第1話:その一撃は、魔法を超える
この世界において、魔法は「呼吸」と同じだ。
火を灯し、水を呼び、風を操る。魔力を持たぬ者は、人間としての価値すら認められない。
「次、カイト・ハザマ! 前へ出ろ!」
王立騎士団の入団試験会場。重厚な石造りの演習場に、試験官の怒声が響く。
俺――ハザマ・カイトは、静かに一歩前へ出た。
周囲からは失笑が漏れる。
それもそのはずだ。俺はこの世界に転生して以来、一度たりとも魔法を発動させたことがない「欠陥品」として知られていた。
「おい見ろよ、あの腰のナイフ以外、杖すら持ってないぞ」
「魔法適性ゼロの無能が、騎士団の門を叩くとはな。身の程を知れと言いたいぜ」
嘲笑の渦を無視し、俺は試験官の前に立つ。
試験官は豪華な装飾が施された杖を構え、傲慢に言い放った。
「貴様の試験内容はこれだ。私が展開する『氷の盾』に、何らかの傷を付けてみせろ。魔法でも、その玩具のようなナイフでも構わん。もっとも、傷一つ付かずに終わるのがオチだろうがな」
試験官が短く詠唱を唱える。
直後、パキパキと音を立てて大気が凍りつき、俺の目の前に厚さ三十センチはあろうかという、巨大な氷の防壁が出現した。
ダイヤモンドにも匹敵する硬度。並の魔導師では、傷を付けることすら叶わない高等魔術だ。
「さあ、やってみろ。……む?」
試験官が眉をひそめた。
俺が腰のナイフを抜かなかったからだ。
俺はただ、左足を半歩引き、右拳を腰に引いた。
前世で人生のすべてを捧げた、空手の構え。
死の間際、あと一万回突きを繰り出せば届く気がしていた「理」の感覚が、今の俺の指先には宿っている。
「……ふん、狂ったか。素手でこの氷を割るつもりか?」
「割るんじゃない」
俺は静かに、深く息を吐いた。
下半身のバネ、腰の回転、背筋のしなり。それらすべてのエネルギーを右拳の一点へ。
「魔力」ではない。身体操作の極致によって生み出される純然たる「物理」の暴力。
「――貫くんだ」
俺の体が、わずかに沈み込んだ。
次の瞬間。
「――セイッ!!」
ドンッ、という重低音が空気を震わせた。
俺の放った正拳が、氷の盾のド真ん中に吸い込まれる。
一瞬の静寂。
直後、パキィィィィィィンッ!!! という鼓膜を裂くような破砕音が轟いた。
鉄壁を誇った氷の盾が、中心から放射状にひび割れ、一瞬にして数千の破片となって弾け飛んだ。
衝撃はそれだけに留まらない。
突きから放たれた目に見えぬ「圧力」が、氷の破片ごと試験官を吹き飛ばし、背後の石壁に巨大な亀裂を刻み込んだ。
「…………え?」
試験官は尻餅をついたまま、持っていた杖を落とした。
砕け散った氷の粒が、光を反射して美しく舞い落ちる。
会場にいた数百人の受験者たちは、誰一人として声を出せなかった。
彼らが信奉する「魔法」の常識が、たった一つの拳によって粉々に打ち砕かれたのだ。
「……おい、試験官」
俺はゆっくりと拳を引き、残心をとる。
そして、呆然とこちらを見上げる男に問いかけた。
「傷を付けるだけでよかったんだよな? 壊しちまったが……不合格か?」
この日。
魔法がすべてを支配するこの世界に、一人の「空手家」が産声を上げた。




