新月の夜の脆弱な契約①
ゴーレムの中での生活は、アイリスにとって驚きの連続だった。
宮殿での生活が快適というだけではない。
千年もの間、管理者が不在だったゼノンは、驚くほど不器用で、献身的だった。
「マスター、この部屋の色彩はどうだろうか。視覚的に不快ではないだろうか? マスターの好みを分析し、情報を整理しておきたいのだが」
ゼノンが指を鳴らすだけで、無機質な壁が柔らかな木目調へと組み換わっていく。
家具や日用品も同様だ。
アイリスの好みや気分に合わせて変換される。
光量も、空調も、亜空間の天候に至るまで。
「天候ぐらいは、季節に合わせてランダムに調整しても構わないわ」
「承知した」
「それよりも、この宮殿に図書室はないかしら。調べたいことがあるのよ」
快適な生活を維持するためには、このゴーレムのことをもっと知る必要がある。
応急処置を施した魔法石と魔法陣も、完璧に修復しなくてはならない。
やるべきことは山のようにあるのだ。
もちろん、どれも急ぐべきことではないのだが。
「無論、図書室はある。こちらへ」
「ありがとう。ニコ、あなたもいらっしゃい」
「はい、アイリス様!」
アイリスが手招くと、ニコが傍へ駆け寄ってくる。
しかしアイリスに仕えることを意識してか、前に出るようなことはない。
ゼノンの後ろに付き、大人しく歩きだした。
(……ずいぶん慣れたのね)
ニコはしばらく、人間ではないゼノンに警戒している期間があった。
しかしある日、ゼノンが木彫りの玩具を作ってみせてからは一変。
ゼノンに懐いただけでなく、共にアイリスの世話をするようにまでなった。
「ニコ、私に仕えるなら、今から行く図書室で勉強もしなさい」
「わかりました、アイリス様!」
ニコがしっかりと返事し、頷く。
まだ子供ではあるが、このまま素直に育てば優秀な人材になるかもしれない。
ゼノンに案内された図書室。
想像を超えた膨大な蔵書数だった。
知りたかったゼノンの情報、魔法工学だけではない。
建築や歴史、政治や文学、暮らし、趣味に至るまで集められ、整然と分類されている。
「これは古代の機械の図面……? 絵画の複製品まであるのね、すごいわ」
アイリスは目を輝かせ、図書室を隈なく見て回った。
一生かけても読み切れない宝の山が、ここにある。
快適な生活に飽きる日が来ても、知的好奇心には果てがない。
豊かな第二の人生の始まりに、アイリスは胸を高鳴らせた。
しかしその、希望だけに満ち溢れた未来へ陰が落ちる。




