136 最果ての地へ
鍛冶師のイシュラから、仕立屋の扱う大針を購入する。
これをアイにプレゼントすれば、彼女は記憶を取り戻す……なんてことがあるはずがない。全ては俺の気休めにしかならないだろう。
しかし、あいつのために何か行動を起こしたかった。例え、それが無意味であったとしてもだ。
イシュラはアイテムバックから針を取り出すと、それをぶっきらぼうに手渡す。在庫を処理してやったというのに何だか不機嫌だな……
「はい! これが私の作った天使の大針! さっさとアイに渡す事ね!」
「何でキレ気味なんだよ……」
しばらく会っていないうちに、こいつも変人化してるようだ。このゲームは変な奴しかいないので、毒されてしまったのだろう。可哀そうに……
それにしても、イシュラの方から俺に会いに来るなんて珍しいな。前にコンタクトの魔石で居場所を聞いてきたので、やっぱり要件があるのだろうか。
「そう言えば、俺と話したい事があったんじゃないのか」
「べっつにー、ただ顔を見に来ただけよ。アイに忘れられて沈んでるんじゃないかなって」
視線を合わさず、ムッとした表情で彼女は言う。優しいんだか意地悪なんだか、反応に困るところだ。
イシュラとの付き合いも長くなってきたが、こいつの考えは未だに分からない。何というか、捻くれてて孤独主義なところがあって、とっつきにくいんだよな。
少女はメニュー画面を開くと、ログアウトのボタンを押す。そして、頭の後ろで両手を組み、俺に背を向けた。
「じゃ、私ログアウトするから。さいなら」
その場から姿を消すイシュラ。相も変わらず勝手な奴だ。
こいつがここに居るという事は、ハクシャやシュトラもこの街に来ているのだろう。シュトラはどうでも良いが、無駄に鋭いハクシャには会いたくないな。
今の俺がどれだけ不安定か、あいつは絶対に感づくだろう。暑苦しく励まされても鬱陶しいし、避けて行動するのが正解だった。
昼に一度ログアウトし、再び【ディープガルド】にログインする。
現実時刻の午後1時、【ディープガルド】時刻では朝方の4時。俺はテラコッタの大広場でコンタクトの魔石を使う。昨日の出来事をヴィオラさんに報告するためだ。
敵の幹部を一人撃破したが、こちらはアイの記憶を失っている。俺からすれば敗北したも同然。ただ、彼女には謝罪するしかなかった。
「そういう事です。すいませんヴィオラさん……」
『貴方が謝ってどうするのよ。大丈夫、私たちもすぐに向うから』
とにかく、今は彼女たちの到着を待つしかない。俺一人が行動してところで、事態が改善するはずがなかった。
モニター越しのヴィオラさんは俺の眼をじっと見つめる。やがて、いつもと変わらない態度のまま、しゃんと言い放った。
『レンジ、下向いてちゃダメよ。貴方にはまだまだやる事があるでしょ』
彼女の言うとおりだ。俺にはまだまだやるべき事がある。
アイが記憶を失ったのなら、それも仕方がない。最初から失う覚悟は出来ていたはずだ。
俺が一人覚悟していると、一人の少女が顔を覗かせる。記憶を失い、絶望の発端となった張本人。仕立屋のアイだった。
「す……すいません……私が忘れちゃったせいで大変なことになっちゃいましたね。で……でも大丈夫です! 私は全然気にしていませんから!」
どうやら、フウリンさんから状況説明をして貰ったらしい。しかし、それを理解してるかどうか疑うほど彼女は明るかった。
何だよ……心が淀んだのは俺たちだけかよ。こいつにしてみれば、全く関係ない奴らが勝手に思い悩んでいるも同然なんだ。
でも、分かっている。そんなこいつも被害者。今回の事件を引き起こした元凶は一人しかいない。
「謝る事はない。全部あいつの……ビューシアの……」
「れ……レンジ! ビューシアを恨んじゃダメだ!」
俺がアイをフォローしようとすると、幼い少女の声が広間に響く。
振り向いた先にいたのは、同じギルドのルージュとリュイ。昨日はかなり夜更かしをしたので、今まで睡眠を取っていたらしい。
ルージュは口を三角に尖らせ、眉毛を吊り上げる。恨んじゃいけないとはどういう事だ。何か不都合なことがあるのだろうか。
「ルージュ……いきなりどうしたんだ」
「分からない……分からないけど……奴を憎んだり恨んだりしちゃダメなんだ……」
頭を抱え、切実な表情で彼女は訴えかける。まだ、【覚醒】の副作用が残っているのだろうか。今のルージュは明らかに異常だった。
何とかして宥めないといけない。そう思ったとき、突然アイが前に出る。そして、冷静さを失っている魔導師に優しく抱き付いた。
「ルージュさん! 無茶はしちゃダメです! 私は全然大丈夫ですから」
「違う……そうじゃないんだ……」
彼女の行動によって、ルージュは徐々に落ち着いていく。俺と同じように、こいつの精神も相当不安定になっているな。こうやって場を落ち着かせてくれたのは本当にありがたいところだ。
記憶を失ってもアイの優しさは変わらない。俺はそんな優しい彼女をずっと魅力的に感じていた。そうだ、優しいから好きだったんだ……
本当にそうだったのか……?
心に僅かな違和感が生じる。だが、すぐにその思考を振り払った。
嫌な感じだ。今は好きになった理由なんてどうでも良い。俺はアイテムバックに手を突っ込み、一本の大針を取り出した。
「アイ、お前の新しい装備を渡したい。困惑すると思うが、こうしないと気持ちの整理がつかない」
「本当ですか! ありがとうございます! 実は私もレンジさんに渡したいものがあるんですよ」
俺が装備を渡すと、アイは代わりに一枚の服を手渡す。布で作られたブラン職の防具。丈が長く、今までの装備より厚手の防寒仕様だった。
後半に入ったこともあり、防具の質も相当に上がっている。アイの【裁縫】スキルも相当に研ぎ澄まされているようだ。
「オーバーガウン、レンジさんを覚えていた時の私が作ったみたいです。交換という事で貰ってください」
「アイ……」
さしずめ遺品か。最後の最後にこんな物を残していたんだな……
俺は服を握りしめ、ビューシアへの復讐を誓う。絶対に奴をぶっ倒す。痛めつけなければ気が済まない。
そうだ……復讐を……
なぜか、ため息が出る。
何て虚しいんだろう。俺はもっとクールに戦いたかったのに、何でこんな事になったんだろうな……
誰とも会う気分になれず、俺は暗くなるまで【機械製作】に没頭していた。
自らの心を落ち着かせるため、まるで精神統一のように機械を弄り続ける。効果はあったのか、徐々に精神方は安定していった。
ゴーグルを付け、アイとの思い出を振り返っていく。ロボットの改造をしつつも、頭の中は彼女のことで一杯だった。
アイ……あいつは俺にとって天使だった。あいつは……
「そぉい!」
突如、俺の後ろから何者かがゴーグルを取り外す。驚き、転がるように後ろに振り替えると、そこには【エンタープライズ】のイシュラが立っていた。
「何するんだよ!」
「なんだ、泣いてないじゃない」
何だよこいつ、俺の泣き顔でも見に来たのかよ。性格悪いな……
だがお生憎様。俺は泣いていない。
絶対に泣いてたまるか。今までゴーグルで誤魔化しながらも、瞼の中に押し止めてきたんだ。
「泣かないよ。俺は弱いから泣いたら立ち直れない。もし泣き顔を見られたら、もっと立ち直れなくなる」
「ふーん、流石男の子ね」
「男だから泣かないとか、女だから優しくとか。そういうのは好きじゃないな」
「でも、泣かない男の方が私は好きよ」
ニヤニヤ笑いながら、珍しくイシュラが俺を褒める。本当に何を考えているのか分からない奴だ。
彼女は急に真剣な表情をすると、足元に落ちているネジを拾う。そして、それをお手玉のように投げては掴んでいった。
「あんた、アイの記憶を奪ったビューシアって奴を消す気?」
「まさか、あいつはダブルブレインじゃなくて普通のプレイヤーだ。ゲームオーバーになるだけで消えはしないよ」
あいつは俺と同じ人間。他の【ダブルブレイン】のように消滅はしない。
だからこそ疑問が生じる。なぜ、人間のあいつがデータの暴動に協力しているのか。なぜ、人間じゃない奴らと関わりを持っているのか。
現状、その答えは分かっていない。しかし、一つだけ言える事がある。俺は殺しに行くんじゃない。拳で語りに行くんだ。
「ふーん、あんたはそれで良いの?」
「ああ、むしろ嬉しいよ。何も気にすることなく、思いっきり戦える」
「まだそんな甘いこと言ってるんだ」
「胸を張って貫かなきゃアイに殺されるからな」
そうだ、俺はこのゲームで色々な人と知り合った。その中で嫌な奴だと思った奴もいるし、憎く思った奴もいる。でも、そいつと戦ったり、そいつの声を聞いているうちに、もしかして凄い奴なんじゃないかって思えてきたんだ。
そうか……ビューシアだって同じだ。あいつは俺に敵意を持っている。だからこそ、俺があいつに向き合わなくちゃダメなんだ。
仇とかそんなのじゃない。俺は俺の意思で戦わないと……
「そうだよ……俺はこうじゃないと……ありがとうイシュラ!」
「わっけ分かんないわよ。ばーか」
イシュラは再び笑みをこぼすと、握っていたネジを改良途中のロボットに付ける。どうやら、部品が一本取れていたようだ。素人に指摘されるようじゃ俺もまだまだだな。
借りていた工房を後にし、夜の街へと歩み進める。
迷いは吹っ切れた。後は野となれ山となれだ。
テラコッタの街外れ、人気の少ない郊外に俺は訪れていた。
ここで待っていれば必ず奴は来る。俺の絶望を望むあいつが、今の顔を見に来ない訳がない。冷静さを取り戻した俺には、敵の行動パターンが容易に想像できた。
やがて、シエナ平原から一人のプレイヤーが姿を現す。漆黒の鎧を身に纏った戦士、ビューシアだった。
『私に会うために、わざわざ一人になったんですね……』
「ああ」
敵もこちらの考えを読んでるか。本当にお前と俺は以心伝心だな。
「悪いな。俺はもう憎んだり恨んだりするつもりはない。お前の思い通りにはなりたくないからな」
『構いませんよ。思い通りにならない方が面白いですから……』
こいつ、想定外を楽しんでいるのか。そりゃ、滅茶苦茶やる俺を気に入るわけだ。
なら、お前のご期待に応えてやるさ。とびっきりの想定外を見せてやる。お前を驚かして、必ず屈服させてやる。
「一つ質問だ。何で人間のお前がダブルブレインに協力する。お前も死ぬかもしれないんだぞ」
『私はエルドさんたちの目的なんてどうでも良いんです。そう、世界が混沌に沈めば、それで良いんです……』
俺の質問に対し、ビューシアは正直だった。その場で踊るように周り、可愛らしく首を倒す。
『ねえ、レンジさん……暴動や災害でたくさんの人が死んじゃうニュースを聞いたらワクワクしませんか? 私はその中心となって全てを巻き込みたい……それはとってもとーっても素敵な事だと思うんですよ』
反吐が出る。同意は出来ない。
「ビューシア、お前は可哀想な奴だ」
『可哀想と思うのなら、助けてくださいよ……』
「ああ、待ってろ」
相手の皮肉に対し、此方も皮肉で返す。月が上る夜の街で、俺たちは二人向き合った。
鎧の下には、歳の変わらない少女の瞳が見える。真っ黒に淀み、見つめていれば気が狂いそうな眼。これが、本当に人間がする眼つきなのかよ……
自分以外の全てを混沌に巻き込む。それがこいつの目的。こんな奴と俺は分かり合うことが出来るのだろうか……
『アイさんの記憶を取り戻したいのでしょう? 【インディ大陸】スマルトの教会で待っています……』
そう言い残すと、ビューシアは魔石によって街を移動してしまう。まるで、アイの記憶を取り戻せるかのような物言いだな。期待はしていないが、取り戻す方法があるのなら縋りたかった。
アイの記憶は蘇る。奪われたものは取り戻せる。それが例え奴の与えた幻想だとしても、俺はこの可能性を信じたかった。
「一人旅か……みんな怒るだろうな……」
瞳の淀みが完全に晴れたわけではない。単なる暴走かも知れない。それでも、俺は一人歩んでいく決意をする。
大きな戦いを控えるこの重要な時に、周囲を巻き込むわけにはいかない。リュイやルージュだって、ヴィオラさんと一緒に行動するべきなんだ。
これは俺の因縁。俺の戦い。決着はこの手で付ける。
目指すは極寒の地である【インディ大陸】。誰にも見つからないよう、俺は街を後にするのだった。