110 力の限り
今日は金曜日。昨日、飛空艇黑翼でログアウトした俺は、同じ場所でログインされる。クロカゲさんと話した後はずっと【機械制作】に没頭していた。上位の機械技師からもアドバイスを受け、かなり成長したと思う。
この場所なら敵に襲われる心配はない。周りは上位プレイヤーばかりに加え、既にこの船は大空に飛び上がっている。【ディープガルド】で最も安全な場所と言っていいだろう。
心配なのはヴィオラさんたちの方だ。俺はコンタクトの魔石を使って彼女と連絡を取る。どうやら、あちらも心配しているらしい。
『レンジ、そっちは大丈夫?』
「相変わらず、ルージュの元気がありません。それに影響されたのか、リュイの様子もおかしいですね……」
『まあ、私が居てもどうにも出来ないし。何とか元気づけといて』
飛空艇の甲板でそんなやりとりをする。頭上の空は曇っており、いつ雨が降り出してもおかしくない。どうにも嫌な予感がして仕方がなかった。
俺は周りから危機回避能力が高いと言われているし、自分でもその自覚がある。今、王都ビリジアンは戦場になろうとしているんだ。これは念には念を入れた方が良さそうだな。
「すいません、一つお願いがあります。ギルド本部のビスカさんとリンゴを避難させてほしいんです。何だか嫌な予感がするんですよ……」
『貴方の嫌な予感は当たるのよね……分かったわ、丁度【ROCO】のミミちゃんに会いに行くし、行商の街エンダイブで待機させるわ』
ミミさんに会いに行くという事は、当然同じギルドのアルゴさんについても触れるだろう。彼は俺に協力したばかりに、イデンマさんの手によってゲームを追放された。仲間との大切な記憶を失って……
本来なら俺が責任を持つべき事だ。ヴィオラさんが謝罪に行く義理はなかった。
「アルゴさんのことを話すんですね……すいません、僕が話すべき事なのに……」
『こら、レンジ! 【ダブルブレイン】の事はみんなの問題。貴方が責任を取る必要なんてないの』
「そうでした……すいません」
しまった……またやってしまったな。こうやって自分を特別だと思うのは悪い部分だ。熱くなると頭が真っ白になる性格共々直さないといけない。
俺が居なくても、最近のヴィオラさんはしっかりしている。今行うべき最善の策を彼女は導き出していた。
『アルゴのお店のみんなには【ROCO】のギルド本部に戻ってもらいましょ。アルゴが調べていた情報について知ってるかもしれないし、何より避難になるわ』
「お願いします」
魔石の効果が切れ、ヴィオラさんとの通信が終了する。問題は山積みだ。俺は大きくため息をついて、甲板の上から空を見上げた。
空を切る風が気持ちいい。飛空艇なんてものは現実にはないので、こんな感覚は初めてだ。今はこうやって辛い現実から逃避するしか……
「レーンジさん!」
「アイか……」
「もう! レンジさんまでブルーになってどうするんですか!」
突如後ろから、何者かが両目を覆い隠す。二度目なのですぐにアイだと判断できた。そんな彼女の手を振り払い、俺は再びため息をつく。生憎、彼女の優しさに答えるほどの元気がなかった。
しかし、常にテンションの高いアイが止まるはずがない。少女は俺の手を引き、飛空艇の端まで移動する。そして、手摺から身を乗り出し、下界の【イエロラ大陸】を指さした。
「見てくださいレンジさん。凄い景色ですね! 私たち、飛空艇に乗って飛んでるんですよ!」
「そう言えばそうだったな……何だか色々あって気にしてなかったよ」
そこまで高度は高くないのか、砂漠の風景がしっかりと見える。確かに、アイの言うように絶景だ。
彼女は俺の手を握り、まっすぐとした眼差しで見つめる。
「私はずっとレンジさんの味方です。レンジさんの事を信じていますから」
「……俺も、お前の事を信じてるよ」
「本当ですか! やっと私に心を開いてくれたんですね!」
「俺を何だと思ってるんだ……」
どうやら、アイは俺から疑われているよう思っていたらしい。
確かに、初ログインから数日は彼女を怪しいと思っていた。しかし、出会ってからそろそろ一ヶ月が経とうとしているんだ。流石に仲間として信用するだろう。
少女は満面の笑みを浮かべ、可愛らしく首を倒す。
「大丈夫ですよレンジさん。私のことをずっと信じていてくださいね……」
彼女が大丈夫と言えば、根拠はないが大丈夫な気がしてくる。この暗雲を晴らす笑顔が眩しかった。
セラドン平原の戦い。その形勢は僅か一日にして逆転する。すでにこの戦争は【ゴールドラッシュ】同士の衝突へと変化していた。
副ギルドマスター、ランスの裏切りに即発され、王都ビリジアン後方部隊も次々に寝返っていく。それを促すのは【覚醒】のスキルを持つプレイヤーだ。
今まで動きの無かった【覚醒】持ちは一斉に反ディバインを掲げ、ランスの指揮下へと入る。【ゴールドラッシュ】は最大の規模を誇る巨大ギルド。しかし、それは数に物言わせた組織という事であり、一枚岩ではない。切っ掛けさえあれば、一気に崩れていくのだ。
「ここまでです。ディバインさん……」
王都目前のセラドン平原にて、ついにディバインは敵兵によって追いつめられる。周囲に見える【ゴールドラッシュ】メンバーは全て【覚醒】持ち。そして、その半数は完全な操り人形だった。
それでも、ディバインはこの大地に立っている。彼は部隊の盾役として、突破されることなく君臨し続けていた。しかし、多勢に無勢。全ての攻撃をその身に受ける事など出来ない。最後の一人として残るのは、もはや必然だった。
男はかつての同志を睨む。怒りではなく、失望が大きかった。
「ランス、敵に操られるとは情けないな」
「操られるのならマシですよ。俺は自分の意思で貴方に反旗を掲げました。【覚醒】のスキルも自ら受け入れたつもりです」
「いや、そうと聞いて安心した。言われてみれば、お前の瞳は一切くすんでいない。以前として強い意志を感じる」
槍を構えるランスの瞳には盾の紋章が刻まれている。【覚醒】を使用しながらも、彼は正気だった。
「新たな【覚醒】か……ただ暴走するわけではなく、操り人形というわけでもない。それも相まって、通常のプレイヤーすらも優れた指導力で巻き込んでいく」
「せいかーい! 流石の読みだね!」
完全包囲する【ゴールドラッシュ】兵を払い除け、獣の被りものをした少年が姿を現す。【ダブルブレイン】のリルベ。恐らくディバインをあざ笑いに来たのだろう。
彼は意気揚揚にお喋りを始める。戦闘をしようという動きは全く見受けられなかった。
「まーだやってたんだランス兄ちゃん。こっちはもう終わっちゃったよ。ランス兄ちゃんの言ったとおり、追いつめられたらギルドマスター自ら戦線に出ちゃってさー。おかげでギルド本部はすんなり落とすことが出来たよ!」
「何だと……」
普段、何事にも動じないディバインだが、その言葉によって表情が変わる。冷静さを装っているが、明らかに彼は動揺していた。
リルベはそんな彼の対応に満足げだ。更なる絶望に付き落とすため、自らが行ってきた所業について話していく。
「鈍いなー。最初から内と外から攻め込むつもりだったのさ。ランス兄ちゃんがディバインを引き付けている間に、おいらがギルド本部を落とす。完璧な作戦でしょ?」
「本部に残っているのは精鋭ばかりだぞ……」
「その精鋭の中にも【覚醒】持ちはいるんだよねー。そいつを操って仲間同士で潰しあい。あとは鼠算でどんどん【覚醒】持ちが増えて、最終的に全滅ってわけさ。まあ、一部は逃げちゃったみたいだけど」
彼は事前にランスと繋がりを持っていた。その為、自由にギルド本部へと侵入できたのだ。
【覚醒】持ちを操り、同士討ちによってゲームオーバーを増やしていく。自らの手を汚さず確実に目的を達成できる手段だった。
しかし、ディバインは納得できていない。【ゴールドラッシュ】メンバーの大半を【覚醒】持ちにしても、NPCエネルギーがなければ操ることは出来ない。だからこそ、彼は油断していたのだ。
「それほどの大人数をどうやって操った……NPCのエネルギーには限界があるはずだ」
「うん、良い質問だね。その答えは王都を見れば分かるよ」
彼は警戒しつつも王都へと視線を向ける。すると、その視界に異様な光景が映った。
ビリジアン王宮の城下町。その一角に不自然な光が上っている。これは明らかに自然の物ではなかった。
やがて、光は街々を飲み込んでいき、ありとあらゆるものを掻き消していく。状況はディバインが予想していたものよりも遥かに深刻。彼は戦闘に集中していたため、この事態に気付かなかったのだ。
「巨大な【聖魔法】……マシロか」
「正解。おいらたちが人間以外のNPCを狙ったのは、他から隔離されてるからなんだよね。人間は人間同士で繋がりがあるから、街一つ潰すとNPC全員が警戒しちゃう危険があったのさ。でも、【ゴールドラッシュ】と【7net】が戦ってくれたおかげで、NPCは戦争が始まったと思ってる。それに紛れて虐殺すれば、自然にエネルギーを搾取できるってわけさ!」
邪魔な【ゴールドラッシュ】を排除し、【覚醒】持ちを増やして兵力を確保し、街を襲ってNPCのエネルギーを搾取する。まさに一石三鳥。この恐ろしい計画は、遥か前から想定されていた。
遡れば農村の村エルブでの事件から。バルディを【覚醒】によって操作し、【ゴールドラッシュ】と【7net】の隔たりを大きくする。あとは煽るだけで事は運ぶという算段だ。
「ちなみにこれ、イデンマ姉ちゃんの計画ね。こっちも同士をやられちゃって、結構ムカついてるんだよねー! 安心しなよ! しっかり操って利用してやるからさ!」
リルベの言葉によって、ディバインの心は折れてしまったのだろうか。彼は放心しつつ、頭にかぶった兜を外す。そして、それを【グリン大陸】の地面へと投げ捨てた。
兜はクリティカルポイントをガードする重要な装備だ。特に盾役である戦士には必須と言っていいだろう。当然、敵を前にしてそれを外すのは異常な行為だった。
ランスは動揺しつつも、臨戦態勢を取る。それと同時に【覚醒】によって操られた【ゴールドラッシュ】兵たちも武器を構えた。
「ディバインさん……敵前で装備を外すとは、どういうつもりですか?」
「守る物がもうないというのなら、このような重い兜は必要ない。巨大な盾もだ」
重い鋼鉄の防具が次々とディバインから外されていく。それはまるで、身に纏った殻を破るかのようだった。
王者の兜、防御力を上昇させ素早さを下げる。神託の盾、防御力を上昇させ素早さを下げる。オリハルコンメイル、防御力を上昇させ素早さを下げる。全て最高の能力を持ち、誰もが欲しがるほどの一級品だ。
やがて、剣以外の全ての装備が外され、防具のない白い布一枚となる。一撃でも攻撃を受ければ、致命傷は避けられないだろう。それでも、ディバインはセラドン平原の大地に堂々と君臨していた。
「皮肉なものだな。守るべきものを失った今、実に清々しい。まるで束縛から解放された気分だ……」
彼の腰から銀色の剣が抜かれる。その瞬間、草原に凄まじいほどの衝撃が走った。
「ランス、力の限り戦おうぞ!」
ランスもリルベも、他の【覚醒】持ちも、その額に冷や汗を流す。今目の前にいる男が、死を待つだけの愚者にはとても見えなかったからだ。
王都自警ギルド【ゴールドラッシュ】ギルドマスター、ディバイン。
その本質は常軌を逸した戦闘狂だった。