178 ドクターナイトフィーバー!
ヘッドギアを装着した俺たちは、【ディープガルド】へとログインする。アイと再び会うにはブレインさんとの決闘に勝つしかない。
本来なら、俺は前回ログアウトしたエピナールの街から再開される。しかし、ブレインさんが細工を行ったのか、そこからゲームが始まることはなかった。
俺がログインした場所はどこかの闘技場。空は暗闇に覆われており、悪魔を模した場内の装飾が不気味な雰囲気を漂わせている。明らかに、王都の闘技場とは違っていた。
しかし、そんな事はどうでも良い。今は俺と同じように観客席に座っている観客たちだ。
「ももももも……モンスター!?」
スライム、ゴブリン、ワーウルフ……お馴染みのモンスターから知らないモンスターまで、あらゆるモンスターが顔を揃えて座っている。彼らは興奮した様子で、舞台に向かって野次を飛ばしていた。
まさか、騙されたのか……? ハクシャとも逸れてしまったようだし、別々に仕留めるためにこんな事を……
俺はスパナを構え、その場から逃げ出そうとする。しかし、そんな俺を一人の女性が止めた。
「落ち着いてください。彼らが危害を加える事はありません」
声のした方を見ると、そこには懐かしい姿があった。俺がこのゲームで最初に出会った人。スキル【奇跡】を与えてくれた人……
随分と懐かしい気分だ。まず、彼女で間違いない。
「貴方は……NPCのお姉さん……!?」
「またお会いしましたね。レンジさん」
女性は初ログインの時、ヘルプ機能で現れたNPCだった。
再会を喜びたいところだが、今は状況の把握が必要だ。彼女の言うように、周囲のモンスターは襲ってこない。まるで他のNPCと同じ人間のようだった。
いったいどういう事だ。そもそも、ここはどこなんだ。なんで俺は闘技場に呼ばれている。
その疑問はNPCのお姉さんの口から明かされた。
「ここは魔物の村クラーレット。別名はモンスター村で、戦闘意思のない言葉を話すモンスターが集まる場所です」
「初めて聞きましたね……」
「ここは最終大陸である【ヴァイオット大陸】ですから。その中でも、この村は更に隠されています。一種のおまけ要素と言える場所ですね」
なるほど、ブレインさんは誰にも邪魔されないように、プレイヤーの少ないこの村に移動させたのか。そして恐らく、この闘技場で今から戦うのは彼とハクシャ。俺は観客として見ていろって事か。
まあ、説明役がいるのはありがたい。このお姉さん、やっぱり他のNPCと違って、運営の指示で動いているんだな。
「申しおくれました。私の名前はPC。Dr.ブレインに【ディープガルド】の管理を任されたNPCです」
PC……パーソナルコンピューター? それとも、プレイヤーキャラクター?
パソコンは個人個人で使用する家庭用機器。プレイヤーキャラクターは俺たちゲームプレイヤーの事。NPCの名前が、Nの付いていないPCのはおかしい。どちらも疑問が残る。
まあ、今はそれどころじゃないか。僅かな違和感を感じつつ、俺はこの疑問を流した。
そうこうしている内に、いよいよショーが幕を上げる。実況のダークフェアリー少女が、見かけによらない大声で開催を告げたのだ。
俺はPCさんと共に、姿勢よく闘技場の舞台を見つめる。なんだか真面目なこの人と一緒にいると、いつも以上に緊張してしまうな。
『レディースアーンジェートルメン! 今宵は皆様に最高の決闘をお届けします! その眼にしかと焼き付けてください!』
「さあ、始まりますよ。貴方の命運をかけた戦いが……」
ダークフェアリーは【交信魔法】コンタクトによって、会場全体に声を響かせていく。彼女の声を聞いたモンスターたちは、一斉に歓声をあげた。
凄いテンションだな……よっぽど、この対戦カードに興味があるのか。それともただの暇人か。
何にしても、ハクシャにはこの会場の雰囲気に飲まれないようにしてほしい。俺なら調子が狂っちゃうからな。
『まずはー! 挑戦者……巨獣討伐ギルド【エンタープライズ】、格闘家ハクシャー!』
「ぶっ潰せー! お前に賭けたぜー!」
賭けまでやってるのかよ! ヒスイさんによって、殆どのNPCは【ディープガルド】の危機を知っているはずだが……ここの住民はどこまでもお気楽だ。
【奇跡】のスキルを研ぎ澄ますと、モンスターたち全員が魂持ちだと分かる。こいつらにも命の危機が迫ってるはずなんだけどな……
「何なんですかこの茶番は……」
「ゲームですよ。貴方もゲームは好きでしょう?」
PCさんは小悪魔的な表情で笑う。瞬間、俺の背筋に原因不明の寒気が走った。
俺はキレたら頭が真っ白になる性格を嫌悪し、平凡な人生を望んでいる。だからこそ、厄介事から目を逸らすために危機回避能力が発達していた。
そのおかげで、ヤバイ存在や身の危険は感覚的に分かる。PCさん……貴方はいったい何者なんですか……
彼女は俺とは目を合わさず、入場するハクシャを見つめる。まあ、今はあいつの戦いが重要だ。相手は【ディープガルド】開発チーフのDr.ブレインなんだから。
『そしてー! いよいよ現れますはこの闘技場のスパースター。我らの! 世界の! ドックタアアアァァァー! ブッレイイイイイイン!』
そう、実況が放った瞬間だった。
突如、闘技場の全証明が消灯し、周囲は暗黒に包まれる。やがて、舞台の一画がスポットライトによって照らされた。
そこに立っていたのは、ハクシャの対戦相手であるブレインさん。ど派手で胡散臭い民族風の衣装を身に纏い、その手には杖がにぎられている。
ジョブは分からないが、装備はそこそこに整っているな。しかし、それよりも驚いたのは会場のボルテージだった。
「待ってたぜェー! 俺たちのヒーロー! Dr.ブレイン! イエーイ!」
「キャー! 今絶対に私のこと見たわ! Dr.ブレイン! サイコー!」
近くに座っている二人のモンスター。ミノタウロスのおっさんと、ラミアのお姉さんが滅茶苦茶興奮している。
しかし、それだけではない。会場にいる全てのモンスターが歓喜し、黄色い声を上げている。まさにスーパースター。ログイン前とは明らかにキャラが違う。
ブレインさんが右手を振り上げ、決めポーズを取る。それと共に会場のライトが一斉点灯し、ハードロックなBGMが鳴り響いた。
実況のダークフェアリーが、男にコンタクトの魔石を渡す。彼はそれに向かって荒々しい言葉を放った。
「今日も無謀な挑戦者がやってきた! この、Dr.ブレインが軽く葬ってやるぜェ!」
「Dr.ブレイン! Dr.ブレイン! Dr.ブレイン!」
なんだよこれ……こんな茶番が用意されていたのかよ……
「今までの会話時間返せよ……! バカ野郎!」
シリアスなんてとんでもない。唯のバカでした。ギャグキャラでした。
マクスウェルの悪魔の下りは何だったんだよ! もう、まともな心境で貴方の言葉は聞けないでしょう。
こんなど派手な登場をしてもまだ足りないらしい。舞台から爆発音が鳴り響き、そこから火を吹き上げる。それと同時に、ブレインさんは華麗なステップで踊り始めた。
「ふー! ヒャッハー! ワオワオワオ!」
「Dr.ブレイン! Dr.ブレイン!」
無駄に上手くて、無駄にかっこいいのがムカつく。なんかイラッとくる。決闘受けたのは目立ちたかっただけだろ。ハクシャは舞台上で爆笑してるぞ。
これがどういう状況なのか。俺はPCさんに会話をふってみる。
「踊り出しましたよ……」
「スーパースターですからね」
「何でそんなに冷静なんですか!」
どうやらいつもの事らしい。いい歳して何やってるんですか……
観客席の俺に気づいたのか、ブレインさんはこちらに視線を向ける。うわ、目が合っちゃった。嫌だなあ……と思いつつ、俺は彼の弁解を聞く。
「これは違います。この【ディープガルド】の管理はPCに任せていますので、僕には神になる資格がありません。その結果、僕はスーパースターになる事にしました」
「どうしてそうなった!」
いろいろ重要な部分が抜けている説明ありがとうございました。これ以上は聞きたくありません。
ブレインさんがまさかのボケを行ったことにより、何だか少しほっとしたな。この人は研究に魂を売った化物なんかじゃない。列記とした人間なんだ。
場が和んだのか盛り上がったのかよく分からないが、機嫌が悪かったハクシャもご満悦な様子。先ほどからずっと笑い転げていた。
「はっはっはっ! お前、面白いな!」
「ええ、僕は今が面白い! ここは日々のストレスを発散させる場所ですからね! イエーイ!」
ストレス発散か……この人はゲーム開発チーフとしてずっと働いてきた。高層ビルが立ち並ぶ大都会。妥協のないビジネススーツを身に纏い、彼は何を思っていたのだろうか。
ビジネスマンの気持ちなんて、学生の俺には分からない。血は繋がっていないものの、娘に対してあれほど冷酷な言葉を吐いたんだ。彼にとって、仕事とは何なのだろうか。
ブレインさんはコンタクトの魔石に向かって叫ぶ。闘技場のモンスターたちに共感を求めるように……
「開発チーフなんてろくなものじゃないですよ! 上からは売り上げ伸ばせ、研究成果を上げろ! 下からは助けてください、扱い良くしろ! そりゃ心も凍りますよ! NPCや娘なんかに構ってられるか!」
「ブレインさん……」
典型的な中間管理職だな。ずっと、ストレスを抱えていたんだろうか。
ブレインさんは心の丈をぶちまけ、人差し指を天に向かって立てる。それと同時に、場内は更に盛り上がっていく。
「もっと売り上げを! もっと研究成果を! ヒャッハー! イエーイ!」
「Dr.ブレイン! イエーイ!」
「Dr.ブレイン! イエーイ!」
スポットライトが舞台を照らす。ハードロックは更に激しさを増していく。
会場のボルテージは上がり、モンスターたちは口々に言う。「早く始めろ!」、「いけっ! ぶっ倒せ!」と……
俺も心臓が高鳴って仕方がない。そうだ、これが決闘だ。これがゲームだ。
ハクシャはこれを求めていたのかもしれない。左掌に右拳を当て、あいつは不敵な笑みを零す。今のあいつは眼鏡をかけていない。熱血漢な格闘家ハクシャだった。
そんな彼に対し、ブレインさんは最後の警告を行う。今更、そんなことを言ってもあいつは逃げないけどな。
「レベルは同数値! スキルレベルも同数値! 性能の良い装備もしていません! 平等な条件ですが、僕は罠を仕掛けている! それでも貴方は戦いますか!」
「当然だぜ! せっかく最高の舞台を用意してもらったんだ!」
ブレインさんは何かを企んでいた。だけど、ハクシャは全く退く気はないし、否定する気もない様子。まあ、あいつらしいと言えばあいつらしいか。
ファンサービスを終えたブレインさんはハクシャと向き合う。実況のダークフェアリーが右手を握り、そんな二人へと視線を向ける。いよいよ、その時が訪れたようだ。
『さあ! お待たせしました! 決闘開始です!』
「【ディープガルド】開発チーフ……いえ、その肩書はこの場に不必要! 商人Dr.ブレイン! いきますよ!」
プレイヤーネーム、Dr.ブレイン。そのジョブは商人。
まさにビジネスマンってわけか。アイテム師の役割を持っていると聞いているが、さて何を仕掛けてくるか……
相手は生産職だ。力勝負を行う事はないだろう。
警戒すべきはアイテムとペットスキル。ハクシャが商人の戦い方を把握していればいいが、まあ知ってるはずないよな。俺もあんなマイナージョブは知らない。
様子を見るハクシャ、ニヤニヤと笑うブレインさん。
この決闘、一筋縄ではいかないだろうな。