167 後悔への歓喜
ヴィルが現れたことにより、戦場となっていた雪原は一瞬にして静まり返る。
今まで姿を晦ましていた彼の出現は、全プレイヤーにとって想定外の出来事だろう。そして、誰もが思うはずだ。「またあいつは卑怯な手によって事態を混乱させる」と……
【エルドガルド】も連合部隊も、冷ややかな目でヴィルを見る。そして、罵倒と侮辱の言葉が、彼らから一斉に放たれた。
「騙し討ちのヴィルリオだ……」
「また卑怯な手を使う前に、俺たちの手で奴を倒すんだ!」
自らを否定する言葉の数々に、ヴィルは視線を逸らし萎縮してしまう。全ては自らが招いた結果。その事を彼は分かっているはずだ。
しかし、周りの空気に合わせ、一人のプレイヤーを執拗に叩くこの行為をクロカゲは快く思わなかった。彼は同じ上位プレイヤーとして、ヴィルの本質を理解していたからだ。
クロカゲは文句の一つでも言おうと考える。しかし、彼が行動を起こすよりも早く、一人の男が声を張り上げた。
「黙れ!」
それは、英雄エルドの声。
彼は無表情ながらも、周囲のプレイヤーに殺気を向ける。今の事態に最も憤怒しているのは、間違いなくこの男だった。
「卑怯で何が悪い。それがあいつの戦略だ。信念だ。あいつへの侮辱は俺が許さない……!」
「す……すいませんでした!」
これが、エルドなりの仁義。そして、強者に対する称賛だ。
彼は【エルドガルド】メンバーを下がらせ、連合軍との戦闘に向かわせる。クロカゲとヴィル、二人を相手にしても勝てる自信があるのだろう。
もっとも、彼らの戦いに他のプレイヤーが参入できるはずはない。これから行われるのは、最強と呼ばれる者だけが踏み入れる戦いだった。
エルドはジト目をしながら、ヴィルの顔を見る。まるで、何かを探っているように……
「ヴィルリオ、まさかお前が厄介事に首を突っ込むとはな」
「今はヴィルって呼んでもらいたいね。あとその質問だけど、イシュラくんが操作システムを破壊したって聞いたからね。僕もすこし目立ちたくなったのさ」
記憶操作システムを破壊したイシュラは彼の後輩。共に戦ってきた先輩として、何か行動を起こさなければと思ったのだろう。それが、彼をこの戦いへと動かした。
しかし、なぜよりによってエルドとの戦いに参戦したのか。他に勝率の高い戦いはいくらでもあった。あえて一番の強者を狙う必要はない。
エルドもそれが気になったのか、さらに探るように言葉を投げる。
「それで、俺の首を取りに来たか。得意の不意打ちはどうした?」
「クロカゲくんが頼りなくてね。全然不意が生まれる気がしなかったのさ」
突如、嫌味を言われるクロカゲ。当然ムッとする。
「頼りないと思うなら、あいつを何とかしてもらいたいものだネ」
「それはアタッカー次第かな。僕はデバファーだからね」
簡単にエルドを処理できるのなら、こんなに苦労はしていない。嫌味を言われるいわれはなかった。
当然、ヴィルもそれを分かっているだろう。分かっている上でこんなことを言いだしたのだ。本当に食えない奴だった。
エルドは大きくため息をつき、諦めたような表情をする。何かを探ろうにも、ヴィルは真実を言いながらもはぐらかしてしまう。いい加減に嫌気がさしたのか、彼は単刀直入に聞いていく。
「お前がそんな目で戦いの場に赴くことに、納得が出来ない……何があった?」
その言葉でクロカゲも気づく。ヴィルの目は以前より輝いて見え、本気で戦いの場に赴いていると分かる。嫌々戦っていた過去の彼とは全く違う。
後輩の活躍に感化されただけでは説明が付かない。それほど、ヴィルという男は冷めた感情を持っていたのだ。
吟遊詩人は真剣な眼差しをしつつ、ある者の名前を出す。この男こそが、彼にとっての切っ掛けだった。
「レンジくんに頼まれたのさ」
「……ああ、またレンジか」
納得したよう様子で、エルドは剣を構える。そして、ゆっくりと雪の大地を踏みしめた。
「卑屈なお前が、気まぐれなクロカゲが、ガタブツのディバインが、気難しいハリアーが……」
少しずつ近づく英雄。クロカゲもヴィルも、その額に冷や汗を流す。
いよいよだ。いよいよ戦いは最終局面へと入ろうとしていた。
「我道を行くギンガが、腹黒いヒスイが、考えの分からないミミが……あいつの思想に同調し、こうして俺たちの前に立ち塞がっている。そして、掴みかけた希望すらも打ち砕いていった……」
嬉しそうに笑う英雄。そして、その表情のまま、彼は疾風纏う剣を振り上げた。
「レンジ、俺はお前を呼んだことを後悔しているぞ!」
始まりは一通のメール。エルドはそれをレンジに送り、この世界に来るよう促した。
あれがなければ、クロカゲもヴィルもこの場所にいなかっただろう。最悪、驚異の存在すら知らずに終わっていたかもしれない。当然、戦いも【ダブルブレイン】の勝利で終わっていただろう。
全てはエルドの誤算。いや、誤算だったのか……?
クロカゲの頭にある可測が浮かんだ。
エルドは、自分を止めてほしかったのではないのかと……
私、イシュラとシュトラに、ギルド【IRIS】のヴィオラとノラン。あと、ついでに【ROCO】のミミ。五人はスマルトの王宮を調べていた。
王宮内は完全にもの家の殻で、敵プレイヤーとの戦闘はまったくなし。たぶん、エルドが戦線に出ちゃったから、守る必要がなくなったのね。
初めから、こんな宮殿は張りぼてだったって事でしょう。この戦いはプレイヤーの削り合いなのよ。
そんな中、私たちはあるものを見つける。暖炉が設置された赤い絨毯の部屋に、怪しい本が何十冊。どれも、プレイヤーが所持できるアイテムの本だった。
しかも、唯のアイテムじゃないわね。使ったら消える薬や、身に付けることによって効果を得る装備でもない。ただ、そこに存在するだけのアイテムだった。
「ここにある本……全部限定アイテムみたい」
「【ディープガルド】の裏設定が書かれた書物ですね。恐らく、【ダブルブレイン】の方々が集めていたのでしょう」
読むと情報を得られるアイテム。よく隠し要素の説明とか、小ネタとかが書かれている奴ね。しかも、ヴィオラが言うには、それぞれ一冊しかない限定アイテムみたい。
ミミは彼女から本を受け取り、それを読み上げていく。敵が集めていた本なんだから、きっと重要な情報が記されているはずよ。
「神は七つの大陸を作った。【グリン大陸】、【イエロラ大陸】、【ブルーリア大陸】、【ドレッド大陸】、【オレンジナ大陸】、【インディ大陸】、【ヴァイオット大陸】……」
「本編に関係ない物語ばっかりじゃない。こんなの集めてどうしようっていうのよ!」
誰もが知ってる情報。がっかりってレベルじゃないわね。他の本も似たような物ばかりかしら。
神様が世界を作り、生命を作り、そして今も見守っている。適当に読み流した限りはこんな内容。完全に製作者の自己満足って言って良いわね。
少女ノランはあざとい仕草で考える。そして、何かを思いついたのか、ポンと手を合わせた。
「全部集めると願いが叶うとか!」
「ないわね。そんな目的があったら、もっと早く分かってるわ」
速攻ヴィオラに否定されて、しゅんとなるノラン。まあ、チート使いまくってるあいつらが、そんなゲーム設定みたいなものに動かされるはずがないか。
いろいろ考えてみるけど、何も思い浮かばないわ。どう考えても、無駄設定をつめこんだ誰得アイテムよ。
そんな中、珍しくシュトラが自分の意見を言い出す。
「集めることが目的じゃない……本の内容を知られたくなかったとか?」
「神様に詳しくなられると困るの? 謎は深まるばかりね」
まあ、とにかく読んでみない事には始まらないわ。ルルノーは「私たちには私たちの神がいる」と言っていた。神様と【ダブルブレイン】は関係あるのかもしれない。
ヴィオラは何十冊もある本の中から一冊を取り、それを大雑把に読んでいく。
「とにかく、ここにある本を調べつくして……」
『テステース、全員聞こえるか? 俺だ【エンタープライズ】のアパッチだ』
突如、目の前にモニターが開き、そこにアパッチの姿が映る。オールコンタクトの魔石を使って、フレンド登録してる全員に通信を繋いだみたいね。
あいつは大きくため息をつくと、指令本部で起きた出来事を話していく。それは、誰もが予測していた事態だった。
『案の定、司令官のハリアーが戦線に突撃し、俺がその代役を務めることになった。そう決まった以上、俺は俺のやり方でお前らに指示を出す』
アパッチは頼み込むように自分の思う指示を出す。
『各自、代わり代わりにログアウトをし、休息を取ってほしい。現実時刻昼が近く、脳への負担も大きくなってきた。強制ログアウトを避けるためにも、無茶はしないでくれ』
ハリアーが絶対に出さないような指示ね。普段は頼りないけど、意外とこういうところは細かい性格なのかしら。
悪いけど、私はログアウトをする気なんてない。確かに負担がかかって強制ログアウトになるのは怖いけど、それなら警告が出るギリギリまで粘ってやるわ。
でも、ヴィオラは私たちに無茶をさせたくないみたい。アイテムのテントを開き、ログアウトするように促す。
「アパッチらしいわね。イシュラちゃん、シュトラちゃん、貴方たちは一先ずログアウトしなさい。ここは私たちで調べておくから」
「わ……私はまだ大丈夫よ!」
全然疲れた感じはしないし、体だって長時間ログインに慣れてるわ。確かに私の戦いは終わったけど、まだまだ調べないといけない事があるのよ。
敵にはエルド以上の黒幕がいる。それはルルノーの言葉を聞く限り確実よ。たぶん、あいつもその黒幕によって導かれたんでしょうね。
ここにある本に、その黒幕への手掛かりがある。そう思えて仕方がないの。
「ログアウトなんかより、早く敵の情報を……」
「イシュラちゃん。いいから休みなさい。お姉さんのいう事を聞くの」
一歩も譲らないという表情でヴィオラが私の目を見る。初めて会った時はアイの奴に振り回されっぱなしだったくせに、すっかりギルドマスターの器じゃない。
仕方ないわね……シュトラもログアウトしたそうだし、今回は私の負けよ。
どうせ、ここにある本を真剣に読めるほど私は文系じゃないわ。頭もそんなに良くないし、苦手なことは他にやらせるのにつきるわ。
「分かったわよ。そのかわり、次はヴィオラとノランがログアウトするのよ」
「ありがとう、イシュラちゃん」
そんなわけで、私とシュトラは一度ログアウトすることになる。敵との決着は午後。たぶん、雪原に現れたエルドも本格的に動き出すでしょう。
あっちはクロカゲたちに任せて、私たちは地味に情報を調べましょう。残る強敵はエルドとビューシア、それに【覚醒】持ちのランスとラプター。
たぶん、近いうちにその全ての決着がつくでしょう。いよいよ、長い戦いも終わりが近づいていた。