177 永遠の眠り姫
俺はこれ以上の詮索をやめ、アイの話しを切り出そうと考える。しかし、ゲームクリエイターを目指すハクシャが、ブレインさんの話を突き詰めていく。
眼鏡の下では鋭い眼光が光り、まるで何かを探っているようだ。やっぱり、【ディープガルド】内での熱血漢は全て演技。本来は冷静で思慮深い奴だったんだな。
「貴方は情報によって、何を狙っているんですか?」
「人類の進化ですよ。僕は常に新しい境地を求めています。今はデータ上に理想世界を作る事ですかね。【ディープガルド】はVRMMOでも特殊でして、男女比率が限りなく5:5に近い。それに若い人が多いのも良いですね。可能性に溢れています」
確かに、【ディープガルド】は他ゲームより女性が多すぎる。俺は可愛らしい世界観と、生産システムの充実がその理由だと思っていた。だけど、実際はそうなるように、この人が操作していたんだ。
恐らく、最初からこの形になる事を前提で作られた。ゲームとして不自然な部分は、全部この人が操作していたと考えていいかもな。
ブレインさんは上機嫌のまま、自らが製作したゲームを語る。
「やっぱり、ゲームデザインをリアルではなく、ファンシー路線にしたことが功を奏しましたか。出来るだけ条件が平等になるよう、ゲームバランスには気を使いましたよ。ジョブやスキルはとにかく均等にしています。偏ってしまえば研究が台無しですから。大切に大切に育てていかないと……」
「その大切に育てた世界が滅茶苦茶だぜ? それは想定外じゃないのか?」
ここで、ハクシャが更なる突っ込みを入れていく。【ダブルブレイン】は【ディープガルド】を混乱状態威に陥れ、運営の組み立てたNPCの虐殺を行っていた。それを黙認することが研究の一環らしいが、どうにも話が繋がらないな。
しかし、それもそのはずだ。ブレインさんたち運営の思想は、俺の考えが及ばないほどに異常だった。まさに、狂人の域に達していたのだ。
「ええ、嬉しい想定外ですね。僕の作った世界で進化した人類が生まれ、そして現実への革命を起こそうとしている。素晴らしいことじゃないですか!」
「あいつらの計画が成功したら、現実がどうなるか……貴方だって死ぬかもしれないんですよ!」
「もしそうなれば、それが人類の進化によって行き着いた先。所詮そこまでの存在だったという事でしょう」
研究に全ての身を捧げているというわけかよ……やっぱり話にならないな。
今やるべき事は現実のアイと接触すること。目的が最優先なのは変わらないし、本題の方をはぐらかされたら厄介だ。だからこそ、すぐに俺は話しを切り出した。
「貴方がこのゲームに何を求めているか、現状の立ち位置も含めて理解しました。僕たちの敵ではないというなら、もうこの件に関しては何も言いません。ですが、ここから本題です」
もうすぐ、本当のあいつと出会える。そのために、俺はここまで来たんだ。
「貴方が里子として引き取った娘。大国愛に会わせてほしいんです」
「なるほど、僕としては構いませんよ。ですが、貴方は彼女がどういった存在か認識し、その上で接触を望んでいるのでしょうか?」
どういった存在って……あいつはVRMMOの世界でビューシアと名乗り、プレイヤーキラーとしてその名前を上げていた。最強と呼ばれる五本指の一人に数えられ、同時にゲーム世界転生者組織【ダブルブレイン】の一人でもある。
七人の中では唯一現実を捨てていない普通のプレイヤーだ。【ディープガルド】開発者であるブレインさんの里子である以外は、俺と変わらない人間のはず。
だけど、何だこの質問は……何なんだこの違和感は……
「どういう事でしょうか……?」
「その反応からして、どうやら知らないようですね。良いでしょう、覚悟があるのなら僕についてきてください」
そう言うと、ブレインさんはソファーを立ち上がる。俺たちをアイの元に連れて行ってくれるようだ。
ハクシャは拳を握りしめ、その瞳を真っ直ぐと見据える。これは、俺も覚悟をした方が良さそうだな。
アイ……お前は俺に何を見せるつもりだ?
希望か絶望か。どちらにしても、この眼に確りと焼きつけてやる。それが、あいつと向き合った俺のけじめなんだから。
扉を開けた先に待っていた少女。その姿を見て、俺の中の歯車が噛み合った。
ルルノーさんが言っていた『後悔する』ということ。あいつが常軌を逸した思想を持ち、悪としてのカリスマ性を持っていたこと……
凄まじいゲームの技術を持っていたこと。どんな時間であろうと俺たちの我ままに付き合っていたこと……
その全てに合点がいってしまった。
「これは……」
「大国愛、彼女は最初からこの世界に存在しなかった。彼女は仮想世界の住民だったんですよ」
薄暗い部屋、点滴用の管やケーブルによって繋がれた少女。彼女は決して目を覚まさず、ベッドの上で眠りつづけていた。
ゲーム世界で会った彼女よりも、遥かにやせ細っている体。肌も色白く、触れれば壊れてしまいそうなほどに儚い存在だ。
いつも笑顔で、元気が取り柄だったあいつの顔が浮かぶ。ゲスな顔も見せていたけど、今はそれすらも叶わない。
あいつと繋げられたモニターには、あらゆる情報が羅列されている。今の彼女がどんな状況なのか。そのモニター越しで確認することしか出来なかった。
「13年前、僕は生まれながらにして意識がなく、親にも捨てられた彼女を引き取りました。現実世界では決して目を覚まさず、世界がどういった物かも認識していない少女。僕はダイブシステムによって、彼女の意識をデータ世界に呼ぶ実験を行いました」
ブレインさんは語る。アイがどんな存在か、どうやって人格を手に入れたのかを……
生まれてから一度も目を覚まさなかった少女。悪い言い方をすれば人間として欠落した存在で、本来は人格すらも持たなかった。
しかし、ブレインさんはそんな彼女をバーチャル世界に引きずり込んだ。結果として、仮想世界内だけで生きる存在が完成した。
「闇の中で生き続けたこの少女と是非接触してみたかった。実験は見事に成功。彼女は重要な研究対象として、この部屋に保管されています」
その言い様に、俺は僅かな怒りを覚える。どんな形であれ、あんたの娘だろうが……
「研究対象……保管……親が子供に使う言葉とは思えませんね……」
「少なくとも、親子としての認識はありませんよ。僕として見れば彼女は優秀なモルモットです。それ以外の感情は一切持ち合わせていません」
ブレインさんは冷酷だった。だけど、彼こそ正に研究者だ。
NPCを実験として切り捨てたように、この人は自分の娘すらも切り捨てている。その青く冷たい目は、この世界すべてを研究対象として見ているようだ。
ルルノーさんとは格が違う。良い意味でも、悪い意味でもこの人は本物だった。
「研究者としては一流……でも、父親としては三流以下ですね……」
「まあ、怒るでしょうね。ですが感謝してほしいものです。僕は彼女に人格を与え、肉体認識すらも与えました。彼女にとってすれば、僕は親以上の存在。神と言える存在ですよ」
そういえばアイの奴、俺に似たようなことを言っていたな。神か……あいつが誰に似たかよく分かったよ。
こんな環境で、真っ当な人間に育つはずがない。あいつにとって、ゲーム世界が全てだったのかもしれない。アイは本当に魔王になるつもりだったんだ……
俺は彼女に近づき、痩せ細った手を見る。すると、ブレインさんが俺にある提案を出した。
「彼女が意識を取り戻す事。それこそが研究の最終段階です。レンジさん、その手を握っても良いですよ」
「いえ、やめておきます。僕にはその資格がありませんから」
まだ、あいつとは分かり合えてない。あいつが眠っている所でその手を握っても意味がない。
もう一度、ゲーム世界に戻るか? 俺はあいつが現実世界で待っていると思っていた。でも、その結果がこれだ。
また、後戻りでちっとも前に進めない。真実が分かったところで、対処する手段がない。いつもこれだ………
情けないなあ。ちくしょう……
「おい、レンジ。まさかこれで終わりじゃないよな? 勘弁してくれよ。お前はまだ何も成し遂げてないぜ」
そんな俺の肩をハクシャが叩く。メラメラと燃えた彼の瞳は、一切諦めの感情を感じられなかった。
あいつは視線をブレインさんに移し、威圧するかのように言葉を放っていく。言葉使いは徐々に荒々しくなっていく。
「なあ、ブレインさんよお。アイの世界は二つじゃない。三つ目があるんだろ? まさか、ゲーム世界の中だけで生き続けてるわけないしな。バーチャル世界にも現実に似せた世界がある。違うか?」
「はは、感の良い子供は好きですよ」
男が笑った瞬間だ。突如、ハクシャは彼の胸ぐらを掴む。
今にも殴り倒しそうな状況。おいおい……これはまずくないか……?
「おいハクシャ……!」
「その世界にレンジを連れていけ。俺は本気だぜ……」
確かに、バーチャル世界はVRMMOだけじゃない。元々、このシステムは医療用のもの。通常時のアイが生きる世界も存在するはずだ。
現実と同じ速度で時間が流れ、現実と同じように不便に作られた世界。意識を失った人間用の場所があるはずなんだ。
だけど、それにしてもハクシャのやり方は暴力的。ブレインさんは顔色一つ変えていないが、流石に止めないとまずいだろう。相手はVRMMOの第一人者であるエリート育ちなのだから。
「ハクシャ、それにしたってこんな方法じゃ……」
「シュトラに伝言を頼んだだろ。『俺はお前とは違うみたいだ』ってな。お前は優しい。敵を倒すにしても、簡単には割り切らずに最善の道を模索している。でも俺は違う。ムカつく奴がいれば、スカッとぶっ飛ばしてやりたいんだよ」
まさか、本気で殴る気か? そう思ったのと同時に、ハクシャは掴んでいた男を下ろす。どうやら、現実の暴力に訴える気は全くない様子だ。
ポーカーフェイスのブレインさんに対し、あいつははっきりとした口調で言い放つ。これはゲームプレイヤーからの挑戦状だった。
「Dr.ブレイン、お前に決闘を申し込む。お前もゲーム制作に携わっているっていうのなら、ゲームで白黒はっきりさせようぜ。俺が勝ったら、レンジをアイに会わせろ。俺が負けたら素直に手を引く」
「良いですね! 僕もゲームは大好きです。是非やりましょう!」
その提案を快く飲むブレインさん。この人も何か考えがあるんだろう。
ゲームクリエイターであるブレインさんと、それを目指すハクシャ。二人の間に火花が散っているように見えた。
俺とアイの決着の前に、ここに一つの因縁が生じる。ハクシャが負ければ、俺はこの件から手を引かなければならない。しかし、それはどうでも良かった。
今はハクシャの事だ。どうして急にこんな事を……
「お前一体何を……」
「止めんなよレンジ。お前にはお前の戦いがあるように、俺には俺の戦いがある。喧嘩で解決ってのは、お前の理想通りじゃないかもしれない。だけど、世の中って何でもかんでも上手くいくわけじゃないだろ? だから頼む。ここは俺に任せてくれ!」
ああ、そうか……これがこいつの役割だったのか。
俺が【ディープガルド】で出会った人たちには、それぞれの意思や戦いがあった。ハクシャにもついにその時が訪れたという事だろう。
こいつなら大丈夫だ。こいつならこの場を任せられる。俺はハクシャを信じていた。
「分かった。頼んだよハクシャ」
「ああ、頼まれたぜ!」
眼鏡をかけた俺と同い年の男。俺が初めて【ディープガルド】で戦ったプレイヤー。
そんな彼と向き合うのは【ディープガルド】開発チーフであり、VRMMO開発の第一人者であるDr.ブレインだ。恐らく、一筋縄ではいかない相手だろう。
敵はこのゲームの事を知り尽くしている。当然、なにが強いか何が最善か、手に取るように分かっているはずだ。
「では、ヘッドギアを出してください。言っておきますが僕は強いですよ。何せゲーム開発チーフ、一番の責任者なんですから!」
「ははっ、そりゃ楽しみだな!」
俺たちは持ってきたヘッドギアを渡し、【ディープガルド】へのログインルームへと向かう。現実の戦いと思っていたが、結局ゲームで全部決める事になってしまった。
まあ、俺たちはゲーマーだ。ゲームで語るのが一番手っ取り早いだろう。
ブレインさんの心を掴むためにも、拳と拳のぶつかり合いは必要だったのかもしれない。