向に対抗姿勢を見せない。ただ、ハクシャの隙を待つかのように、回復スキルで粘っていく。
「スキル【ヒールマネー】」
「【ヒールマネー】はゴールドを消費することによって、その消費量に応じて体力を回復するスキルです」
金貨がブレインさんの周囲を覆い、そのライフを全開にしてしまった。ゴールドを消費、つまりお金の力で体力を回復するスキルって事か。回復量から見るに相当のお金を持っているな。
だが、そんなものは一時凌ぎにしかならない。スキルを使えばPPもお金も減っていく。いつかは限界が訪れるはずだ。
今、ハクシャが行うべき事はスキルの使用を控える事。焦って大技を狙うのは危険だった。
「ハクシャ、焦るなよ……必ずチャンスは巡ってくる」
「一気に決めるぜ! スキル【破砕拳】!」
しかし、ハクシャは攻めの姿勢を止めようとはしない。彼は当たり辛いが威力の高い【破砕拳】をブレインさんに向かって放つ。決まれば一気にライフを減らすことが出来るだろう。
俺はブレインさんからの反撃を警戒していた。しかし、その心配は杞憂だったのか、拳は相手の腹部にヒットする。
よし、これで大ダメージだ。再び回復される前に決めに出れば、ハクシャの勝利は確実。
そう思った時だった……
「終わりましたね」
「え……?」
PCさんがそう言葉をこぼす。初めはブレインさんが終わりという意味だと思っていた。しかし、彼女の瞳は冷たくハクシャを見下している。まるで、敗北者を蔑むかのように……
その態度によって確信する。違う……何かある……!
俺は立ち上がり、舞台上のハクシャに向かって声を放つ。嫌な予感がして仕方ない。ただ、ハクシャが気付くように、声が届くように叫ぶしかなかった。
「ハクシャ……! 何か来るぞ!」
「スキル【テイクマネー】!」
殴り飛ばされるブレインさんの手に何かが握られる。それは金色に輝くゴールド……お金だった。
彼は握った手を思いっきり振りかぶり、それをハクシャに向かって放つ。一方的にやられていた相手が、突然スキルを使用したのだ。当然、反応は遅れてしまうだろう。
しかし、ハクシャのプレイヤースキルは高かった。その急な攻撃にも反応し、とっさに防御の態勢を取る。よし、スキルの効果は分からないがこれで凌げ……
「凌げませんよ」
PCさんの言葉と共に、ハクシャの腕にゴールドが触れる。
瞬間、彼のライフは一瞬にして消し飛び、彼自身も闘技場の床に叩きつけられた。
会場が静まり返る。ブレインさんは服の埃を払い、余裕の表情で倒れるハクシャを見下した。最初から、この一撃を狙ってひたすらに粘っていたのか。
正直、何が起こったのか全く分からない。唯のスキル一つでこの威力……?
ふざけるなよ……これがチートじゃなかったらなんだ。
「キャー! Dr.ブレィィィン!」
「Dr.ブレイン最っ高だぜェェェ!」
静まり返っていた闘技場のボルテージが最高潮になる。確かに、この展開は盛り上がるよな……
流石にあのスキルが本当にチートとは思っていない。しかし、納得のいかない俺はPCさんにその概要を聞く。
「あのスキルは……」
「スキル【テイクマネー】は消費したゴールドによって威力が上昇するスキル。その上昇値は無限、理論上最強のスキルです。もっとも、お金があればの話しですが」
表向きのレベルや装備は平等にし、誰も気に留めていないゴールドだけは桁違いだった。これが、ブレインさんの仕掛けた罠だったんだ。
倒れたハクシャは全く動かない。ライフは完全に消失し、この一撃で勝者が決まってしまった。なんて理不尽なんだ……こんなの、誰だって勝てないじゃないか。
PCさんはこの結果を最初から分かっていたのか。俺に向かって解説を続ける。
「完全なワンショットキルです。レベルは平等でも、所持金によって強さの変わる商人とは平等ではなかったという事ですね。初めから勝ち目はありませんでした」
「ワンショット……キル……?」
ワンショットキル、俺はこの言葉に聞き覚えがあった。それもそのはず、この戦法は俺が序盤に得意としていた戦術だ。
ロボットの耐久とジャストガードで耐え、最後に必殺のアイテム攻撃で決める。
そうだ、初めてハクシャと戦った時もこの戦法を使ったな。あの時も俺は【発明】でグレネードを作って、あいつのライフを消し飛ばしたっけ……
でも、それでもあいつは諦めなかった。最後の最後まで、ライフが1になってもあいつは……
「……ああ、終わったのはブレインさんの方か」
「ふえ……?」
俺が全てを悟ると、PCさんの表情が変わる。どうやら、彼女はまだ気づいていないようだ。
いや、彼女だけではないか。ブレインさんは勝利を確信し、人差し指を天に向かって立てる。彼のファンサービスを受け、闘技場の観客たちはその名前を連呼していた。
誰も気づいていない。まさか、ハクシャのライフが1残っているなんて……
「Dr.ブレイン! Dr.ブレイン! ど……」
「……スキル【根性】オオオオオ!」
立ち上がったハクシャが叫ぶ。瞬間、闘技場の観客は再び静まり返った。
いまだに彼らは状況を把握していない。『まさか、こいつが立ち上がるはずがない』と誰もが思っただろう。だが、あいつは紛れもなく立っていた。
スキル【根性】はライフが全損した時、一定確率でライフを1残すスキルだ。その発動確率は残りライフが多いほど上がり、【根性】を積極的に鍛えたハクシャの場合は高確率で発動する。
初めからあいつの計算だったのか、それとも運命が勝利を呼んだのか。何にしてもブレインさん。貴方はもう詰んでいますよ。
「いったい何が……」
「何驚いてんだ。お前の作ったスキルだろ? スキル【崩拳】!」
振り返ったブレインさんに対して、ハクシャは容赦なく【崩拳】放つ。
この技は相手を転倒状態にするスキル。格闘家を前にして転倒状態になるのは危険だ。そのままコンボが繋がっていくのだから。
「スキル【疾風脚】!」
「ぐ……」
倒れたブレインさんをさらに腹部から蹴り上げる。【疾風脚】は相手を空中コンボへと繋げるスキル。空中に浮いた商人に対し、ハクシャは右拳を思いっきり振りかぶった。
「スキル【正拳突き】!」
「ぐ……は……!」
殴り飛ばされ、闘技場の床に落下するブレインさん。怒涛の連続攻撃が放たれていく中、闘技場の観客たちは口をぽかんと開けていた。
巨大なゴーレムも、すましたリザードマンも、誰もが息を飲むかのようにハクシャに釘付けだ。やがて、一人のスライムが恐る恐る彼の名前を呼ぶ。
「は……ハクシャー!」
瞬間だ。それが切っ掛けとなって、闘技場のモンスターたちが口々に彼の名前を叫ぶ。この大逆転劇によって、ハクシャは会場の空気すらも物にしてしまったのだ。
「ぶっ潰せェ! ハクシャー!」
「ハクシャ! ハクシャ! ハクシャ!」
これは酷い掌返しだな。流石はモンスター。滅茶苦茶ドライな奴らだよ。
度重なるスキル攻撃によって、いよいよブレインさんのライフはレッドラインに入る。しかし、彼はスキルによって回復しようとはしなかった。ハクシャの残りライフが1だという誘惑に負けてしまったのだ。
当然、ブレインさん程度の技術でライフを削れるはずがない。振り回した杖は【軽業】によって回避されてしまう。
「あと少し……あと少しで……!」
「これはお前に使い捨てられたNPCのぶんだ」
そんな彼に向かってハクシャは拳を放つ。右頬を殴られ、ブレインさんは後方へとたじろいだ。
「ぐほ……」
「これはお前から愛情を貰えなかったアイのぶんだ」
続く拳が彼の左頬に叩きつけられる。ハクシャの鍛えた【起死回生】のスキルは、ライフが減れば減るほど能力が上がるスキルだ。【金しだい】によって上昇した能力も、極限状態のあいつには全く意味がないだろう。
ブレインさんのライフは風前の灯。いよいよ、次の一撃で勝者が決まる。
「そしてこれは、今までイラついていた俺のぶんだ!」
最大まで威力が高められた拳が、ブレインさんに向かって迫る。
しかし、その拳は彼の顔面を前にして止まってしまった。違う、止まったんじゃなくて、ハクシャが止めたんだ。
あいつは振り上げた拳を収め、迫る拳に怯えていたブレインさんに言葉を投げる。
「畜産農家は自分の育てた動物に一切の感情を持たない。食肉になる商品に情が移れば、自分が辛い思いをする。多くの食肉を出荷したから、一々気にしてられないってのもあるな。Dr.ブレイン、お前も同じなんだろ?」
その言葉を聞くと、ブレインさんはハッと何かに気づいたような表情をする。これは、VRMMMO制作の知識がある者だからこそ、交わせる言葉なのかもしれない。
ハクシャは遠い目をしながら、何か思う事があるように言葉を続ける。
「NPCを家畜扱いするってのは気に食わないが、実際にそうだから仕方ない。お前は消費者のために商品を量産し、お偉いさんのために研究を続けた。お前を生み出したのは俺たちゲーマーだ」
ずっと、こいつは俺と行動することに後ろめたい思いだったのかもしれないな。俺はNPCの生産消去に気分を悪くしていた。それは俺を取り囲む仲間たちも同じだ。
でも、ハクシャはゲーム製作者を目指していた。場合によっては、俺たちと敵対しかねない。知られればギスギスした関係なる可能性もあっただろう。
そんな立場に立たされたあいつは何を思ったのか。俺には分からないけど、気付いてやれなかったのは悔しいな……
「俺はお前と同じゲームクリエイターを目指している。だから、俺のぶんの拳はなしだ。さあ、決闘を続けるか?」
先ほどまで暴力をかざしていた右手は、握手を求めるように広げられる。
そんな彼の行動を見たブレインさんは、完全に心が折れてしまったようだ。まるで腰を抜かすように、その場に情けなく崩れ落ちてしまった。
「いえ、僕の負けです。完敗ですよ……」
『しょ……勝者はハクシャー!』
彼が負けを認め、床に手を付けるのと同時に実況のダークフェアリーが叫ぶ。会場のボルテージは以前として最高潮で、耐える事なくハクシャコールが響く。
しかし、ハクシャそんな観客たちの声に応えることなく、床に腰を落とすブレインさんを介保していた。あいつの顔は満面の笑顔。ブレインさんの表情も和らいでいるように見える。
そんな二人に向かって、俺は思わず言葉が出てしまう。
「ありがとう」
ここまではハクシャの戦い。そして、次はいよいよ俺の戦いだ。
現実世界では決して目を覚まさない少女。闇の中で生まれ、データの世界で生き続けた少女。俺はあいつを囲む環境に気づいてやれなかった。
アイ……俺はもうお前を放さない。今度こそあいつの心を掴みとり、絶望の全てを無かったことにする。
待っていろ……
お前の悪意は俺がぶっ飛ばす!