第6話:重力加速度のデバッグと、弟子入り志願の構文エラー
「おい、そこの沈み込んでるお嬢さん! 動くな、余計なエネルギーを消費するな!」
重力バグが渦巻く『爆炎の谷』の縁から、カズキが叫んだ。 谷の底では、魔導師の少女アリスが、身の丈ほどもある杖を支えに四つん這いになっていた。彼女の周囲だけ、地面が重圧で数センチ陥没している。
「な、なによ……! 動きたくても、見えない巨人に肩を掴まれてるみたいに重いのよ! 詠唱も……息が苦しくて、まともにできないし……!」
アイリスがホログラムの地図を操作しながら補足する。
「カズキ、あそこは酷いわ。空間の数式が『G(重力加速度)= 9.8』じゃなくて、誰かが書き換えたみたいに『G = 30』くらいになってる。生身の人間ならあと数分で内臓が悲鳴を上げるわよ」
「……単純な定数の書き換えか。素人のプログラミングだな」
カズキはカバンから**『布粘着ガムテープ』と、予備の『登山用ロープ』、そして大学の購買で買った『ステンレス製定規』**を取り出した。
「アイリス、お前のその管理者端末から、一時的にこのロープの『摩擦係数』をゼロに固定できるか?」
「えっ、まあ、数秒なら『滑る』という概念を固定できるけど……何をする気?」
「物理演算のバイパスだ」
カズキは近くの頑丈な岩を支柱にし、ロープと定規、そしてガムテープを組み合わせて即席の**『動滑車システム』**を構築した。
「重力が3倍なら、こちらは動滑車を3つ……いや、安全圏を考えて4つ組み合わせる。これで僕が引く力は理論上、4分の1になる。そこに摩擦ゼロの補正をかければ……」
カズキはロープの端を自分の体に巻き付け、反対側をアリスのいる重力圏内へと投げ込んだ。
「おい、そのロープを杖に結べ! あと、自分の腰にもだ!」
「えっ、あ、はいっ! ……でも、こんな細い紐で私を引き上げるなんて——」
「理屈はいいから早くしろ! 摩擦のない滑車は、神の力より確実だ!」
アリスが必死にロープを固定した瞬間、カズキは岩を蹴って反対方向に走り出した。 普通なら、重力3倍の負荷がかかった人間を引き上げるのは不可能だ。しかし、カズキが組んだ多段滑車のシステムと、アイリスが一時的に固定した「摩擦係数ゼロ」の領域により、力のベクトルが劇的に変換される。
「……計算通りだ! 重力定数のバグを、機械的倍率で相殺する!」
ズズズッ、という音と共に、アリスの体が重力の泥沼から引き抜かれ、軽々と宙を舞った。
「ええっ!? 浮いた!? 私、何も詠唱してないのに!!」
アリスが安全圏まで引きずり上げられた瞬間、彼女を縛っていた重圧が嘘のように消えた。と同時に、谷の底に溜まっていた暗い光の塊——「バグの残滓」が霧散し、アイリスの端末に吸い込まれていく。
『——エネルギー回収率:15%。座標エラーの一部修正を完了しました』
「よし……デバッグ成功だ。エネルギーも溜まったな」
カズキが汗を拭っていると、助けられたアリスが目を丸くしてカズキを凝視していた。
「……あなた、今、何をしたの? 呪文も魔力も感じなかったのに、あんな絶望的な重力の呪いを……ただの『紐と銀色の板』で上書きした……」
「ただの滑車だ。道具を正しく使えば、物理法則は味方をしてくれる」
アリスの脳内で、何かが弾けた。 彼女はこれまでの人生で、魔法とは「必死に呪文を唱え、精神を削って奇跡を願うもの」だと教わってきた。しかし、目の前の男は、ノートを広げ、奇妙な道具を組み合わせ、冷徹な計算だけで「世界そのもの」を従わせてしまった。
「……師匠。いえ、創造主様……!」
「は?」
アリスは地面に頭を擦り付けるようにして叫んだ。
「私を弟子にしてください! その、世界を紐で操る『工学』という名の禁断魔法を、私に教えてください!」
「断る。僕はテストがあるんだ。教える時間なんて一秒もない」
「そんなこと言わずに! 私、魔力だけは無駄にあるんです! 師匠の計算を具現化する『燃料』にでも何にでもなって見せますから!」
アイリスは、カズキの背中に隠れながら小声で囁いた。
「……カズキ、あの子を連れて行ったほうがいいわよ。あんなデタラメな魔力を持った子が、また変な呪文を唱えたら、せっかく直した世界がまたバグだらけになっちゃうわ」
「……デバッグ済みの領域をまた汚されるのは御免だな」
カズキは深く溜息をつき、アリスを指差した。
「いいか、同行は許すが、僕の許可なく魔法を使うな。それと、僕が教えるのは『数式』だ。呪文じゃない。理解できるか?」
「はい! 数式ですね! わかりました、師匠! 呪文で聞いたことがあります!『サイン、コサイン、ドカーン!』ですよね!」
「……前途多難すぎる。アイリス、次のバグはどこだ。早く行こう、頭痛がしてきた」
こうして、知識ゼロ・魔力最大のアリスが仲間に加わった。 カズキはまだ知らない。彼女が「魔法」を「物理現象」として理解し始めたとき、この世界がどれほど「効率的(壊滅的)」に変貌していくのかを。




