【ツーリングの朝】
あさ六時。
目覚ましが鳴るより少し早く、わたしは目を覚ました。
今日は舞鶴だ。
かき小屋で、殻ごと、湯気を上げる牡蠣を豪快に食す――そのためだけに、この寒い朝に起きる価値がある。
布団の中でそう思うだけで、胸の奥がじわっと温かくなる。
外はきっと冷えている。
でも天気はいいはずだ。
昨日の夜、天気予報はそう言っていた。
家族はまだ寝ている。父と母、妹。四人暮らしのこの家で、こんな時間に動き出すのはわたしだけだ。
階段を軋ませないように、忍び足で自室を出る。
洗面所で顔を洗い、気合を入れるように軽く頬を叩く。
「よし」
ツーリングの準備は戦いだ。特に冬は。
まずは吸湿発熱機能のある防寒アンダーシャツ。
薄いのに、これがあるかないかで天国と地獄が分かれる。
次に防寒タイツ。
これも吸湿発熱タイプだ。
生地を引き上げながら、太ももを守ることの重要性を改めて噛みしめる。
その上から、ブーツソックス。太ももまである長いやつだ。
冬のツーリングは、とにかく太ももが冷える。
なぜ、太ももが最も冷えるのかよくわからないが、風を受け続けると、感覚がなくなっていく。
さらにその上から、バイク用の「暖パン」。
裏地は風を通さない加工がされている逸品だ。
上はフリース。もこもこして動きづらいが、我慢だ。
その上に、バイク用の防寒ジャケット。
前のジッパーが二重構造で、最後はマジックテープでぴっちり閉じる完全防風仕様。
装着していくうちに、だんだん身体が重くなってくる。
首元が冷えるのでネックウォーマーを被り、ジャケットの下で整える。
グローブは手首まである電熱タイプ。昨晩のうちに充電しておいた専用バッテリーを繋ぎ、手首のポケットに仕込む。
このひと手間を惜しむと、後で後悔する。
ヘルメットはノーズカバーを仕込んだもの。
寒風が上がってこないようにするためだ。
シールドは結露防止の二重タイプ。
冬装備、抜かりなし。
最後に玄関で、足首まであるトレッキングシューズを履く。
ここまでで、もう汗ばんでいる。
玄関を出ると、冷たい空気が一気に流れ込んできた。
「さむ……」
駐車場へ向かう。
普段、通勤に使っているKSR110の横を通り過ぎ、車庫へ。
今日はきみじゃない。
まずはホンダ・フィットの運転席に乗り、ヘルメットを助手席に置く。
エンジンをかけ、家の前に横付けして降りる。
CB400SF(NC42)は、普段は盗難防止の意味で、車の後ろに置いてある。
・・・いや、本当は車を出しやすくするためで、そこしか置き場所がなかっただけだ。
CBのカバーを外し、盗難防止のロックを外す。金属が触れ合う音が、やけに大きく感じる。
早朝の住宅街だ。気を遣う。
CBを押して、フィットの車庫入れの邪魔にならない位置まで移動させる。
重い。とにかく重い。
いったんCBを置いて、再びフィットに乗り、車庫入れをする。エンジンを切り、降りる。
ヘルメットはCBのミラーに被せた。
家の鍵を締める。
まだ六時台。土曜とはいえ、寝ている人も多いだろう。
エンジンは掛けずに、静かにCBを押して歩き始める。
目標は百メートル先の橋だ。
そこを渡れば、少し大きな道路に出る。
ザリザリ……シャラシャラシャラ。
チェーンの音が、静かな朝にやけに響く。
五十メートルほど進んで、いったん止まる。
ジャケットの前を開けると、白い湯気が立ち上がった。
「あっちぃ~」
完全にオーバーヒートだ。
バイクに乗るまでの準備で、体力ゲージが空になっている。
通勤用の小さいバイクなら、家を出てすぐ発進できるのに。
CBは、なんでこんなに大変なんだろう。
再びバイクを押し始める。
ふと、ゴルゴダの丘に向かうキリストの姿を思い出した。十字架を背負って歩く、あの絵。
あれ、映画だっただろうか。そんな画像を見たことがある気がする。
今のわたしには、CBが十字架に見える。
ようやく橋を渡り切った。
太い道の脇にCBを置き、ジャケットの前を閉じる。
ヘルメットを被り、グローブを嵌める。
深呼吸。
バイクに跨る。
「さぁ、行くぞ」
キュルキュル。
ブァン!
暖気もせず、そのまますぐにスタートする。
次の交差点で赤信号に捕まり、停止。
エンジンの鼓動が、太もも越しに伝わってくる。
ここで、しばらく暖気だ。
信号が青に変わる。
暖気を終了して、発進。
交差点を右折すると、車は一台もいなかった。
一気にワクワクが増してくる。
アクセルを開ける。
力強い加速。背中を押される感覚。
「これこれこれ!」
さっきまでゼロだった体力ゲージが、一瞬で満タンになる。
寒さも、重さも、疲れも、全部吹き飛ぶ。
やっぱり――
バイク最高だ。
舞鶴はまだ先。
かき小屋も、その向こう。
でも、もう勝った気がしていた。




