喝采の裏側と、終わりの始まり
アイリスが王都の門をくぐり抜けてから、わずか十数日。
王都は今、皮肉にも未曾有の熱狂に包まれていた。
「……出たぞ! 魔獣だ! 北の門を突破されたぞ!」
悲鳴のような叫びがつづく。
北の門。
そこはかつてアイリスが数万の術式を編み上げ、魔虫一匹すら通さなかった鉄壁の防壁。
しかし今、その堅牢だったはずの壁に、最初の「穴」が開いた。
結界の綻びを食い破り、どす黒い瘴気を纏った魔獣が街路へと躍り出る。
悲鳴を上げ、逃げ惑う民衆。
阿鼻叫喚の図が広がりかけたと思われた、その時。
眩いばかりの光を放つ黄金の鎧――「剣の聖女」カトリーナが舞い降りた。
「ひれ伏しなさい、下劣な魔獣よ! 聖剣の光に焼かれなさい!」
カトリーナが鮮やかに聖剣を振るう。
爆発的な光が魔獣を包み込み、一撃でその肉体を粉砕した。
飛び散る火花。
後に残るのは、浄化された空気だけ。
「……おおおっ! すげぇ、一撃だ!」
「見たか! アイリスがいた頃は、こんなに凄いことは起こらなかったぞ!」
「あんな地味な女、最初からいらなかったんだ! カトリーナ様こそが真の聖女だ!」
民衆はこぶしを突き上げ、カトリーナの名を叫ぶ。
カトリーナは誇らしげに胸を張り、民衆へ向けて優雅に手を振った。
その光景を、城のバルコニーから眺めていた王太子エドワード。
満足げにワインを煽る。
「ふふん、見ろ。アイリスがいなくても、この国は以前より活気に満ちている。あいつの『予防』だの『点検』だのは、ただの無能の居直りだったという証拠だ」
だが。
その熱狂の渦を、冷めた目で見つめる男が一人いた。
隣国の王子、レオナルド・エル・ファズラベルである。
(……違う。何もかもが、間違っている)
レオナルドは、冷や汗が背中を伝うのを感じていた。
剣の聖女カトリーナが流れこませた、清浄な空気。
その中に、過剰な魔力の残滓が漂っている。
民衆を喜ばせるために、聖剣に填められた魔法石の魔力を無駄遣いしただけだ。
レオナルドの国は、魔法工学において王国を凌駕する先進国だった。
だからこそ彼の目は、「見栄えの良い勝利」の裏に隠された致命的な破綻を見抜く。
(魔獣を倒した? 違うな。そもそも、盾の聖女アイリスがいた頃は、魔獣が侵入すること自体があり得なかったんだぞ)
アイリスの結界は、いわば「不可視の要塞」だった。
彼女は魔獣が接近する前に結界の補助魔法を操作し、魔獣を遠ざけていた。
戦わないことで結界の摩耗を減らし、膨大な維持コストを抑え込んでいたのだ。
そうやって戦わない道を選びつづけるから、派手な光も爆発も起きない。
民衆には「何も起きていない」ように見えていただけ。
(だが今のカトリーナはどうだ? 結界に穴が開くまで気付いてもいない。侵入されてから力任せに叩き伏せているだけだ。これは「防衛」なんかじゃない。ただの「後手」だ)
さらにレオナルドの目を引いたのは、カトリーナが放った聖剣の光の「副作用」だった。
魔獣が消えた後、王都の石畳に施された魔法陣に、かすかな亀裂が入っている。
過剰な魔力が王都に過負荷を与えたのだ。
アイリスが十年もかけて調整してきた精密な補強術式を焼き切ったに違いない。
(アイリスがいないこの街は、すでに内側から腐りはじめている。……ここはもう、終わりだな)
レオナルドは即座に踵を返し、傍らに控える腹心の部下に命じた。
「荷をまとめろ。予定を早める。……王都の状態が悪化し、この熱狂が絶望に変わる前に、我らは帰国する」
「……よろしいのですか? リンガス王国との同盟交渉はまだ……」
「あんな無能な王子と手を組む価値はない。それよりも――」
レオナルドは窓の外、荒野が広がる北の方角を見据えた。
「アイリスを捜せ。手段は問わん。彼女はもう、この国の聖女ではないのだ。……ならば、俺たちが手に入れたって構わないだろう?」
彼の瞳に、冷徹な光が揺れる。
それはアイリスという希代の魔法技術者に対する、歪んだ執着だった。




