116 この手の温もり
飛空艇の船底に開けられた大穴。リルベはリュイに右手を掴まれ、宙吊りの状態で制止していた。
手を離せば地上へと落下し、再生力が限界の彼は消滅するだろう。だからこそ、少年は必死に彼を引き上げようとする。相手が敵組織だろうと関係なかった。
「絶対に……離さないでください……!」
「リュイ、今行く! スキル【発明】アイテムマジックハンド!」
俺は鉄くずとレザーグローブにスパナを叩きつけ、アイテムを製作する。そしてそれを大穴の向こう側へと伸ばし、動力機器の先端を掴んだ。
ルージュを抱きかかえ、一気にマジックハンドを収縮させる。このまま飛び越えれば充分に間に合うはずだ。リルベを救うことが出来る。
そう思った時だった。
「ひゃはは……ひゃあーはっはっはっ!」
「リルベさん……?」
ゲスな笑い声をあげる少年。俺の背筋に悪寒が走った。
彼は左手に矢を握り、それを勢いよく振りかざす。そして、自らの右手を掴むリュイの両手にそれを突き立てた。
「みんな! みんな絶望しろォ! 死ね死ね死ね! 死いいいねェェェ!」
「やめてください……そんな事をしたら……!」
リルベは狂ったように何度も矢を振り落す。手を攻撃したところでかす当たりだ。この攻撃によって、リュイがゲームオーバーになる事はない。
逆に彼が痛みで手を放せば、リルべは真っ逆さま。絶望するのは自分自身だと本人も分かっているはずだ。
しかし、それでも少年は攻撃を続ける。まるで、潔く死を選ぶかのように……
「リルベ……! おまえ……」
俺とルージュはマジックハンドに引き寄せられ、巨大な穴を飛び越える。
勢い余り、動力機器に突っ込んでしまうが気にしてる場合ではない。すぐに立ち上がり、リュイの元へと走る。
しかし、それはもう遅かった。彼の両手から、少しずつ力が失われていく。
「あぁ……」
「良いねえその顔……」
リルベは少年の目を見つめ、複雑な笑みを浮かべた。
「最高だよ……」
やがて、彼の手は離れ、その体は【オレンジナ大陸】の大地へと吸い込まれていく。これが、俺たちを脅かし続けた宿敵の最後だった。
先ほどまで繋がっていた両手をリュイは動揺した様子で見つめる。まだ温もりが残っているのか、彼はその手をぐっと握りしめた。
やがて少年は解毒剤を取り出し、それを一気に飲み干す。そして、苦しそうに咳をし、その場に深くうつむいた。
「悪を貫くその強い意志……誰かのために役立てることは出来なかったのでしょうか……」
例え悪人でも、例えゲスな奴でも、例え人間じゃなくても、この手の温もりは本物だった。恐らく、リュイはそう感じているのだろう。
敵にも敵のプライドがあった。それを脅かすことなど、俺達に出来るはずがない。
「行くぞ、ここは危険だ」
「はい……」
俺は年上として、冷静な言葉を投げた。本当は全く落ち着いてはいない。だが、リュイよりマシだろう。
炎は雨によって鎮火に向かっているが、周囲の破損が激しい。一刻も早く安全な場所に移動すべきだ。
ルージュが彼の手を引く。その手の温もりは、あいつと変わらないものだった。
【ディープガルド】時刻の6時。俺たちは甲板へと戻り、薬によってリュイの体力を回復させる。すでにモンスターは撃退されており、戦闘も終わっている様子だ。
しかし、今だに雨風は強い。何度も雷が鳴っており、落ち着くには時間がかかるだろう。
俺はクロカゲさんに会うため、船内に戻ろうとする。すると、一人の少女がそんな俺を呼び止める。
「レンジさんたち、遅いですよ! 何かあったんですか?」
「アイ、ディバインさん、無事だったんですね」
モンスターをすべて倒し、アイとディバインさんも一段落していた。両方とも当然のように無事だ。
二人はこちらで起きた事件を知らない。すでに解決しているが、一応すべてを話していく。
「船内にリルべが潜伏していた。動力炉を狙われたが、何とかリュイが倒したよ」
「リュイさんが……凄いです! 流石です!」
アイは興奮した様子で、リュイにボディタッチを繰り返す。そんな彼女の様子に少年は「やれやれ」といった様子だ。
ディバインさんは彼と真正面から向き合い、敬意の言葉を贈る。
「見事、大した少年だ」
「これぐらい当然ですよ……と言いたいところですが、運が良かったのもありますね」
確かに、敵が心を乱したのと土壇場の雷はラッキーだ。特に雷の方は奇跡と言ってもいいだろう。
まあ、日頃の行いが良かったという事だ。もしや、ゲーム演出の一つかも知れないが、今となっては分かりようがなかった。
状況も落ち着き、ルージュが戻ったテンションで話を締める。
「とにかく……これで敵は撃破だな……!」
「いえ、敵ならもう一人います」
突如、どこからともなく一人の侍が姿を現す。ギルド【漆黑】の幹部、ゲッカさんだった。
彼女は一切の油断をしていない様子で、刀を構えている。すぐにでも戦闘を行える状況だった。
ディバインさんは眉をしかめ、彼女にその言葉の意味を問う。確かに、二人目の敵についての詳細が分からない。
「どういう意味だ。そのもう一人はどこにいる」
「一目瞭然、いるではありませんか今目の前に」
そう言いかけると、ゲッカさんは突如武器を振りかざす。そして、俺の隣に立っているアイに向かってそれを振り落した。
「わわわっ! な……何をするんですか!」
「私は騙されたりはしません! 悪事千里、貴方が敵のスパイなのは把握済みです!」
当然、彼女はその攻撃を避ける。全く状況を理解していない様子だ。
すぐにディバインさんが二人の間に割って入る。鉄壁の鎧と盾が、ゲッカさんの攻撃を一切許さなかった。
いきなり彼女は何をしているのか。アイが敵のスパイなんて、あまりにも滅茶苦茶な話しだろう。
しかし、この行動に及んだのには列記とした理由があった。
「ハッキング班が貴方を調査しようとしたところ、何らかのシステムによって阻害されました。それに加え、頂点のプレイヤーにすらも対抗しえるプレイヤースキル……前代未聞ですね」
「わ……私のお父さんがコンピュター関係の仕事をしているんです! だから、セキュリティがすっごく厳しいんですよ!」
「取って付けたような嘘を……そうやって、今までこのギルドを欺き続けていたのでしょう。玉石混交です」
ディバインさんを板挟みにし、二人の女性プレイヤーが言い争う。確かに、ゲッカさんが怪しむのも分かるが、それによって敵と確定するには無茶があった。
当然、同じ【漆黑】のメンバーが黙っているはずがない。幹部のジョノさんがこちらへと走りこみ、ゲッカさんを取り押さえた。
「おいゲッカ! 確証もないのに勝手なことをするな!」
「確証ならあります」
「何だ」
「私の感です」
「ふざけんな!」
やっぱり無茶苦茶言ってるじゃないか……本当に彼女は狂犬だな。
俺に怪しまれることに恐怖を感じたのだろうか。アイは涙目になりながら俺に訴えかけた。
「れ……レンジさん! 私を信じてください……」
「分かった分かった。ほら、落ち着け」
こいつが怪しいのは今に始まったことではない。今更、敵組織の一員だと疑う必要はなかった。
アイはずっと俺たちと共に【ダブルブレイン】と戦っているんだ。当然、ゲームオーバーの危機にだって何度も陥っている。ヌンデルさんだって、こいつの事を知らない様子だった。
疑うなら第三勢力だが、それが敵とは限らない。
「ゲッカさん、アイはずっと俺たちと行動してきたんです。こいつが敵のスパイだったら、とっくにギルド【IRIS】は全滅していますよ」
「そうです! 全滅しています!」
アイが敵なら、俺たちを全滅させるチャンスは何度もあった。普通に考えても、敵であるという考えには無茶があるだろう。
リュイも俺と共にゲッカさんを説得する。真面目なこいつが言うと理屈に説得力があった。
「敵はダブルブレインなんですよ。普通にダメージを受ける人間のアイさんが、敵組織に加わるはずがありません」
「りゅ……リュイさんが言うのなら……」
彼女は少年から目を逸らすと、意外にも素直に従う。
少し頬を染めているように見えるが違うよな? もし恋心なら、年齢差から見て犯罪くさいぞ……まあ、ゲッカさんがショタコンであろうと、どうでもいい事だが。
「お取込み中の所悪いんだけどさ。そろそろ着陸態勢に入るんだけド」
「クロカゲさん……! いつの間に……」
俺たちが話していると、突然ギルドマスターのクロカゲさんが現れる。いきなり着陸態勢とは……この人も滅茶苦茶言ってるな。
彼は飄々とした態度で、そこに至る経緯を説明していく。やはり、リルベとの戦闘が響いているようだ。
「動力室に炎が広がっちゃって、結構損傷が大きいんだよネ。やっぱり、いったん不時着しないト」
「そうなれば、向かう先は天空の街バレンシアか」
ジョノさんはそう言って視線を飛空艇の進路へと向ける。雨によって見づらいが、その先にあったのは巨大な塔だった。
「あれが、クレープスの塔か……」
「お……大きい……」
俺とルージュは、雨雲を貫く巨大な塔を見つめる。【オレンジナ大陸】のダンジョン、クレープスの塔。雷の光に照らされ、重々しい雰囲気を漂わせていた。
あんなところに街があるのか。どう見ても後半のダンジョンと言った感じで、入る余地などないように感じる。
何より、塔の内部に街があっても飛空艇で入れるはずがない。着陸するのは不可能だろう。
「どうやってバレンシアに入るんですか?」
「どうやってとは……もしかして、中に街があると思っているのか? 街があるのは外部だ」
ジョノさんに聞くとそう答えてくれた。飛空艇は速度を落とし、徐々に塔へと近づいていく。そこに来てようやく俺は街の存在を視認した。
塔の中層、バルコニーのようになっている場所にその街はあった。まるでギリシャの神殿のような街並みだが、どこか近代的にも感じる。まあ、雨と夕暮れではっきりとは見えないが。
「バレンシアは有翼種の住む街だ。奴らはエルフ以上に気難しい。穏便にな」
「ゆーよくしゅ?」
「翼の生えた人間でな。天使のような種族だ」
「天使! 天使に会えるんですか!」
「ああ……本当に頼むから穏便にな……」
苦労人のジョノさんは、完全にアイのペースに飲まれている。こいつと対等に話せるのは、俺とディバインさん以外にいるか怪しい所だ。
しかし、翼の生えた種族とは……妖精、エルフ、人魚、ドワーフ、そして有翼種。この世界には沢山の種族が存在しているが、彼らは他の種族と孤立して生きている。
もし、彼らNPCを繋げることが出来るなら。【ダブルブレイン】から身を守る術になるかも知れない。これ以上、命が失われる事を防げるはずだ。
「みんな聞いてください。さっきは爆発のせいで話せませんでしたが、一つ考えがあるんですよ」
「どうしたレンジ」
ディバインさんには絶対に話したい。クロカゲさんの耳にも入れておきたい。俺のくだらない理想論を……
「NPCにこの世界を脅かす存在について話せないでしょうか。この【ディープガルド】を一つにするんです」
「なんだと……」
珍しく驚くディバインさんに、面白いものを見るような顔をするクロカゲさん。ジョノさんやゲッカさんも俺の発言は予想外だったという様子だ。
これは本当にきれいごとだろう。実現することは限りなく不可能に近いかもしれない。
しかし、俺はNPCを人間だと思いたかった。だからこそ、話し合って協力し合うことが出来ると信じたい。
初めはエルドやその母親の意思を継ぐため、敵の謎を解明していた。しかし、今はそれだけではない。
この世界を……【ディープガルド】を守りたくなったんだ。