139 長い旅路の果てに…
俺たちは午後1時にログインし、バルナス山の攻略を再開する。
氷に囲まれた洞窟を進むが、既にモンスターの行動パターンは把握している。ヴィルさんのサポートが機能しているため、苦戦を強いられる事はなかった。
「スキル【発明】アイテム、イグニッション」
炎の魔石と鉄鋼石を消費し、発火装置を作り出す。そして、その発射口をスノーマンに向け、火炎を掃射していった。
氷属性には炎が一番だ。アイテムの消費が大きいが、ケチな事を言ってはいられない。ここが使い時だった。
火炎を受けた敵に対し、俺はスパナで追撃していく。そんな俺をヴィルさんは感心した様子で見つめていた。
「君、本当に強くなったね」
「ありがとうございます。毎日アイにしごかれてましたから」
その言葉を聞くと、再び彼の表情が歪む。やはり、アイに対して不信の感情を抱いているようだ。
「へえ……アイくんが……」
「えへへ、覚えていませんけど」
あざとい仕草で照れる少女。どう見てもいつものアイちゃんだ。
結局、彼女の詳細は不明のまま、その記憶は失われてしまったな。もう、問いただしても仕方ないだろう。
それを理解してか、ヴィルさんも詳細を突き止めようとはしなかった。戦闘を終えると、光の指す方へと進んでいく。
「さあ、出口だ。目的地はすぐに見えるよ」
長いダンジョンがようやく終わる。午後からのログインも既に半日が過ぎていた。もう、このダンジョンの攻略は行いたくないな。
彼に続いて俺とアイは出口へと向かう。そしてそれを潜り、再び銀世界のセルリアン雪原へと出た。
視界に映ったのは、真っ白い雪の被った街。【インディ大陸】の中心地であり、このゲームの最果て、スマルトの街だった。
「わあ……綺麗な街……」
「あれが氷雪の街スマルト……」
心臓が高鳴る。いよいよここまで来た。いつか辿り着くと覚悟していた敵の本陣だ。
もう、引き返すことはできない。城に攻めいる気はないが、ビューシアとの戦闘は避けられないだろう。
必ず勝ってアイの記憶を取り戻す。今はただ、それだけだった。
セルリアン雪原を難なく超え、スマルトの街に辿り着く。氷雪の街スマルト、煉瓦で作られた家々の並ぶ雪国の街だ。
歩く人々は帽子をかぶり、耳当てを付けている。吐く息は白く、見ているだけで余計に寒くなりそうだ。
「レンジさん雪の街ですよ! 凄いですね!」
「ああ」
アイはテンションが上がっているが、俺はそんな気分ではない。ここは敵の本拠地がある街、油断はしていられなかった。
本当はすぐにビューシアの待つ教会に行きたいが、今はアイとヴィルさんがいる。あいつとの決着は俺一人で付けたい。これだけは譲れなかった。
しかし、ヴィルさんの方は元々戦う気など無かったようだ。前髪を払い、俺たちに別れを告げる。
「さあ、約束だから僕はここまでだね」
「ヴィルさん、ありがとうございました」
ここまで同行してくれただけで充分ありがたい。結局、急に協力してくれた理由は分からないが、何事も無かったので良しとしよう。
彼は別れの時、俺に対して警告を促す。
「……レンジくん。勇気や希望、愛や友情が必ずしも良い結果を及ぼすとは限らない。たぶん、君はこれから残酷な運命と対峙することになるかもね」
言葉の意味が分からない。彼の言う勇気や愛は良い意味ばかりのように思える。そんな俺の考えは浅はかなのだろうか。
ヴィルさんはこちらに背を向け、帽子のつばを掴む。そこに、嫌みないつもの彼はいなかった。
「越えてみなよ。ここが最難関さ」
そう言い残し、男は街の奥へと消えていく。やはり、ビューシアを倒すことが俺にとっての最難関なんだ。
確かにあいつは強い。だけど、俺だって強くなっている。こちらより低レベルの相手に、遅れを取るつもりはなかった。
一人考えているとアイが俺の手を掴む。
「レンジさん、街を歩きましょう。悩んでいても仕方ありません!」
「ああ、そうだな」
目的地の教会はアイがログアウトしてから行こう。こいつにだけは手を出してほしくないからな。
今は【ディープガルド】時刻の5時。プレイヤーもNPCも活動している時間だ。ビューシアにとっても行動しづらいだろう。
戦いは深夜に送る。俺はそう判断した。
【ディープガルド】時刻の11時。スマルトの街にある高台で俺とアイは街を見下ろす。雪はふりやみ、空には満点の星空が広がっていた。
アイは記憶を失っているにも関わらず、以前と同じように接している。それは明らかに不自然だったが、今となってはどうでも良かった。
「今日は楽しかったですね」
「二人っきりだったし、ちょっと恥ずかしかったよ」
雪に街の光が当たり、キラキラと輝く。そんな光景をアイと二人で見つめていた。
こんなに幸せな事はない。彼女と出会えて、本当に良かった……
「私……レンジさんと出会えて良かった。例え私がどんな存在でも、この思いは変わりません」
隣に立つ少女は俺に肩を寄せる。そんな彼女の行為に、いつの間にか抵抗感は無くなっていた。彼女が誰かなんてどうでも良い。アイはアイなんだ。
アイは夜空に視線を向け、どこか遠い表情を浮かべる。
「お店……作りたかったな……」
「作ればいいさ。記憶を取り戻しても、取り戻せなかったとしてもだ」
「そうですよね……はい、そうです」
俺が言葉を返すと、アイは遠い表情のまま笑顔を作る。いったい、彼女は何を恐れているのだろうか。
俺は絶対に勝つ。勝ってこいつの記憶を取り戻す。だから、アイも恐れる必要なんて無いんだ。
「アイ、俺はビューシアと一人で決着を付けたい。だから、お前に来てほしくないんだ」
「ええ、分かっていました。私はレンジさんの帰りを待っていますから」
察しは付いていたか。相変わらず怖い女だ。
彼女には悪いが、ビューシアとの戦いは俺の望んだこと。決着はこの手で付ける。
「……ごめん、行ってくる」
アイに背を向け、俺は教会へと歩み進める。すると、後ろから彼女の呟く声が聞こえてしまった。
「本当にこれで……」
意味深な言葉。ふと振り向くと、そこに少女の姿はなかった。
教会の扉を潜り、俺は巨大なステンドグラスの前に立つ。
視界に映ったのは、漆黒の鎧を身に纏った少女。俺がこの時間に来ることが分かっていたように、彼女は一人待っていた。
「ビューシア……」
『レンジさん、よくここまで辿り着きました。本当に長い旅路の果て……ようやくこれで……』
背を向けていたビューシアはこちらへと振り向く。顔は見えないが、彼女の覚悟が伝わって来る感じだ。
俺はこいつに大切なものを奪われた。しかし、憎しみを抱くことなく、俺はここに立っている。
ただ、奪われたものを取り戻す。それだけだ。
「アイの記憶を取り戻しに来た」
『もし、それが不可能と言ったら……どうしますか?』
「例えそうでも、あいつから受け取った思いは変わらない。俺はそれを胸に戦うつもりだ」
勿論、取り戻せなかったとしても、俺の意志は変わらない。ここで絶望している暇があるなら、自分の思いを貫き通す。前のアイも、今のアイもそれを望んでいるはずだ。
こっちに一切のブレはない。そんな俺の答えを聞くと、突如ビューシアはお腹を抱える。
『くくく……あーははははは! ですよねー!』
「何がおかしい」
何故か大声で笑い出す少女。どういう事だ。全く意味が分からない。
困惑するこちらなどお構いなしに、彼女は語り出す。
『たとえ主人公からヒロインを奪っても、その存在は心に残り続ける! だからこそ、主人公は常に最強の存在なんですよ! 本当に目障りで目障りで仕方ありません!』
主人公だと……何の話だ。何を言っている。
『そこで、悪人の私は考えました。そんな主人公を倒すにはどうすればいいのか。そうだ、ヒロインの存在を最初からなくしてしまえばいい! ヒロインの存在など、虚像の存在にしてしまえばいいと!』
ビューシアは回る。優雅に華麗に……
『だから決めました。もし、主人公と戦う機会があるのなら、私自身がヒロインになろうと……』
頭がおかしくなる。お前はいったい何なんだ……
「どういう意味だ……何を言っている……」
『本当に頑張ったんですよ! わざわざ貴方と合わせて本名を名乗り、心優しい少女を演じる大変さと来たら……でもまあ、それなりに楽しかったですよ。レンジさんの成長を自分の事のように喜べましたし』
まるで自分が俺を育てたような物言い。気がどうにかなりそうだ……
「演じる……? 楽しかった……?」
『弱小ギルドに最適なメンバーを抜擢し、それが集まるように手を尽くしました。ロボット制作が必要なら、その能力を持つプレイヤーに巡り会わせたりもしましたね。そして、意気地のない貴方の背中を押し、時には叱咤し、友情を育みました。全ては私の計算通り……』
ビューシアが放つ言葉の数々。俺はその意味を分かっていた。だけど、認めたくなかった。
認めてしまったら、俺の中にある何かが壊れてしまう。だから、気づいてもその事実から目を逸らした。逸らすしかなかったんだ……
『よく見てください……これが全ての答え……噛み合う歯車の先……』
重い兜に手をつけ、ビューシアはそれを取り外す。すると、長く美しい髪が少女の肩に落ちる。
見慣れた髪、そして見慣れた顔。俺が思いを寄せるただ一人の存在。その彼女が目の前にいた。
「ぷっはー! やっぱり、適正装備でもない鎧なんて着るものじゃありませんね。能力半減ですよ! でもまあ、そのおかげで私が低レベルだと勘違いしてくれました。結果オーライって奴ですね!」
お喋りな彼女は鎧を脱いでいく。そして、服装も見慣れた仕立て服へと着替えていった。
俺はその様子を呆然と見つめる。目の前で何が起きているのか理解出来なかった。
やがて、少女は青いリボンを付けると、膨れっ面で俺に言葉を吐く。これもまた、いつも通りだった。
「もうレンジさん、エッチいですね。女の子の着替えをジロジロ見るものじゃありませんよ!」
「そ……そんな事はどうでも良いんだよ! 何で……何でアイがここにいるんだ! 何で記憶を失っていない! 何でビューシアの鎧を! どういう事か説明しろ!」
記憶を失ったはずのアイが、俺との一時を覚えている。それに加え、彼女は今までビューシアの鎧を着ていた。頭がどうにかなりそうな事ばかりだ。
ただ立ち尽くす俺の前にアイは歩み寄る。そして、その首を可愛らしく横に倒した。
「あっれー? まだ気づかないんですか? レンジさん……」
自らの口に手をあて、少女は笑う。
「騙されちゃったみたいですよー」
今まで見たことのない。醜悪な彼女の笑み。
俺がこの世界で最も愛おしく思う存在……最も憎く思う存在……
その二つが重なった。
アイ「650000文字の友情ごっこにお付き合い頂き、ありがとうございました(笑)」