【RZ 】受け継がれた魂
「すごいバイクでしたよ」
河辺さんは、遠い目をしながら語った。
「高速走行テストをしていると、ある回転数の辺りで無音になるんです」
「無音とは?」
「すべての音と振動がなくなって、コースを滑るように進み続けるんです」
RZ201
ヤマハが作ったロータリーエンジンバイクの写真が、私のデスクに飾られている。
この写真は、1991年に河辺さんからもらったものだ。
一緒に製品開発の仕事をした時、雑談の中で私がバイク乗りだと言うと、
彼が開発したバイクの写真をくれたのだ。
あの時、彼はすでに高齢の技術アドバイザーであり、若い私のような駆け出し技術者が失敗しないように、温かく見守ってくれる存在だった。
私のようなバイク乗りにとって、「ヤマハのRZ」といえば、2ストロークのRZ250・RZ350のことを指す。
RZ250・RZ350は、日本のバイク史の分岐点になったともいえる名車で、その後の2ストローク全盛期につながり、レーサーレプリカ/高性能バイクの大ブームを起こした起爆点ともいえる。
では、この聞きなれないバイク、RZ201とは何者なのか?
現代では、ネットでいくらでも情報が集められるが、1991年の当時は情報集めに苦労した。
まず、気になったのは201と250・350の関係性だ。
河辺さんから、201はロータリーエンジンであることは聞いていたので、エンジンがまったく別物なのは確定だ。
また、201は東京モーターショーで展示された車体で、発売されなかったことも聞いた。
確認できた発表年はこうだった。
・RZ201(コンセプトモデル)
発表:1972年 東京モーターショー
・RZ250
発売(発表):1980年8月
・RZ350
発売(発表):1981年(3月頃)
201は250よりも8年も昔のバイクなのだ。
つまり、「RZ」とは201のために与えられた型番だったのだ。
バイクメーカーごとに、バイクに対していろいろな型番が使われている。
ホンダならCB、カワサキならKZ、スズキならGSといった具合だ。
ヤマハといえば、「R」は2ストロークバイク、「T」が4ストロークといったイメージを持っていた。
ところが、201のことを調べるうちに、「R」はRotaryのRだったことが分かってきた。
ヤマハは試作モデルの型番に「Z」を使う。
201の開発プロジェクトコードは「YZ587」。
ヤマハの社内でも、知る者が限定されていた極秘プロジェクトだったようだ。
エンジンは、ロータリーエンジンのライセンスを持っていたヤンマーが担当した。
完成したバイクは、ヤマハの威信をかけたものとなった。
当時としては、前後ディスクブレーキ、水冷エンジンといった装備は、レースの世界でしか見られない最先端技術が使われていた。
1972年の東京モーターショー。
RZ201の発表はセンセーショナルで、人々が群がった。
現在なら当時の記事を見つけることができるが、その完成度はもはや市販車レベルだったようだ。
販売用のカタログも用意され、販売予約の話まで出ていた。
それなのに、販売はされなかった。
河辺さんは、「オイルショックの影響で販売は中止になったんですよ」と語った。
オイルショック(石油危機)は、東京モーターショーの直後に発生した。
原油価格が4倍になり、ガソリン不足、物価が急上昇し、社会は混乱した。
それまで日本を支えていた高度経済成長が、このオイルショックで終焉を迎えたほどの出来事だった。
でも、本当にそれが理由だろうか?
201のロータリーエンジンは、アペックスシールを保護するために、燃焼用オイルを分離給油する方法を取った。
まるでモーターのように回るエンジンは、燃焼が終わる前に排気してしまう欠点もあり、どうしても燃焼効率が低くなる。
しかし、だ……。
オイルショックは1973年の出来事だが、ヤマハはこの年にRD250を発売開始している。
RD250は2ストロークエンジンで、燃費の悪さで言うのなら、4ストロークエンジンと比較して圧倒的に悪い。
このバイクが発売できて、201が発売中止になった理由は、本当に燃焼効率だったのだろうか?
日本メーカーで初のロータリーエンジン搭載の市販車は、1974年のスズキRE-5となった。
どこよりも先行してロータリーエンジンを開発したRZ201。
エンジンに関する特許を見ても、開発過程の苦労をしのぶことができる。
やはりアペックスシールは曲者で、応力集中によるカジリと戦ったようだ。
やっと突破した特許技術を盛り込んで挑んだ東京モーターショー。
「熱狂」と「賞賛」
ライダーたちと販売店の「熱望」と「期待」
苦労した開発者たちの笑顔が容易に想像できる。
だからこそ、販売直前での「中止」。
どれほど悔しかっただろう。
1972年 RZ201 Rotary+開発コードZ
1973年に発売されたRD250のRDは、「Race Developed(レース開発)」という意味だ。
すると、1980年に発売されたRZ250のRZは、RDの後継機種という意味が正解なのだろう。
でも、人というものはそれほど単純ではない。
涙を流した開発者たちへの、鎮魂の意味を込めた名前であろうことは想像できる。
「君たちのことは忘れないよ」
「あの期待と熱を、このバイクが引き継ぐよ」
RZ
河辺さんは語った。
「まるでモーターのように回るエンジンでした」
「バイクのエンジン音といえば、ドドドドドって感じの断続音ですが、ロータリーは連続音になるんです」
「ウーーーーーーーーーーーーーーン、って感じの」
「それも、特定の回転数になると、共振するというのか……振動も音も消えてしまう領域があるんですよ」
「それはもう、音のない世界を滑るように進むんです」
私は手元の写真を見ながら思う。
もっと、河辺さんの話をたくさん聞けばよかった。
あの時は資料が少なすぎて、それがどんな出来事だったのか、全然わからなかった。
今ごろになって、いろいろと背景が見えてきても、もう聞けないじゃないか……。
ヤマハのテストコース。
RZ201に跨った河辺さんが、音もなく疾走する。
目を閉じて、そんな姿を想像した。




