祝祭の影と死の荒野②
「宿は……あるはずありませんよね」
村人の視線を無視して、アイリスは村の中を覗く。
宿はおろか、身体を休められそうな食堂や酒場もない。
アイリスは村の中で休むことを早々諦め、村の外れの岩場に腰を掛けた。
冷たく、乾いた風が、頬を撫でる。
「……あ、あの」
不意に、少年の声が鳴った。
見ると、十代前半の痩せ細った少年が、汚れた布きれを纏って立っていた。
ニコ、と彼は名乗った。
聞けば、両親は瘴気で亡くなり、村人からは「呪いの子」として疎まれて生きているという。
「ボクの家に、泊まっていいですよ。何もないけど……ここよりはマシだから 」
ニコに案内されたのは、あばら家と呼ぶのも憚られるほどボロボロの小屋だった。
アイリスは、一泊分の宿代として、王都の金貨を一枚差し出した。
それはこの村なら一生分の食費にもなる大金だ。
しかしアイリスにとって、エドワードの肖像が刻まれた金属片など、ただの重りと同じだった。
「ありがとう。……これ、お礼に。あんまり甘くはないけど」
ニコが泥だらけの手で、小さな木の実を数粒差し出してきた。
瞬間。アイリスはびくりと身体を揺らす。
少年の指先。
極寒の風と過酷な生活によって、その関節は赤紫に腫れていた。
指先には痛々しいあかぎれが無数に走っている。
アイリスは、反射的に自分の手袋を脱いだ。
彼女の手もまた、同じように傷だらけだった。
結界という名の暴力に、十年間も魔力を吸い取られつづけた聖女の手。
「お姉さんの手……」
ニコが息を呑んだ。
「ボクと同じだ。……痛いよね、それ。すごく、痛いんだよね」
ニコの小さな声が、アイリスの胸の奥を激しく突いた。
王都のエドワードも、カトリーナも、誰も見向きもしなかった傷。
汚いものを見るように目を背けられてきた、彼女の努力の証。
それを、この世界の片隅で虐げられている少年だけが「同じだ」と言って見つけたのだ。
「……そうね。ずっと、痛かったわ」
アイリスは震える手で、大切に持ちつづけていた軟膏を取り出した。
自分を治す魔力すら結界に捧げてきたアイリスが、せめてもの気休めに使いつづけていた薬。
「あなたに、これを。……私はもう、この痛みから卒業するつもりだから」
アイリスはニコの腫れた指先に、丁寧に薬を塗り込んでいく。
冷たかった少年の手が、少しずつ温かくなるのを感じた。
やがて夜が更ける。
わずかな時間だけ眠っていたアイリスは、目を覚ました。
今はもう、一日中結界の監視と保守をする盾の聖女ではないのに。
勝手に目が覚めてしまう長年の習慣は恐ろしい。
「さて、ゴーレムを見に行ってみますか」
隣で眠っていたニコを起こさないように、アイリスは立ち上がる。
小屋を出て、古代ゴーレムがある方角へと、夜の荒野を歩きだした。




