【パリダカールラリーの話 後編】
仕事の手を止めて、デスクの上のコーヒーに口をつけた。
片手で蓋の開閉ができるビジネス用の魔法瓶ボトルなので、まだ十分に温かかった。
設計中だったCADを閉じると、パソコンのモニターが壁紙に指定していた「砂漠」の風景に戻った。
先輩であり、親友でもあった「タカシ」がパリ・ダカールラリーに出場した年のことを思い出す。
パリダカのTVニュースは、晩の特番として放送された。
パリを出発したラリーはアフリカに渡ると、砂漠ステージに入る。
テレビでは人気のパジェロ(4輪)とトップドライバーしか出てこない。
それでも、画面の端にタカシが映った時は、うれしかった。
その翌日は、レース仲間達と「昨日のタカシに気付いたか?」と騒いだ。
毎日、リザルトを確認して、順位が上がったとか下がったとかで、何が起きているのかを想像した。
レース半ばのある日、順位表からタカシの名前が消えた。
仲間で情報を集めて回った。
すると、タカシは怪我をしてフランスの病院にいることが分かった。
砂漠を走り続けると、砂丘のアップダウンが分からなくなるらしい。
150キロ位の速度で平坦な砂漠を疾走していたはずなのに、
気が付くと、地面がなくなり、砂丘の頂点から30mもの大ジャンプになっていた。
谷底に粉砕したカミオン。
それでも、タカシは転倒せずに着地した。
しかし、代償は大きく、脊椎を圧迫骨折した。
タカシはそのままヤマハのサービス隊の所まで走り続け、リタイヤした。
ヘリでフランスに送られ、容体が安定したところで、やっと日本に移送された。
ラリーでリタイヤは珍しい事ではない。
タカシは十分に戦ったと思ったし、私にとっては無事に帰国したことが何よりもうれしかった。
病室に入ると、タカシがいつもの笑顔で迎えてくれた。
私もいつもの調子で、笑いながら声をかけた。
「こんなところで、なにしてんのよ」
タカシは布団をかぶって、
「ん? タカシは、まだ砂漠を走っているはずだよ」
と、言った。
雷に打たれた気がした。
今のはなんだ????? 俺は何を見たんだ?????
あれから約30年
いまだに忘れない。
あれは、恥ずかしかったのではない。
あれこそが、期待を背負ったライダーの姿だったのだと思う。
スポンサーという、多くの仲間から支援を受けたのだ。
その期待を背負ってゴールを目指したのだろう。
だから、脊椎が折れても前に進み続けたのだろう。
タカシはその3年後に、再びパリダカに挑戦し、ダカールの海岸を疾走している。
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コーヒーを飲み終えて、仕事を再開した。
私の仕事にどれだけの予算が使われているかを、簡単に計算してみる。
そこに、どれだけの期待が乗っているのか。
いまの私に、タカシのような気迫はあるだろうか?




