盾の聖女の「退職願」①
王都は、歓喜の絶頂にいた。
広場を埋め尽くす民衆の、怒号のような歓声。
空を舞う色とりどりの紙吹雪。
それは、魔獣の侵攻を神速の剣で退けた「剣の聖女」カトリーナの凱旋を祝う、熱狂の渦だった。
だが、その華やかな光の下。
王城の最下層、陽の光すら届かない守護聖堂。
そこの空気は、肺を刺すように冷たく、重い。
「……北西、第三十六から四十二区画。瘴気圧の上昇を確認。……中和。魔力流、下方修正。……安定……よし」
アイリスは、巨大な魔法陣の中央で膝をつき、かすれた声でつぶやいた。
彼女の視界には、現実の景色に重なるように、王国全土を覆う多重結界の「構造線」が青白く浮かび上がっている。
代々つづく盾の聖女の家系。
アイリスの仕事は、この国を蝕もうとする目に見えない毒――「瘴気」を遮断し、国民の日常を維持することだ。
それは、祈りというよりは「保守作業」だった。
瘴気の侵食によって、結界には絶えず微細な「亀裂」が入る。
アイリスは一日中、その綻びを見つけ出し、自らの魔力で一針ずつ縫い合わせるように補修しつづけていた。
ふと、魔法陣に触れる自分の手を見る。
指先は、絶え間ない魔力の摩擦によってあかぎれが走っていた。
関節は赤紫色に腫れ上がっている。
かつては滑らかだった指紋も、今はもう判別できないほど薄れていた。
アイリスは、懐から取り出した安物の軟膏を、震える指で塗り込む。
「……痛いな」
こぼれ落ちる、独り言。
祝祭の喧騒が、分厚い石壁を通し、かすかな振動として伝わってくる。
あの光の中に、自分の居場所はない。
アイリスの十代はすべて、このカビ臭い地下室で「平和という名の現状維持」のために消費されてきた。
「アイリス様。王太子殿下がお呼びです。至急、謁見の間へ」
背後で、冷淡な騎士の声がひびいた。
アイリスは、腫れた指を隠すように古びた手袋をはめ、重い腰を上げた。




