157 僅かな苛立ち
エルドの周囲に強風が巻き上がる。彼の視線の先には侍のゲッカ。まるで獲物を狙う獣のように、真っ直ぐと見据えていた。
当然、先読み能力が優れたクロカゲが、その狙いを予測していないはずがない。しかし、それでも英雄の動きは変わらなかった。
「さあ、ゲームスタートだヨ!」
「スキル【ダッシュ】」
小細工は一切なし、エルドは【ダッシュ】のスキルによって一気に走り出す。狙いは当然ゲッカ。剣を振りかぶり、強風を纏いつつそれを振り落した。
速くて正確な攻撃だ。しかし、ゲッカの戦闘技術も負けてはいない。冷静に攻撃をガードし、侍が得意とするカウンタースキルによって返していく。
「スキル【虎一足】!」
「スキル【ジャンプ】」
相手の力を利用した日本刀による一閃。普通では見切れないこの斬撃を、エルドは【ジャンプ】によって容易く回避してしまう。
本来、カウンタースキルを見切るなど不可能に近い。それを顔色一つ変えずに行えるエルドは、天性の瞬発力を持っているとしか言いようがなかった。
空中に逃れた英雄は、上空から地上に向かって剣を振りかぶる。このままゲッカに向かって、スキル攻撃を叩きつける算段だ。
「ゲッカ! 上からくるヨ! 移動するんダ!」
「いや、そのままそこにいろ。スキル【かばう】!」
クロカゲは攻撃を先読みし、退避を命じる。しかし、それに反して戦士のディバインは止まるように命じた。
彼は【かばう】のスキルによって、ゲッカの前に立つ。そして、巨大な盾をエルドのスキル攻撃に打ち付けた。
「スキル【エリアル】」
「ぬぅん!」
風属性耐性を持った盾は、空中から叩きつけられた剣を見事に防ぐ。当然、ディバインのライフは一切減っていなかった。
だが、地上に着地したエルドは、そこから更なるスキルの使用を行う。今度は防御の突破を狙った大味な攻撃だ。
「スキル【ヘビーブロウ】」
「スキル【鉄壁】!」
振り落とされた一撃を、ディバインは防御力上昇スキルによってガードする。STR(攻撃力)に特化されたエルドの剣を、DEF(防御力)に特化されたディバインが防ぐ攻防だ。
ここまでは互角だが、この戦いは一対三。防御をディバインが引き受けたことにより、中距離からは怒涛の支援攻撃が放たれる。
「ナイスだよディバイン! そのまま耐えるんダ! スキル【風魔手裏剣】!」
「とにかく地道に削るしかありませんね。スキル【浮雲】!」
クロカゲの手裏剣とゲッカの剣圧が、盾役に気を取られたエルドを切り裂く。だが、すぐに切り裂かれた部位は、ダブルブレインの能力によって再生してしまう。
攻撃は効いていないが、エルドが無抵抗のまま技を受けたのは事実。流石の彼でも、強者三人に対応しきれていないのだ。
このままディバインの相手をしてもジリ貧になるのは確実。そう思ったのか、エルドは彼を無視して後方へと強襲を狙う。
「本当に鬱陶しい。スキル【アサルトブロウ】」
「他は討たせん。スキル【守護の盾】!」
素早く強襲する剣は、まるで吸い込まれるようにディバインの盾に打ち付けられる。【守護の盾】の効果により、彼は狙いの的となった。どんな攻撃もあの盾へと向かってしまうだろう。
これが鉄壁のディバイン。あらゆる攻撃の的となり、そしてそれらをすべて防ぐ。まさに最強格のプレイヤーだ。
しかし、そんな彼にも弱点はある。魔法や小細工による攻撃は、盾では防ぎようがない。
「確かに堅いな。だが、俺には魔法がある。スキル【風魔法】ウインディジョン」
「スキル【マジックガード】!」
ディバインは盾に薄い障壁を張り、エルドが放つ強風を防いでいく。
物理を防ぐ【鉄壁】とは逆に、魔法を防ぐのがこの【マジックガード】だ。戦士はVIT(魔法防御力)が低いため、このスキルとの噛み合いは悪い。これは苦肉の策だった。
鉄壁のディバインと言えども、度重なるエルドの攻撃によってライフが削られていく。しかし、まだまだ本番はこれからだ。
ここから、ディバインは防御スキルを一気に重ね掛けしていく。
「耐える! ただ只管に耐えるのみ! スキル【ランパート】! スキル【センチネル】!」
「そうダ! 耐え続けるんダ! スキル【火遁の術】!」
【ランパート】は一定時間、物理魔法関係なく受けるダメージを減らすスキル。それに加え、【センチネル】は相手の攻撃に対し、一定確率でブロッキングが発生するもの。
とにかく耐えて、耐えて、耐えまくる。それによって発生した隙に乗じ、クロカゲの発動した【火遁の術】がエルドを飲み込んだ。
やはり、横槍のように放たれるクロカゲの攻撃には対抗できていない。エルドがスキルを使用した隙、そこを狙って彼は攻撃を行っていた。
「ヘイ、ゲッカ! 挟み込むヨ! スキル【分身の術】!」
「はい、スキル【壁添】!」
【分身の術】の効果によってクロカゲは三人に別れ、エルドを取り囲む。これに対抗しようにも、【守護の盾】の効果によって攻撃はディバインへと流れてしまう。これでは対抗策がない。
やがて、三人のクロカゲは一斉にクナイによって斬りかかる。それに乗じて、岩沿いを走るゲッカが日本刀による一閃を加えた。
盾役が機能すれば、ここまで戦いは変わるのだ。ディバイン一人によって最強プレイヤーの機能を潰していると言っても過言ではない。
エルドの顔は自然とほころぶ。今の彼は間違いなく追い詰められていた。
「仕方がない。逃げるか。スキル【ジャンプ】」
小細工なしで戦うことを得意とするエルドが、【ジャンプ】のスキルによって空中に退避する。
ディバインという盾を突破するには、距離を取るのが得策だ。彼の行動は至極当然と言えるだろう。
もっとも、それはクロカゲに先読みされていなければの話だが……
「スキル【大凧の術】。ソーリー、先に失礼してるヨ」
エルドが飛んだ更に上空。そこで待ち構えていたのは、凧によって飛行する四人目のクロカゲだった。
他のジョブとは違い、忍者のスキルに特徴はない。空中を飛行するという風変わりなスキルも習得可能だった。
クロカゲは印を結び、真下のエルドに向かってスキルを放つ。それと同時に、地上のディバインは上空に向かって盾を付き出した。
「スキル【水遁の術】」
「スキル【シールドバッシュ】!」
上空から襲いかかる水流に流され、エルドは地上へと落下していく。そこで待っていたのは、ディバインの【シールドバッシュ】。上と下から挟まれ、彼の肉体は一気に崩壊していった。
渾身の一撃だ。通常のプレイヤーならレッドラインにも届くだろう。しかし、エルドは体を再生しつつ、その場から飛び上がった。
「スキル【ジャンプ】!」
低く、広く飛んだエルドは、一気に距離を取る。その顔に余裕はない。今まで敵を圧倒してきた彼が、初めての防戦となっていた。
クロカゲは追い打ちをする事なく、挑発行動へと移る。攻めず、ディバインの防御を起点とする策略だろう。
「得意の空中戦で押し流された気分はどうかナ?」
「【忍び足】のスキルで、本体は既に潜んでいたか。参ったよ……」
完全に先を読まれ、少しだけ悔しがるエルド。しかし、彼の自身は全く揺らがない。
今までクロカゲたちの攻撃が通ったのは、ディバインの防御があったからこそ。迎え撃つ形でなければ、エルドにダメージを与えることは出来ない。
そう、真向勝負というこだわりを捨てれば、どうとでもなる。時間をかけてゆっくり削っていけば良かった。
しかし、ここでクロカゲが笑う。彼の策はこれだけでは無かった。
「覚えてるかナ? 【ディープガルド】での1日は、現実での6時間なんだヨ。こっちの世界で暮らし続けて、その辺り麻痺してるんじゃないかナ?」
突如、ゲームシステムを語る忍者。エルドは警戒し、身構える。
ディバインもゲッカも動こうとはしない。まるで、戦いよりもクロカゲのお喋りを優先しているようだ。
彼は喋り続ける。エルドや他のプレイヤーすらも惑わした簡単なカラクリを……
「例えばサ……土曜日に攻撃開始というのを深夜1時からと解釈した場合。この世界では丸1日攻撃開始時刻が早まる事になるよネ?」
土曜日の朝7時と、その日の深夜である前日の25時。どちらも同じ土曜日だが、時間の差は6時間。【ディープガルド】時刻なら丁度1日。それは大きな時間のズレだ。
エルドは7時に攻撃開始と思い、明日に備えて今日ここに赴いた。もし、クロカゲの言うように深夜1時に攻撃を開始するのなら……
「エルド、ようやく事の重大さに気づいたようだな」
ディバインの言葉と共に、エルドは頬に冷や汗を流した。現状がどれほど絶望的な状況か、ようやく彼は気づいたのだ。
剣を強く握る。本当に遊びも、油断もない。目の前の敵を今すぐに潰さなくては……
クロカゲとゲッカも武器を構える。しかし、攻撃は行う気配はない。あくまでも時間稼ぎを狙った受けの体制だ。
「残念だけど、もう攻撃は始まってるヨ。英雄のいない【エルドガルド】がどう出るか見ものだネ」
「大方、朝の7時ごろに攻撃開始だとたかを括ったのでしょう。私たちプレイヤーにとっては些細なこと。しかし、あなた方ダブルブレインにとっては死活問題。そのズレがこの結果を招いたようです」
確かに、エルドは時間の感覚に無頓着だった。だからこそ、重要な戦いを前にして、このハイドレンジアに訪れてしまったのだ。
もっと早くことを終えておけば、こうはならなかった。もっと綿密にランスたちと話し合うべきだったのだ。
風は自由だ。しかし、その自由さが仇となった。
誰にも縛られないことは、誰とも調和出来ないということなのだから……
「いやー、参った。参ったよほんと。こんなに崩されたのは随分と久しい。感服だ。涙が出る」
頭をかきつつ、エルドは皮肉めいたことを言う。
それは僅かな苛立ち。彼から放たれる殺気が狂気へと変わっていく。
「挑発をしたという事は、それに乗って良いと受け取った。よーく分かったよ。充分に理解した」
彼は右眼を抑え、スキルの発動を試みる。何が発動されるのか、この場の全員が分かっていた。
ディバインが前に立ち、クロカゲとゲッカは下がる。しかし、そんな陣形などどうでも良い。
ただ思うがままに剣を振るう。それだけだ。
「スキル【覚醒】」
エルドの右眼に浮き出る剣の紋章。レンジや他の【覚醒】持ちとは違い、片目だけだった。
ダブルブレインは半分NPCのようなもの。完全な強化は行えないという事だ。
しかし、だからと言って油断する者など誰一人としてない。あの化け物のように強いエルドが、チートスキルによって強化された事実。それだけでもう、絶望しかなかった。
英雄はじりじりと近づいていく。ディバインは【挑発】のスキルによって、標的を自分の方へと誘導していった。
「こい、エルド。私という盾を突破しない限り、勝利はないぞ」
「ああ、そうだな。スキル【ダッシュ】」
瞬間、エルドは【ダッシュ】のスキルによって、ディバインの目前へと距離を詰める。先ほどまでのスピードとは比べ物にならない。明らかに忍者のクロカゲよりも速かった。
そこから、エルドは怒涛のラッシュによって、ディバインの鎧を切りつけていく。彼は必死に盾を突き出すが、簡単にかわされてしまう。動きを見切られて防御が出来なかった。
「ぬう……」
「ディバイン! それ以上のダメージは危険ダ!」
【センチネル】によるブロッキングでは間に合わない。このままでは打倒されてしまうだろう。最強の鉄壁が、いとも容易く突破されようとしていた。
当然、クロカゲもボケボケとしている場合ではない。ディバインを支援するため、彼は前衛へと走り出す。【分身の術】は発動されたまま、四人の彼は一気にエルドを取り囲んだ。
「スキル【空蝉の術】!」
「ようやく前に出てくれたか。やりやすくて助かる。スキル【バッシュ】」
【空蝉の術】の術によって回避を狙うが無駄。周囲を薙ぎ払う【バッシュ】が、分身もろともクロカゲを切り裂いた。
エルドは追撃を掛けようと、忍者へ狙いを定める。そこに振り落されたのは、ディバインの剣。まだまだ、彼も止まる気配はなかった。
「エルドォ……!」
「堅いお前の相手は面倒だ。そこに伏せてろ」
体を僅かに動かし、鉄の剣を回避する。そして、軽く足払いをし、ディバインの巨体を地面に叩きつけた。
わざわざ時間を要する敵を相手にする必要はない。初めから、彼の狙う標的は一人だ。
やがて、ディバインとクロカゲの動きが止まったことにより、侍のゲッカが前衛へと出る。「ここは自分が何とかしなければ、クロカゲもディバインもやられてしまう」。恐らく、彼女はそう思ったのだろう。
しかし、その思考はエルドにとって思い通りだった。
「エルドさん、覚悟……!」
「待っていた。まずは一人だ」
日本刀を構え、振り落すゲッカ。しかし、攻撃を加えたそこにエルドの姿はなかった。
速すぎて全くついていけていない。それは、絶望的なほどの力の差だ。
「ゲッカ……! 後ろダ!」
クロカゲが叫ぶ。
唖然としつつもゲッカは振り返るが、時はすでに遅い。エルドの剣による猛ラッシュが、彼女の背部へと叩きつけられていった。
侍は我武者羅に振り返り、日本刀を突き出す。しかし、それは容易くいなされてしまう。
対抗など出来るはずがない。なぜなら、何が起きているのか理解できないほどの速さだったからだ。