135 黒い感情
土曜日の朝。リュイとルージュは学校に行き、俺は一人【ディープガルド】にログインしていた。
昨日は色々なことがありすぎて頭がいっぱいだ。とにかく、今は自分に出来る事をするしかない。
俺はテラコッタの宿で、あるプレイヤーのログインを待つ。絶対に帰って来てくれると信じて、ただひたすらに待ちつづけるしかなかった。
やがて、数時間が経過した時、俺の前に一人の少女が姿を現す。
「アイ……!」
「……? えっと……その猫耳、似合っていますね!」
間違いない。藍色のリボンを付けた裁縫師、俺と旅を続けてきたアイだった。
しかし、彼女の反応は微妙。苦笑いをし、無理に反応しているように感じられる。ああ、分かっていたさ。こうなる事は最初から覚悟の上だった。
少女は自らの頭に人差し指を当て、何かを思い出すように語っていく。
「あれ? 私は今ログインして……その前は何をやっていたんでしたっけ……えっと、貴方は……?」
「……俺はレンジだ。【IRIS】というギルドで活動している」
彼女を混乱させてはいけない。冷静に、まるで初めて会ったかのように自己紹介を行う。すると、アイの方も始めた会った時のように俺の名前に食いついてきた。
「レンジ……電子レンジ!」
「……それはもうやったよ」
あの最強だった彼女が、本当に記憶を失ってしまったのか。現実を目のあたりにしても、不思議と信じられない。そもそも、こいつはどうやって負けたのか……
いや、そんな事はどうでも良い。今はこの少女をどうするのかが重要だ。
記憶がないのなら、俺たちと共に行動する意味はない。ここで別れることになるのなら、その方が彼女にとって幸せかもしれない。
「お前、これからどうするつもりだ……?」
「何だか記憶が曖昧で、正直自分でもよく分かっていません……あの、その【IRIS】というギルドに入っていいですか? 色々と教えてほしいんです!」
しかし、アイは俺から離れようとしなかった。そうだったな……初めて会った時もこんな感じだった。
記憶を失っても、人格は変わっていない。【覚醒】にさえ警戒すれば、彼女と共に行動することは出来る。何も手放さなくていいんだ……
「そういう事か。任せてくれ。俺はこのゲームに詳しいんだ」
「あ……ありがとうございます!」
【漆黑】メンバーは【覚醒】持ちになったこいつを警戒するだろうな。最悪、この場所から追放されるかもしれない。
もしそうなったら、俺もアイと共に消えるだけだ。彼女は残ってくれた……しがみついてでも放したくない……
勝手に信じて、勝手に敵を押し付けてこうなったのに……それなのに情けなく執着し続けている。
俺はなんて最悪なんだろう。ただ、自暴自棄になるだけだった。
アイは遊んでいるフウリンさんに任せて、俺はクロカゲさんたちの作戦会議に参加する。
結局、彼らの議論は昨日から全く進展していない。やる気と気合はあるのだが、その場でひたすらに足踏みしている状態だった。
「だからディバイン。それじゃダメだっテ。真正面から突っ込んでどうするのサ」
「ぬう、ではどうすれば良いのだ」
「だから裏から適当にニンジャー! って感じで攻め込んデ……」
滅茶苦茶なことを言っている戦士と忍者。これはいよいよ雲行きが怪しくなって来たな。本当にここにいるメンバーは脳筋ばかりで、作戦を立てるという事が出来ていない。
そんな会議を聞いて、頭を抱える女性が一人。どうやら、いつの間にかこの部屋に入っていたようだ。
「ここは動物園の檻か。来る場所を間違えたようだな」
「ヘイ、ハリアー。相変わらず酷いこと言うナー」
【エンタープライズ】のギルドマスターであるハリアーさん。確かギルド本部を失ったと聞いていたが、何とかこの街まで辿り着いたらしい。
一応、彼女が無事であるという事は耳に入っていた。イシュラたちと行動し、このテラコッタを目指しているとも知っているが、予想よりも早かったな。
しかし、まだ油断は出来ない。ハリアーさんが【覚醒】持ちになっていないという保証はなかった。疑り深いゲッカさんが、ここでも噛み付いていく。
「待ってくださいクロカゲさん。疑心暗鬼ですよ。彼女が【覚醒】という危険性があります。事実、ギルド【エンタープライズ】の本部は崩壊状態と聞いていますよ」
「それは心配いりませんわ。ここに来るまでの間、互いのスキルを確認し合いましたので」
ハリアーさんの後ろから現れたのは、尻尾を生やした犬耳の女性。初めて見たプレイヤーだが、どうやらそれなりの実力を持っているらしい。
そんな彼女に反応したのは【ゴールドラッシュ】のディバインさん。彼は席を立ち、女性の元へと歩き出す。
「おお、テイル。ハリアーたちと合流していたのか」
「彼女たちだけではありませんわ。各支部で活動していた【ゴールドラッシュ】と【エンタープライズ】メンバーで、行動可能なプレイヤーはこの街に集めました。近いうちに、【7net】と【ROCO】の生き残りも合流するはずですわ」
この人はテイルさんで、どうやら【ゴールドラッシュ】の幹部らしい。べたべたなお嬢様口調を使い、完全にキャラを作ってるタイプのプレイヤーだ。
しかし、ハリアーさんといいテイルさんといい。女性プレイヤーの方が基本有能だな。バカでアホな男たちより、よっぽど先の事を考えてる。
ハリアーさんはこの世界全てのギルドを掌握し、対ダブルブレインの布陣を作ろうとしてた。
「そうだ。残る戦力はランキング5位以下の中堅から下級ギルドのメンバー。全てを説得し、この街に集める。お前たちは至急、テラコッタのNPCと協力して飛空艇の修理。加えて装備やアイテムを万全の状態に整えておけ」
「仕切りたいならそう言ってヨ。丁度指揮官が不在だったし、ハリヤーに頼みたいんだよネ」
「私が指揮官か……ならば、作戦自体を変更する」
正式に指揮官がハリーさんに移り、そもそもの作戦自体が変更される。彼女の狙う戦いはあまりにも意外なものだった。
「まずは王都ビリジアンを奪還する」
敵の本拠地であるスマルトの街ではなく、ビリジアンの街を先に奪還する。それがハリアーさんが狙っている計画だった。
クロカゲさんとディバインさんは反対しようとはしない。それ以前に、この海賊が何を考えているのか分からないという様子だ。
「何デ?」
「何故だ」
「ここはバカどもの集まりか。王都を奴らに奪われたという事態は極めて絶望的だからだ」
再び頭を抱え、大きくため息をつくハリアーさん。最初は怖い人かと思ったが、今は苦労人ポジションに落ち着いている。もっとも、この人も暴走する時は暴走するのだが。
今の彼女は安定していた。しっかりとした考えがあり、それをこの場にるすべてのプレイヤーに説明していく。
「王都ビリジアンはこのゲームの中心となる街。ゲームを始めてプレイする者は、まず王都に向けて歩み進める。そのプレイヤー全てを掌握されればどうだ? 戦力差は開く一方だぞ」
「うむ……なるほど」
「そしてもう一つ。奴らの戦力は全てのプレイヤーが【覚醒】持ちというわけではない。【覚醒】持ちのプレイヤーに流され、そのまま戦力に組み込まれてしまった者もいるだろう」
ハリアーさんは背中に背負っていた巨大碇を掲げ、それを地面に叩きつけた。
「その哀れな仔羊どもに闘士を宿らせ、こちら側に引っ張り込む! ダブルブレインに組することがどれだけ愚かなことか、私たちで示すのだ!」
「ハリアー気合入ってるネー。良いヨ。その計画デ」
これにはクロカゲさんとディバインさんも納得だ。彼女の計画に一切の誤りはないだろう。
だが、俺は解せなかった。この計画ではダブルブレイン本体を叩くことが出来ない。巨悪の断罪が先送りになり、ビューシアと戦えないという事だ。
俺は今、冷静さを気取っている。しかし、心はビューシアを叩き潰すという感情に支配されていた。
「敵の本拠地には攻めないんですか……」
「何だ。不服か?」
「いえ……」
思わず、その本心が出てしまいそうになる。危なかった。何が怖いかというと、今の俺をハリアーさんやディバインさんに知られるというのが怖い。
俺は今まで散々甘いことを言って、常に冷めた感情を持っていた。二人はそんな俺を評価し、ここまで協力してくれたんだ。
本心が知れれば失望するだろう。分かっているさ、分かっているから隠すんだ。絶対に見捨てられたくないからな……
あの場の空気に耐えられなくなった俺は、逃げるように会議室から出る。すると、そこにはマントを羽織った魔導師が立っていた。
昨日、敵との戦いに協力してくれたギンガさん。どうやら、彼は会議に参加する気はないらしい。こうやって盗み聞きをし、自分に有利な情報を引き出しているのだろう。
俺はギンガさんに八つ当たりをする。溢れた感情は、ブラックホールとも言える彼に吸い込まれていく。
「ギンガさん、貴方ならアイを助けることが出来たんじゃないでしょうか……なんで、あの時ビューシアに攻撃しようとしなかったんですか……?」
「知れたこと。奴の行動が読めなかったからに決まっているだろうが。貴様は昨日の一件に対し、不可解を感じなかったのか?」
男は偉そうに腕を組み、星々の光る瞳で俺を見る。
「そもそもだ。あの時、マシロを生かしてどうするつもりだった。奴の意思も本物、生きていれば確実にこちらが止めを刺す結果になった。それをリュイにやらせるか? ルージュにやらせるか? それとも意思を曲げ、貴様自身が奴を殺したか?」
「……どれも嫌ですね」
そう、考えようによっては幸運だった。あそこでビューシアが不可解な行動を行ったことにより、此方の負担は確実に少なくなっている。勿論、それも分かっていた。分かっていたさ……
ギンガさんは俺に背を向けると、その場から歩き出す。長居は無用という事だろう。
「少年よ。迷ったら星を見ろ。貴様の進むべき道を示すだろう。全ては星々の瞬くままに! 銀河ァ!」
そんなアドバイスをくれるが、正直まったく為にならない。何だかやけに優しくて逆に怖いが、これは俺に対する同情と受け取って良いのだろうか。
相変わらず、ギンガさんの考えている事は全く分からない。ただ、彼のおかげで心の方はだいぶ落ち着いてきた。
ギンガさんが姿を消し、俺も彼に続こうと歩きはじめる。しかし、そんな俺の前に今度は女性プレイヤーが立ちはだかった。
「会話終わった? 次は私が話したいんですけど」
「お前……イシュラ!」
胸が大きな猫耳少女、鍛冶師のイシュラ。確かヴィルさんのパーティーから抜けて、ハリアーさんと行動しているんだったか。まあ、元気そうで安心したよ。
しかし、久しぶりに会った彼女は以前よりさらに元気になっていた。突如、俺から視線を逸らした少女は一人で何やら騒ぎ出す。
「違うって、こいつはそんなんじゃないわ! 私のライバルよライバル。変に茶化すのはやめてくれる?」
「おい……誰と話してるんだ? いきなりどうした」
「あ……あんたと話してないわよ! このハンマーと話してるの」
「へ……へー……」
しばらく見ない間にイシュラがヤバくなってるな……本当に操られていないんだよな?
まあ、彼女が頭おかしくなろうと俺には関係ない。どうやら話したいことがあるらしいが、手短にお願いしたいものだ。
イシュラは空気が読めなくて性格が悪い。だから、平気で地雷擦れ擦れの事を喋り出す。
「それにしても、アイの記憶消えちゃったんだ。せっかく大針を作ったのに、流石に覚えてない人には売り付けられないわねー」
普通の人なら怒るだろう。しかし、俺には普段と変わらない彼女の態度が心地よく感じられた。
ギンガさんとイシュラのおかげで、心の方も安定している。だからこそだろう。今何をすべきか、容易に判断できた。
「その武器、俺が買うよ」
「ふーん、どうするの?」
「アイにプレゼントしたいんだ。あいつに服を作ってもらったから、そのお返しだ」
ログイン初日から続いているアイとの装備交換。記憶を失った今だからこそ続けるべきなんだ。
やっぱり諦めきれない……絶対にあいつの記憶を取り戻したい……
黒い感情は切望となり、心の中で渦巻き続ける。それを必死に押さえ、ただ冷静な自分を演じるしかなかった。