137 雪、雪、雪
【ディープガルド】時刻は深夜0時。暗い真夜中のシエナ平原を俺は一人で進む。
現実世界は日曜日の3時なので、何人ものプレイヤーが戦っているのが見える。俺も他人事ではない。この草原は機械モンスターでいっぱいだからだ。
目的地のスマルトの街は、【インディ大陸】の中心にある。まずはこのシエナ平原を突き進み、【オレンジナ大陸】を越えなければならない。そこから陸続きになった【インディ大陸】に入るという形だ。
すぐに目的地に行かないと、ギルド【漆黑】のメンバーに捕まりかねない。今の俺は独断行動を取っているのだから。
「くっそ……」
しかし、そんな俺の前にモンスターが立ち塞がる。飛空艇で襲ってきたハーピィロードにデビルコンドル、クレープスの塔で何度も戦ったキラーマシンとメタルゴーレム。それに加えて機械の人獣メカコボルトだ。
リュイと二人で戦った時は苦戦しなかったが、流石に一人は厳しい。【起動】でロボットに乗り込むが、このままでは石炭が持たないな。
ロボットの拳により、メタルゴーレムを砕く。フィールドのモンスターは弱く設定されているはずだが、囲まれたらどうしようもない。当然、逃げるのにも限界があった。
無茶な戦いが続いたことにより、俺のレベルは44に上がる。しかし、消耗が激しいため、喜んでいられる状況ではないだろう。
せめて薬を購入したい。さっきから戦闘が終わるたびに飲んでる状況。とても【インディ大陸】まで維持できなかった。
「やっぱり無茶だったのか……一人では何も……」
【風魔法】を扱うハーピィロードにより、大ダメージを受ける。くそ……俺はビューシアの元にたどり着く事すら出来ないのか……
ゲームオーバーになる前に、テラコッタの街に戻るのが正解だろう。他にも選択肢はある。ここで記憶を失う危険を冒してまで、一人旅に拘る事はなかった。
ただ、悔しいだけだ。この周りにいるモンスターから逃げ、街で助けを乞うしかない。
俺は諦め、引き返すことを考える。しかし、その時だった。
「スキル【使役人形】」
二体の人形が体当たりによってハーピィロードを吹き飛ばす。これは仕立屋の扱うペットスキル。すぐに、誰が助けに入ったか判断できた。
青いリボンを付けた少女。彼女は人形と共に敵モンスターへと走り、次々に撃破していく。記憶を失いながらも彼女は強かった。
「アイ……何で……」
全てモンスターを倒すと、アイは人形をバッグに戻す。そして、こちら向かってずかずかと近づいてきた。
睨む少女。恐ろしいまでの悪寒が走った瞬間。彼女は右拳を振りかぶり、それを俺の腹部に向かって思いっきり叩きつけた。
思わず「ぐほっ……!」という声が出る。痛い以上に何が起こったのか分からない。ただ腹部を抑え、うずくまるしかなかった。
「い……いきなり何するんだ……」
「それは私が言いたい! 貴方はこの私を侮辱する気ですか!」
寒気がするような殺気が俺へと向けられる。今まで何度も感じたことのある感覚。そうだ……これこそがアイだったんだ。
「失ったのは私の記憶。それも、自らの敗北によって招いた結果と聞いています。それをなぜ貴方が背負う必要があるのですか! 屈辱です!」
これはまた愛らしい。いや、アイらしい言葉が出たな。
確かに、こいつの言っていることは最もだ。本来今回の件を解決しなければならないのは彼女本人。冷たい言い方をするなら、俺には関係ない事だろう。
勝手に助けられるというのはアイにとって屈辱以外の何物でもない。それも、記憶を失い、親しいと思っていない相手に対してなら尚更だ。
「私の失態は私で責任を取ります。大した力も持っていないのに、愚かにも役に立ちたがる。挙句の果てに、周囲の足を引っ張り、助けてほしいとピーピー泣きわめく始末。私はそんな存在になり下がるつもりはありません!」
つくづくヒロインに向いていないな……物理的な女子力が高すぎる。
だが、俺だって今さら退くわけにはいかない。これはビューシアと決着を付けるための旅でもあるんだ。
「悪かったよアイ……でも、俺は帰るつもりはないぞ」
「なら、一緒に行きましょう! 大丈夫です。私が付いていますから!」
俺の両手を握り、いつものアイちゃんに戻る。結局、一人旅は速攻で終わってしまったか。まあ、ソロプレイなんて今までに一度もしたことがないしな。二人ならその方が良いだろう。
それにしてもこの少女、記憶を失ったのに俺に対して友好的だな。彼女は彼女なりに割り切って考えているのだろうか。記憶を失った経験がないから分からないな。
「なあ、アイ。お前は俺の事を覚えてないんだよな。なのに何でここまで拘るんだよ」
「そうですね……もしかしたら、少しだけ覚えているかもしれませんよ。少しだけです」
何なんだこの答えは……若干、濁されたようにも感じるぞ。
でもまあ、此方としても気が楽で助かる。アイが記憶を失う前と変わらないなら、以前と同じように接するまでだ。記憶を取り戻すことに対する拘りも若干薄れるしな。
とにかく、今は進むまでだ。ここから先は氷雪の【インディ大陸】。敵モンスターも一気に強くなるので、気を引き締めなければならなかった。
陸繋ぎの道を進み、【オレンジナ大陸】から【インディ大陸】へと入る。徐々に天候は雪へと変わり、周囲の風景も銀世界へと変化していった。
草木は全て雪によって染まり、空もどこか薄暗い。気温も一気に下がっていき、別世界に迷い込んだような感覚だ。
ここはまさに雪と氷の大陸。真っ白い雪は朝日によって照らされ、まばゆい光となって輝いていた。
「雪! 雪ですよレンジさん!」
「ああ、雪だな。だがそんな事より寒い! 寒すぎる!」
ゲームの世界だが体感温度は本物。【イエロラ大陸】の砂漠のように、自然の驚異によってゲームオーバーになる事もあるだろう。防寒は必須だったな。
アイ貰った厚手のオーバーガウンが寒さから守ってくれる。もしや、この事を予測して作ってくれたとか……いや、流石にないだろ。もしそうなら怖すぎ……
「ばふっ……! な……何だ!」
「レンジさん、雪合戦ですよ! 避けてください!」
「モンスターが出るから止めてくれ……!」
突然アイに雪玉をぶつけられる。それも顔面に向かって思いっきりだ。
こいつ、自分の立場全く分かっていないな。まったく、お気楽で見ていて気持ちがいいよ。
俺たちは目的地のスマルトの街に向かって歩み進める。ここは【インディ大陸】のメインフィールド、セルリアン雪原。とにかく雪、雪、雪というフィールドだった。
出てくるモンスターはアイススライム、ホワイトベア、スノーオーロット、ミノタウロス、そして何度か見たあのモンスター……
「ジョージ……」
「……? フェンリルですよ」
アイは大針によって銀色の狼、フェンリルを振り払う。このモンスターを見ていると、ヌンデルさんの使役獣を思い出す。そうか、ついに俺はここまで来たんだな……
フェンリルはアイに任せ、俺はシロクマのようなモンスター、ホワイトベアをスパナによって殴りつける。こいつはオリーブの森で戦ったビッグベアの上位種だな。まったく、過去の記憶が溢れて仕方がないよ……
絶対にアイの記憶を取り戻す。ビューシアは最悪な奴だが、今まで一度も嘘は言っていない。この希望は幻想なんかじゃないんだ。
しかし、このまま行くと奴に辿り着く前に死ぬ。普通に死ぬ。
ビッグベア糞強いじゃないか! 俺のスパナを受けつつも、鋭い爪によって反撃に出てくる。とっさにジャストガードを行うが、何度も上手くいくはずがない。ダメージはかさむばかりだった。
「流石に強いな……」
「だ……大丈夫ですよレンジさん」
何とか戦闘を終えたが、数が重なるごとに消耗していく。適性レベルに達していないのに加え、二人しかいない。フィールドのモンスターに苦戦しているようじゃ、ここから先のダンジョンを突破できるはずがなかった。
そう、スマルトの街に行くには、バルナス山という雪山のダンジョンを超える必要がある。例によって最上層まで行く必要はないが、それでもモンスターが強いのは確実だ。
まったく、寒さも相まって頭が痛くなる……これを一人で越えようと思っていたのだから、俺も大バカだな。
俺たちは慎重にセルリアン雪原を進んでいく。雪を被った木のモンスター、スノーオーロットをグレネードで燃やし、二足歩行の牛であるミノタウロスはアイが技術で翻弄していった。
敵モンスターの属性は全て氷属性。【発明】によってグレネードとイグニッションばかりを使い、火薬と炎の魔石が不足してくる。生産職はこういうところが厄介だな。
「レンジさん、MPが少なくなってきたので【回復魔法】も限界が近いです!」
「仕方ない。【起動】を使ってロボットで戦うよ。石炭はダンジョンまで取っておきたかったんだけどな……」
俺はロボットに乗り込み、ミノタウロスを力によって撃破する。アイは前衛による攻撃と後衛によるサポートを同時にやらしている状況。防御役の俺がその負担を少なくしなくてはならない。
だが、こっちだって無理をしている。素早いフェンリルを相手にした場合、ジャストガードが上手く決まらない。その為、通常のガードによって受け、ダメージが重なってしまうのだ。
「スキル【マジカルクロス】! 服を消費してしまったので、このスキルも限界が近いですね……」
「スキル【整備】! こんなスキル初めて使ったぞ……使い方あってるよな?」
アイが【マジカルクロス】によって防御力を上げてくれるが、初期の布の服を消費しているため、性能は微妙。このままではロボットの負担があまりにも大きすぎた。
モンスターの総攻撃によって受けたダメージは、隙を見て【整備】によって回復する。全く使っていないため、スキルレベルが非常に低かった。
「レンジさん……ここまでは進ましたが回復薬も底をつきそうです」
「もうダンジョンを超える気力はないな……」
ボロボロになりながらも、何とかバルナス山のふもとに到着する。時間は現実時刻で夜の11時。【ディープガルド】時刻で夜の8時。ここから氷の洞窟に入り、バルカン山脈のように内部と外部を交互に山を登っていかなければならない。
だが、もう限界だ。振っていた雪はどんどん強まり、やがて吹雪のように激しく凍てついていく。どうやら、自然の方も味方をしてくれなかったらしい。
「レンジさん……私たちここで死んじゃうんでしょうか……」
「バカ言うな。ワープの魔石で街に戻ればいいさ……」
俺がそう言うと、アイがそっと俺に抱き付く。おいおい、急にどうしたんだ……寒いにしても、これはこっ恥ずかしいだろ……
顔が熱くなってくる。ダンジョンの目の前、吹雪の中で俺たちは何をやっているんだ……
彼女、街に戻りたくないのだろうか。ああ、俺だって戻りたくないよ。ここまで必死に来たんだ。例え危険だと分かっていたとしても、先に進まなくちゃならない。
雪山と氷の洞窟が交互に続く、バルナス山のダンジョン。ああ、分かっている。覚悟はしていたんだ。アイと二人なら絶対に越えられる。彼女を信じているから……
「アーハッハッハッ! まったく、君たちは何をいちゃついているんだい?」
そんな俺を茶化すように、嫌みったらしい男の声が響く。声のした方を見ると、そこには羽の付いた帽子をかぶった長髪のプレイヤーが立っていた。
随分と懐かしく感じる。この人はギルドや教え子を見捨てて、自分は安全な場所に逃げたと聞いていたが。まさかこんな所で会うとはな。
「デートをするのなら、もっとマシな場所にエスコートしたらどうかな? レンジくん……」
「ヴィルさん! 何でここに……」
元【エンタープライズ】のメンバー、吟遊詩人のヴィル。ハクシャやイシュラたちのパーティーリーダーをしていたプレイヤーだった。
彼はうんざりしたような表情をしながら、俺たちを細目で見る。さて、ここでこの人に会ったのは幸運なのか不運なのか。とにかく、話してみない事には分からなかった。