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悪霊令嬢ルチアの華麗なる転生生活。ゲーム攻略? 知りませんわ!

作者: ふゆき
掲載日:2026/09/29

ACT1


 視界の端にピコン! と現れた『ルナティックルートが確定しました』のアイコンを見て、わたくしはふと前世を思い出した。


(あらいやだ。わたくし、狂ったように周回した乙女ゲーム、『聖女と漆黒の誓い』の悪役令嬢になっているではありませんの)


 『ノーマルルート』以外では、ヒロインに嫌がらせを重ねたとして処刑される悪役令嬢、ルチア・フォン・グランツ。  それがいまのわたくし。


 と、いうことは、あら?

 わたくし、転生しましたの?

 『聖女と漆黒の誓い』にのめり込み、睡眠時間を削りまくって過労死した後も(・・・・・・・)、せっせとゲームに勤しんでおりましたのに……。

 おかしいですわ。

 「ノーマルエンドのスチルを見たい」というわたくしの執着は、まだ残っておりましてよ?


 あのゲーム。難易度がバグっていて、一番簡単なはずの『ノーマルルート』に突入するのが至難の技という謎仕様。

 わたくし、まだ一度もノーマルエンドのスチルを見たことがないのですわ。


 そのわたくしが、志半ばで転生?


 あり得ませんわ。

 ノーマルエンドのスチルを拝むまでは死ねない(・・・・)。


 その執着のみにしがみつき、死後(・・)も『聖女と漆黒の誓い』にハマってる同志を見つけてはお身体をお借りして、確か七人……八人だったかしら。

 ひぃ、ふぅ、みぃ……あら。改めて数えてみたら、十人超えてましたわね。

 えぇ……と、三十人弱ほど廃人にしたり過労死させたりしてしまいましたけれど、それでもまだノーマルエンドにたどり着けていませんのよ。

 なんなのかしら、あのゲーム。


 神絵師様の神スチルが目的で購入致しましたのに、ノーマルルートをはじめる(・・・・)のが、ルナティックルートを攻略するより難しいだなんて、詐欺ではなくて?




ACT2


「鏡が見たいわ」


 ベッドの上に上体を起こし、朝の支度に訪れた侍女たちにそう命じる。

 眠るためだけなのに広くて無駄に豪華なこの寝室に、鏡なんてものは存在しない。

 他の部屋から運んでくるより、わたくしが起きて移動した方がよほど早いのだけれど。


 わたくし付きの侍女たちは皆、表情を変えることなく了承すると、それぞれが素早く動き出した。


 わたくしの顔を洗うお湯を運んでくる者。

 タイミングを見計らい、顔を拭くための柔らかな布をスッと差し出す者。

 目覚めの紅茶を淹れる者。

 わたくしの要望を叶えるべく、寝室の外へと向かう者。


 ――それを、なんの違和感もなく受け入れるわたくし。



 前世を思い出しても、わたくしはわたくし。

 十六年間生きてきた人格は、ほんの少し揺らいだだけで健在だったみたい。


 いまのわたくしに前世のわたくしが溶け込んでゆくのを不思議な気持ちで感じながら、淹れたての紅茶を一口いただく。


(うん。さすが我が公爵家の侍女。寝起きの胃への負担を考えて薄めに淹れられたアールグレイの温度も香りも完璧ね)


 ベルガモットの爽やかな香りをまとった紅茶が喉を滑り落ち、じんわりと胃の腑を温める感覚を、目を閉じてゆっくりと楽しむ。


 混乱しそうになっていた頭を、紅茶の香りが癒してくれるようで。

 わたくしはことさらゆっくりと、淹れたての紅茶を味わう。


 今日の予定は特に急ぐものもないし、ゆっくり出来るときにゆっくりするのもわたくしのような立場の者には大事なことよ。

 適度な休息があるから、仕事もはかどるんだもの。


 その辺りのことは心得ている侍女たちも、朝の支度を急ぐことなくわたくしに合わせて動いてくれる。

 いつもなら、起きたらすぐ暖かなお湯で顔を洗ってドレッシングルームへ移動して身支度を整えるのだけど、今日は別。


 視界の隅に現れたアイコンのこともあるし、不意に思い出した前世のこともある。

 何故、わたくしにゲームのアイコンが見えるのか。

 何故、前世のわたくしは執着をあきらめて転生なんてしたのか。

 考えなければいけないことがありすぎて、一度落ち着いて頭の中を整理しないと、わたくしがわたくしであるかもわからなくなってしまいそうなんだもの。



ACT3


 たっぷりと時間をかけて紅茶を飲み干し、わたくしがベッドに腰かけてのんびりしている間に寝室へと運び込まれた姿見へと目を向ける。


 前世だったら触れるのも躊躇われるような繊細な装飾を施された姿見の中に映るのは、ひとりの少女。

 それも、美しさの中にもどこか刃物のような鋭さと人を寄せ付けない威厳を漂わせた、一目で高嶺の花だと思わせてしまう整った美貌の。


 緩やかに波打つ、優雅なウェーブを描いた宵闇に光る月を思わせるプラチナシルバーの腰まで届くロングヘア。

 光の加減で妖しく輝く、冷ややかで濃密な紫水晶《アメジスト・ヴァイオレット》の瞳。


 相手を見下すかのような切れ長の目元は、整い過ぎているが故に、感情の読めない悪魔的な美しさを際立たせている。

 ゲームの中では、この目付きが婚約者である王太子殿下のお気に召さなかったようだけれど、わたくしは好きよ。


 整い過ぎていて怖い、だなんて。

 最高の褒め言葉ではなくて?


 白磁のようになめらかで、シミひとつない透き通るような肌。

 すっと通った鼻筋。

 血色の薄い薄紅色の唇は、笑みを浮かべると嘲笑に見えてしまうくらいに完璧すぎる造形なのよ?


 王太子殿下ったら、寝起きですらこの美貌なのに、なにが気に入らないのかしら。

 前世のわたくしなんて、この姿を見るだけでもゲームをプレイする価値があると思っていたくらいよ。


 そう。なにを隠そう前世のわたくしは、悪役令嬢ルチア・フォン・グランツ推し。


 完璧な美貌に完璧な頭脳。

 才能に満ち溢れた、頂点に立つ為に存在するかのような孤高なお姿に一目惚れしてゲームの購入を決めたほどにも。


 だから。だからこそ!

 唯一、彼女の満面の笑みが見られるノーマルエンドをこの目で拝みたかったの。


 王太子? 乙女ゲームあるあるの美形だけど、幼い頃に王命で婚約が決まって拒否権もなく、ひたすら努力させられてきた婚約者を、ポッと出の女に目が眩んで蔑ろにするような男よ?

 心底どうだっていいわ。


 他の攻略対象――王太子の側近候補たちもそう。

 王命で王太子妃になることが決まっている公爵令嬢をなんだと思っているのかしらって態度の屑ばかりだもの。

 身分制度も理解出来ないような頭で、将来この国を支えていけるはずがないんだから、興味を持つだけ時間の無駄よ。



ACT4


 公爵令嬢ルチア・フォン・グランツが、将来王妃になるためだけに産み落とされた女児なのは、全貴族共有の認識だということすらわかってないのではないかしら。


 グランツ公爵家の血を王家に戻す(・・)為に、王妃殿下のご懐妊に合わせて作られた子供、なんて。

 ある意味、聖女なんかよりよっぽど重要な立場だっていうのにね。


 王家と公爵家で産まれてきた子供の性別が運良く違っていたから一度で済んだようなものの。

 王妃殿下もお母様も、性別が異なる(婚姻させられる)子供が産まれてくるまで、何度でも出産するつもりだったというのだから恐れ入るわ。


 ゲームでは、主人公(ヒロイン)を取り巻く魅惑的な攻略対象――王太子、冷徹な宰相の息子、熱血な騎士団長の息子、謎めいた雰囲気の宮廷魔導士長の息子など――との絆を深めながら、世界を蝕む「漆黒の呪い」と魔王復活の陰謀に立ち向かっていくのだけれど。


 それもこれも全部、勇者の血を受け継ぐ王家の血が薄まったことが原因なのよ。

 別に、平民でありながら聖女の力に覚醒した主人公(ヒロイン)が王立魔法学園へ編入するところから物語が始まらなくとも、わたくし(ルチア)と王太子殿下の子が生まれれば万事解決。


 ――だったのにねえ。


 使命を理解して研鑽に明け暮れたわたくし(ルチア)の完璧な仕上がりぶりに勝手に嫉妬した王太子殿下が主人公(ヒロイン)によろめいたせいで、余計な冒険が始まってしまったのが乙女ゲームの全容よ。


 しかも、悪役令嬢ルチア・フォン・グランツは名門公爵家の令嬢でありながら、主人公(ヒロイン)への強い嫉妬から数々の嫌がらせを仕掛け、ほぼすべてのルートで自滅・処刑・落魄などの悲惨な末路を辿る「死亡フラグの塊」のような存在として描かれている。


 けれど、いざ本人になってみれば、納得のいかないことばかり。


(強い嫉妬もなにも――そもそも、王太子殿下とは、愛情を抱けるほどの接点がないわ)


 物心付く前から詰め込み教育をされて、殿下との交流は月一度のお茶会のみ。

 それすら度々すっぽかす男に、どうやったら愛情が抱けるというのか。


 嫌がらせとされた事も、よくよく考えてみれば高位貴族として当然の対応だわ。


(ああ、そうよ。前世のわたくしも、そこがもどかしくてよく文句を言っていたものだわ。だから、ルチア(わたくし)に転生した……?)




ACT5

 しどけなくベッドに座ってくつろぐ寝起きの姿にすら隙がなく、細身でありながら気品ある立ち振る舞いは、美の女神もかくや。

 これで、夜着ではなく公爵家の威厳を示す深紅や濃紺、黒を基調とした重厚かつ仕立ての良いドレスを身に着け、首元に大粒の宝石をあしらえば、ゲーム画面で見ていた悪役令嬢の出来あがり。


(うん。どこからどう見ても、『聖女と漆黒の誓い』の悪役令嬢ルチア・フォン・グランツよ。ああ、わたくし……推し(ルチア)への愛情が強すぎてゲームの世界に入り込んでしまったのね)


 前世で一定層に人気を博した乙女ゲーム、『聖女と漆黒の誓い』――通称:セイクロ。


 ダークファンタジー系の乙女ゲームで、難易度は『ノーマル』、『ハード』、『ルナティック』の三段階。

 『ルナティック』は一度の選択ミスが即バッドエンドに直結する鬼畜難易度だというのに、プレイヤー自身は難易度を自分で選択出来ない。


 チュートリアルを終えてはじめて、難易度が決定する謎仕様。

 しかも、チュートリアルの内容は毎回微妙に違うという鬼畜ぶり。

 「この選択肢ならこの難易度」という、鉄板のパターンが存在しないの。

 嫌がらせかってほどたくさんある選択肢から正解を選びとらなければ、決してたどり着けないだなんて、酷いと思わない?


 舞台は魔導と騎士道が交錯する重厚な中世ファンタジー。

 聖女の加護と魔物の脅威が隣り合わせの世界。

 乙女ゲームとしてはロマンス溢れる設定よね。


 でも、現実として見るとこれって、どう贔屓目に見ても、無責任男どもの浮気譚でいかないのよ。

 なのにどうして、わたくし(ルチア)が命を落とすような悲惨な目にあわなければならないの?


(決めた。殺られる前に殺れ、よ。わたくしとて、前世では稀代の悪霊と呼ばれ、数多の祓い屋を返り討ちにしてきた女。憂いをすべて晴らして、心の底から笑ってやるわ! そしてそれを、鏡越しに思う存分眺めるのよ)


 この時、わたくしは気づかなかった。


 拳を握りしめて笑みを浮かべるわたくしを見て、頬を染めた侍女たちが、次々と倒れそうになっていたことを。

 わたくしが、前世あれほど見たいと切望していた満面の笑みを、浮かべていたことを――。



ACT6


 寝室でじっくりといまの自分の姿を確認した後。

 姿見を持ってきてくれた侍女たちにお礼を言って、寝室の隣にあるドレッシングルームへと向かう。


 寝室に運んできてくれた姿見は、ドレッシングルームにあるのとは違う物だった。

 重い姿見を何処かの空き部屋か物置部屋から運んで来てくれたんだもの。

 お礼くらいは言わなくちゃ。


 侍女たちは皆、主人の無茶振りにもしれっと応じて当たり前。

 なんの問題もございませんって顔をしているけれど。

 彼女らとて、もともとは貴族の子女。

 重たいものなんて 持ったことがなかったはずよ。

 それをおくびにも出さず、わたくしの無茶振りを叶えてくれた。

 将来の王太子妃としては相応しくない行動だったとしても、ねぎらって当然だわ。

 なにせ彼女たち、


「ありがとう。一度自分の寝起きの姿を確認しておきたかったの」


 そう言って微笑むだけで、頬を染めて喜ぶのよ?


 やれ、人の上に立つ者は軽々しく頭を下げてはならないだとか。

 下々の者に甘い顔をすればつけ上がるだとか。

 年嵩の貴族ほどそういった事を口にするけど――わたくしからしたらナンセンス。


 人の心を掴めるのなら、微笑みを振り撒くくらい、易いものだわ。


 残念ながら、悪役令嬢として描かれて(デザインされて)いるわたくしの微笑みは、どうしたってどこか人を見下してるような感じになってしまうのだけれど。

 為政者たるもの、親しみやすさの中にほんの少しの冷酷さを滲ませてこそ、威厳を保てるというもの。

 無邪気さだけを全面に押し出していたら、あっという間に海千山千の古強者たちの食い物にされてしまうわ。


 それに――わたくしが微笑めば我が家の侍女たちは胸元に手を当てて、「はぅッ」だとか「尊い」だとか呟いてうずくまってしまうのよ?

 悪役令嬢の微笑みでも、身内の贔屓目で見ればじゅうぶん鑑賞に耐えるみたいなのだから振りまかない手はないわ。



ACT7


 どういう理屈か、難易度がルナティックに確定したっていうアイコンが出たんだもの。

 破滅エンドを回避する為には、少しでもわたくし(ルチア)の好感度を上げなきゃね。

 微笑んだだけで好感度が上がるなら、いくらでも微笑んでみせましてよ。


 王太子妃教育では常にアルカイックスマイルを浮かべているよう求められているのは、この際無視ですわ。


 将来の王太子妃よ、未来の王妃よと持ち上げられることの多いわたくし。

 でもそれは、未確定な将来の話。いまのわたくしはまだ、公爵家の娘。

 王太子妃や王妃の心構えをいまから実行する必要なんてないわ。


 ゲームの中のルチアは、王立魔法学園へ入学が決まってからは家の中でも王太子妃としての心構えを実行していた。

 それが正しいと信じて。


 しかしながらいまのわたくしは、ルチア・フォン・グランツであってルチア・フォン・グランツではない存在。

 いわば、悪役令嬢たるルチア・フォン・グランツの皮を被った悪霊令嬢よ。


 どの媒体でも文字が被っていたり、わざと隠されていたりして拝めなかったルチアの満面の笑みを拝むためならば!

 ルナティックルートだろうとなんだろうと、どんと来いですわ!

 フラグをすべて塗り替えて、無理矢理ノーマルエンドへと繋げてみせましてよ!



ACT8


 って、あら?

 こうして思い返してみると、ノーマルエンドってひょっとしたらトゥルーエンドのことだったのかしら?

 ルートへ入ることすら困難なあの難易度といい。

 唯一、悪役令嬢が破滅せずに終わるルートであることといい。


 あら? 考えれば考えるほど、モード表示そのものが運営の引っかけだった気がしてきたわ。


 チュートリアルでどう頑張ってもノーマルルートに入れなかったのは、トゥルーエンドのようにルートへ入るための条件をすべて満たさなければならない仕様だったとしたら……辻褄は合うのではなくて?


 え! え? あら!? それは試していませんわ。

 難易度ごとにルートは細分化されていて、どのルートでも最短で攻略できるくらいにはやり込みましたけれど。

 難易度ノーマルをトゥルーエンドルートだと仮定したプレイはやっていませんわー!


 試したいですわ。

 試したいですわ!

 十徹くらいしてもかまいませんから試したいですわーッ!


 戻れないのかしら?

 わたくし、ルチア・フォン・グランツであって、ルチア・フォン・グランツではございませんのよ?


 元の――あら?

 稀代の悪霊と呼ばれる前の記憶が出てきませんわ?

 ぼやぼや~んとオフィスレディなるものをやっていた記憶が……記憶が……出てきませんわね?

 覚えているのは、同好の志のお身体を拝借して耐久周回十徹ループにのめり込んでいたことと――祓い屋さんたちとの熱き死闘だけ。


 あら? あら? あら?

 生前の記憶がまるで残っていないものだから、あちらの世界へ戻る足掛かりが――。

 見つけられませんわー!!


 一度同化してしまったら戻れませんの?

 悪霊をやっていた頃の能力はすべて残っているみたいですのに!



ACT9


 物体の移動及び破壊――できますわ。

 温度の低下――できますわ。

 機器への干渉――魔道具ですけどできそうですわ。


 うん。物理的・空間的な干渉能力――ポルターガイストは健在ですわ!


 精神汚染、恐怖や悪夢の植付け、記憶の改ざん及び忘却、憑依(ポゼッション)もできますわね。


 空中浮遊も壁歩きも、やろうと思えばできそうですわ。

 姿の消失と空間の歪曲もいけますわね。

 土地や建造物の汚染も――うん。ちゃんとできますわ。

 

 なのにどうして、『移動』だけができませんのー!


 いつも、ネット回線に干渉して同志を見つけたらすぐ移動して憑依(ポゼッション)できましたのにーッ!!


(――ハッ! ネット回線がないから同好の志と繋がれないのですわー!?)


 つまり、わたくし戻れませんの?

 せっかく手がかりを得ましたのに!

 ルチアたその満面の笑みがぁあああッ!


「あのぉ、ルチアお嬢様? お気に召しませんか?」


 ひとり心の中で悶絶していましたら、わたくしの専属秘書であるミーナに恐る恐る声を掛けられ、ふと我に返る。

 あらいやだ。

 わたくしとしたことが。

 悪霊をやっていたときの能力検証に熱中しすぎて、周りが見えていませんでしたわ。


 どうやらわたくし、なにを言われても完璧なアルカイックスマイルしか返さないオートマチックモードに入っていたみたい。

 王太子妃教育の賜物、上の空でも完璧なアルカイックスマイルで返事を返すこのモード。

 習得したときは便利でいいと思ったものですが、自宅で発動させるのはあまり良くないかもしれません。



ACT10


 主たる者、侍女たちに無駄な心配をかけてはいけないもの。

 わたくしを取り囲むミーナたちの距離がやたらと近い気がするのは――気の所為だということにしておきましょう。


「ふふ。あなたたちの仕事は信頼しておりましてよ?」


 なにも言わなかったのは信頼の証。

 例えそう。

 化粧をする間も。数人がかりでコルセットを締められている間も。

 微動だにしないアルカイックスマイルだったとしても。

 実際、ミーナたちに任せておけば完璧な仕上がりになるとわかっていたから心置きなく能力の検証をしていたのだもの。

 嘘はついていないから大丈夫。


(それに――わたくしが下手に注文をつけるより完璧な仕上がりですわ)


 目の前にある、壁一面ほどの大きな鏡の中には、衣裳箪笥、化粧台が置かれたドレッシングルームの真ん中で、これでもかと美しく整えられた姿で佇む美少女がひとり。


 緩やかに巻かれ、豪奢な流れを作り出しているプラチナシルバーの腰まで届くロングヘア。

 切れ長の目元は淡い赤をあしらって、大人の色気を演出。

 そのくせ、円やかな頬や色の薄い唇には幼さを残す見事なテクニック。

 あどけなさと妖艶さの絶妙なバランスといい、流石プロ。

 文句のつけようがありませんわ。


 しかも、出るところは出て引っ込むところは引っ込んだセクシャルなボディを包み込むのは、赤と黒とをあしらった、それでいて清楚さを失っていない上品なドレス。

 お気に召さないどころか。

 どこからどう見ても完璧な仕上がりでしてよ?


「すべてわたくし好みですわ。ほんの少し、別の事を考えていたの」


 万が一にも心ここにあらずだった理由を悟られることはないと思うけれど。

 侍女たちにしてみれば、仕事振りに不満があるのかと不安になる者もいるはず。

 憂い顔で「察してちょうだい」と言外に含ませて言葉を濁せば――。


「――聖女様とのお茶会の件でございますか……?」


 思った通り。

 ミーナが、適当な理由を勝手に見つけ出してくれましたわ。



ACT11


 聖女――主人公とのお茶会。

 そういえばありましたわね、そんなものが。

 本来の流れなら、高笑いをしながら嫌がらせの罠を張る場面だったはず。

 んん~、どうしようかしら。

 難易度『ルナティック』において、嫌がらせはすべて裏目に出て、処刑イベントへと一直線。


 この時点ではもう、聖女と王太子殿下との出会いのイベントは終わってしまっている。

 今頃、ふたりは順調に恋心を育んでいる頃だわ。

 ゲームでは、そんなふたりを引き裂くべくルチア(わたくし)が貴族の洗練を浴びせちゃったわけだけど――。

 それを、後々の処刑イベントでねちねち責められるのよね。

 王太子がルチアと素直に結ばれていれば、現れるはずのなかった聖女だってことを棚上げにして。


 聖女が現れたということは、王太子殿下がルチア(わたくし)を拒んでいる証だって、本人たちだけが気付かないまま進むのがこのゲーム。

 たぶんゲームの中の大人たちは、聖女が現れた時点で、諸々あきらめてしまったのね。

 だから、ルチア(わたくし)の処刑イベントを止めなかった。

 止めてしまえば、聖女が魔王を倒せなくなるから。


(魔王……ねえ。たぶん、わたくし(希代の悪霊)の方が強いと思うのだけれど……)


 聖女が王宮にあがった際、御披露目式でチラッと見たけど、あの聖女。

 たいしたことなかったのよねえ。

 あの程度の聖力で倒せる魔王なら、わたくし(希代の悪霊)ワンパンで倒せましてよ?


 とはいえ、聖女が現れてしまった以上、大人(お偉い様)たちは王太子殿下がわたくしを快く思っておられないことに気が付いたたはず。

 年齢的にまだ巻き返せる可能性はなくもないとはいえ――聖女の存在は保険として確保しておきたいと思うのが人情。


 けれど、わたくしに王太子妃教育をほどこしつつ、聖女にもいい顔をしたりするから、王太子殿下が思い余って断罪イベントに向かってしまうのよねえ。

 だって、わたくしさえいなくなってしまえば、王太子殿下は聖女と結ばれ魔王を倒すしかなくなるんですもの。


 魔王との戦いで数多の死者を出すであろう蕀の道を選ぶ愚か者などこちらからお断り。

 わたくしの目的はただひとつ。

 唯一の生存ルートであり、推しの笑顔が見られるノーマルエンドにたどり着くことですわー!



ACT12


 って、あら? あらあら?


 このゲーム、取り立てて聖女の覚醒イベントとかはありませんでしたわよね?

 聖女は生まれながらに魔王を倒せる聖力を持つ存在。

 一度、封印されている魔王を解放しなければ倒せない仕様になっているけれど、露払いは兵士の仕事。

 聖女は、兵士にも市民にも大量の殉死者を出し、屍で出来た道を歩いて魔王の元にたどり着く。

 そして、戦いで傷つき弱った魔王を、聖なる力でもって浄化する。


 それが、ルチア(悪役令嬢)を処刑した後のストーリー。


 でも待って。

 現状、聖女よりわたくし(希代の悪霊)の方が間違いなく強い。

 聖女の聖力は、わたくし(希代の悪霊)を祓いにきた祓い屋たちの霊力の足元にも及ばないくらいよ。

 それすなわち、聖女ごときに倒される魔王なんかより、わたくし(希代の悪霊)の方が強いということで……。


「ミーナ。聖女サマとのお茶会は、今月末だったかしら」


 確か、陛下から貴族社会に疎い聖女サマの為に練習用のお茶会を開いてやってくれと頼まれている最中に王太子殿下が乱入してきて、「聖女のドレスは私があつらえる!」とか言い出して、日延になったはず。

 ドレスを一からあつらえるなら、二週間は必要だから、月末に予定を入れたのではなかったかしら?

 ゲームでは、王太子殿下のこの一言が、ルチアを悪役令嬢にしたのだったわ。

 婚約者がいながらにして別の女性にドレスを贈る。

 その意味をわかってないお馬鹿さんに、陛下は頭を抱えていらしたけれど。

 止めなかったのだから、陛下も同罪だわ。


「左様でございます」

「そう。では、グランツ公爵家の名に懸けて、最上級のおもてなしの準備を。わたくしは、少し出掛けてきます」


 恭しく頭を下げたミーナにひとつ頷いて、わたくしは颯爽とドレスの裾をひるがえす。

 魔王が封印されている場所――ご都合主義で王都内――も、封印の解き方もなにもかもわかっているのだもの。


 二週間もあれば楽勝だわ。


「オーホッホッホッホ! 二週間後、わたくしは自由よ~!!」



ACT13


 ――二週間後――



「わたくしという婚約者がありながら、この婚約の意味もわからず他の女に目移りするような浮気男はいりませんわー! 王家が受け継ぐ勇者の血を濃くする必要がなくなった今! 王太子殿下、あなたとの婚約は破棄させていただきます!」


 謁見の間にてわたくしは、契約紋に縛られ涙目な傾国の美貌を持つ偉丈夫を従えて、王太子殿下にズビシィッ! と人差し指をつきけました。


 ええ、この偉丈夫。わたくし(希代の悪霊)の持てる力の全てを見せたら、あっさり降参しやがしました魔王ですわ。

 こんな雑魚を殺しきれずに封印するしかなかっただなんて、きっと勇者とやらも雑魚勇者だったのではないかしら。

 魂ごとわたくしに縛り付けたのでこの魔王。

 わたくしの許可なく力を振るうことは二度とできませんの。

 よって、不良債権(王太子殿下)とはさっさとおさらばさせてもらうことにいたしました。


 何故って、いりませんでしょう? こんな考えなし。

 勇者の血が薄まっていると神託を受けて頑張った王妃殿下やわたくしのお母様(&陛下とお父様)の努力も。

 万が一にも魔王が復活して戦いになってもいいよう、産めや増やせや頑張った人々(貴族及び民草)の努力も。

 自分の恋心優先で全部踏みにじりやがったんですのよ?

 ふざけんな、バーカ! ですわ。


 こうして魔王の驚異がなくなった以上、王太子の座にいつまでいられるかわかりませんけれど。


「オーホッホッホッホ。わたくしは自由よ~!」


 わたくしは知らない。

 新たなる驚異(ルチアに逆らうなと)の神託を得て、陛下が涙目になっていたことを。

 自分が、後日ミーナから、「お嬢様の心からの笑顔、尊うございました!」と頬を染めて絶賛される笑みを浮かべていたことを。



 ――その笑みを見た聖女が、馴れ馴れしく肩を抱く王太子を突き飛ばし、「お姉さま素敵! 抱いて!」と百合の道へとばく進したことを。



 ぐぬぬぬ。

 万難を排してもわたくしだけ推し(ルチア)の満面の笑みを見られないだなんて、どういうことですのーッ!




ACT1


 視界の端にピコン! と現れた『ルナティックルートが確定しました』のアイコンを見て、わたくしはふと前世を思い出した。


(あらいやだ。わたくし、狂ったように周回した乙女ゲーム、『聖女と漆黒の誓い』の悪役令嬢になっているではありませんの)


 『ノーマルルート』以外では、ヒロインに嫌がらせを重ねたとして処刑される悪役令嬢、ルチア・フォン・グランツ。  それがいまのわたくし。


 と、いうことは、あら?

 わたくし、転生しましたの?

 『聖女と漆黒の誓い』にのめり込み、睡眠時間を削りまくって過労死した後も(・・・・・・・)、せっせとゲームに勤しんでおりましたのに……。

 おかしいですわ。

 「ノーマルエンドのスチルを見たい」というわたくしの執着は、まだ残っておりましてよ?


 あのゲーム。難易度がバグっていて、一番簡単なはずの『ノーマルルート』に突入するのが至難の技という謎仕様。

 わたくし、まだ一度もノーマルエンドのスチルを見たことがないのですわ。


 そのわたくしが、志半ばで転生?


 あり得ませんわ。

 ノーマルエンドのスチルを拝むまでは死ねない(・・・・)。


 その執着のみにしがみつき、死後(・・)も『聖女と漆黒の誓い』にハマってる同志を見つけてはお身体をお借りして、確か七人……八人だったかしら。

 ひぃ、ふぅ、みぃ……あら。改めて数えてみたら、十人超えてましたわね。

 えぇ……と、三十人弱ほど廃人にしたり過労死させたりしてしまいましたけれど、それでもまだノーマルエンドにたどり着けていませんのよ。

 なんなのかしら、あのゲーム。


 神絵師様の神スチルが目的で購入致しましたのに、ノーマルルートをはじめる(・・・・)のが、ルナティックルートを攻略するより難しいだなんて、詐欺ではなくて?




ACT2


「鏡が見たいわ」


 ベッドの上に上体を起こし、朝の支度に訪れた侍女たちにそう命じる。

 眠るためだけなのに広くて無駄に豪華なこの寝室に、鏡なんてものは存在しない。

 他の部屋から運んでくるより、わたくしが起きて移動した方がよほど早いのだけれど。


 わたくし付きの侍女たちは皆、表情を変えることなく了承すると、それぞれが素早く動き出した。


 わたくしの顔を洗うお湯を運んでくる者。

 タイミングを見計らい、顔を拭くための柔らかな布をスッと差し出す者。

 目覚めの紅茶を淹れる者。

 わたくしの要望を叶えるべく、寝室の外へと向かう者。


 ――それを、なんの違和感もなく受け入れるわたくし。



 前世を思い出しても、わたくしはわたくし。

 十六年間生きてきた人格は、ほんの少し揺らいだだけで健在だったみたい。


 いまのわたくしに前世のわたくしが溶け込んでゆくのを不思議な気持ちで感じながら、淹れたての紅茶を一口いただく。


(うん。さすが我が公爵家の侍女。寝起きの胃への負担を考えて薄めに淹れられたアールグレイの温度も香りも完璧ね)


 ベルガモットの爽やかな香りをまとった紅茶が喉を滑り落ち、じんわりと胃の腑を温める感覚を、目を閉じてゆっくりと楽しむ。


 混乱しそうになっていた頭を、紅茶の香りが癒してくれるようで。

 わたくしはことさらゆっくりと、淹れたての紅茶を味わう。


 今日の予定は特に急ぐものもないし、ゆっくり出来るときにゆっくりするのもわたくしのような立場の者には大事なことよ。

 適度な休息があるから、仕事もはかどるんだもの。


 その辺りのことは心得ている侍女たちも、朝の支度を急ぐことなくわたくしに合わせて動いてくれる。

 いつもなら、起きたらすぐ暖かなお湯で顔を洗ってドレッシングルームへ移動して身支度を整えるのだけど、今日は別。


 視界の隅に現れたアイコンのこともあるし、不意に思い出した前世のこともある。

 何故、わたくしにゲームのアイコンが見えるのか。

 何故、前世のわたくしは執着をあきらめて転生なんてしたのか。

 考えなければいけないことがありすぎて、一度落ち着いて頭の中を整理しないと、わたくしがわたくしであるかもわからなくなってしまいそうなんだもの。



ACT3


 たっぷりと時間をかけて紅茶を飲み干し、わたくしがベッドに腰かけてのんびりしている間に寝室へと運び込まれた姿見へと目を向ける。


 前世だったら触れるのも躊躇われるような繊細な装飾を施された姿見の中に映るのは、ひとりの少女。

 それも、美しさの中にもどこか刃物のような鋭さと人を寄せ付けない威厳を漂わせた、一目で高嶺の花だと思わせてしまう整った美貌の。


 緩やかに波打つ、優雅なウェーブを描いた宵闇に光る月を思わせるプラチナシルバーの腰まで届くロングヘア。

 光の加減で妖しく輝く、冷ややかで濃密な紫水晶《アメジスト・ヴァイオレット》の瞳。


 相手を見下すかのような切れ長の目元は、整い過ぎているが故に、感情の読めない悪魔的な美しさを際立たせている。

 ゲームの中では、この目付きが婚約者である王太子殿下のお気に召さなかったようだけれど、わたくしは好きよ。


 整い過ぎていて怖い、だなんて。

 最高の褒め言葉ではなくて?


 白磁のようになめらかで、シミひとつない透き通るような肌。

 すっと通った鼻筋。

 血色の薄い薄紅色の唇は、笑みを浮かべると嘲笑に見えてしまうくらいに完璧すぎる造形なのよ?


 王太子殿下ったら、寝起きですらこの美貌なのに、なにが気に入らないのかしら。

 前世のわたくしなんて、この姿を見るだけでもゲームをプレイする価値があると思っていたくらいよ。


 そう。なにを隠そう前世のわたくしは、悪役令嬢ルチア・フォン・グランツ推し。


 完璧な美貌に完璧な頭脳。

 才能に満ち溢れた、頂点に立つ為に存在するかのような孤高なお姿に一目惚れしてゲームの購入を決めたほどにも。


 だから。だからこそ!

 唯一、彼女の満面の笑みが見られるノーマルエンドをこの目で拝みたかったの。


 王太子? 乙女ゲームあるあるの美形だけど、幼い頃に王命で婚約が決まって拒否権もなく、ひたすら努力させられてきた婚約者を、ポッと出の女に目が眩んで蔑ろにするような男よ?

 心底どうだっていいわ。


 他の攻略対象――王太子の側近候補たちもそう。

 王命で王太子妃になることが決まっている公爵令嬢をなんだと思っているのかしらって態度の屑ばかりだもの。

 身分制度も理解出来ないような頭で、将来この国を支えていけるはずがないんだから、興味を持つだけ時間の無駄よ。



ACT4


 公爵令嬢ルチア・フォン・グランツが、将来王妃になるためだけに産み落とされた女児なのは、全貴族共有の認識だということすらわかってないのではないかしら。


 グランツ公爵家の血を王家に戻す(・・)為に、王妃殿下のご懐妊に合わせて作られた子供、なんて。

 ある意味、聖女なんかよりよっぽど重要な立場だっていうのにね。


 王家と公爵家で産まれてきた子供の性別が運良く違っていたから一度で済んだようなものの。

 王妃殿下もお母様も、性別が異なる(婚姻させられる)子供が産まれてくるまで、何度でも出産するつもりだったというのだから恐れ入るわ。


 ゲームでは、主人公(ヒロイン)を取り巻く魅惑的な攻略対象――王太子、冷徹な宰相の息子、熱血な騎士団長の息子、謎めいた雰囲気の宮廷魔導士長の息子など――との絆を深めながら、世界を蝕む「漆黒の呪い」と魔王復活の陰謀に立ち向かっていくのだけれど。


 それもこれも全部、勇者の血を受け継ぐ王家の血が薄まったことが原因なのよ。

 別に、平民でありながら聖女の力に覚醒した主人公(ヒロイン)が王立魔法学園へ編入するところから物語が始まらなくとも、わたくし(ルチア)と王太子殿下の子が生まれれば万事解決。


 ――だったのにねえ。


 使命を理解して研鑽に明け暮れたわたくし(ルチア)の完璧な仕上がりぶりに勝手に嫉妬した王太子殿下が主人公(ヒロイン)によろめいたせいで、余計な冒険が始まってしまったのが乙女ゲームの全容よ。


 しかも、悪役令嬢ルチア・フォン・グランツは名門公爵家の令嬢でありながら、主人公(ヒロイン)への強い嫉妬から数々の嫌がらせを仕掛け、ほぼすべてのルートで自滅・処刑・落魄などの悲惨な末路を辿る「死亡フラグの塊」のような存在として描かれている。


 けれど、いざ本人になってみれば、納得のいかないことばかり。


(強い嫉妬もなにも――そもそも、王太子殿下とは、愛情を抱けるほどの接点がないわ)


 物心付く前から詰め込み教育をされて、殿下との交流は月一度のお茶会のみ。

 それすら度々すっぽかす男に、どうやったら愛情が抱けるというのか。


 嫌がらせとされた事も、よくよく考えてみれば高位貴族として当然の対応だわ。


(ああ、そうよ。前世のわたくしも、そこがもどかしくてよく文句を言っていたものだわ。だから、ルチア(わたくし)に転生した……?)




ACT5

 しどけなくベッドに座ってくつろぐ寝起きの姿にすら隙がなく、細身でありながら気品ある立ち振る舞いは、美の女神もかくや。

 これで、夜着ではなく公爵家の威厳を示す深紅や濃紺、黒を基調とした重厚かつ仕立ての良いドレスを身に着け、首元に大粒の宝石をあしらえば、ゲーム画面で見ていた悪役令嬢の出来あがり。


(うん。どこからどう見ても、『聖女と漆黒の誓い』の悪役令嬢ルチア・フォン・グランツよ。ああ、わたくし……推し(ルチア)への愛情が強すぎてゲームの世界に入り込んでしまったのね)


 前世で一定層に人気を博した乙女ゲーム、『聖女と漆黒の誓い』――通称:セイクロ。


 ダークファンタジー系の乙女ゲームで、難易度は『ノーマル』、『ハード』、『ルナティック』の三段階。

 『ルナティック』は一度の選択ミスが即バッドエンドに直結する鬼畜難易度だというのに、プレイヤー自身は難易度を自分で選択出来ない。


 チュートリアルを終えてはじめて、難易度が決定する謎仕様。

 しかも、チュートリアルの内容は毎回微妙に違うという鬼畜ぶり。

 「この選択肢ならこの難易度」という、鉄板のパターンが存在しないの。

 嫌がらせかってほどたくさんある選択肢から正解を選びとらなければ、決してたどり着けないだなんて、酷いと思わない?


 舞台は魔導と騎士道が交錯する重厚な中世ファンタジー。

 聖女の加護と魔物の脅威が隣り合わせの世界。

 乙女ゲームとしてはロマンス溢れる設定よね。


 でも、現実として見るとこれって、どう贔屓目に見ても、無責任男どもの浮気譚でいかないのよ。

 なのにどうして、わたくし(ルチア)が命を落とすような悲惨な目にあわなければならないの?


(決めた。殺られる前に殺れ、よ。わたくしとて、前世では稀代の悪霊と呼ばれ、数多の祓い屋を返り討ちにしてきた女。憂いをすべて晴らして、心の底から笑ってやるわ! そしてそれを、鏡越しに思う存分眺めるのよ)


 この時、わたくしは気づかなかった。


 拳を握りしめて笑みを浮かべるわたくしを見て、頬を染めた侍女たちが、次々と倒れそうになっていたことを。

 わたくしが、前世あれほど見たいと切望していた満面の笑みを、浮かべていたことを――。



ACT6


 寝室でじっくりといまの自分の姿を確認した後。

 姿見を持ってきてくれた侍女たちにお礼を言って、寝室の隣にあるドレッシングルームへと向かう。


 寝室に運んできてくれた姿見は、ドレッシングルームにあるのとは違う物だった。

 重い姿見を何処かの空き部屋か物置部屋から運んで来てくれたんだもの。

 お礼くらいは言わなくちゃ。


 侍女たちは皆、主人の無茶振りにもしれっと応じて当たり前。

 なんの問題もございませんって顔をしているけれど。

 彼女らとて、もともとは貴族の子女。

 重たいものなんて 持ったことがなかったはずよ。

 それをおくびにも出さず、わたくしの無茶振りを叶えてくれた。

 将来の王太子妃としては相応しくない行動だったとしても、ねぎらって当然だわ。

 なにせ彼女たち、


「ありがとう。一度自分の寝起きの姿を確認しておきたかったの」


 そう言って微笑むだけで、頬を染めて喜ぶのよ?


 やれ、人の上に立つ者は軽々しく頭を下げてはならないだとか。

 下々の者に甘い顔をすればつけ上がるだとか。

 年嵩の貴族ほどそういった事を口にするけど――わたくしからしたらナンセンス。


 人の心を掴めるのなら、微笑みを振り撒くくらい、易いものだわ。


 残念ながら、悪役令嬢として描かれて(デザインされて)いるわたくしの微笑みは、どうしたってどこか人を見下してるような感じになってしまうのだけれど。

 為政者たるもの、親しみやすさの中にほんの少しの冷酷さを滲ませてこそ、威厳を保てるというもの。

 無邪気さだけを全面に押し出していたら、あっという間に海千山千の古強者たちの食い物にされてしまうわ。


 それに――わたくしが微笑めば我が家の侍女たちは胸元に手を当てて、「はぅッ」だとか「尊い」だとか呟いてうずくまってしまうのよ?

 悪役令嬢の微笑みでも、身内の贔屓目で見ればじゅうぶん鑑賞に耐えるみたいなのだから振りまかない手はないわ。



ACT7


 どういう理屈か、難易度がルナティックに確定したっていうアイコンが出たんだもの。

 破滅エンドを回避する為には、少しでもわたくし(ルチア)の好感度を上げなきゃね。

 微笑んだだけで好感度が上がるなら、いくらでも微笑んでみせましてよ。


 王太子妃教育では常にアルカイックスマイルを浮かべているよう求められているのは、この際無視ですわ。


 将来の王太子妃よ、未来の王妃よと持ち上げられることの多いわたくし。

 でもそれは、未確定な将来の話。いまのわたくしはまだ、公爵家の娘。

 王太子妃や王妃の心構えをいまから実行する必要なんてないわ。


 ゲームの中のルチアは、王立魔法学園へ入学が決まってからは家の中でも王太子妃としての心構えを実行していた。

 それが正しいと信じて。


 しかしながらいまのわたくしは、ルチア・フォン・グランツであってルチア・フォン・グランツではない存在。

 いわば、悪役令嬢たるルチア・フォン・グランツの皮を被った悪霊令嬢よ。


 どの媒体でも文字が被っていたり、わざと隠されていたりして拝めなかったルチアの満面の笑みを拝むためならば!

 ルナティックルートだろうとなんだろうと、どんと来いですわ!

 フラグをすべて塗り替えて、無理矢理ノーマルエンドへと繋げてみせましてよ!



ACT8


 って、あら?

 こうして思い返してみると、ノーマルエンドってひょっとしたらトゥルーエンドのことだったのかしら?

 ルートへ入ることすら困難なあの難易度といい。

 唯一、悪役令嬢が破滅せずに終わるルートであることといい。


 あら? 考えれば考えるほど、モード表示そのものが運営の引っかけだった気がしてきたわ。


 チュートリアルでどう頑張ってもノーマルルートに入れなかったのは、トゥルーエンドのようにルートへ入るための条件をすべて満たさなければならない仕様だったとしたら……辻褄は合うのではなくて?


 え! え? あら!? それは試していませんわ。

 難易度ごとにルートは細分化されていて、どのルートでも最短で攻略できるくらいにはやり込みましたけれど。

 難易度ノーマルをトゥルーエンドルートだと仮定したプレイはやっていませんわー!


 試したいですわ。

 試したいですわ!

 十徹くらいしてもかまいませんから試したいですわーッ!


 戻れないのかしら?

 わたくし、ルチア・フォン・グランツであって、ルチア・フォン・グランツではございませんのよ?


 元の――あら?

 稀代の悪霊と呼ばれる前の記憶が出てきませんわ?

 ぼやぼや~んとオフィスレディなるものをやっていた記憶が……記憶が……出てきませんわね?

 覚えているのは、同好の志のお身体を拝借して耐久周回十徹ループにのめり込んでいたことと――祓い屋さんたちとの熱き死闘だけ。


 あら? あら? あら?

 生前の記憶がまるで残っていないものだから、あちらの世界へ戻る足掛かりが――。

 見つけられませんわー!!


 一度同化してしまったら戻れませんの?

 悪霊をやっていた頃の能力はすべて残っているみたいですのに!



ACT9


 物体の移動及び破壊――できますわ。

 温度の低下――できますわ。

 機器への干渉――魔道具ですけどできそうですわ。


 うん。物理的・空間的な干渉能力――ポルターガイストは健在ですわ!


 精神汚染、恐怖や悪夢の植付け、記憶の改ざん及び忘却、憑依(ポゼッション)もできますわね。


 空中浮遊も壁歩きも、やろうと思えばできそうですわ。

 姿の消失と空間の歪曲もいけますわね。

 土地や建造物の汚染も――うん。ちゃんとできますわ。

 

 なのにどうして、『移動』だけができませんのー!


 いつも、ネット回線に干渉して同志を見つけたらすぐ移動して憑依(ポゼッション)できましたのにーッ!!


(――ハッ! ネット回線がないから同好の志と繋がれないのですわー!?)


 つまり、わたくし戻れませんの?

 せっかく手がかりを得ましたのに!

 ルチアたその満面の笑みがぁあああッ!


「あのぉ、ルチアお嬢様? お気に召しませんか?」


 ひとり心の中で悶絶していましたら、わたくしの専属秘書であるミーナに恐る恐る声を掛けられ、ふと我に返る。

 あらいやだ。

 わたくしとしたことが。

 悪霊をやっていたときの能力検証に熱中しすぎて、周りが見えていませんでしたわ。


 どうやらわたくし、なにを言われても完璧なアルカイックスマイルしか返さないオートマチックモードに入っていたみたい。

 王太子妃教育の賜物、上の空でも完璧なアルカイックスマイルで返事を返すこのモード。

 習得したときは便利でいいと思ったものですが、自宅で発動させるのはあまり良くないかもしれません。



ACT10


 主たる者、侍女たちに無駄な心配をかけてはいけないもの。

 わたくしを取り囲むミーナたちの距離がやたらと近い気がするのは――気の所為だということにしておきましょう。


「ふふ。あなたたちの仕事は信頼しておりましてよ?」


 なにも言わなかったのは信頼の証。

 例えそう。

 化粧をする間も。数人がかりでコルセットを締められている間も。

 微動だにしないアルカイックスマイルだったとしても。

 実際、ミーナたちに任せておけば完璧な仕上がりになるとわかっていたから心置きなく能力の検証をしていたのだもの。

 嘘はついていないから大丈夫。


(それに――わたくしが下手に注文をつけるより完璧な仕上がりですわ)


 目の前にある、壁一面ほどの大きな鏡の中には、衣裳箪笥、化粧台が置かれたドレッシングルームの真ん中で、これでもかと美しく整えられた姿で佇む美少女がひとり。


 緩やかに巻かれ、豪奢な流れを作り出しているプラチナシルバーの腰まで届くロングヘア。

 切れ長の目元は淡い赤をあしらって、大人の色気を演出。

 そのくせ、円やかな頬や色の薄い唇には幼さを残す見事なテクニック。

 あどけなさと妖艶さの絶妙なバランスといい、流石プロ。

 文句のつけようがありませんわ。


 しかも、出るところは出て引っ込むところは引っ込んだセクシャルなボディを包み込むのは、赤と黒とをあしらった、それでいて清楚さを失っていない上品なドレス。

 お気に召さないどころか。

 どこからどう見ても完璧な仕上がりでしてよ?


「すべてわたくし好みですわ。ほんの少し、別の事を考えていたの」


 万が一にも心ここにあらずだった理由を悟られることはないと思うけれど。

 侍女たちにしてみれば、仕事振りに不満があるのかと不安になる者もいるはず。

 憂い顔で「察してちょうだい」と言外に含ませて言葉を濁せば――。


「――聖女様とのお茶会の件でございますか……?」


 思った通り。

 ミーナが、適当な理由を勝手に見つけ出してくれましたわ。



ACT11


 聖女――主人公とのお茶会。

 そういえばありましたわね、そんなものが。

 本来の流れなら、高笑いをしながら嫌がらせの罠を張る場面だったはず。

 んん~、どうしようかしら。

 難易度『ルナティック』において、嫌がらせはすべて裏目に出て、処刑イベントへと一直線。


 この時点ではもう、聖女と王太子殿下との出会いのイベントは終わってしまっている。

 今頃、ふたりは順調に恋心を育んでいる頃だわ。

 ゲームでは、そんなふたりを引き裂くべくルチア(わたくし)が貴族の洗練を浴びせちゃったわけだけど――。

 それを、後々の処刑イベントでねちねち責められるのよね。

 王太子がルチアと素直に結ばれていれば、現れるはずのなかった聖女だってことを棚上げにして。


 聖女が現れたということは、王太子殿下がルチア(わたくし)を拒んでいる証だって、本人たちだけが気付かないまま進むのがこのゲーム。

 たぶんゲームの中の大人たちは、聖女が現れた時点で、諸々あきらめてしまったのね。

 だから、ルチア(わたくし)の処刑イベントを止めなかった。

 止めてしまえば、聖女が魔王を倒せなくなるから。


(魔王……ねえ。たぶん、わたくし(希代の悪霊)の方が強いと思うのだけれど……)


 聖女が王宮にあがった際、御披露目式でチラッと見たけど、あの聖女。

 たいしたことなかったのよねえ。

 あの程度の聖力で倒せる魔王なら、わたくし(希代の悪霊)ワンパンで倒せましてよ?


 とはいえ、聖女が現れてしまった以上、大人(お偉い様)たちは王太子殿下がわたくしを快く思っておられないことに気が付いたたはず。

 年齢的にまだ巻き返せる可能性はなくもないとはいえ――聖女の存在は保険として確保しておきたいと思うのが人情。


 けれど、わたくしに王太子妃教育をほどこしつつ、聖女にもいい顔をしたりするから、王太子殿下が思い余って断罪イベントに向かってしまうのよねえ。

 だって、わたくしさえいなくなってしまえば、王太子殿下は聖女と結ばれ魔王を倒すしかなくなるんですもの。


 魔王との戦いで数多の死者を出すであろう蕀の道を選ぶ愚か者などこちらからお断り。

 わたくしの目的はただひとつ。

 唯一の生存ルートであり、推しの笑顔が見られるノーマルエンドにたどり着くことですわー!



ACT12


 って、あら? あらあら?


 このゲーム、取り立てて聖女の覚醒イベントとかはありませんでしたわよね?

 聖女は生まれながらに魔王を倒せる聖力を持つ存在。

 一度、封印されている魔王を解放しなければ倒せない仕様になっているけれど、露払いは兵士の仕事。

 聖女は、兵士にも市民にも大量の殉死者を出し、屍で出来た道を歩いて魔王の元にたどり着く。

 そして、戦いで傷つき弱った魔王を、聖なる力でもって浄化する。


 それが、ルチア(悪役令嬢)を処刑した後のストーリー。


 でも待って。

 現状、聖女よりわたくし(希代の悪霊)の方が間違いなく強い。

 聖女の聖力は、わたくし(希代の悪霊)を祓いにきた祓い屋たちの霊力の足元にも及ばないくらいよ。

 それすなわち、聖女ごときに倒される魔王なんかより、わたくし(希代の悪霊)の方が強いということで……。


「ミーナ。聖女サマとのお茶会は、今月末だったかしら」


 確か、陛下から貴族社会に疎い聖女サマの為に練習用のお茶会を開いてやってくれと頼まれている最中に王太子殿下が乱入してきて、「聖女のドレスは私があつらえる!」とか言い出して、日延になったはず。

 ドレスを一からあつらえるなら、二週間は必要だから、月末に予定を入れたのではなかったかしら?

 ゲームでは、王太子殿下のこの一言が、ルチアを悪役令嬢にしたのだったわ。

 婚約者がいながらにして別の女性にドレスを贈る。

 その意味をわかってないお馬鹿さんに、陛下は頭を抱えていらしたけれど。

 止めなかったのだから、陛下も同罪だわ。


「左様でございます」

「そう。では、グランツ公爵家の名に懸けて、最上級のおもてなしの準備を。わたくしは、少し出掛けてきます」


 恭しく頭を下げたミーナにひとつ頷いて、わたくしは颯爽とドレスの裾をひるがえす。

 魔王が封印されている場所――ご都合主義で王都内――も、封印の解き方もなにもかもわかっているのだもの。


 二週間もあれば楽勝だわ。


「オーホッホッホッホ! 二週間後、わたくしは自由よ~!!」



ACT13


 ――二週間後――



「わたくしという婚約者がありながら、この婚約の意味もわからず他の女に目移りするような浮気男はいりませんわー! 王家が受け継ぐ勇者の血を濃くする必要がなくなった今! 王太子殿下、あなたとの婚約は破棄させていただきます!」


 謁見の間にてわたくしは、契約紋に縛られ涙目な傾国の美貌を持つ偉丈夫を従えて、王太子殿下にズビシィッ! と人差し指をつきけました。


 ええ、この偉丈夫。わたくし(希代の悪霊)の持てる力の全てを見せたら、あっさり降参しやがしました魔王ですわ。

 こんな雑魚を殺しきれずに封印するしかなかっただなんて、きっと勇者とやらも雑魚勇者だったのではないかしら。

 魂ごとわたくしに縛り付けたのでこの魔王。

 わたくしの許可なく力を振るうことは二度とできませんの。

 よって、不良債権(王太子殿下)とはさっさとおさらばさせてもらうことにいたしました。


 何故って、いりませんでしょう? こんな考えなし。

 勇者の血が薄まっていると神託を受けて頑張った王妃殿下やわたくしのお母様(&陛下とお父様)の努力も。

 万が一にも魔王が復活して戦いになってもいいよう、産めや増やせや頑張った人々(貴族及び民草)の努力も。

 自分の恋心優先で全部踏みにじりやがったんですのよ?

 ふざけんな、バーカ! ですわ。


 こうして魔王の驚異がなくなった以上、王太子の座にいつまでいられるかわかりませんけれど。


「オーホッホッホッホ。わたくしは自由よ~!」


 わたくしは知らない。

 新たなる驚異(ルチアに逆らうなと)の神託を得て、陛下が涙目になっていたことを。

 自分が、後日ミーナから、「お嬢様の心からの笑顔、尊うございました!」と頬を染めて絶賛される笑みを浮かべていたことを。



 ――その笑みを見た聖女が、馴れ馴れしく肩を抱く王太子を突き飛ばし、「お姉さま素敵! 抱いて!」と百合の道へとばく進したことを。



 ぐぬぬぬ。

 万難を排してもわたくしだけ推し(ルチア)の満面の笑みを見られないだなんて、どういうことですのーッ!




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