こんな家、研究成果と一緒に捨てます!
──これは一体、何の罰だろうか。
思い切りはたかれた頬が、遅れて熱を持ち始める。
ぶたれたんだ、と認識し、自分が床にへたり込んでいることを自覚するまでに数秒要した。
「……何よ、これ」
ジェーン、否。山本南波は絶望した。
頭の中にある記憶から、今の状況を確認する。
ジェーン・ロウエル。11歳。公爵令嬢。
母親は自分が産まれる代わりに死に、父親からは、酷く嫌われていた。愛した妻を殺しておいて、そんな妻に似ても似つかない娘だったからだ。
そして、父親から嫌われているせいで、屋敷中の全員から舐められ、酷い扱いを受けていた。
「いつもいつも勉強もしない上に、私の仕事の邪魔ばかり! お前など私の子ではない! それが証明出来次第、速やかにこの家から追い出す!」
頭上を見上げれば、血管が浮き出るほど怒りを露わにした男性が声を荒げ、ジェーンを睨んでいた。
ジェーンの口が「だって、でも」と紡ぐ前に、脳内には別の映像が流れ始める。
「口ごたえか!? 馬鹿野郎! 能無しで社会のゴミのお前なんて、他の会社じゃ雇ってもらえないんだから感謝しろ! 働いて死ね!」
スーツを来た年配の上司が自分に向かって暴言を浴びせてきた。
──かつての自分の記憶だ。
ジェーンの瞳には、涙がじわりと滲む。現世の自分と、前世の自分が重なった。
やるせない、
悔しい、
悲しい。
どれだろう。
自分がなぜ泣いているのかもわからないほど、心は疲弊していた。
ただ、痛い。
心臓が、痛い。
瞳に涙を浮かべ、胸のあたりのドレスの布をくしゃりと掴むと、ジェーンは押し黙ってしまった。
そうやって廊下に座り込んでいる娘を気にも止めず、父親は執務室へと去っていく。
「お嬢様、こんなところで寝ないでください。早くお部屋に戻りますよ」
ジェーン付きのメイドがピシャリとそう言ったかと思えば、ジェーンの両腕を雑に持ち上げ、引きずるように部屋へと運んだ。
道中、さまざまな使用人がそれを目撃していたが、皆ニヤニヤしていたり、顔を逸らし、見て見ぬフリをしていたり。誰もそれを咎めることはなかった。
「昼食の時間になったらまだ呼びに来ますから」
そして、返事をする前に扉がバタン!と音を立てて閉められた。
ジェーンは鏡の中に映る自分を見つめる。ミルクティベージュの髪、はちみつ色の瞳。もちもちとして幼い顔。
プラチナブロンドの髪と空色の瞳を持ち、聡明で勇敢な母には似ても似つかないらしい。
「……これは何? まさか、異世界転生とかいうバカげた現象が起きてるわけじゃないよね?」
誰に聞かせるわけでもなく、ジェーンは小さくひとりごとを漏らす。
そう呟く傍らで、これは異世界転生である、と確信している自分もいた。
「やっと最低でクソみたいな人生が終わったと思ったのに? なんでまたクソみたいな人生が始まってんの……?」
──そう、ジェーンの前世の山本南波は、現代日本に生きる、しがない社会人だった。
何とか苦しい就活を切り抜けて入った会社はブラック企業。人手が足りないおかげで仕事量は半端なく、毎日終電まで残業をして、上司に理不尽なことで恫喝され続ける日常を送っていた。
そんなある日、ぼんやりしすぎて赤と青の区別もつかず踏み出した横断歩道でトラックに轢かれて死んだのだ。
南波からしてみれば、目を灼くトラックのフラッシュも、「やっと終わるんだ」と安堵したのも、つい先ほどのこと。
正直まだ混乱していた。
一方で、ジェーン・ロウエルもまた、混乱していた。
「何……? 知らない人の記憶がある……! 誰……!?」
ジェーンは山本南波としての自分を上手く受け入れられなかった。
(これが私の、前の人生……? 今と何も変わらない……! 嫌……! 嫌!! 私はずっとこんな風に生きて死ぬ運命なの……!?)
そうして色々と考えている内に、2つの自我が1つに収束していくのを感じた。
言ってしまえば、ジェーン・ロウエルが前世を思い出しただけのこと。元々自我は1つなのだ。
「あーあ、なんか懐かしくてヤダな……。2回目の人生なのに、こんななんだ」
そうして自分の顔を鏡越しに見つめていると、赤く腫れた頬が目に入った。先ほど叩かれた場所だ。
父親に愛されたくて、自分を見て欲しくて、毎日父親に会いに行っていた。
今ならわかる。それが逆効果であったこと。
それから、愚行であったこと。
「はぁ。バカね、ジェーン。自分のことを嫌いな人には近寄らないのが人間関係の鉄則なのよ」
ジェーンは自分にそう言い聞かせた。
前世を思い出すのも意外と悪くない。人生が2度目だというのは、中々のアドバンテージだ。
そんなことを考えていた暫く後、ノックもなしに、突然部屋の扉が勢いよく開く。
「おいジェーン!! また勉強をサボったらしいじゃねぇか!」
嵐のようにドタドタと、男子が1人部屋の中に入ってくるなり、大声でそう言った。
3歳年上の兄、べレオだ。
「え? 今日は家庭教師の予定、ないよね?」
ジェーンがそう返すと、べレオは片方の口角を上げ、意味深にニヤリと笑った。そして、慌てて素知らぬ顔に戻ると、頭の後ろで両腕を組んでこう言った。
「ハンッ! 知ってるくせに! シラを切ったって無駄だね。お前のメイドが『ジェーンが嫌がって暴れるから連れてこれなかった。怪我をさせられても粘ったが、無理だった』って言ってたぜ」
「そんなことしてないわ。嘘よ」
メイドは今日は家庭教師が来る日だなんて言っていなかった。身に覚えのないことを言われ、ジェーンは冷静に兄の間違いを訂正する。
(まぁどうせ、いつも通りメイドと結託して私を陥れようとしてるだけだろうけどね)
「いーや、ホントだね!! メイドはホントに腕に怪我をしてた!! お父様に報告するって言ってたし、お前そろそろこの屋敷にいられなくなるんじゃねぇの!? このロウエル家の面汚しが!!!」
ジェーンが狼狽えると思ったのか、逆にべレオが焦りながらそう捲し立てた。
「……ぷっ! あはははは!」
ジェーンは思わず吹き出す。
必死なべレオがなんだか愚かでかわいく見えてきたのだ。
(まぁ14歳ってことは日本で言えば中学2年生だよね……? うんうん、それくらいの歳じゃしょうがないよね)
「なっ、なんだお前! 気持ち悪ッ!! お父様に言いつけてやる!!」
無言でウンウンとひとりでに頷いているジェーンに恐怖心を抱いたのか、べレオはそう吐き捨てると、逃げるように部屋を出て行ってしまった。
「ハンッ。いい気味よ。そんな方法で優位に立とうとしたって、本当の優勢にはなれないんだから」
ジェーンはべレオが出て行った方向を見てそう言った。
今までのジェーンなら狼狽えて父親に泣きつき、嘘をついていると思われて、終いには疎ましがられるのがオチだったが、今はもう違う。
泣き虫でオドオドしてて気弱なジェーンはもういないのだ。
そして、ジェーンはチェストまで歩み寄ると、引き出しから紙とペンを取り出した。
さっきべレオが言っていたことが引っかかる。
遅かれ早かれ真偽がどうあれ、父親の耳に入れば何かしらの罰則が下されるに違いない。
味方が1人もいない今の状態では何を言ったところでどうしようもないし、ジェーンが潔白である事実など、この屋敷の誰にとっても大事じゃないのだ。
こんなブラック企業ならぬブラック家門はもう、真っ平ごめんだ。
いくら、おまけのような人生と言えど、前世の轍は踏むまい。こんな家、捨ててやるのだ。
「さて、この家から出るための計画を練りましょうか」
◇
その翌日、お付きのメイドに雑に叩き起こされると、やはり罰が言い渡された。
下された罰則は──3日間の自室謹慎。
想像よりも軽い罰で良かった、とジェーンは思った。鞭打ちなどになっていたらどうしようか、と内心若干ビビっていたのだ。
「自室謹慎ならそんなに困らないかな……。まずは、っと……」
ジェーンはベッド脇の棚に置いてある呼び鈴を手にすると、思い切り鳴らしまくった。
メイドは先ほど出て行ったばかりだが、どうせチリンチリン、と控えめに鳴らしたくらいでは現れやしないからだ。
飽き始めたジェーンが独特のリズムを刻みながら暫く鳴らし続けていると、やがて雑に扉が開き、メイドが怒った様子で入ってきた。
「どういうことですかお嬢様!? 朝から喧しいですよ!?」
「あなたがすぐ来ないのがいけないのよ」
声を荒げるメイドに向かってジェーンはピシャリと言い放つ。すると、いつもと違うジェーンの様子に驚いたのか、メイドが明らかにたじろいだ。
「……え?」
「朝食をこの部屋まで運んでちょうだい」
「なっ、何を生意気なことを言っているんですか!?」
ジェーンの命令が気に食わなかったのか、メイドが焦ったようにそう言う。
「旦那様もべレオ様も食卓まで出向いてお食事なさるのですよ? それをお嬢様のような」
「黙りなさい」
静かにそう言うと、メイドはやっと黙る。そしてジェーンはベッドの上に立ち上がり、メイドを見下ろすと、冷ややかにこう言った。
「お前は誰に仕えているの?」
「おっ、……お嬢様です」
メイドは怯えた表情でそう答える。ジェーンの冷たい表情は、対面するものを萎縮させるような威厳を漂わせていた。
「そうよね? ならば私の命令を聞かないのはおかしいわよね?」
「も、申し訳ございません……!」
「謝罪が欲しいわけじゃないの。わかったなら早く朝食を持ってきて」
「ははい! ただいま!!」
メイドは慌てたようにそう答えると、逃げるように部屋を出て朝食を取りに行った。
ジェーンはそれを硬い表情のまま見つめていたが、数秒後、ふっと力を抜くと、ベッドの上にへたり込んだ。
「……き、緊張したーー!!」
そして、そのまま身を投げ出すと、ジェーンは大の字になって寝そべる。
「……ふぅ。まずはこんなものかしらね……。昨日猛練習した甲斐があったわ」
ジェーンは、ロウエル家を出るまでの間の、快適な生活の第一歩としてメイドの躾をすることにしたのだ。
そこで昨日の夜、自室で1人で高圧的に話す練習をしていた。練習の甲斐あってか第一関門を無事に突破することが出来そうだ。
「その辺の使用人には今みたいに接していれば、そのうち噂が広まって皆の態度が改善されるはず……。となると、次はメイド長ね……。あのおばさん、私の宝飾具を時々くすねているの、知ってるんだから」
父親は、ジェーンのことこそ愛していないが、モノを与えれば少しは静かになるだろう、という考えのもと、ドレスや宝飾具などはたくさん与えてくれる人だった。
それがあまりにも部屋に溢れすぎて、ジェーンは持て余していたのだ。メイド長はそれを見透かした上で、普段あまり使わない宝飾具を時々くすねているのだ。
「バレてないと思ってるんでしょうけど、しっかりわかってるんだから!」
ある日の夜中、部屋の中で物音がして目を覚ましたジェーンは、寝たフリをしたまま様子を伺うことで、メイド長が宝飾具を盗んでいるところを目撃したのだ。
ジェーンがどうやってメイド長を追い詰めようかと考えていると、部屋の扉が丁寧にノックされる。
(ふん、なによ。ちゃんとしたノック、出来るじゃない)
「入りなさい」
ジェーンが扉の向こうにそう声をかけると、キィと扉が控えめに開き、朝食のパンをトレーに乗せ、怯えた様子でメイドが中に入ってきた。
「失礼いたします。ジェーンお嬢様の朝食をお持ちいたしました」
「ありがとう。そこに置いて」
メイドは震える手でトレーを丸テーブルの上に置いた。ジェーンはその様子をジッと見つめる。
(あんなに怯えちゃって可哀想に。取って食ったりしやしないのに)
無事にトレーを置き、足早に帰ろうとするメイドをジェーンが呼び止める。絶望の表情を浮かべながら振り返るメイドの反応をしばし楽しんだ後、ジェーンは新しい仕事を与えた。
「次は本を持ってきてちょうだい。政治、経済、歴史、文化、推理小説。この5ジャンルの本を入門レベルを中心に5冊ずつと、最近の新聞を1年分ね」
「……か、かしこまりました」
メイドは左右に目を泳がせる。このどれもが11歳の少女には難しいと思っているのだろう。しかし、ここで言い返す勇気がないのか逡巡した後、ペコリとお辞儀をするなり一目散に部屋から出て行った。
「よし、これで自室謹慎期間中も退屈しないで済みそうね。それに、推理小説からメイド長を摘発する案を何とかもらいましょう」
ジェーンは楽しそうにそう呟く。
山本南波には他人に誇れる特技が1つだけあった。
それは──、速読だ。
この力があれば、本の1ページを約2〜3秒で読むことが出来る。
その能力は、ブラック企業で他人よりも仕事を大量に抱えるためだけの結果をもたらしたが、今世では上手く利用して良い生活への一手とするつもりだ。
それに、ジェーンは勝手に家庭教師をサボらされていたため、あまり知識がない。だから、それを本で仕入れるのだ。
しばらくすると、メイドが5種を5冊ずつ、計25冊の本と、大量の新聞を持ってきてくれた。
「よぉーし、読むわよ」
ジェーンはそう意気込むと、さっそく1冊目の本を手に取り、読み始めた。
……が、そのわずか10分後。
「はぁー! ダメだわ! わからない単語が多すぎる。前世の記憶はあるけど、ジェーン自身に知識が十分にないから、この世界の単語と結びつかないわ……」
ジェーンはそう呟くと、勉強用に使っている机に立てかけられている辞書を引っ張り出した。
「時間がかかるけど仕方ないわね。速読は一旦諦めて蓄積! 一から学ぶのよジェーン!!」
◇
そしてそれから1週間。
ジェーンは部屋に籠りきりで本を読み耽り、25冊を読破した。
「ふむふむ、この国の基本がわかったわ」
そうやって頷くと、これからもちょっとずつ本を読破する決意をする。知識と情報は、自分が優勢に立つ上で、ものすごく大事な資源だ。
そして、ジェーンはニヤリと微笑む。
「それから、メイド長を摘発する方法もね」
ジェーンが思い付いた方法は、推理小説から着想を得た。犯人の服に、被害者の庭にしか生えていない草が付着していたことが決め手となるシーンだ。
「よし、なら準備をしなくちゃいけないわ。必要なのは月蛍石を砕いた粉ね……」
しかし、ジェーンはため息を吐いて頭を抱える。
「摘発する方法を思い付いても、その前に必要な材料を手に入れる方法を考えなきゃいけないなんて……」
月蛍石は、希少な魔鉱石と呼ばれるものの一種で、いくらお金持ちの公爵家とは言え、11歳の幼子に簡単に手に入る代物ではなかった。
「……困ったわね」
ジェーンは自室を無意味にぐるぐると歩き回る。
「魔鉱石は貴族の娯楽趣味か研究用品としてしか手に入らないのよね……、本によると」
そこまで言ってから、ハッと気付いた。
「そうよ! そうじゃない! 研究用よ! そこから拝借すればいいんだわ!」
そして、ジェーンは扉を勢いよく開けて部屋を出る。すると、ちょうど廊下を歩く父親と鉢合わせた。
(げっ……、お父様だわ。でもラッキーね。ちょうど会いに行こうとしてたところなのよ)
ジェーンは片足を斜め後ろに引き、スカートを少し摘むと、膝を曲げて挨拶をした。まだ完璧なカーテシーとは呼べないが、まぁ形にはなっているだろう。
(しょうがないわよね。家庭教師をサボらされているんだもの)
「……謹慎は3日と伝えたはずだが」
「……? えぇ、存じておりますが……」
ふと父親が口を開く。普通に話しかけられるのなどほぼ初めてに等しく、おまけにどういう意図で言った言葉なのかわからずに、ジェーンは困惑した。
「……そうか、なら良い」
「……???」
(1週間も部屋から出てこないから心配になったのかしら? ……まさかね、私の頬を躊躇いもなく叩いた男よ)
父親はそれだけ言うと、この場を去ろうとした。それをジェーンが咄嗟に引き留める。
「お、お待ちください!」
「……なんだ」
父は、瞬時に顔を顰める。娘のいつもの癇癪だと思っているのだろう。
「エンドレア伯爵家に行かせて欲しいのですが……」
「エンドレア伯爵家……? あそこは傍系の家だが、お前の遊び相手になってくれるような歳の奴はいないはずだ」
彼は訝しげにジェーンを睨むとそう言った。
「まっ、魔鉱石に興味があるのです……! だから、併設されているエンドレア研究所に行ってみたくて……」
「研究所? あそこは子どもの遊び場ではない。ダメだ」
(研究に興味があるって言うべきだった……! 失敗したわ……!)
ジェーンが唇を噛み締めて俯いていると、それを見た父が再び口を開く。
「……最近勉強をしているそうだな。魔鉱石について知っていることを言ってみろ」
「……! はい」
これは試されているんだ、そう察知したジェーンはひとつひとつ言葉を選びながら話す。
「魔鉱石は不思議な力を持つ石です。我が国では採掘出来ず、主に隣国との貿易で仕入れているとても貴重なものです」
(それから、月蛍石のことも触れておこう)
「今1番興味があるのは月蛍石です。これは無色透明の鉱石で、主に粘土状の地質で発見される、とても割れやすい鉱石です。主に粉末に加工して使うことが多いです。また、月光の下に一定時間置いておくと、月光を蓄積した晩に限り光るという特徴があります」
(前世の世界で言う蛍光塗料っぽいのよね。少し月光に晒しておけば、ブラックライトいらずで蛍光色に光ってくれるんだから便利だわ)
「少しは勉強しているようだな」
ジェーンの回答を聞いた父親はフンと鼻を鳴らした。
「じゃあ研究所に……!!」
「ダメだ。まだ早い」
ジェーンが目を輝かせてそう言うと、父はピシャリと否定した。
(やっぱダメかぁ……。いや、でもまだ諦めるわけにはいかないわ……!)
ジェーンが次の策をなんとか絞り出そうと必死に頭を捻っていると、意外な言葉が飛んできた。
「代わりに俺が用意してやろう」
(えっ……? 今なんて……?)
「いらないのか?」
「いっ、いります!! ありがとうございます……!」
驚きすぎて言葉が出てこないジェーンだったが、モタモタして父の気が変わったらまずいとすぐに頷いた。
「1キロくらいか?」
「そ、そんなには必要ありません。10グラムほどで構いません。粉末が欲しいのです」
ジェーンは父親との規模感の違いに少々慄きながらそう言った。すると、父親は再び訝しげな顔をする。
「粉末? 原石の方が価値が高い」
それに対し、ジェーンはまっすぐな瞳で父を見据えてこう告げた。
「いいえ。私にとっては粉の方が価値があるのです」
すると、理解を諦めたかのように目を伏せ、父は側近へと指示を下す。
「……。子どもの考えていることはわからん。ゼフ、言う通りに用意してやれ」
「はい、ゴードン様。かしこまりました」
◇
その翌日、ジェーンの元に約50グラムの月蛍石の粉が届いた。万が一のために予備で多めに用意してくれたのだという。
「まぁたしかに、何があるかわからないもの。予備は必要よね……」
ジェーンはそう言いながら、瓶に入れられた無色透明の粉を眺める。目の高さに持ち上げ、陽の光に透かして見れば、時折キラリと七色に光り、なんとも綺麗で美しい粉だった。
「よし、じゃあこの粉を、宝飾具の上にぶちまけるわよ!」
ジェーンは部屋の角の方にある、もらった宝飾具を入れているチェストの1番上の引き出しを開けた。
憎たらしいことに、入れたときからは随分と数が減っている。普通、こんなに大胆に減っていたら気付くものだが、何も言ってこないため、ジェーンはこの宝飾具の存在を忘れているのだ、とでも思っているのだろう。
そのためか、大胆に減ってもバレないだろうと最近のメイド長は上の引き出しからしか盗まないのだ。
「よしっ! じゃあ、引き出しの取っ手と、この引き出し内の宝飾具全てに粉をまぶしておきましょう」
月蛍石の粉末は、吸い込んだら咳が出そうになるほど、非常に細かい。そのため、宝飾具の上に粉が乗っていても埃だと思わせることが可能なのだ。
「これで完璧だわ!」
作業を終えると、ジェーンは両手を上に広げ、ひとりで嬉しそうにそう言った。
「あとはメイド長が盗むのを待つだけよ」
でも、ジェーンには困ったことがあった。
メイド長がいつ盗むかはわからないのだ。曜日や当番などを踏まえ、色々と法則性を導き出そうとしたが、今までの犯行は皆、全てバラバラなのである。
それに、メイド長が盗んでから、売られたりしてその手を離れるまでの間に犯行を暴かなければならない。
「現行犯をそのまま捕まえられたら楽なんだけど、私もそんないつも都合良く目覚められるわけじゃないし……」
(まぁ、失敗したらまた別の方法を試せばいいわ。まずは試すことが大事よ)
そしてジェーンは上手くいくことを祈りながら、チェストの引き出しをゆっくりと閉めたのだった。
◇
それから数日後。
ジェーンは意識の外から絶え間なく聞こえてくる、くしゃみと咳の音で目を覚ました。
ベッドに寝そべったまま、ぱちりと反射的に目が開く。ゆっくりと意識が現実に引っ張られ、段々と脳が目の前の光景に追いついてくると、それはちょうど、メイド長が盗みをはたらいているところだった。
ジェーンは起きていることがバレないように、慌てて目を閉じた。そして、なるべく身じろぎをしないように、寝ているように見えるように深呼吸を繰り返す。
(もしかして、細かすぎる月蛍石の粉が鼻をくすぐっているのかしら……!? 今起きられたのはラッキーだわ!!)
しばらくすると、メイド長は迫り来る咳とくしゃみと戦いながらも盗みを完了したようだった。彼女が部屋から静かに出て、離れるのを確認すると、ジェーンは、がばりと起き上がった。
「まずはお父様の部屋に行かなくちゃ」
◇
ジェーンは大きな執務室の扉の前に立つ。
(夜中だし、周りも暗いし、威圧感がすごいわね……)
そして、扉をノックするために腕を上げたが、数秒悩んだ後、それを降ろして深呼吸をした。
さっきからこの繰り返しだ。緊張してしまって中々入る勇気が出ない。
(こんな夜中に私が訪ねたら絶対すっごく怒るわよね……。それは確定事項として、ちゃんと話を聞いてもらえるように進めないと……)
ジェーンがそう考えている頭の片隅で、職員室に中々入れなかった、学生時代の南波の記憶が蘇っていた。
「……懐かしいわね。相変わらず不思議な気持ち」
ジェーンが、体験していないのに存在する記憶を辿っていると、突如、ガチャリと扉が開く。
「わっ……!?」
びっくりしすぎたジェーンは後ろに尻もちをついてしまった。
「お、お嬢様!? 申し訳ございません。……ところで、こんな時間にどうされたんですか?」
部屋から出てきたのは、父の側近のゼフだった。彼は慌ててジェーンに手を差し伸べる。
「ありがとう……。実は、お父様から貰った私の宝飾具がさっき盗まれたの!」
「盗まれた?」
「ちょうど盗んでいるところを見かけたのよ!」
ジェーンはゼフの手を借りて立ち上がると、そう訴えかけた。
「おい、ゼフ。どうした」
ゼフと話していると、部屋の奥の方から父の声が聞こえてきた。
「すみません、ゴードン様。お嬢様の宝飾具が盗まれていらっしゃるようで……。現場を先ほど見かけたようです」
「ハッ。そいつの妄言だろう。追い返せ」
父は、鼻で笑うとそう言った。
(ほらね、やっぱり! 一筋縄じゃいかないわね……)
ジェーンは、ずい、と背伸びをし、右手を胸に当てて、ゼフの瞳をまっすぐ見つめた。
「ゼフ様、私の妄言ではありません。今なら、実際に証拠をお見せすることが出来るでしょう」
すると、その言葉が聞こえたのか、ゼフではなく父の方から返答が飛んでくる。
「いい加減、私の気を引こうとするのは大概にして、さっさと私の目の前から消えろ」
(気を引こうとしてるわけじゃない! 盗まれてるのは事実なんだから!!)
ジェーンはその言葉を聞いてカチンときたが、一旦心を落ち着かせる。
愚兄・べレオが常にジェーンの嘘を吹聴しているせいで、いくら否定したところで逆にジェーンが嘘を吐いていることになってしまうのだ。
「では失礼いたしました、お父様」
ジェーンは、執務机に座ったまま顔も見せない父に向かって声を張り上げてそう言うと、次はゼフに向き直ってこう言った。
「ゼフ様には今から証拠をお見せいたしますわ。ゴードン公爵の治める屋敷で窃盗が起きてるなんて、見過ごせない事態ですものね……?」
そうして、ジェーンが返答も待たずにゼフの手を引いて執務室を離れようとすると、それを引き留める声が聞こえた。
「待て。私も行こう」
父の方を振り返れば、ペンを置き、机に手をついて立ち上がっていた。
ジェーンは気付かれないように、フフ、と口角を上げる。そして、パッと繋いだ手を離し、両手を口の前に重ねると、くるりと執務机の方を振り返った。
「まぁ! 本当に!? 嬉しいですわ!!」
この直後、父がものすごい剣幕で睨みつけてくるのを見て、ジェーンはちょっとやりすぎたかな、と少し反省した。
◇
ジェーンの部屋には、父、ゼフ、ジェーン、そして、メイド長が集まっていた。
表向き、「私は、とある理由で使用人を疑っておりますわ。ですから、その総括をしているメイド長も呼んでいただきたいと思って」と伝えてあるが、実際は騒ぎになってからでは逃げられてしまう可能性があるからだった。
それに、父とゼフがジェーンの部屋に集結している時点で、既に逃げられかねない。
ジェーンは斜め後ろに立つメイド長をチラリと盗み見る。明らかに動揺しているようだったが、努めて平静を保とうとしているのが感じられた。
(ここはまだ、メイド長が犯人だと疑っていないフリをしなくちゃね)
「おい、これはなんだ? 埃か? そもそも、部屋全体の管理が杜撰だ。掃除も行き届いていなければ、整理も甘い」
チェストの中を確認していた父がそう言い、それ聞いたメイド長の肩がビクリと震える。
そして、父はメイド長の方を振り返ると、怒りを露わにしながら、こう畳みかけた。
「おい。娘付きのメイドは何をしている!? それに、お前の管理も甘いようだな。まったく! ロウエル家の令嬢ともあろう者の部屋がこんな状態では、家門の評判に傷が付く!」
(!? なんて人なのかしら!? こういう時だけ私のことをロウエル家の娘扱いするのね。しかも、怒っている理由なんて自分の評判が落ちるからよ!? 普通だったら私の尊厳のために怒るところだわ!)
「もっ、申し訳ございません旦那様……!」
父親の怒りの言葉に、メイド長が怯えた様子で直角に腰を折って謝罪の言葉を口にする。
「あっ」
突如、ゼフの声が響いた。
しまった、という様子で口を噤んだ彼に対し、父がなんだと尋ねる。
「すみません、ゴードン様。もしかしてここに付着しているものが月蛍石の粉なのではないかと思いまして……」
ゼフのその言葉を受け、父が埃だと思っていた粉を確認する。
メイド長はあまり理解していないような表情でそれを眺めていた。おそらく、月蛍石を知らず、耳馴染みのない単語なのだろう。
「あ、ごめんなさい……。その粉、貰った日にどこにしまおうか考えながら、近くに置いて引き出しを開けていたら、手がぶつかって零しちゃったんです。頑張って拭きとったけど、細かいから落としきれなくて……」
ジェーンは用意していた言い訳を、まるで反省中かのような演技を付けながら淀みなく言った。
そして、誰かが何かを言う前に窓の方を指差し、口を開く。
「あ! あそこに先ほど見かけた犯人らしき人影が!!」
その瞬間、皆が一斉に窓の外を見た。
そして、皆、キョロキョロと瞳を左右に動かす。
ジェーンの言う「人影」を探しているようだが、見つからないらしい。
それもそのはず。
人影があるというのは、もちろん嘘なのだから。
「あれ!? 見えなくなってしまったわ……!?」
「ま、まぁ大変! お嬢様、すぐに追いかけなければ逃げられてしまいますわよ!」
メイド長は焦った様子でそう言った。
きっと、罪をなすりつけるいい機会だと思って、その人物を逃すまいとしているのだろう。
「お父様! 今すぐ追いかけてもよろしい」
「警備隊を連れていけ。無能なお前だけ行ったところで役にも立たんだろう」
ジェーンが父に向かってそう問おうとすると、父はジェーンの方を見もせず、言葉を遮って重ねてきた。
(ホンット何よコイツ!!! 言い方!! 犯人は今、私の隣に立ってんのよ! むしろこれから活躍するのは私だけなんだから見てなさいよ!?)
「ありがとうございます、お父様!」
「フン」
ジェーンはにこやかな笑顔を顔に貼りつける。
多少引きつってはいるが、目の前の父はそんなことに気付くわけもないのだから、気にする必要はない。
(何が”フン”よ! まぁいいわ。断罪はギャラリーが多い方が盛り上がるものね)
ジェーンは心の中でそう呟くと、ズンズンと大股で部屋の扉まで歩いて行った。
◇
皆が中庭に出揃ってから約10分ほどが経った。
警備隊が総出で探し回るものの、一向に誰も見つからないらしい。
気の短い父は、既にイライラとし始めているようだった。
中庭のガゼボの丸テーブルに肘をつき、足を組んで椅子に座ると、その足の上でしきりに人差し指をトントンと上下させている。
「おい、お前。本当に人影を見たんだろうな? 俺の時間は貴重なんだ。さっきからこれまでの間にどれだけの仕事が片付くと思っている? これで何もなかったら、ただでは済まされないからな!」
娘の名前を口にする代わりに、父は”お前”と呼びながらジェーンに詰め寄る。
ゼフはその様子を心配そうな表情で見ていたが、父の手前、助け舟を出してくれる気はなさそうだった。
「だ、だって……、ほんとに見たもん…………」
ジェーンはわざと泣きそうな声を出しながらそう言い、父から追加の罵声が浴びせられる前に、瞬時にメイド長のスカートに、隠れるようにしがみついた。
そして──、
「あれ……? どうしてエプロンが青白く光っているのですか……?」
「? ほんとですね……。なんでしょうか?」
きっと、埃だと思ってエプロンの裾で拭ったのだろう。それに、ポケットの近くも光っている。
月蛍石の特性も知らないメイド長は不思議そうにするだけで、焦る様子もない。だが、彼女はもう詰みだ。
父とゼフの方を見れば、彼らは真相に気付いたようだった。
そして父が眉間に深いしわを刻み、険しい顔をすると、地を這うような低い声でこう言った。
「お前、盗んだな?」
「えっ……? ぁっ、……ひっ……、いっ、…………ぁ、なん………………で」
メイド長は声にならない音を出しながら、後ずさる。
完全に父の剣幕に呑まれているようだった。
「そのポケットをひっくり返せ」
「ぁ、……あ、も、もうし」
「聞こえなかったのか? ポケットをひっくり返せと言ったんだ!」
謝ろうとするメイド長の言葉を遮り、父はまたドスの効いた声でそう畳みかけた。
すると、メイド長は観念したのか、震える手でゆっくりと、ポケットの中から宝飾具を取り出した。
その瞬間、その様子を見守っていた警備隊がザワつく。
そして、メイド長は床に這いつくばるように土下座をすると、しきりに「お許しください」と言い続ける人形と化してしまった。
(ふぅ、これで完了だわ! 管理体制の杜撰さも知ったようだし、屋敷内の人間はほぼ総入れ替えになるでしょう)
安心し、緊張の糸が弛んでしまったジェーンの視界がふらりと揺れる。
その直後、慌てて受け止めに来たゼフに支えられ、そのまま眠りに落ちてしまった。
◇
それから3年が経ち、ジェーンは14歳となった。
あの窃盗事件以降、屋敷の人間はほぼ総入れ替えになり、父にも多少認められたのか、ジェーンに対する父の態度は軟化していった。
でも、ジェーンは頬を叩かれた日のことを忘れることはなかった。
幼子に対し、11年間に渡り酷い扱いをし、傷つけてきた事実は到底許せるものではない。
(いつかこのブラック家門はズタズタにして捨ててやるんだから)
ジェーンは自室のソファに背を預け、帳簿をパラパラと眺めながらそう考える。
去年から、屋敷の帳簿管理を任されているのだ。
「アイナ。兄が任されている領地の様子はどう?」
「はい、お嬢様。ベレオ様の領地経営ですが……、そうですね、ハッキリ言わせてもらいますと、ボロボロでございます」
そして、側仕えのメイドも給仕、護衛、隠密捜査が出来る有能な者を自分で雇った。
「……はぁ。どうしようもないわね。詳しい状況を」
ジェーンは思わず帳簿を閉じ、手の平をおでこに置いてガクリと肩を落とす。
兄・ベレオの愚かさは相変わらず健在で、父から任された仕事もちゃんとできない上に、くだらないことでよく突っかかってくるのだ。
「ベレオ様の任されているウェリタスは現状人の住まない土地ですが、美しい景観を売りに、観光地化する計画を立てているらしいのです」
「……まぁこの時点では特に言うことはないわね。良くも悪くもある計画だし、強いて言えばベレオにしちゃよく考え付いたものね」
ジェーンは頷いて、アイナに続きを促した。
「そして、ベレオ様は人を雇い、『ここに屋敷を作って眺められるようにしろ』と指示したきりでして。まずは貴族を招いて自慢も兼ねて、美しい景観をお披露目するお考えのようです。雇った人間は大工ですから、建物など1から作れるわけもなく、屋敷に訪れた観光客からお金をとる方法も考えていないようなのです」
アイナは目を伏せてそう言った。
本人は悲しげに振舞っているようなのだが、その意思に反して彼女の表情筋はあまり動く様子がない。
しかし、ジェーンはそれどころではなかった。今聞いた話がよく理解できなかったのだ。
「ど、どういうこと??? 設計図もなしに建物を建てろと……?」
「左様でございます」
「その人たちは今、どうしているの?」
「建築士を探すまで待てとの指示を出されているようですが、一度出された給金は返さないと粘っているようでして」
「……まさか、かなりの額を前払いしたのかしら……?」
「左様でございます」
「………………」
ジェーンは絶句した。何から何まで考えが甘く、ツッコミどころがありすぎて言葉が出てこないのだ。
「はぁ……。頭が痛いわね。ウェリタスはとても美しい土地だから、あまり人が踏み込んで荒らすのはよくないわ……。あそこで観光業をやるのであれば、湖に浮かべるボートを手配して、それからガイドに案内してもらったりするような、自然を活かす方法が一番無難だわ。それを……」
ジェーンはさらにガクリと肩を落とす。膝に肘がくっつくほど前かがみになって頭を抱えた。
「お嬢様の仰る通りでございます。ベレオ様は、最近は学友との賭け事にハマっておられまして、経営をかなりほったらかしにしているようです」
「…………わかったわ。アイナ」
「はい、お嬢様」
アイナの方はまっすぐと見つめると、アイナはすでにこれから言われることがわかっているようだった。
その頼もしさに、さすが、私の側近だ、と、ジェーンは嬉しくなる。
「ウェリタスに行って、今から私の言う計画を指示してきてちょうだい。それから、新しい人を何人か雇わないと。現場を総括するリーダーも必要ね。忙しくなるわ」
「はい、お嬢様。仰せのままに」
「あの土地は、私が守るわ」
(本当にとんでもないわね。「俺が任された土地の方がお前が任されてる屋敷の帳簿管理よりもすごい」とかなんだとかでよく突っかかってくるけど、この惨状でそんなことがよく言えるわ)
◇
それから1年が経ち、ジェーンは15歳になった。
ウェリタスの観光地化計画は順調に進んだようで、もうすぐ観光客を入れられるようになるらしい。現場には有能なリーダーがいるし、オープンしても上手く経営してくれることだろう。
この前ウェリタスを視察しに行った兄は、自分が雇った人間たちが何かいい感じに考えて進めてくれていると勘違いして喜んでいたという。
なんてバカなのだろう。
それでいて、どうせ自分が全て考えてやったことにするのだから、本当にクソみたいな性格だ。
(あらいけない。公爵令嬢である私としたことが、いくら心の中だとは言え、”クソ”だなんて汚らしい言葉を使ってはいけないわ)
すると、突然大きなノックの音と同時に部屋の扉がバァン!と開く。
「おい、ジェーン! お前、隣国に飛ばされるらしいじゃねぇか! 良かったな! 能無しにちょうどいい場所が見つかって!」
(クソがよ)
ジェーンは間髪入れずに心の中でそう呟きながら、にっこりとして声の主を見つめる。
こうなったら特別に、ベレオの前では心で暴言を吐いても良いことにしよう。
ベレオが大きな声でそう言いながらジェーンの部屋にズカズカと入ってくると、後ろの方で「いけませんベレオ様!」と追いつくことが出来ずに置いていかれた使用人たちの抑止の声が聞こえた。
ベレオの世話をしなくちゃいけない使用人も大変だな、とジェーンは思わず同情する。
「お兄様、違いますわ。私は自分の意思で、研究を得意としている隣国に勉強のため、留学するのですわ」
「はぁ? 何言ってんだお前?」
(お前こそ何言ってんのよ!! 本ッ当に愚兄ですこと)
ジェーンは数年前から、傍系のエンドレア伯爵家の研究所に出入りしては、研究者たちの研究を手伝いつつ血縁関係の研究を密かに進めていた。
理論上、特定の魔鉱石を掛け合わせることによって、血縁を調べるものが作れるらしいのだが、情報も少ない上に、魔鉱石の所有量も少なく、中々実験がうまくいかなかった。
そんなところに舞い込んできたのが、魔鉱石研究がより進んでいる隣国への留学だった。
唯一の懸念点が父からの許可が降りるか、というところだったが、やはり血縁については長年気になっていたのか、意外にも留学の許可を出してくれたのだ。
「お兄様、私はお父様に用がありますのでこの辺で」
ジェーンはポカンとしているベレオに、丁寧すぎる挨拶をしてその場を去った。
◇
「お父様、留学中、私が担っていた帳簿の管理はベレオお兄様にお任せするのはいかがでしょうか?」
ジェーンは執務室のソファに腰掛け、向かいのソファに座る父と対面しながらそう言った。
「……そうだな。ウェリタスの経営も上手くやっているようだし、帳簿の管理くらい出来るだろう」
(ホンットにバカな親子。本当のウェリタスの管理者が誰かも知らないんだから)
ジェーンはいつものように内心で呆れ返った。
(まぁ、お父様の方は仕事はできるようだけど、周りの人間に興味がないのと、細かいことに気を配れないのが欠点ね。私としては好都合だけれども)
ジェーンは、留学中における様々なことを父に確認し終えると、執務室を後にした。
(もうこの家ともおさらばね。研究が成功した暁には、血縁であろうとなかろうと、その事実を突き付けて家門を捨てるのみ。お父様の望みを叶えて差し上げるわ)
――――――
『お前など私の子ではない! それが証明出来次第、速やかにこの家から追い出す!』
――――――
ジェーンは、4年前に言われた言葉を思い出していた。
「お望み通り、出て行ってやるわよ」
◇
「ジェーン嬢、また手紙を読んでいるの?」
「えぇ。これは実家の様子がわかる大事な報告なのよ」
時は流れ、ジェーンが留学し始めてから約2年が経とうとしているところだった。
ここは隣国の研究専門学校の、離れの研究室。
1歳先輩であるモヴァクが、授業も出ずに勝手に引きこもって自分の物のように使っている研究室だ。
「あぁ、君がよく言ってるクソみたいな家族がいる家?」
「そうよ」
アイナからの報告によると、ベレオは帳簿の管理が全く出来ず、その上賭博にとてもお金を費やしていて、実家の経済状況はかなり傾いているらしい。
そして、ベレオは父にこっぴどく叱られ、決まっていた婚約も破談になったという。
「ふふ、いい気味よ」
「君だけで愉しまないでよ。俺にも聞かせて」
モヴァクは甘えるような声で近寄ってくると、そう言った。ちゃっかりと肩に頭を乗せようとしてくるので、ジェーンはそれをすかさずガードする。
モヴァクはとにかく距離が近いのだ。
「あ! ウェリタスの土地を裏で管理していたのが私だってやっと気付いたのね。家の経済が傾くまでベレオの賭博も咎めない、っていうか、そのヤバさに気付かないんだから、お父様もお馬鹿者だわ」
「ふーん、スッキリした?」
「多少ね」
ジェーンはそう答えると、手紙を丁寧に折って制服のポケットにしまった。あとでアイナに返事を書かなければ。
そんなことを考えながら実験を続けようとして、一度手を止めた。
「いけない……。これは貴重なものだったわ……。ぼーっとしながら使っていいものじゃないわね」
「そうだね、彼ら双子には助けられているもんね」
2人は頷き合う。
前世のようなDNA鑑定にはまだ時代感も技術も追いつかず、今はとりあえず、血を使って血縁を判定するものを作ろうとしているところだ。
ちなみに、そもそもDNA鑑定がどうやって行われていたか知らず、知識がなかったというのもある。
しかし、実験に血を使うにしても、ジェーンとモヴァクの分では血縁がない者の実験結果しか得られないため、どうしたものかと悩んでいたところに、「「俺ら血流すの好きだよ~」」とか言うイカれた双子が現れたため、少量ずつありがたく頂戴して実験に使わせてもらっているのだった。
ジェーンは慎重に、混ぜ合わせた魔鉱石の粉の上に、2種類の血を垂らす。
──すると、血を吸収した魔鉱石の粉末がみるみる結晶化して、1つの宝石になった。
これは、血縁がある場合のみ結晶化する実験なのだ。
ジェーンは、この実験と同じ配合の粉末の上で、結晶化せずに赤い染みを作っているサンプルを見つめる。
「ねぇ、ねぇちょっとジェーン嬢!」
「……えぇ!」
普段はゆったりと喋るモヴァクが興奮した様子で声を出す。ジェーンも、目の前の研究成果を見て、感動のあまり思わず涙ぐんだ。
「おめでとう!!」
「ありがとう……! みんなのおかげよ!」
2人は思わず抱きしめ合った。
こんなにも嬉しい瞬間は2度の人生を通しても、初めてのことだった。
「一度、家に戻るの?」
「そうよ。これで、ロウエル家と縁を切るわ」
「ふーん……。ねぇ俺らさぁ」
モヴァクは顎に手を当てて、考え込むように斜め下を向きながら、そこまで言って止まってしまった。
(……一体何かしら? 私、何か重要なことを見落としてたりする?)
「結婚しない?」
「けっ、え、……結婚!?」
ジェーンの脳は完全にフリーズした。
結婚、と言えば、ジェーンはロウエル家から出る気満々だったため、今までの縁談は全て断ってきていた。
それゆえに、結婚などという人生のイベントを完全に思考の外に置いてきていたのだ。
「わ、悪いけれどモヴァク、私は公爵令嬢なの。家のために結婚しないといけないから……」
「でも、今からその家と縁を切るんでしょ?」
(そ、そうだったわ……)
モヴァクには全部言っているため、嘘が通じないことを忘れていた。動揺しすぎて、上手く頭が働かないようだ。
「とっ、とにかく! モヴァクとは結婚できないわ!」
ジェーンはそう叫ぶと、逃げるように研究所を出て行った。
「残念だなぁ。この切り札があれば君の家族にもっと仕返しが出来たのに。……まぁいっか、また言えばいいもんね」
モヴァクはジェーンの走り去る様子を眺めながらそう呟いた。
◇
ジェーンは震える手で、魔鉱石の粉末の上に自分の血を垂らす。
そして、父に針を手渡した。
ここはロウエル家の執務室。
つい先ほど、警備隊含め、何人かに見守られながら、双子の血を使って研究成果を披露したところだった。
父親がぷすりと人差し指に針を刺し、血を数滴垂らす。
すると──、
粉末はみるみるうちにくっついて固まって1つの結晶になった。
(…………血、繋がってるのね)
ジェーンは少しがっかりした。
あんなに酷い扱いを受けていたのならば、いっそ本当に父の子じゃなければ少しは納得できると思っていたからだった。
「これは本当か? お前がイカサマをはたらいていないという証拠は?」
(……………………。私のことは一生疑うのね)
「……研究学会に論文を提出し、正式に認められるのを待ってから戻ってきました。こちらがその書類です」
ジェーンは机の上に、持ってきた書類をバサリと置いた。
そんな態度に、父は怒るかなと考えたが、意外にも書類をパラリと軽く見ただけで終わった。
そして、衝撃の言葉を口にする。
「そうか。ならいい。お前には、ロウエル家の次期当主を務めてもらいたい」
(……………………は?)
ジェーンは固まる。
今、何と言ったのだろう。
(先ほどまで疑っていた娘を次期当主に……?)
そうすれば私が喜ぶとでも思っているのだろうか、べレオよりもマシだから選んだだけなのだろうか、そんなことが、ジェーンの頭を通過する。
「断ります」
「なぜだ」
ジェーンがそう言っただけで、父親の顔はすぐに怒りに歪んだ。
(またこれだ……。ほんとにもううんざりよ)
「……お父様は、私のことを認めておりませんよね?」
「なぜだ? 認めているから次期当主を任せると言っているのだ」
「それは、私が便利だからですよね?」
すると、父は初めて少し目を泳がせた。
「違う。お前は帳簿の管理もよく出来ていたし、ウェリタスの経営も素晴らしい。だから、ロウエル家にはお前が必要なんだ。お願いだ」
父はそこで、初めて頭を下げた。
しかし、ジェーンにはそれが、威圧から懇願に掌握の方法を変えただけにしか見えなかった。
意地汚く悍ましい人間の姿を目の当たりにし、心の中心がシンと冷えていくのを感じる。
「……私はロウエル家を出ます。お父様は私のことを"ジェーン"と名前で呼んだことが、今まで一回でもあったでしょうか」
ジェーンは机の書類を回収すると、そう問うた。
それを聞いた父は、目を泳がせて黙ったままだ。
「……でしょう? 私たちの関係性はそれが答えなのです。私はもう耐えられません」
「で、でもお願いだ! ジェーンが継いでくれなければ、本当に、本当にロウエル家は終わってしまうんだ」
執務室を出ようとしているジェーンに向かって、父が立ち上がり、明らかに焦った様子で声をかけた。
明らかに狼狽える姿を見て、ジェーンは少し溜飲が下がる。
「……もう一度言わせてもらいます。私は家を……」
ジェーンはそこまで口にして、一度考える。
父親のこんな哀れな姿など、もう見られないだろう。
そう思うと、急にもうひと蹴りくらい入れたくなったのだ。
「……私、隣国の王子と婚約中なのです! ですから、ロウエル家とはスッパリ縁を切って、この国を出ますわ!!」
ジェーンはポケットにたまたま入っていた、研究用に使っていたリングを瞬時に左手の薬指に嵌めると、声高らかに満面の笑顔でそう告げる。
そして、呆気に取られているギャラリーを置き去りに、くるりと踵を返すと勢いよく執務室を出て行った。
部屋を出る最後の瞬間、少し振り返ると、だらしなく口を開けて、ポカンとこちらを見ている父の顔が見えた。
それがなんともマヌケでおかしくて、ジェーンは腹の底から笑う。
「あ! アイナ!」
そして、ジェーンは執務室の外に控えていたアイナの手を取ると、その耳元で囁く。
「嘘がバレない内に早くズラかるわよ!」
「ズラかる……?」
「日本の言葉!」
「ニホン……?」
ジェーンは満面の笑顔でそう言うと、困惑しているアイナの手を引いたまま、廊下を全力疾走した。
(廊下を走ってはいけません! って言われたなぁ)
ジェーンは昔の記憶に浸る。
あの頃の私も、これくらい幸せだっただろうか。
もう私を邪魔する者は誰もいないのだ。
「ジェーンお嬢様! このアイナ、いつまでもどこまでもお供いたします!」
手を引かれていたアイナは、ジェーンと並走すると、幸せそうに笑ってそう言った。
「えぇ、お願いするわ!」
ジェーンも幸せいっぱいの笑みでそう答える。
外に出れば、季節はいつのまにか春を迎えていた。
研究ばかりで外を気にしていなかったジェーンには、全てが新鮮に映る。
「綺麗ね」
「はい」
柔らかな陽射しが2人を包む。
あたたかな風とともに、花びらが運ばれてくる。
新しい人生を踏み出すのにぴったりの、最高の1日だ。
「隣国に、帰るわよー!!」
「オウ、です!」
そうして2人は拳を上に突き上げる。
彼女が、隣国の第三王子がモヴァクだと知るのは、まだ先の話。
完
お読みいただき、ありがとうございました!!
(少しでも気に入っていただけたら、⭐︎やブックマークなど押していただけると大変励みになります!)
かなりダイジェスト版なので、ある程度需要があれば連載化も視野に入れようかなと思っています。




