崩壊の夜
その同じ夜、王都では地獄の幕が上がっていた。
盾の聖女アイリスを失った結界は、ついに臨界点を突破した。
堰を切ったようにして溢れ出す、瘴気と魔獣の群れ。
剣の聖女カトリーナは、叫びながら、無差別に聖剣を振り回す。
「消えなさい、汚らわしい! 王国の光である私がすべてを浄化してあげます!」
聖剣から放たれた眩い光。
一瞬にして魔獣を消し去った。
しかし、その過剰な光の力は、アイリスが十年かけて施した浄化の魔法陣を次々と引き裂く。
「……あら?」
カトリーナが首を傾げた瞬間。
彼女の足元の石畳から、どす黒い液体が噴き出した。
王都の地下深くで潤沢に貯められていた水が、浄化の膜を破り、流れこんできた瘴気と混ざったのだ。
「水が、水が腐っていく! 殿下、助けてください!」
「カトリーナ! 何をした、結界はどうした!」
エドワードの怒号に、カトリーナは真っ青な顔で後ずさる。
「わ、私はただ、浄化の光を放っただけですわ! 悪いのはこんなに脆い魔法を残したアイリスよ!」
言い訳が、王都の空にひびきわたる。
しかし彼女の叫び声は、不吉な破砕音に掻き消された。
見上げた夜空。わずかに残っていた最後の結界が裂け、砕け散る。
アイリスが心血を注いで維持してきた王国の「盾」が、完全に崩落した瞬間だった。
荒野に、夜明けが訪れる。
陽の光を受け、黄金の輝く巨神の姿を取り戻したゼノン。
その肩の上に立つアイリスは、遥か彼方にある王都の方角を眺めていた。
あちらこちらで、漆黒の煙が上がっている。
幾重にも張り巡らされた結界がついに砕け、瘴気と魔獣が王国領を襲ったのだ。
王国の民衆が根拠なく抱いていた希望の光は、もうどこにも見えない。
「……落ちたのね」
かつてアイリスが、命を削って守っていた場所。
王太子と剣の聖女、貴族と民衆たちの無計画な傲慢さによって、自壊していく。
まったく酷い有様。
その光景を見ても、アイリスの心には微塵の同情も湧かなかった。
「行きましょう、ゼノン。……あんな場所、もう二度と振り返らなくて済むところまで」
「承知した、マスター。進路を東へ。この世界の果てまで、マスターを運びましょう」
巨神の重厚な一歩。
大地を震わせた。
王国の滅亡を背にして。
アイリス・フィン・ハザトロトは、新たな歴史を刻むべく歩み出した。




