165 休息の時
コボルとシュトラのおかげで、記憶操作システムの停止に成功する。
このシステムはルルノーが作り上げた研究の全て。プレイヤーの記憶を消去し、新たに別の記憶を入れ込む。そして、現実世界での自殺を強要し、ダブルブレインに変換する役割も持っている。
それが破壊されたって事は、あいつらの計画も終わりって事ね。エルドがもたらした長い戦いは、私たちの手によって収着したのよ。
最後のサポートを行ったシュトラは、ドヤ顔で私の前に立つ。
「どう、お姉ちゃん。私も少しは役に立って……」
「シュトラ……!」
そんなあいつを私は何も考えずに抱きしめた。溢れそうな涙を押し止めたかったから……
シュトラは全てを分かったかのように優しく笑う。そして、私の頭にポンと手を乗せた。
今だけは、こいつに甘えたい。こいつなら、心にぽっかりと空いた穴を埋めてくれる。悔しいけど、何か心のよりどころが欲しかったのよ。
さって、気持ちもだいぶ落ち着いたわ。私はシュトラから手を放し、ルルノーの元へと歩み寄った。
あいつの作った【人造人間】は、主人の敗北と共に虚空へと消えていく。睡眠魔法の効果を受けたまま、きっと無意識のまま消滅してしまうんでしょう。
こいつもコボルと同じ、ゲームによって作られた命。VRMMOは進化と共に惨劇をもたらしている。でも、私たちプレイヤーはその事を深く理解せず、ただの娯楽として楽しんでいた。
そんなゲーム制作に携わった元運営のルルノー。彼は床に倒れ、苦しそうに息遣いをしている。体は所々透けていて、いまにも消えそうな状態ね。
「ルルノー……」
「見事です……どうやら私の熱意より……貴方がたの勇気が……友情が……勝っていたようですね……」
まるで憑き物が落ちたようにあいつは微笑んでいた。自分の最後を分かっているのか、その表情は安らかなように感じるわ。
計画が完全に潰されてのに随分と余裕があるのね。試しに、私は鎌をかけてみた。
「システムは破壊したわ。あんた達の野望もお終いよ」
「データはまた誰かが作るでしょう……私たちにはまだ英雄様がいます……それに……私たちには私たちの神も……」
まだ何かある。そう思えて仕方がなかった。
ダブルブレインへの転生を行い、【ダブルブレイン】という組織を作ったのはこいつで間違いない。でも、本当にこいつが黒幕だっていう保証はなかった。
ルルノーは別の誰かからの指示を受けた? それが、こいつのいう神? あー! 頭がこんがらがってきたわ!
そんなことを考えていると、ルルノーの視線が私の後ろへと動く。その視線を追って、私は後ろへと振り向いた。
「面白い方が……看取りに来ましたか……」
「ミミ、あんた何でここに!」
生産市場ギルド【ROCO】のマスターであるミミ。なんでこいつがこんな場所にいるのよ。
麦わら帽子から分かるように、こいつのジョブは農家。戦闘では最弱で、こいつ本人のプレイヤースキルも最悪だった。きっと、誰かに助けてもらったんでしょう。
「眼に星が光ってる人が囮になってくれました。他にも、道中で色々な人に助けてもらいましたよ」
マーリックやヴィオラとも会ってるみたい。こんなにもサポートされて、本当に役得ね。
今更なにをしにきたのかしら。もう全部終わってるのに……いえ、違うわね。こいつは『最後』に間に合ったのか。
ミミはいつもと同じように、淡々とした口調でルルノーに聞く。それは、なんの変哲もない何気ない言葉だった。
「言い残すことは?」
「貴方を……騙していた……謝りたい……」
「許しません。クビです」
「ははっ……手厳しい……」
見つめ合う二人。やがて、ミミは無言のまま膝を落とし、ルルノーの手を握る。
そんな彼女の姿を見たシュトラは、ただ衝撃に固まっていた。
おバカで天然な彼女とは、似ても似つかない母性。まるで聖女のように、ミミはルルノーを看取っていた。
二人の間にあった信頼や因縁の全てが、この光景だけで理解できる。そこに、私たちの余計な言葉は必要なかった。
「研究……研究……研究……研究ばかりの人生でした……流石にもう疲れましたよ……」
ルルノーの足が消える。身体が消える。それでも、ミミは彼の両手を握り続けていた。
無表情な彼女の瞳に、溜まった雫が見える。それは流れることなく、まぶたの中に押し留められた。
長いようで短い時間。やがて、その時が訪れる。
「少し休みを貰います……少し……だけ……」
ミミの握る両手は光となって宙へと消えていく。そんな光に向かって、女性は優しく微笑んだ。
「ええ、ゆっくり休んでください……」
これが、彼女がここまで来た理由。
こいつはルルノーが近いうちに消えるって分かっていたのね。最期を看取るためにこんな所まで来ちゃって……まったく、無茶しすぎよ。
察しの悪いシュトラが、ミミにルルノーとの関係を聞く。本当に無粋で鈍い奴ね。
「ミミさんとルルノーさんって、どんな関係なんですか?」
「私とアルゴさん、ルルノーさんの三人は別ゲームからの付き合いです。【ROCO】も三人で作りました」
私の因縁より当然根が深いのね。ゲームオーバーにされたアルゴも含め、三人一緒にここまで歩んで来たんでしょう。
でも、そうなると気になるのがミミの年齢。ルルノーもアルゴも結構歳上だったらしいし……でも、ミミは童顔よね。
さっき、物凄く大人っぽい女性の表情をしてたけど……まさかね……
「あんた、何歳なのよ」
「秘密です」
はぐらかされた。
えっと、この見た目で三十路越えはないわよね。うん、ないない絶対ない。私より少し年上ってことにしましょう。そうしましょう。
これ以上の詮索は無意味だった。
私たちの戦いは、ミミによって終着する。
やがて、まるで終わりを見計らったように、ヴィオラとノランが部屋へと入った。
まったく、【合成獣】一匹になに苦戦してるんだか。
「ごめんなさい。敵に増援が入ってこっちもギリギリだったわ」
「ノランちゃんプンプンだよ! ミミちゃんが敵に追われて走り込んで来たんだよ!」
ミミのせいじゃん。やっぱり、ミミはミミだったか。まあ、私は因縁を横取りされなくて良かったけど。
ルルノーとの決着は私が望んだ事。そして、記憶操作システムの破壊は【万象】のスキルを持った私の使命。でも、ヴィオラは私たちに重荷を背負わせたと思ってるようね。
「ごめんなさい……私が戦わなくちゃいけなかったのに……」
「謝罪より感謝の言葉が欲しいわ。図に乗りたいから」
「うん、そうね。ありがとう、貴方たちは間違いなく英雄よ」
英雄とかむず痒いわね。まったく、オーバーなんだから。
それはさておき、これで地下に降りた四人が揃ったわね。
心配なのはマーリックやリュイたちの方。ルージュも無茶してるみたいだし。
「マーリックたちと連絡とった?」
「ええ、みんな無事よ。一足先に宮殿の外に脱出してるわ。私たちも早く出ましょう」
それは出来ないわね。
この宮殿には、まだ敵の情報があるかもしれない。それを全部調べつくさないといけないわ。
「それは宮殿を調べてからよ。ルルノーが言ってたわ。私たちには私たちの神がいるって」
「神さま……? ノランちゃんわかんない」
ええ、私も分からない。でも、一つだけ分かる。
「エルドとビューシア以外にもう一人いるわ。たぶん、正真正銘のラスボスがね」
ルルノーやエルドを動かした黒幕。私はその存在に目星をつけた。
この【ディープガルド】がこんなにも滅茶苦茶になってるのに、肝心の運営は知らんぷり。絶対におかしいわ。
ゲーム製作者のDr.ブレイン。そいつが黒幕なら、ダブルブレインじゃないアイが【ダブルブレイン】という組織に入っているのも説明がつく。
だって、あいつはDr.ブレインの娘なんだから。
【漆黑】ギルドマスターのクロカゲは警戒していた。
竜人の村ハイドレンジアから移動し、今はゲッカたちと共にエルドを待ち構えている。場所はスマルトの街の宿前。既に連合部隊はここまで進撃し、いつエルドが現れても対抗できるだろう。
しかし、彼は街に現れない。ワープの魔石で移動すれば、必ずこの宿前に転送される。にも拘らず、いくら待っても転送される気配がなかった。
「なぜ来なイ。エルド……」
英雄と呼ばれる彼が逃げるはずもない。仲間を守るためにも、必ず彼は現れるはずだ。
その確信がさらにクロカゲを警戒させる。唯々不気味で仕方がない。一体何を考えているのか分からなかった。
そんな中、彼の元に朗報が入る。記憶操作システムを破壊するヴィオラたちの作戦が成功したのだ。
「クロカゲさん、作戦は成功です。こちら側が操作される危険はなくなり、敵の操作はゲームオーバーによって解かれるでしょう」
「形勢逆転だネ。あとは、敵部隊を殲滅するだけダ」
システムが停止したことにより、【覚醒】持ちになったところで記憶を操作されない。これで、ゲームオーバーに怯えることもないだろう。
さらに、それだけではない。今まで、敵部隊はゲームオーバーになっても数分後に復活していた。しかし、記憶操作システムが動かなければ、新たな操作を受けることがなくなる。レベル3のような意図せずに操られていたプレイヤーは、ゲームオーバーによって解放されるのだ。
「流石のエルドさんもこの状況を打開できないでしょう。私たちの勝利です」
ゲッカは勝利を確信している様子。しかし、それでもクロカゲの表情は優れない。
ただ、エルドの動向が気掛かりだ。あの男がこれで終わるはずがない。
そんな時だ。【ゴールドラッシュ】テイルの報告により、状況が一変する。ついにあの男、英雄が動き出してしまったのだ。
「今、後方部隊から報告がありましたわ……! エルドが……英雄エルドが現れたと……!」
「なっ……ありえなイ……! 宿の前はずっと見張っていタ!」
「それが……」
クロカゲからしてみれば信じられない。彼が現れても対抗できるように、ずっとこの場所で待機していた。エルドがワープの魔石で移動すれば、すぐに気が付くはずだ。
しかし、続くテイルの報告は、彼の予想を遥かに上回るものだった。
「彼が現れたのは部隊の後方……ターンブル山側からですわ……! 今、このスマルトの街に向かって進撃を開始していると!」
「エルド……自分の城に攻め入る気なのカ……!」
ワープの魔石を使えば、自分の城であるスマルト王宮に戻れる。それをせずに徒歩でターブル山を下山し、セルリアン雪原から進撃する意味が分からない。
まるで、彼一人で国取りを行おうとしているようだ。演出として見るのなら、まさに本物の英雄と言えるだろう。
クロカゲの背筋に悪寒が走る。彼は最悪の事態を想定してしまった。
「ゲッカ、テイル……フウリンたちが前戦で苦戦していル。この街での戦いはまだ終わっていなイ」
「曖昧模糊ですね。何が言いたいのでしょう」
「エルドはオレが迎え撃ツ。二人は前線部隊の支援に行ってほしイ」
当然、ゲッカたちは反発するだろう。元々、二人はエルドと戦う為に我ままを言っていたのだから。
「クロカゲさんだけで止めるのは無理です! 私が役に立つことはさっきの戦いで分かったでしょう!」
「私はディバインにエルドを追うよう頼まれました。今更逃げ出しませんわ!」
そんな二人に対し、クロカゲは一言だけ放つ。
「黙レ」
瞬間、ゲッカとテイルは同時に口を閉ざす。【漆黑】ギルドマスターのクロカゲ。彼の威圧感に圧倒されてしまったのだ。
クロカゲは考える。エルドは既にプレイヤー操作システムを諦めており、部隊の虐殺が目的ではないのかと……
セルリアン雪原では連合部隊と【エルドガルド】との戦いが続いている。しかし、連合部隊の上位プレイヤーは既にスマルトまで攻め入っていた。残っているのは中位プレイヤーばかり。
「エルドはプレイヤーを一掃し、自分の強さを示すつもりダ。プレイヤー操作なんて生ぬるイ。場合によっては、本当の信者を増やされル……」
クロカゲは頭を抱えてつづけた。
「悲しい事だけどサ……オレたちゲーマーはエルドの思想を理解出来るんだよネ。それが一番怖いヨ」
彼は考える。もし、自分がレンジと接触せず、先にエルドの話しを聞いていた場合どうなっていたか。
恐らく、【エルドガルド】側についていただろう。場合によっては、【漆黑】の全メンバーが協力体制となる。当然、今のような状況にもならない。
そう、記憶操作システムを失ったエルドの目的は一つ。本当の英雄となり、プレイヤーたちの意識を異世界転生に向ける事だった。