134 一人は寂しい
ルージュがマシロに勝利し、つかの間の平穏が訪れる。
しかし、俺には休んでいる暇はない。今もなお、アイはビューシアと戦闘を行っているのだから。
重い体を引きずりつつ、テラコッタの街に向かって歩き出す。【奇跡】の副作用もだいぶ和らぎ、これならもう一戦熟すことが出来そうだ。
「アイがビューシアと戦っている。すぐに応援に向かう」
「あれから時間がたっています。闇雲に動いても見つかりませんよ」
張り切って行動しようとする俺をリュイが止める。確かにこいつの言うとおり、何の手がかりもなくアイを見つけるのは難しいだろう。
しかし、探すプレイヤーがフレンド登録されているならコンタクトの魔石が使用可能だ。ルージュはローブの中からアイテムを取り出し、それを握りしめる。
「ま……魔石で連絡を取るぞ……! アイが無事なら通信が繋がる!」
「ええ、お願いします」
こんな状況でも、リュイたちは冷静だった。それに比べて、俺は何を焦っているんだろうか。
アイを信じて敵を任せてきたが、どうにも胸騒ぎがして仕方がない。あのビューシアというプレイヤーは異様な存在感を持っていた。
あいつのことを考えると気が狂いそうになる。俺の全て……俺の因縁……
ダメだ。今はアイを探す事だけを考えろ!
「つ……繋がったぞ! アイ! 大丈夫か!」
ルージュの声を聞き、俺は我に返る。通信が繋がったというのならアイは無事だ。安堵の感情で満たされ、ほっと胸をなでおろす。
しかし、事態はそう甘くはなかった。続くモニターからの声によって、俺の頭は再び真っ白になっていく。
『残念、ビューシアちゃんです』
「お前……! 今度はアイの回線を……!」
モニターに表示されたプレイヤーは、【ダブルブレイン】のビューシア。恐らく、ルージュの時のように無理やり回線に介入したのだろう。
アイの戦闘技術があれば、こんな低レベルのプレイヤーなど倒せるはずだ。この結果になったのは、卑怯な手によって陥れられたと推測できる。
何が最強のプレイヤーキラーだよ。こそこそと嗅ぎまわって、弱点を突く卑怯者じゃないか……
『待ちくたびれましたよ。レンジさん……今はアイさんと共にタンジェリン機械遺跡の内部にいます。入ってすぐ、まだモンスターの出現しない大広間。早く来ないと大変なことになっちゃうかもしれません……』
「ふん、またその手か。よほどこちらを動かすのが好きなようだな」
眼を閉じ、何かを考えるギンガさん。どうやら、敵が誘い込む戦法ばかり取っている事が引っ掛かるらしい。確かに、綿密な計算によって動かされているようで気分が悪いな。いったい何を企んでいるのか……
まあ、例え罠だろうと人質を取られている以上抗うことは出来ない。アイが無事だというのなら絶対に取り返す。ただそれだけだ。
しかし、それでもビューシアは用心深かった。こちらを思い通りに動かすにはもう一押し足りないと思ったのだろう。地面に伏せるマシロに向かって指示を送る。
『マシロさん、そこにいるのでしょう? すぐに私と合流してください……』
「ビューシア……分かった……」
何を馬鹿なことを言っているんだ。傷だらけのこいつに行動が出来るとは思えない。逃げようとしてもすぐに捕まって終わりだろう。
しかし、その考えは軽率だった。マシロは詠唱を開始し、残りわずかなMPによって補助魔法を発動する。
「スキル【移動魔法】テレポート……」
「こいつ……またランダム移動を!」
眩い光に包まれ、彼女は一瞬にしてその場から消えてしまう。
【移動魔法】テレポートは同じマップのどこかにランダムで移動するもの。連続で使用することは出来ず、なおかつマップの外に転送されることもない。傷を負ったマシロが使ってもその場しのぎにしかならなかった。
しかし、真に注意すべきは同じ【移動魔法】のワープ。こちらは戦闘中以外に使った場合、別の街に移動出来るというものだ。距離を取られてしまえば、戦闘状態が解除されこの魔法で逃げられてしまう。
「ふん、奴はビューシアの元に向かっただろう。追うか?」
「と……当然だ……! ボクの勝利が無駄になる……!」
相も変わらず余裕ある態度のギンガさんに、手柄が無駄になる事を恐れるルージュ。この師弟、本当に自分勝手な奴らだな……まあ、その自由さが俺の心を落ち着かせてくれるんだが。
真っ白になった気持ちにも整理が付いた。絶対にビューシアを倒し、アイを取り戻し、マシロも確保する。今は前向きに、最善の道を突き進むだけだった。
タンジェリン機械遺跡。錆びついた機械によって構成された太古の遺跡だ。
この【ディープガルド】には、機械の発達した古代文明が存在していたらしい。今いる【オレンジナ大陸】にはその遺跡が残っており、主人がいなくなった今も稼働し続けている。
そんなダンジョンの入り口をくぐり、スタート地点の大広間に立つ。錆びついた歯車が音を立てて回る空間。奴らは奥へと続く通路の前で俺たちを待っていた。
傷だらけの少女マシロ。そして、プレイヤーキラーのビューシア。二人はこちらを見つめ、出方を伺っている様子だ。
『待っていましたよレンジさん……』
「アイ……!」
奴の足元に横たわる少女。彼女は藍色のリボンに裁縫師の衣装を身に纏っている。俺たちギルド【IRIS】のメンバー、アイだった。
ビューシアはこいつを痛めつけることによって、俺が憤怒すると思ったのだろう。正解だ。奴の予測に一切の間違いはない。事実、俺の心は怒りに震えていたのだから。
いつも底知れない強さを感じたアイが、今は力なく地に伏せている。あいつがプレイヤー同士の戦いに負けたという事実が、俺の心を一層かき乱していく。
『どうでしょう……まるで王子様の助けを待つ眠り姫……良い演出でしょう?』
「生かしてどうする……取引でもする気か……?」
俺は敵をアイに任せ、ルージュの支援に向かったことを後悔していた。彼女を助けるためなら、今の俺はどんな事でもするかもしれない。完全に冷静な判断力を失っているが、自身で制止することなど出来なかった。
『取引』という言葉に対し、ビューシアは笑みを浮かべる。奴は取引など試みようとしなかった。奴の使う手段は『暴力』一つだったのだ。
『取引……? そんなものは不必要……』
戦士はそう言った瞬間、床に伏せるアイに向かって漆黒の剣を振り落す。
『目の前で大切な人を奪われる! ただその為だけの演出に決まっていますよ!』
それは一瞬の出来事だった。
少女の背中に刃が打ち付けられ、そのライフをゼロにする。彼女は光となって薄れていき、やがて俺たちの視界から姿を消してしまう。
何が起こったか分からなかった。当然、悲しみなど全く感じられない。目の前の現実が受け入れられなかったのだ。
「アイ……」
『はい、ゲームオーバー。呆気ないですねー』
あのやりたい放題だった彼女が、こんなにもあっけなく終わってしまったのか……? ありえない。絶対にありえない。きっとやられた振りをして、俺たちの前に姿を現すはずだ。
こんな状況になっても、俺はアイを信じつづけていた。しかし、ビューシアは現実を提示し、更なる絶望を振りまく。
『さて、ルージュさんを取り返されてしまったので、もうお遊びはなしです。彼女の記憶を消します。消滅させます。いらないでしょう? レンジさんは私だけの物ですから邪魔なんですよねー』
「やめろ……」
『では決定。けっしまーす!』
「やめろオオオォォォ!」
俺は叫ぶ。ただ何も考えずに叫ぶ。
しかし、その声がビューシアに届くはずがない。彼女は無邪気な仕草で両手を叩く。
『ぽん! はーい、消えましたー! ちゃんちゃん』
消えたのか……? アイとの記憶が……この世界の全てが……
リュイとルージュは唖然とした様子で何も出来ずにいた。俺も同じだ。とてもこの状況で行動できるはずがない。ただ、力なくその場に立ち続ける事しか出来なかった。
しかし、ビューシアはそれでも満足していないらしい。まだ、俺には絶望が足りないと考えているようだ。
『おやおや、レンジさん……何とか踏みとどまりましたね。では、追加オーダーを入れましょうか』
絶望していない訳ではない。しかし、それ以上に訳が分からなかった。
落ちつけ……冷静になれ……これ以上仲間を奪われるわけにはいかない。俺はリュイとルージュを守るように立ち、敵を迎え撃つ体制に出る。
しかし、奴の行動は俺の予測を遥かに上回っていた。
「なんで……ビューシア……」
『心通わせた宿敵が無残にも使い捨てられてしまう絶望です。こちらも良い演出でしょう?』
ビューシアの剣が、再生力が限界となったマシロを貫く。畳み掛けるような敵の行動に、こちらはただ振り回されるばかりだった。
マシロは力なく声を上げ、攻撃を放った鎧のプレイヤーに助けを求める。
「痛い……嫌だよ……ビューシア……」
「仲間を……」
「酷い……」
優しいリュイと幼いルージュは、この行動によって完全に意思を砕かれてしまう。特にルージュにはショックな出来事だろう。その場に膝を落とし、全く動けなくなってしまった。
ビューシア……奴は間違っている……
俺は仲間の記憶が失われることを覚悟していた。相手は俺たちと敵対する組織。こちらの戦力を潰すのは当然。だから、たとえ仲間を奪われても割り切るつもりだった。
だけど奴は自分の仲間を……信じて助けを求めたマシロの気持ちを踏みにじりやがった……
ふざけるな……
絶対に許さねえ……こいつだけは……!
「ビューシアアアアアァァァ……!」
「ようやく出来上がりましたね。レンジさん……」
スパナを手に俺は走る。何も考えず。ただ怒りに身を任せて敵に突っ込んでいく。
頭が真っ白だ。リュイとルージュが何かを言っているが何も聞こえない。
聞こえるのは奴の……ビューシアの声だけだった。
『これで私と一緒です。おっ揃いー、おっ揃いー』
「黙れ……」
耳障りな雑音が響く。
『そうです! 親交を込めて私のことはビューちゃんって呼んでも良いんですよ!』
「黙れ……」
ぶちのめさなければ鳴りやまない。
『私たちきっとお似合いのカップルになれると思います。貴方もそれを望んで……』
「黙れえええェェェ!」
武器を振りかぶり、奴に向かって思いっきり叩き落とす。だが、敵は瞬時に反応し、ジャストガードを行うために剣を突き出した。
ふざけるな……お前は絶対にぶちのめす……! 俺のスパナはビューシアの剣をかわし、そのまま奴のカブトにクリティカルヒットする。吹き飛ばされ、鎧のプレイヤーは後方の歯車に強く打ち付けられた。
見かけによらずDFE(防御力)が低いのか、奴のHPを一気に削る。HP……何でダブルブレインの奴にHPが存在しているんだ。
「体が再生しない……貴様、通常のゲームプレイヤーか!」
「ちい……!」
ギンガさんがそう言った瞬間。ビューシアはダンジョンの奥へと走っていく。
逃がすかよ……散々好き勝手やったんだ……! もっとぶっ飛ばさないと気が済まない! 報復を……報いを受けさせてやる……!
「待てビューシア! お前は……お前はぶちのめす!」
「レンジさん! もういい! もう良いですから!」
リュイに止められ、俺は我に返る。それ同時に、ルージュのすすり泣く声が耳に入った。
「マシロ……」
「眠い……眠いよ……リルベ……イデンマ……」
1と0の傷口が全身を覆い尽くし、マシロの体は徐々に崩壊していく。彼女の弱々しい姿を見た途端に、俺の怒りは悲しみの感情へと変わっていった。
「スキル【回復魔法】ヒールリス」
ギンガさんが【回復魔法】を掛けるが、ダブルブレインにHPの概念はない。体力が回復されることはなく、体の消滅は早まるばかりだった。
彼は無言で視線を逸らし、苛立つような態度を取る。俺も同じだ。何も出来ず、自分自身に腹が立って仕方がない。
「ごめん……お前も助けることが出来ないんだ……」
「大丈夫……ありがとう……」
笑う人ならざる者。俺たちに囲まれている事に、彼女は満足している様子だ。
どんな時も一人は寂しい。ルージュが手を握ると、マシロは安どの表情を浮かべる。そして、ゆっくりと眼を閉じていった。
「おやすみ……なさい……」
眠るように少女はその場から消えていく。俺たちは何も言うことが出来なかった。
マシロが死んだこと、アイの記憶が消えた事。全ては奴……ビューシアが行った事だ。
俺の心は奴への憎しみに染まっていく。それを自分自身でも理解できたが、止めることは出来なかった。
ビューシア……絶対に奴は……奴だけは……