140 天使と悪魔の少女
スマルトの教会、巨大なステンドグラス。【ディープガルド】の神が描かれたその前で、俺は宿敵と向き合う。
しかし、実際は彼女を敵だと割り切れてはいない。こんな異常な事態を理解できるはずがなかった。
俺がプレゼントしたリボンを付けた少女。彼女は惚けた様子で首をかしげ、唇に指を当てる。
「あれー? ここはどこー? 私はだれー? 記憶を失ってしまいましたー」
失っているはずがない。アイは全てを覚えていたんだ。
「あはは! どうです! 私の名演技! 主演女優賞いただきですよ!」
豹変した彼女を前にしても未だに信じられない。ずっと思いを寄せていた存在が、全て偽物だったなんて……
俺は唾を飲み、冷静さを装いながらアイに聞く。否定してくれることを信じて……
「アイ……まさかお前が……」
「ようやく理解しましたね。プレイヤーキラービューシアの正体は、可憐な美少女だったというわけです。貴方の愛したアイという存在は、私の演じたキャラクター。この世のどこにも存在しないんですよ!」
彼女は否定しなかった。全てはビューシアの演技であり、心優しいあの少女は虚構の存在。そう、アイというプレイヤーは存在していなかったのだ。
だが、どういう事だろうか。俺は目の前でアイがゲームオーバーにされるのを見た。それは紛れもない事実だ。
「あり得ない……アイはビューシアにやられて……」
「スキル【囮人形】」
少女が針を一振りすると、その前に本人そっくりの人形が作られる。こいつ、修得したスキルを隠していたのか……
生産職の裁縫師は、戦闘スキルの研究が進んでいない。だからこそ、誰もこのスキルの使用に気づかなかったのだ。
「お人形遊びに騙されちゃうなんて、レンジさんまだまだですね」
「くっ……」
俺たちはこんな人形に踊らされていたって言うのかよ。全てはアイの……いや、ビューシアの遊びだったのか……
ふざけるな……ふざけるなよ畜生……
ただ悔しくて仕方がない。そんな俺を煽るように、彼女は言葉を連ねていく。
「ゲーム開始時から優しく歩み寄り、共にギルドを作っていく。さらには目的を達成するための力を与え、どんなに辛い時にも支えてくれた。そんな都合の良い理想的なヒロイン……」
少女は両手を広げて笑う。
「いるわけないじゃないですか! ばっかバカしー! レンジさん夢見すぎですよ!」
お前が夢を見せたんだろ……俺だって最初は怪しいと思ってたさ。だからこそ、お前の好意からずっと目を反らし続けて来たんだ。
思えば、出会って四日目の告白。あの時点でもっと警戒すべきだった。あいつと過ごした時間がそれを薄めてしまったのかもしれない。今となっては後悔しても仕方がないだろう。
だが、納得できない。アイは俺たちをいつでもゲームオーバーに出来た。なぜ、わざわざ回りくどいことをしたのか。
「何で……俺を倒す機会なんていくらでもあったはずだ! こんな事をする意味なんて……」
「意味ならあります。愛も友情も虚像の存在だって証明出来ました! 私が裏切ったことで、主人公たちの掲げる理想は否定されたんですよ!」
悪人の美意識か……アスールさんが言った通り、異常性は充分って訳だな。
こいつがアイだった時から、常人とは違う感性を持っているとは感じていた。こいつは混沌と戦いを楽しんでいたんだ。
ギンガさんは『不可解を感じた』と言っていた。また、ヴィルさんは『ここが最難関』と言っていた。そして、ゲッカさんはアイを『ジョーカー』と呼んで問いつめていた。
みんな分かっていたんだ。この茶番劇を……
「分かりますかレンジさん! 私はギルド【IRIS】と【ダブルブレイン】、両方の立ち位置からこの世界を掌握しました。まさに混沌の中心!」
「だからどうしたって言うんだ! やっぱり意味なんてないじゃないか……」
「ヒーローに戦う意味を問うのはナンセンス。なら、悪に混沌を求める意味を問うのもまたナンセンスなんですよ」
ダメだ。全く理解が出来ない。アイがこんな思想を持っていたなんて……
本当にくだらないことだ。こんな事のために皆を裏切る意味が分からない。
「そんな事で俺たちを裏切って……!」
「なに言ってるんですか? レンジさんだって、みんなを裏切ってここまで来たじゃないですか。私たち、おんなじ穴の狸さんです!」
「っ……!」
そうだ、俺はみんなを裏切ってこの街まで来た。散々仲間との絆を説いた結果がこれだ……こいつの行ったことを否定する資格なんてない。
だが、俺の愚かな行いはこれだけではなかった。アイの口からそれが明かされる。
「そうでした! 面白いことを教えてあげます。【状態異常耐性up】、【防御力up】、【生産成功率up】、レンジさんはこの三つに運命を感じてずっと鍛えて来ましたが……」
彼女は再び口に手をあて、見下すように嘲笑する。
「それ! ソロプレイヤーの鍛え方ですよ! 仲間を守る盾って……ゲームオーバー確立を下げてるだけじゃないですかー!」
「そんな……」
ソロプレイヤーが警戒すべきこと、それは状態異常と高火力攻撃だ。
どちらも本来は味方にサポートしてもらうべき事だが、ソロプレイにはそれが出来ない。俺の鍛えたスキルはこの問題をカバーしていた。
また、生産成功率は品質や生産数とは違い、リスクを軽減するステータス。こちらもソロプレイ向けの能力だった。
俺はエンタープライズの船でヴィオラさんが言っていた事を思い出す。
『少し早かったな……』
彼女は気づいていたんだ……俺が一人になる運命にあるって……
「辛いですかレンジさん? 苦しいですかレンジさん? でも、私の物になればきっと幸せになれます」
こいつの物に……俺を誘っているのか。裏切っておいて何を言っているんだ……
「それは……勧誘か……?」
「そう受け取ってもらって構いません。元々、私は成長したレンジさんを自らの手で消去するつもりでした。ですが、少し状況が変わったんですよ」
アイは少しずつ近づき、俺に顔を寄せる。彼女の吐息を感じるほど、二人の距離は近い。甘い言葉は俺を惑わし、今にも唇を奪われそうだ。
「怒った時のレンジさん、とっても素敵でしたよ。狂気的で私好みの人です……でも、普段の優しいレンジさんを潰すのも捨てがたい。そこで、私は両方を天秤に掛けました」
恐怖を感じ、俺は後ろに下がった。
彼女の好意を受けてはいけない。大切なものを失ってしまう。
「この旅を終え、今私の前に立つレンジさんは正義の存在か、あるいは悪の存在か。そのどちらかで判断することにしたのです」
初めてビューシアに会ったとき、あいつは俺を自分と同類と言った。そして、翌日にアイを偽ってその心を癒す。昨日の言葉を否定せずに、『気にするな』と励ましてだ。
全ては俺を引きずり込むための話術。恐らく、ルージュも同様の手口で惑わされたのだろう。
「それにしても、バーサクを抑えて心の平穏を保つ【状態異常耐性up】は邪魔でしたね。なのに、ルルノーさんが余計なアドバイスをして強化を止めれませんでした。本当に鬱陶しいですよ! 彼もぶち殺決定です!」
そう言って、アイはルルノーさんから貰った薬を床に落とす。そして、右足を振り上げ、それを勢いよく踏み砕いた。
ルルノーさんの好意が、バラバラに割れてしまう。それを見て確信した。こいつは仲間であるはずの【ダブルブレイン】も利用しているにすぎないんだ。
こんな奴に付いていけるはずがない。俺はもう、アイを信じられなかった。
「私とレンジさんの力が合わされば、どんな事だって出来ます! さあ、二人で新しい世界を紡ぎましょう!」
魔王にでもなったつもりかよ。所詮、これはゲーム。俺もこいつも現実ではただの人間だ。
出来ることは限られているし、世界を変える事も出来ない。全てはこいつの妄想なんだ。
「バカバカしい……俺たちは何の力もないゲームプレイヤーだ。世界を変えれるはずがない!」
「まったく、レンジさんはぜんっぜん分かっていませんね。エルドさんたちの計画は始まりに過ぎないんです。VRMMOの進化は止まるところを知らず、その暴走は現実世界をも飲み込んでいくでしょう」
こいつはこのゲームだけじゃなく、先の未来も読んでいたのか。天使なんてとんでもない。俺の愛してきた少女は悪魔だったんだ。
そんな悪魔は自らの計画を語っていく。
「いずれ完成する脱出不能の仮想空間! 命を懸けたデスゲーム! その全てを私たちの力で滅茶苦茶に掻き回そうと言っているんですよ! 世の中は大混乱になって人々は恐れ慄く! その中に私たち二人のプレイヤーが存在しているという事実! 考えただけでもゾクゾクしませんか! さあ、混沌に巻き込みましょう! VRMMOの新時代を私たちで切り開くんです!」
俺はゲームが特別好きなわけじゃない。でも、この世界で色々な人に会って、少しずつ考えが変わってきた。
ある人はダンジョンを攻略し、ある人はモンスターを狩る。またある人はアイテムを作り、それを売り付ける人もいる。PKを行う悪人もいれば、その人を取り締まる正義の味方もいる。
全ての人が自らの行いに誇りを持っていた。誰一人としてこのゲームに不必要な人なんていない。
この【ディープガルド】はそんな彼らの憩いの場。勿論、他のゲームだって同じだろう。例え偽物の世界だろうが、こいつの好きにさせるわけにはいかない。
「違う……アイ、お前は間違ってる……」
「間違ってる……? 違いますよ。間違ってるのは私以外の全てです! 勇気があるのが偉いのか、意志を貫くのが本望なのか……正しい事が絶対なのか、善意があるのが正義なのか……」
アイは右手を握りしめ、同意を求めるように俺の目を見る。
「くだらない……世の中は本当にくだらない! 強くて優しい正義の味方が持ち上げられ! 正しくない悪者は常に軽蔑の対象! これが世の真理なら! 絶対の法則なら! 私が全部ぶっ壊してやります!」
曇った瞳。しかし、目的は真っ直ぐ見据えている。
そんな矛盾した目付きをしつつ、彼女は叫ぶ。
「そして咲かせる! 悪の華を!」
少し安心した。こいつはただの異常者じゃない。悪人としての誇りを持っている。
自分の心に嘘だけはつかないという思想。それに偽りはなかったというわけだ。
しかし、なぜ唯の少女にすぎないこいつが、残虐性、異常性、そして不思議と人を引き付けるカリスマ性を持っている。それに加え、どうやってダブルブレインとの関わりを持ったのか。
まだ何かがある。この謎を解明できれば俺にも逆転の可能性があるはずだ。
「さあ、こっちに来てください。レーンジさん!」
「断るよ。俺はお前のようにはならない」
だから、俺はアイの提案を断る。惑いの感情を押し殺し、冷静に彼女をあしらった。
仲間を利用し、全てを混沌に巻き込むあいつのようにはなりたくない。自分の心に嘘を付かず、正直になった上での答えだ。
彼女は信じられないといった表情で、目を丸くしている。どうやら、俺が思い通りになるとでも思っていたようだ。
「あれれ? 可笑しいですね……私は貴方の全てを動かしてきた。言わば、この世界における貴方にとっての神と言える存在。そんな私が誘っているのに、何で断るんですか?」
何でだろうな。自分でもよく分からない。
大切な思い人が存在しなかったと知ったのに、俺はまだここに立っている。戦うべき敵を見据えている。自分でも驚くほどに、その心は強くなっていた。
しかし、アイはそれが気に入らないらしい。鋭い眼光でこちらを睨み、ぎりりと奥歯を噛む。
「なぜですか……貴方の最も信頼する。特別な感情を持つ者に裏切られたというのに……なぜ貴方の眼は曇らない! なぜ前に進み続ける! 解せません……解せませんよレンジさん!」
解せないのなら教えてやる。どうして俺が強くなったのか。
「なぜかって……お前が俺を変えたんだ! お前がいたから、心折れずに前に進む俺がいる! 軽率だったな……ビューシア!」
そうだ、全てはお前の所業。俺はお前を信じ、お前から技術を学んでここまで来た。
俺にとっての師匠、俺にとっての親友、俺にとっての思い人、そして俺にとって最高のライバル。こいつの言うように、アイという存在は俺にとっての全てだった。
だけど、だからこそ超えなくちゃならない。こんな所で立ち止まってはいられないんだ。
俺は自分で自分を誇れるほど、強い心を手に入れた。
スプリ……少しは約束を果たせたのかな。