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バイク小説 短辺集  作者: 霧笛の火魔人


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10/15

【潮風の夜に】

挿絵(By みてみん)



青年は、明石海峡大橋をバイクで渡っている最中だった。


尼崎の自宅から阪神高速神戸線を走り、湊川ICで下りて国道2号を特に目的もなく明石方面まで走った。


明石海峡大橋が見えた時、

――神戸って、そう言えば海に面した港町なんだな...。

と思った。


衝動的に渡りたくなり、再び高速に上がった。


すでに日没が近かった。


橋の上を走ると、眼下に広がる海がオレンジ色に輝いている。



橋は車線が広く、とてつもなく長く、淡路島へ向かう。

体に染みつく疲れに、風が心地よい。

青年は、風と共に潮の匂いを深く吸い込んだ。


特別な理由があったわけじゃない。


確かに、会社はつまらないし、同じ毎日の連続だ。

一人暮らしの部屋は散らかり放題で、週末の掃除や洗濯も面倒くさい。

友人たちとの飲み会は、いつも同じ話の繰り返し。


彼女は欲しいと思っている。

アプリを試したこともあるけど、続かない。


二十代後半にもなって、出会いが無いわけじゃない。

ただ、なんとなく億劫で、なんとなく放置している。


確かに、胸が躍るような毎日じゃない。

しかし、我慢ができないほど惨めな毎日でもない。


だから、特別な理由はなかった。

ただ、土曜日の午後、ベッドから起き上がった瞬間、すべてをすっぽかしたくなった。

掃除も洗濯も、夕方の友人たちとの約束も。

青年は、クローゼットからヘルメットを取り出し、ZX-25Rに跨った。


バイクを買って、まだ一年も経っていない。

並列4気筒のエンジンが、低く唸る。


誰にでもそんな日がある。

特別な理由はないが、しかし、多分、よく考えればやはり理由はあるのだ。


一切の予定をすっぽかして風を切るのは妙に気分がよかった。


何故か、すべてがちっぽけで下らないものに思えた。


海峡を渡る風が、ヘルメットの隙間から入り込み、汗ばんだ首筋を冷やす。

淡路サービスエリアに着いて、バイクを停め、ヘルメットを外したところで声がした。


「速そうなバイクだね」

振り向くと、そこに、ガタイの良い体格の男が立っていた。


作業着姿。五十代半ばだろうか。

いや、もう少し上かもしれない。

良く焼けた顔に、人懐っこい目。

土木業の人だと一目でわかった。

トラックの荷台に、工具や資材が積まれている。


「いいバイクですよ。走ると、とても気持ちいいんです」

青年は素直に応えた。


「そうか。いい音してたな。並列4気筒か。俺も若い頃は、そういうのに憧れたもんだ」


男は、青年のマシンにじっくり目をやる。ZX-25Rのシャープなカウル、黒と緑のカラーリングが、夕陽に映えて輝いている。



「キレイにしてるね。大切に扱っているのが良くわかる」


「僕の唯一の趣味ですからね」

青年は照れくさそうに笑った。


「ものは、新品でも雑に扱えばすぐダメになる。逆に、大切に使えば、道具はちゃんと答えてくれる。」

「大切に扱われた道具は、新品にはない独特の美しさがあるもんだ」


男は独り言のように呟く。


「大体ね......」一息ついてから、男は言葉を繋いだ。


「大体、最近は物がありすぎて、雑に扱うやつが多くてよ」

「バイクだってそうだろ。調子悪くなったらすぐに乗り換えちゃう。でもさ、道具を大切に使えば、道具は答えてくれるんだ。走りが変わる。音が変わる。信頼感が変わるよ」


男のトラックを見ると、工具や機械が積み込まれている。

どれも、年季が入っているが、鈍い金属の色が美しい、


「お仕事ですか?」


「まあね。これから香川で仕事なんだ。橋を渡るたび、毎回ここで休憩する。景色がいいからな」


「香川県まで? 遠いですね」


「遠いけど、慣れたもんさ。体を使う仕事だから、運転も苦じゃないよ」


男が、青年の目を覗きこむ。青年は、曖昧な微笑みでそれに応えた。


「道具は大切に使うと、その想いに応えてくれるんだ。俺の軽トラだって、ボロボロだけど、まだ走る。」


「何となく分ります」


「そうかね。君もそんな感じかね」


「ええ」


二人は、どちらからともなく微笑んだ。



「こう見えても、若い頃は車に凝っててね。丁度、君ぐらいの時だな。スープラだとかスカイラインGT-Rだとかね.....。ずい分、親爺やお袋にどやされたもんだよ」


男の目が少し遠くを見る。


「今は、もう乗らないんですか?」


「スポーツカーはね。でも、走ることは好きだよ。今はオンボロの軽トラだけど、あれだって充分走る」

「ちゃんとメンテして、大事に使ってるからな。走っててね、海の匂いがしてくると実に気分がいい」


男が、健康そうな厚い胸に潮風を吸いこんだ。

体を使う仕事を続けてきた男だというぐらいは、青年にも見当がついた。


サービスエリア、バイク置き場横の展望デッキから、明石海峡大橋の向こうに、神戸の街並みが見える。


港湾と六甲山の間に、無数の光が点滅している。

まるでSF映画のセットだ。


その右手に、長方形の箱のようなビル群が神戸だ。

大阪の街も、遠くにぼんやりと重なる。


黒い山影を背に、長方形の箱たちも光を帯び始める。

都市に夜が舞いおりる。


「キレイですね...」

青年は、デッキから身を乗り出して呟いた。

その脇に男が立っている。

男も、発光し始めた都市の全景に目を奪われている。


「捨てたもんじゃないよね、神戸も....」

男も呟く。


「神戸の生まれですか?」


「そう。三宮で生まれた。いわゆる、元町生まれの元町育ちってやつだよ」


日が沈み空がオレンジ色から濃紺に変わっていく。

男の横顔はLED道路照明灯で照らされている。


「君は?」

男が訊いた。


「僕は大阪生まれです。尼崎です」


「尼崎か。工業地帯だね」

男が、両切りの煙草をくわえて、それに火をつける。


「三宮はいいですか?」


「そりゃ、いいとこも悪いとこもあるさ。元町ったって、どんどん変ってるからね。でも、私は好きだよ。やっぱり、生まれたとこが一番さ。.......尼崎はどうかね?」


「同じですよ。好きなとこも嫌いなとこもあります」


「そうだろうね」

男は、煙草の煙をゆっくり吐き出す。それが、潮風に吹き飛ばされて消える。


「この海だって捨てたもんじゃないだろ?」


「そうですね」


「人間てえのは、案外、足元のことには気がつかないもんだよ」



青年は気さくな男に、今日のもやもやした気持ちを聞いてほしくなった。

この男なら、なにかヒントをくれそうな気がしたのだ。


「今日は、なにもしたくなくなって、全部すっぽかしてブラブラしてるんでよ」

「疲れが取れないもんで、目覚まし無しで寝て起きたら、もう午後でした」


「頑張りすぎた時は、思いっきり寝るのは正解だよ」


「仕事はきつく無いのですが、なんか疲れだけがたまるんですよね」


「残業とかしてるわけでもなく?」


「欲しいものがあるわけでもないので、しませんね」


男は少し考えて答えた

「今は物欲が無くなって働かなくなる傾向があるよね」

「物欲は悪いことじゃない。欲しいものがあるからこそ働く意欲が沸くんだ」

「手に入れたいものがあるから活力が沸くし、体を動かすと身体が軽くなる」

「動かないと動くのが億劫になる。楽な方に逃げると、人生をつまらないものにしてしまう。」


青年は頷いた。会社でデスクに座りっぱなしの自分が、なんとなく思い浮かぶ。


「女のことも同じさ。付き合うと面倒とか、お金がかかるとかじゃなく、女と付き合いたいから頑張って働いて、自分磨きをするんだ…。欲しいと思ったら、動く。それが活力になる」


男の言葉が、青年の胸に刺さる。

彼女が欲しいのに、動かない自分。

あの億劫さは、何なんだろう。


闇が深くなってゆく。

都市は発光している。

音は聞こえないが、間違いなく、そこに熱と力が渦を巻いていることは分る。


「人間、自分のことを外から見られるといいんだがね.......」

男の呟きが青年の耳に残った。


青年は潮風を吸い込んだ。

青年は、自分の日々の暮らしと、そして明日のことを考え始めていた。


淡路サービスエリアの灯りが柔らかく周囲を照らす。

男は、トラックの方へ歩き始めた。

「じゃあ、俺はこれで。」


「気をつけて」

青年はそう言って、男を見送った。


トラックのエンジン音が遠ざかり、サービスエリアは静かになる。

バイクに跨り、ヘルメットを被る。


ZX-25Rのエンジンをかける。

低く、力強い4気筒の唸りが、体に響く。


このバイクを買った時、興奮した。

高い買い物だったけど、大事にメンテしてきた。


オイル交換、チェーンの調整、洗車。

雑に扱わなかったからか、走りがどんどん良くなっている気がする。


道具は答えてくれる。 男の言葉が、頭に残る。


帰りは同じ橋を渡る。

夜の明石海峡大橋はライトアップされ、幻想的に輝いている。


その向こうに、青年が生まれ育った都市があった。

尼崎の工場群、大阪のビル群、神戸の港湾エリア。



家に帰ったら、部屋を片付ける。

体を動かせば、軽くなる。

ジムに行く。

自分磨きをする。


彼女が欲しいなら、動かなきゃ。


欲しいものがあるから、働く。


バイクのエンジンが、再び唸る。

アクセルを捻る。

風が、体を包む。

海に抱かれた都市へ、戻る。


少しだけ、外から自分を見ながら。




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