104 Dr.ブレイン
月曜日、現実時刻の夜10時。セラドン平原の戦いが今開戦される。
これより、数日に渡る持久戦が続くだろう。互いのプレイヤーは学生や会社員が殆ど、フルメンバーで動けるのは夕方からに絞られていた。
ギルドマスターのディバインは、この戦いに全霊を注ぐため、滅多に取らない有料休暇を取る。真面目で優秀な男だが、やはりその本質はゲーム廃人だった。
セラドン平原にて、両軍最初の衝突が起きる。戦いの火蓋を落としたのは【7net】の先鋒部隊。部隊と言っても、彼らに指揮官はいない。ただ、各プレイヤーが好きに攻め込んでいるだけだった。
「ディバイン、ランスが交戦に入りましたわ」
「まずは小手調べか……予想に反して統率が取れていないな」
ビリジアン王宮にて、ディバインはツインテールで尻尾をつけた女性と話す。彼女はTail、【ゴールドラッシュ】の弓術士で参謀の位置についていた。
テイルはディバインの言葉に眉をしかめる。言葉の意味がよく分からないらしい。
「敵に指揮官はいません。統率が取れるはずがありませんわ」
「いや、【覚醒】によって操作すれば、一枚岩となり得る。それを行わない事に警戒を強めるべきだ」
ディバインは【7net】が【ダブルブレイン】によって支配されていると読む。彼らは遊び人ギルド故に、数多くのプレイヤーがゲームオーバーとなっているからだ。
敵は祭りを楽しむ烏合の衆ではない。【ダブルブレイン】がタクトを振れば、優秀な戦闘マシーンへと変わるはずだ。
「ですが、現状は操作の兆候が見られません。やはり、思い違いでは?」
「だと、良いのだがな……」
テイルを含め、ディバイン以外の【ゴールドラッシュ】メンバーは、【ダブルブレイン】という存在に対して半信半疑だった。実際に敵と対峙したわけではないので、信じろという方に無理がある。それほど、彼らの存在は非現実的だったのだ。
故に、ディバインは自らの仮説を強要しようとはしなかった。代わりに、極めて現実的な見解で敵の動きを読んでいく。
「王宮の防衛についているメンバーを王都の後方へ配置しろ。エルブ方面から攻め入る敵は囮、本命は【イエロラ大陸】サンビーム砂漠に潜む奇襲部隊だろう」
「なっ……砂漠から攻め入るなんて不可能ですわ! それに、戦力を分けてしまったら、ワープの魔石を使用して直接王都に侵入したプレイヤーが……」
「ワープでの移動場所は指定されている。少人数でも充分に対処出来るはずだ」
王都ビリジアンの後方は【イエロラ大陸】へと繋がっている。多少無理があるが、そこから攻め入ることは可能だ。
敵は挟み撃ちを狙っている。彼らは前方から一気に攻め込もうとはしなかった。
「敵をゲームオーバーにしても、ペナルティを受けてすぐに復帰できる。人数で勝っていても、相手はゾンビのように復活する部隊と見ていい」
「ですが、それはこちらも同じですわ。戦いが沈静化するまで潰し合うしかないと?」
「同じではない。こちらはゲームオーバーになった時点でお終いだ。私はバーサク対策による【覚醒】の無効を信じてはいないからな」
ディバインは眉間にシワを寄せ、敵の狙いを予測する。
「敵が挟み撃ちを狙う理由は、戦争の範囲を広げるためだ。こじんまりした守りの戦いでは、ゲームオーバーが増えない。とにかく、流血こそが敵の真の目的だろう」
「そんな……それではこちらが消耗するだけですわ!」
テイルが慌てるのも無理はない。戦いというものは敵が減れば沈静化するもの。しかし、ゲームオーバーにしても復活されてしまうなら終わりがなかった。いつか、こちらも【覚醒】持ちにされるだけだろう。
しかし、ディバインには策がある。この戦いで勝利を収める方法が一つだけあった。
「狙うのは八方塞がりだ。敵をゲームオーバーにするより、守りと回復によって打つ手を無くす。相手が【覚醒】持ちであろうと、操作を受ける人数には限界があるはず。それ以外のプレイヤーが戦意喪失するのは時間の問題だ」
「つまり、飽きを狙うわけですね。了解ですわ」
【覚醒】によって操作できるプレイヤーには限界がある。ディバインはその事を掴んでいた。
多数のプレイヤーを操作するにはそれ相応のエネルギーが必要だ。即ち、NPCの魂エネルギー。現在、大規模なNPCの虐殺が行われたのは三ヶ所。森人の村スプラウトと人魚の街セレスティアルはレンジたちによって止められている。それが大きかった。
持久戦なら優秀な戦士が揃っている【ゴールドラッシュ】が有利。以前として、こちらが優勢なのは変わらなかった。
しかし、ディバインの表情は冴えない。【ダブルブレイン】が一切の行動を起こさない事が、唯一の気がかりだった。
火曜日、現実世界は平日の真っただ中だ。
日本の都心、その中心地ではビジネスマンが忙しそうに営業活動を行っている。ここは大企業の本社ビルが立ち並ぶビジネス街。巨大IT企業が競ってビルを構え、あらゆる業務に及んでいた。
そんな数多くあるビルの一室。ガラス窓で囲まれた開放感のある空間に、数人のプログラマーが集まっていた。
この集りの中心人物であろう男は、オーバーな身振り手振りで会議を進める。常に笑顔を絶やすことなく、彼は爽やかにこの場を仕切っていた。どうやら、これでもかなりの重役のようだ。
「今日は【ディープガルド】をより面白くするために、ボクたち開発部でいろいろ話し合いましょう! さあさあ、遠慮せずにどんどん!」
茶髪に青い目を持った外国人。真っ黒いスーツに身を包み、非常に清潔感のある男性だ。重役でありながら、まだまだ若いようにも見える。いわゆるエリートという存在なのかもしれない。
彼が意見を求めると、開発部の日本人がゲームの改善点を述べていく。どれも、ゲームバランスに関係するものばかりだった。
「チーフ、ネット上で批判されている事柄ですが。やはり、附術師の性能が低く、死にジョブと言われているようです」
「えー、附術師、面白いんだけどなー。じゃあ、こうしましょう。新しいスキルを追加して、その宣伝を積極的に行いましょう! ジョブは平等の方が面白いですから!」
「チーフ、これもネット上で言われていますが。【グリン大陸】エボニーの森の難易度が少々低すぎるのではないのかと」
「なるほど、攻略中の方には悪いですけど、難易度の再調整をした方が良いですね」
彼は顎に手を当て、熱心に頷く。どうやら、寛大であらゆる意見を取り入れる性格らしい。
しかし、ゲームのシステムを変更するにはそれなりのリスクも伴う。場合によっては、ユーザーからの反感を買ってしまうのだ。
「しかし、急な難易度調整は批判を生みます。気づかれないように、少しづつ変更すべきでは」
「ダメですよー。プレイヤーの信頼を裏切るような事をしちゃあ。公表しましょう! 大丈夫です。責任はボクがしっかり取りますから!」
彼はこのゲーム開発チーフ。あらゆる責任は全てその身へと降りかかる。
だからと言って、怯んではいられない。素晴らしいゲームを作るために、この男は常に前進のみを考えていた。
恐怖などあるはずがない。どんな災厄が訪れようとも、乗り越える自信があった。それほど、彼は優秀な開発者だったのだ。
しかし、ここに来て一つの難題が降りかかる。それは、あるプログラマーの口から出た意見だった。
「ゲームバランスはもう良いでしょう。最近、NPCの村が何個も消失している事件。瞬時な対応で再構築していますが、原因不明なのは如何なものかと……」
「あ、それですか。原因は分かっていますよ。ゲームの中に残った記憶プログラムが好き勝手やってるみたいですね」
そんな難題をこのチーフは軽く流してしまう。当然、意見を述べたプログラマーは突っかかる。
「なら、早急な対策を!」
「え? だって、これゲームでしょう? 開発者が出張っちゃったら無粋ですよ」
彼の意見に対し、開発陣はキョトンとしてしまう。この言葉の意味を瞬時に理解したからだ。
開発者が出張ったら無粋。つまり、ゲームユーザーの力で解決できる難題という事だった。
「今、ユーザー同士の衝突が発生していますが。手を出しちゃダメですよー。これは、人為的に作り出した世界が、どのように動くのかという実験なんですから」
「なるほど、また開発レポートが捗りますね」
VRMMOでの世界構築はまだまだ研究段階。ゲーム開発という謳い文句であらゆる実験を行い、更なる発展を計画していた。
その中にはデータ上に命を作り出すという実験も含まれている。この男にとってはそれこそが本題。まるで自らが神になったかのように、命を作っては消してを繰り返していた。
スーツの男はとある開発室へと訪れる。そこには巨大なメインコンピュターが置かれ、モニターには1と0の情報数列が表示されていた。
やがて、情報数列は中央へと集まり、一人の女性へと姿を変える。彼女こそが、【ディープガルド】を司るゲーム上の神と言える存在。プレイヤーなら、最初に必ず出会うであろう存在だった。
目を閉じていた女性は、ゆっくりとその瞳を開く。そして、モニターの中から自らのマスターを凝視した。
『おはようございますマスター。先ほどの会議、聞いていました。NPCの生成、消去についての議題も……』
「奴隷の迫害が当然という時代はありました。人類の歴史は差別と共にあるのです。まだNPCが人と認められていない現状は、それに沿って行動するのが当然でしょう?」
女性に複雑な顔をされようとも、男はまったく悪びれない。今の法律では、彼の非道な行動を止める術は無かった。
いや、彼だけではない。現状、コンピューター知能の使い捨ては自然に行われている事だった。
「ボクたち開発者が非人道的と罵られるとき。その時が科学の勝利です。人の作った魂が人として認められるとき……ああ、そんな日が来るといいなあ……」
感情を持つモニター内の女性、その存在を男は見惚れるように眺めていた。当然、美貌に引き寄せられたわけではない。人類の未来を左右するほどの最高傑作に歓喜していたのだ。
人の魂を作る。科学者にとってこれ以上の喜びはなかった。彼はただ、完全な人間を求め続ける。いつか、人間が神を超えると信じて……
『貴方は異常です。Dr.ブレイン……』
「ええ、異常ですよ。新しい世界の扉を開くのは、常に異常者ですから」
【ディープガルド】の開発者、Dr.ブレイン。彼にあるのは純粋な好奇心、探究心、そして世界の進歩。それ以外の事は全く眼中になかった。
これほど恐ろしい人間はいないだろう。チートプレイヤーより、デスゲームをもたらすウィルスより、何より最強の人間がそこにいた。




