173 天守閣に立つ者
ヴィルの奏でた【狂詩曲】は、相手をバーサク状態にするスキル。バーサクとは攻撃力が上昇する代わりに、プレイヤーの判断力が鈍ってしまう状態異常だ。
スキル【覚醒】は本来、能力値全てが上昇する代わりに重度のバーサク状態になるスキル。まさに最後の悪あがきで、戦闘を運に任せるものだと言っていい。
しかし、無心になった体にNPCの記憶を入れ込めばノーリスクで動くことが出来る。これが【エルドガルド】のプレイヤーが使う【覚醒】。本来なら敵は既にバーサク状態であるはずだ。
だが、エルドはバーサクの状態異常に掛かった。片目だけに紋章が浮き出た【ダブルブレイン】の【覚醒】は種類が違うらしい。恐らく、これもルルノーが作ったチートの一種だろう。
このバーサクは後に影響するはずだ。しかし、エルドは焦ることなく、むしろ歓喜に震えていた。
「バーサクとは良いものを貰った。もう何も考えずに思いのままに戦える! ただ、戦って戦って戦い抜く! こんなに嬉しいことはない!」
「……心ばかりのプレゼントって事にしておくよ」
ヴィルは不機嫌そうな顔をし、クロカゲの後ろに下がる。スキルのチョイスミスか。いや、思考の鈍った人間には必ず穴がある。人間を捨てたダブルブレインでも例外ではない。
やがて、バーサクの影響が出たのか。エルドは予想もしていなかった行動に移る。それはまさに暴走ともいえる戦略だった。
「【夜想曲】と【小夜曲】の効果は切れた。さあ、ラストスパートだ! スキル【風魔法】ウィンディジョン!」
エルドの魔法防御力と魔法攻撃力が戻る。それを見計らってか、彼は【風魔法】による攻撃へと移っていく。
しかし、それは普通の攻撃ではなかった。エルドが魔法を発動させたのは自分の背後。なんと、彼は自らに突風を放ったのだ。
クロカゲに悪感が走る。瞬間、強風に扇がれた英雄は、神風のようにこちらへと突っ込んでいく。
そのスピードは今までとは桁違い。とっさに忍者はクナイによってガードする。
「速イ……!」
「風は俺の味方だ! スキル【クリティカルブロウ】!」
風属性の上位魔法であるウィンディジョンを自らに放ち、それを追い風として利用する。体が再生するダブルブレインにしかできない芸当だ。
しかし、無茶苦茶がすぎる。ディバイン、ゲッカ、テイル、クロカゲ、ヴィルと連続で戦い続け、流石の英雄も限界が近づいているだろう。自分に魔法を放ち、再生力を削るなど消耗が激しすぎた。
確実にバーサクの影響だ。ただ、思うように自由に戦っているのかもしれない。故に、動きは単調でクロカゲのガードも間に合った。
「シット……! 結構くらうね……!」
クナイで剣を受けるが、防御上からライフを削られる。
【クリティカルブロウ】はクリティカルヒットしやすいスキル。それをクリティカルしなかったのは、敵の命中率が【行進曲】で下がっていたからだ。恐らく、本来ならば高確率で全損していただろう。
距離を積めたエルドは更なる一閃を放つ。が、クロカゲは後ろへと退き、先ほど召喚したガマガエルを前に立たせた。
もう、武器の打ち付けあいすらも危険だ。ジャストガードを全く狙えず、ガード上から削り倒される。今は体制を立て直すしかない。
「空中へ逃げル! 【飛び跳ねる】ダ!」
『ゲローッ!』
大ガマに飛び乗り、クロカゲは【飛び跳ねる】ことを指示する。しかし、空中はエルドの独擅場。当然、これに対抗してくるだろう。
飛竜狩りの【ジャンプ】を持ってすれば、同じ高度に並ぶなど朝飯前だ。呼吸をするかのように、彼は空中戦を行えるのだから。
「俺に空中戦を挑む気か! その勝負乗った! スキル【ジャンプ】!」
大ガマに乗ったクロカゲと、【ジャンプ】を使ったエルド。両方が【インディ大陸】の大地を離れ、空中へと跳び上がる。
地面に降下するまでは数秒。その短い時間で全ての決着がつく。クロカゲにとって、この時間は何よりも長く感じるはずだ。
普通に戦ってもエルドを倒す手段はない。しかし、こちらにはヴィルのサポートがある。
クロカゲが先読みするに、彼の使うスキルは魔法防御力を下げる【夜想曲】。【風魔法】を自らに放つエルドに使えば、その選択を躊躇させることが出来るだろう。
やがて、ヴィルのギターからゆったりとした曲が響く。
使ったのは【夜想曲】。しかし、その対象はクロカゲの予測とは異なったものだった。
「スキル【夜想曲】!」
効果が発動された瞬間、忍者の頭は真っ白になる。
「何でオレにスキルを……」
ヴィルが魔法防御力を下げたのは、エルドではなく味方のクロカゲだった。
先読みが出来ない。全く考えが分からない。
裏切ったのか……? 初めからエルドと手を組んでいたのか……? ずっと、この最後の場面を狙っていたのか……?
それならなぜ、【夜想曲】を選んだ……? あの覚悟した表情は全て演技だったのか……?
疑問が頭の中を駆け巡る。そうしている間にもエルドの剣が迫る。
こいつには何度も裏切られている。こいつは騙し討ちのヴィルリオだ。
そんなこいつを信じられるのか……?
ああ、信じるに決まっている。
当然だ。ここまで共に戦った戦友だろ……?
「スキル【スラッシュ】!」
「味方の戦略読めなくテ……! 何が先読みダァァァ! スキル【畳返しの術】!」
目前に迫るエルドの【スラッシュ】をギリギリのところで回避する。頬すれすれを刃が掠り、あと少しでも遅れていれば終わっていただろう。
そんな状況でも冷静に判断し、敵の足元に畳を出現させる。そして、それをひっくり返し、空中で転倒状態にしようと考えた。
だが、エルドの判断力はその上を行っている。出現した畳を彼はあえて蹴ったのだ。
「もっと高く……! スキル【ジャンプ】!」
空中で敵のスキルを利用し、さらに高くへと跳ぶ。もはや、地上のプレイヤーが豆粒に見えるほど、彼は天高くへと舞い上がった。
しかし、クロカゲも負けてはいない。彼はとっくに乗っていた大ガマの背中を蹴り、エルドに飛びついていたのだから。
「なっ……!」
「放すものカ……オレはお前と共に跳ブ! スキル【影分身の術】!」
剣士の右足を掴み、共に天空へと跳び上がった忍者。敵が動揺している隙に、彼は【影分身の術】によって周囲に自分の分身を作り出す。
当然、エルドを掴めるのは一人なので、分身はそのまま落下するだけだ。使えるスキルもせいぜい一つが限界だろう。
だが、それで充分だ。分身は手裏剣を握り、一斉にそれらをエルドに向かって放った。
「スキル【風魔手裏剣】!」
「スキル【チャージ】……!」
ノックバック効果のある振り払いで、手裏剣全てを斬り弾く。それと同時に、右足を掴んでいたクロカゲを空中で蹴り飛ばした。
降下しつつも、エルドは忍者に狙いを定める。すでに彼のライフは限界が近く、大技を食らえば確実にゲームオーバーだ。だからこそ、英雄は大技を狙う。
「スキル【風魔法】ウィンディジョン!」
自分の背後から突風を放ち、そのまま加速して空中のクロカゲを切り裂く。先読みの必要すらない。低級プレイヤーでも分かる必勝法だ。
エルドは蹴り飛ばした標的に向かって剣を構える。その瞬間、彼の表情が僅かに変わった。
恐らく、この男は気付いたのだ。自分が今、忍者の術によって化かされていると……
後ろに振り向く英雄。同時に、先ほど彼の蹴り飛ばしたクロカゲは煙となって消滅する。
「分身……!?」
「囮だヨ! スキル【大凧の術】!」
そう、クロカゲは【影分身の術】使用時、【大凧の術】によってエルドの背後に飛び出していた。そして、分身の一体に彼の右足を掴ませていたのだ。
エルドは既に、自らの背後から【風魔法】を放っている。そして、その背後にはクロカゲの本体がいる。このままでは、彼は突風の直撃を受けてゲームオーバーだろう。
だからこそ、エルドは何もしなかった。何もしなくとも、風がクロカゲを飲み込み自分は勝てる。誰もがそう思うはずだ。
しかし、ここでヴィルの戦略が光る。
「スキル【幻想曲】!」
今まで姿が見えなかったヴィル。彼はずっと、クロカゲが召喚した大ガマの背に潜んでいた。
そんな彼が止めに奏でたスキルは【幻想曲】。高レベルの吟遊詩人が習得するスキルだが、クロカゲはこのスキル効果を知っていた。
彼は吟遊詩人のジョノを部下にしている。だからこそ、吟遊詩人の事はエルドより知っていた。
荒い息遣いをし、大量の汗を流しながらヴィルは言う。
「賭けだった……スキル【幻想曲】は物理防御力と魔法防御力を入れ替える! その対象は君たち二人だ!」
能力の逆転、当然かけた妨害効果も反転される。【夜想曲】で下がったクロカゲの魔法防御力は元に戻り、逆に【協奏曲】で下がったエルドの防御力は魔法防御力に変換されていく。
【風魔法】での自滅を誘うため、【夜想曲】をあえてエルドに使わなかった。代わりに、敵が魔法攻撃を狙うようにとクロカゲに能力低下効果を発動する。
そして、それらの方程式をクロカゲは既に読み解いていた。だからこそ、エルドの背後に回り込んでいたのだ。
「譲るよクロカゲくん。君こそがこの世界の頂点だ」
ヴィルの声と同時に、【風魔法】ウィンディジョンがクロカゲとエルドの両方を飲み込む。だが、受けるダメージは桁違い。通常状態のクロカゲと違い、エルドの魔法防御力は低下しているのだから。
だが、それだけではなかった。クロカゲは【大凧の術】を使っており、風の影響をまともに受ける。それが更なる追い風となり、彼のスピードを一気に加速させた。
加速したまま、クロカゲはエルドに迫る。そして右足を振り上げ、それを標的に向かって叩きつけた。
「吹き飛べ! エルドォォォ!」
「ぐおおお……!」
クロカゲは自分の持つ全エネルギーを右足に込める。ただのハイキックだが、この一撃に全てをかけた。
降下を続けているものの、高度は高いままだ。加えて【風魔法】の突風。それを追い風としたクロカゲ渾身の蹴り。
それらが及ぼした結果は、かつて誰も見たことのない超ド級のノックバックだった。
「風は自由ダ。オマエにも縛られなイ」
まるで風に裏切られたかのように、エルドは遥か彼方へと吹き飛ばされていく。向かう先はスマルトの王宮。そのまま高速で、彼は王宮の一室へと叩きこまれた。
同時にクロカゲの体も降下を続ける。【ジャンプ】のスキルを持っていない彼に着地など出来るはずがない。このまま地面に叩きつけられてゲームオーバーだろう。
だが、それで良い。もう決着は付いた。記憶を奪われることもない。
ゲームオーバーなど、大した問題では……
「負け逃げかい……? 君が頂点と言ったはずだよ……! 二度言わせないでくれ!」
大ガマに乗ったヴィルが、それを使役してクロカゲの落下地点に走る。主人を守る使役獣と利害が一致したのだ。
体勢を崩した忍者を吟遊詩人は滑り込むように受け止める。それによりダメージを受け、彼のライフもまたレッドラインへと到達してしまった。
だが、両方ゲームオーバーになっていない。両方とも戦場に立ち続けている。
「うおおおオオオォォォ!」
「マジで! マジで勝ちやがったァァァ!」
戦闘が終わり、【口寄せの術】の効果が解かれる。大ガマガエルが消え、二人が地面に着地したのと同時にプレイヤーたちの歓声が上がった。
その歓声に連合軍も【エルドガルド】も関係ない。ただ、VRMMO史上最高ともいえる決闘に対し、プレイヤーたちは心の底から歓喜している様子だ。
「こんな決闘、最初で最後だろ!」
「このゲームやってて良かった! 最っ高だっぜ!」
いつの間にか野次馬が集まり、戦争そっちのけで観戦していたらしい。勝者への称賛がクロカゲとヴィルへと向けられていく。
彼らの声を受けたことにより、ヴィルの目から一筋の滴が落ちる。ずっと求めていた栄光と称賛。それらを受けた吟遊詩人は、ただ感涙していた。
恐る恐る、ヴィルは右手を振り上げてプレイヤーたちの声に応える。瞬間、更なる歓声がセルリアン雪原へと響き渡った。
「あはは……ようやく……ようやく僕は……」
「ま、こういうのもたまにはいいかナ」
暫しの平和。しかし、すぐにヴィルは張りつめた表情に戻る。
まだ、エルドの撃破を確認していない。もし生き残っていれば、そのまま逃げられてしまう。
「クロカゲくん、エルドの追撃に……!」
「いや、必要ないネ」
そんなヴィルに対し、クロカゲは複雑な表情を浮かべた。
「確かに手ごたえはあっタ。あいつ、もう長くないヨ……」
今、頂点による戦いに決着がつく。それと同時に、スマルトでの戦いも連合軍側の勝利となった。
三人の戦いはプレイヤーたちを歓喜させ、ゲームの楽しさを思い出させる。素晴らしい戦いの勝者には、周囲を巻き込む力があった。
これから、クロカゲは頂点として、この【ディープガルド】に君臨することになる。ようやく、この世界は英雄の呪縛から解放されたのだ。