124 ゼロ
咄嗟の判断、迅速な対応。クロカゲの高速遠距離スキル【風魔手裏剣】によって、エルドの一手は止められた。
彼の動きにここまで対応できるのはクロカゲ、ディバイン、ビューシア、ヴィルリオ程度だろう。久しい強敵を前にして、英雄は僅かながらの笑みを浮かべた。
これで完全に【漆黑】と【ダブルブレイン】は敵対関係となる。勝手な行動を取ったゲッカに対し、ジョノは声を張り上げた。
「ゲッカ! 勝手なことをす……」
「道聴塗説ですが。ギルド【IRIS】のギルドマスター、ヴィオラさんから新たな情報が送られました。ディバインさんを通していますので間違いありません」
どうやらゲッカは、ヴィオラがディバインに送った情報を小耳に挟んでいたようだ。彼女は初めから【ダブルブレイン】を敵と見なしている。そのため、自ら進んで調査を行っているらしい。
侍の女性は、エルドを警戒しつつも手に入れた情報を話していく。この情報こそが独断行動をした理由だった。
「【ダブルブレイン】、彼らの目的はVRMMOを通しての精神操作です。それも、現実世界に影響を及ぼすほどの」
「なんだと……?」
「それだけではありません。最近、NPCからのエネルギー搾取が行われていない事に、ディバインさんは疑問を持っていました。調査の結果、どうやら原因は人員不足にあるようです。NPCを消去できるのはダブルブレインだけですから」
ゲッカの瞳に映る桜吹雪が鮮やかに光る。
「そろそろ同族を確保したいところでしょう。貴方、大虐殺でもするつもりですか?」
「感が良いな。まあ、必要とあればそれもするさ」
VRMMO内で活動するダブルブレインは、現実世界の肉体が死亡することによって自立する。エルドも例外ではなく、元となった御剣金治の自殺によって彼が生まれたのだ。
恐らく、ゲッカはこう考えているのだろう。【ダブルブレイン】という組織の目的は、ダブルブレインという種族の繁栄。現実世界の人間を殺し、仮想世界に新たな世界を作ることだと……
「クレイジーだねエルド……そこまで落ちたのかナ」
「初めから俺はどん底だ。英雄でもなんでもない」
今までずっとふざけていたクロカゲの目つきが変わる。
彼はエルドの実力を認め、ずっと自らのライバルとして見てきた。いつかこの存在を超え、名実ともにVRMMO内最強の存在になりたいとも思っていた。
クロカゲにとって、エルドはラスボス。そんな存在が、人類の敵として今目の前に君臨している。例え【ダブルブレイン】の計画によって命を落とそうとも、ゲーム廃人にとっては本望だ。
そう、この戦いには全てを賭ける価値があった。
「ゲッカ、下がレ。街にいるメンバーに待機命令を出してくるんダ」
「乾坤一擲です! これは私の……」
「下がれと言ってル……! 足手まといダ……!」
刀を構えるゲッカをクロカゲは鬼の形相で睨む。瞬間、彼女の表情は一気に凍りついた。
ギルドマスターからの命令は全メンバーの待機。普通に考えれば、この状況で待機というのはあり得ない判断だろう。
しかし、クロカゲは知っていた。エルド相手にいくら通常のプレイヤーを使っても無意味という事。何人で挑もうとも、彼が全てを無双する未来がこの男には見えていた。
ゲッカは解せない顔をしながらも、その場から走り出す。彼女の退避を確認すると、クロカゲは懐に装備したクナイに手を付けた。
天空の広間。周囲に見る青い空と白い雲。
今、この【ディープガルド】……いや、VRMMO内にて最強と呼ばれる二人の戦いが切って落とされた。
「カモン、エルド! スキル【影分身の術】」
「スキル【バッシュ】」
【影分身の術】よって四人に増えたクロカゲは、敵を取り囲むように走り出す。
忍者はジョブの中でも最高速。あっという間に彼を包囲したが、それらは周囲を切り裂く【バッシュ】によって消滅する。
エルドは剣士だが、AGI(素早さ)特化。忍者に劣ってはいるが充分に対抗可能だ。
しかし、クロカゲ本人は【バッシュ】をクナイによってジャストガードしている。高いスピードも相まって、ノーモーションで次のスキルへと移行した。
「スキル【影縫いの術】」
「スキル【ジャンプ】」
エルドの足もとから伸びる影、それは彼を捕縛しようと一気に襲い掛かる。しかし、剣士は影の届かない空中へと【ジャンプ】によって飛び上がった。
この男が最も得意とするスキルが【ジャンプ】。他のプレイヤーが使うものとは、高さもスピードも比べ物にならない。
「お得意の【ジャンプ】カ」
「お前も使ってこい。スキル【エリアル】」
空中へと飛び上がったエルドは体を反転さる。そして、頭を下にした状態で対空スキル【エリアル】を放った。
本来、このスキルは上方を振り払うスキル。しかし、プレイヤーが逆さまの状態で使ったため、攻撃は下方に振り落すメテオ技へと変貌する。これも、一つの裏技だ。
だが、クロカゲの表情は変わらない。真剣な眼差しのまま、自らが最も得意とするスキルを使っていく。
「じゃ、遠慮なク。スキル【忍び足】」
【忍び足】、気配を消すという使用が難しいスキル。クロカゲはこの廃人向けスキルを軽々と使いこなしていた。
空中から放たれた剣が、クロカゲの肩すれすれに落ちる。気配を絶ち、エルドの狙いを逸らしたのだ。
敵は地面に剣を打ち付けたため、完全に隙だらけだろう。普通のプレイヤーならそう判断し、ここで攻めに出るのが上等だ。
だが、クロカゲが取った行動は回避。彼の脳内ではすでに、エルドが次の攻撃を放っていたのだ。
「スキル【キャンセル】。スキル【ダブルスラッシュ】」
「スキル【変わり身の術】」
【エリアル】によって剣が地面に打ち付けられる瞬間、敵は【キャンセル】によって攻撃を中断する。そして、逆さまの状態で落下し、左手を地面に付けつつも彼は次のスキルを使用した。
【ダブルスラッシュ】、一打目の剣は【変わり身の術】よって出現した丸太を切り裂く。しかし、二打目は丸太の背部を捉えていた。
振り払われた剣はクロカゲの左腕を切り裂く。回避行動を取ったものの、かす当たりに抑えることは出来なかった。
「やるネ……」
だが、彼も負けてはいない。【忍び足】の効果は持続し、気配を絶ちつつ忍者はエルドの懐に入る。
そこから放たれていくのはクナイによる通常攻撃の連打。エルドはその刃を見切っていき、初めの内はジャストガードによって弾いていた。
しかし、ジャストガードされようとも、クロカゲに隙が生まれることはない。弾かれてもすぐに次の攻撃を放っていき、なおかつ攻撃タイミングもずらしていく。堪らずエルドは通常のガードを行わざる負えなかった。
「ん……スキル【ジャンプ】」
「ようやく表情が変わったネ……! スキル【口寄せの術】!」
彼の表情が僅かに歪み、それと同時に【ジャンプ】によって空中に退避する。だが、クロカゲはこの退避を読み、ペットキャラクター召喚のスキルを発動させた。
両手を組み印を結ぶと、真っ白い煙がクロカゲを包み込む。すると、そこから巨大なガマガエルが出現し、空中へと落ちるエルドに向かってぱっくりと口を開けた。
「【飲み込む】ダ」
「おいおい、忍べよ! スキル【風魔法】ウィンディジョンオール!」
今まで冷めていたエルドの心がようやく燃え上がる。彼は空中から魔法の詠唱を開始し、最上級の【風魔法】を発動させた。
地上に吹き荒れる強風。それによって大ガマはダメージ受け、全体魔法のためクロカゲ本人の体力も削られていく。
だが、剣士のINT(魔法攻撃力)は決して高くない。この魔法は牽制であり、本命は次に控える直接攻撃だろう。
クロカゲの先読みが冴えわたる。恐らく敵は強風に紛れて重い一撃を狙うはずだ。だからこそ、この段階から彼は両手を合わせて印を結ぶ。
「スキル【水遁の術】!」
「スキル【ヘビーブロウ】」
モーションの長い振り落しスキル【ヘビーブロウ】。クロカゲの読みは見事に的中する。
彼は素早く印を結び終え、前方に激流を放つ。当然、敵は【キャンセル】によってスキルを中断し、回避行動へと動くだろう。
だが、クロカゲはさらなる先を読んでいた。先ほど出現させた大ガマのペットジョブに、新たな技を命令する。
「ヘイ、ボーイ! 【叫ぶ】ダ!」
『ゲローン……!』
大ガマの叫びによって、エルドの行動は僅かに遅れる。瞬間、クロカゲの放った激流が彼を飲み込み、後方へと押し流した。
これは手ごたえありだ。ようやく彼は、敵に真面な一撃を与えることに成功する。相手が普通のプレイヤーなら、これで流れは一気に変わるだろう。
しかし、敵は普通ではない。本来ならば、互いに攻撃を与えてのイーブン。しかし、ダブルブレインには特殊な能力があった。
「悪いなクロカゲ。俺とお前はフェアじゃない」
「アンビリーバボ……これはショックだネ」
ずぶ濡れになりつつも、エルドは再び歩み進める。彼にダメージという概念はなく、水流によって受けた破損は瞬時に再生してしまった。
やっとの思いで与えた一撃が、完全に無へと喫してしまう。それは、クロカゲの心を折るには充分だった。
「お前、まさか1%でも勝てると思ってるんじゃないか?」
エルドは大きくため息をつき、冷酷に言い放つ。
「ゼロだよ。お前は勝てない」
彼の言葉により、クロカゲの狙いは変わる。何としてでも目の前の敵を退けるしかない。とても勝てる未来が見えなかった。
エルドの実力は互角かそれ以上。そんな彼が驚異の再生能力を持ったとなると手が付けられない。
おまけに、敵にはまだ【覚醒】のスキルがある。一人でどうこう出来る相手ではなかった。
クロカゲは【口寄せの術】を解除し、大ガマを退避させる。下手に残せば的にされるだけだ。無駄なPP消費は出来るだけ抑えたかった。
そんな彼にじりじりと近づくエルド。彼のロングソードが銀色の光を放つ。その瞬間だ。
「スキル【行進曲】!」
「ジョノ……! スキル【空蝉の術】!」
クロカゲが敵の撃破を諦めたことにより、後方で様子を伺っていたジョノが戦線に出る。彼は賑やかな音楽を奏でる【行進曲】によって、エルドの命中率を下げた。
すぐにクロカゲは彼のサポートに合わせてスキルを発動させる。【空蝉の術】は自らに分身を重ねて、敵の視界を翻弄する技。強敵相手には効果のないスキルだが、命中率が下がっているのなら別だ。
エルドは警戒しつつ剣技を放っていくが、クロカゲはその全てをかわしてしまう。無駄打ちにならないよう、剣士はスキルの使用を抑えるしかなかった。
「【空蝉の術】は死にスキルかと思ったが。【行進曲】を組み合わせて確実に機能させてきたか。こりゃ、勉強になった」
「まだだ。スキル【協奏曲】!」
手間取るエルドに向かって、ジョノはさらにサポートスキルを奏でる。防御力を下げる【協奏曲】。クロカゲは攻撃をかわしつつ、エルドにクナイによる連撃を加えていった。
完璧なコンビネーション。上位プレイヤー二人による集中攻撃により、少しずつエルドに攻撃を重ねていく。
まだまだ、彼の再生能力は残っているだろう。削りきるのは気が遠くなるような話だ。それに加え、当然エルドは対抗姿勢を見せてくる。今の善戦は戦略がはまっているだけだった。
ただ、勝利の見えない絶望的な戦いは続く。そして、徐々に機嫌のよくなるエルドが、余計にクロカゲの心を曇らせた。