第4話:管理者の名前と、不機嫌な女神のプライバシー
翌朝。カズキは『金の麦穂亭』の豪華すぎる朝食を前に、関数電卓を叩いていた。
「……おかしい。昨日のコンロの熱効率から逆算すると、この世界の魔力密度は標準状態の空気の約1.2倍……。これなら、特定の振動を与えれば簡単にプラズマ化できるはずだ」
「ねえカズキ、それより早く出発しましょう。昨日の火のせいで、表に教会の騎士たちが押し寄せてるわよ」
案内人が窓の外を指差す。そこには「奇跡の賢者様」を拝もうとする群衆が集まっていた。
「……逃げるぞ。単位の取れない研究室に捕まるより厄介だ」
二人は裏口から路地へと脱出したが、そこで一人の女性騎士と鉢合わせになった。 まばゆい黄金の鎧に身を包んだ彼女——クレアは、壁に手をついて激しく息を切らしていた。
「くっ、ここまでか……。聖騎士たる私が、重力ごときに屈するとは……!」
「おい、大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
カズキが声をかけると、クレアは苦悶の表情で顔を上げた。
「……??確かあなたは案、内人様……。そして、あなたが噂の賢者殿か。申し訳ない……。代々伝わるこの聖鎧『ディバイン・ガーディアン』が、私の未熟さゆえに……あまりにも重く……」
クレアは一歩踏み出そうとしたが、その瞬間、鎧の肩当てと胸当てを繋いでいた古びたボルトが、金属疲労で「パキン」と音を立てて弾け飛んだ。
「あ」 バラバラと崩れ落ちそうになる黄金の鎧。クレアの顔が絶望に染まる。 「聖鎧が……壊れた……。私の信仰が、ついに底を突いたというのか……」
カズキは工学的な視点でその鎧を凝視した。
「……いや、単なるメンテナンス不足だ。ボルトの軸力が限界を超えてたんだろ。おまけに、この関節部の設計……潤滑が一切考慮されてない。これじゃあ動くたびに摩擦でエネルギーをロスして、重く感じるのは当然だ」
カズキはカバンから、工学部生の三種の神器の一つ——**『布粘着ガムテープ(黒)』**を取り出した。
「いいか、じっとしてろ。とりあえず応急処置だ」
「なっ、賢者殿!? その禍々しい黒い布は何ですか!?」
「ただのガムテだ。引張強度と粘着力に優れた、最強の補修材だよ」
カズキは手際よく、壊れたボルトの代わりにガムテープを鎧の裏側からペタペタと貼り付けた。ついでに、噛み合わせの悪い関節部の隙間に、カバンに入っていた「リップクリーム」を指で塗り込む。
「よし。ガムテによる引張補強と、油脂による摩擦係数の低減……これで理論上は、以前の3割以下の力で動かせるはずだ」
カズキが手を離すと、クレアは信じられないといった様子で腕を回した。
「な……軽い! 羽のように軽い! それに、この黒い布から、凄まじいまでの聖なる守護の力が……!」
(※実際には、ガムテープが絶妙な「絶縁体」となり、鎧の中で迷走していた魔力が安定。さらにリップクリームの油脂が魔力回路の滑りを良くし、クレアの身体能力を10倍に引き上げる「常時発動型強化」へと変質していた)
「カズキ殿……あなたは、失われた聖技『アーマード・テーピング』の継承者だったのですね……!」 「いや、ただのガムテだ」
その時、タイミング悪く、聖都の結界を抜けてきた「巨大岩石竜」が路地裏に姿を現した。
「危ない、カズキ殿! 下がってください!」
クレアが前に出る。ドラゴンが巨大な爪で薙ぎ払うが、ガムテープで補強された鎧は、一切の衝撃を通さない。それどころか、リップクリームで摩擦を極限まで減らした表面で、ドラゴンの攻撃がすべて「ツルッ」と滑って明後日の方向へ逸れていく。
「な、なんて防御力……! 敵の物理ベクトルの向きを、瞬時に計算して受け流しているのか……!?」
背後で見ていた案内人は、もはや笑うしかなかった。 (……リップクリームでドラゴンの爪を滑らせたわ。あの男、100円の雑貨だけで世界最強の聖騎士を完成させちゃった……)
「よし、邪魔者は去ったな。……さて、案内人。次の『バグ』はどこだ。早く片付けて、僕を月曜の試験会場へ戻せ」
「カズキ殿! その神の如き技術、ぜひ我が騎士団に……いえ、私の生涯をかけてお守りさせてください!」
「……やめろ、僕はただの学生だ! 単位に付き合ってくれる仲間なら間に合ってるんだ!」
聖騎士のもうアプローチを振り切り、二人は聖都を脱出する。
この聖騎士は知らない…いやでもこの二人に出会うことに…
聖都から逃げるように森へと入ったカズキたちは、少し開けた場所で休憩を取ることにした。 カズキは丸太に腰掛け、関数電卓のソーラーパネルに必死に日光を当てている。
「……なぁ、案内人。さっきから思ってたんだが」 カズキが、ポテトチップスを最後の粉まで律儀に口に流し込んでいる彼女を睨んだ。
「いつまで『案内人』って呼び続けなきゃいけないんだ? 工学の世界じゃ、未知の変数に名前がないと式が立てられないんだよ。いい加減、名前を教えろ。……まさか本当に忘れたわけじゃないだろ?」
案内人は、指についた塩をペロリと舐めると、露骨に嫌そうな顔をした。
「……教えたくないわよ。だって、君みたいな合理主義者に教えたら、絶対笑うか、物理的に解析しようとするでしょ」
「笑わないし、解析もしない。……たぶん」
「今『たぶん』って言ったわね!?」
案内人はため息をつき、周囲に誰もいないことを確認してから、カズキの耳元に顔を寄せた。ふわりと、少しだけ花のようでありながら、どこか「機械油」のような不思議な香りがした。
「いい? 驚かないでよ。私の真名は……『アイリス・マルチバース・システム・オペレーター・零式』」
「…………」
カズキは無言で電卓を叩いた。
「おい、待て。今すぐその『計算しようとする指』を止めなさい!」
「……いや、今『マルチバース』って言ったよな? 多元宇宙論か? あと『システム・オペレーター』って、お前、個人の名前じゃなくて役職名だろ。……で、最後の『零式』は型番か?」
案内人——アイリスは、真っ赤になってカズキの肩をポカポカと叩いた。
「だから言いたくなかったのよ! この世界の神話じゃ『アイリス様』っていうと、世界の理を編み上げた全知全能の女神ってことになってるんだから! 恥ずかしいじゃない!」
「女神……? その、ポテチの粉を服にこぼしてる奴がか?」
「うるさい! 私だって被害者なのよ。次元のバグを修正するために派遣されたのに、端末(この体)がポンコツすぎて、魔力をちょっと使うだけで筋肉痛になるんだから。……あ、今の名前、外で言ったら消去するからね」
アイリスが頬を膨らませて脅していると、突如としてカズキの足元の地面が光り出した。
「な……!? 座標が固定された? アイリス、これはお前の仕業か?」 「違うわ! 私、名前を名乗ったせいで、世界のシステムが『管理者がログインした』って誤認したんだわ! ロケーション・バグが発生してる!」
地面から現れたのは、幾何学的な光の柱。それは、管理者であるアイリスの存在に反応して起動した、古代の「自動防衛システム」だった。 空中に現れた無数の「光の矢」が、一斉に二人に向けて照準を合わせる。
「ちょっ、待って! 私、今ログインパスワード忘れてるのよ! 認証が通らないと、不審者として射殺されるわ!」
「システム・オペレーターだろお前! 管理者権限(ルート権限)はどうした!」 「だから忘れたって言ってるでしょ! 私の記憶領域、ポテチの味のバリエーションで埋まっちゃってるんだから!」
絶体絶命。光の矢が放たれようとした瞬間、カズキはアイリスの腰にぶら下がっていた「管理者の証(という名の古びたキーホルダー)」を奪い取った。
「貸せ! パスワードなんて、総当たりで試すまでもない!」
カズキはキーホルダーの裏面に刻まれた、かすれた数字の羅列に注目した。
「……この摩耗具合、そして数字の並び……アイリス、お前の誕生日はいつだ?」
「……そんなの、宇宙が開闢した日よ。……あ、でも、こっちに来た日は『0401』だけど」
「エイプリルフールかよ! ……だが、開発者の心理として、デフォルト設定は変えないものだ!」
カズキは、光の矢が放たれるコンマ数秒前、キーホルダーの水晶に指を押し当て、特定の「リズム」で魔力を流し込んだ。 それは工学部のサーバー室でよく使われる、**「初期設定パスワード(1234)」**のモールス信号変換だった。
ピコーン。
『——管理者権限を確認。アイリス零式様、お帰りなさいませ。防衛システムを解除します』
静寂が戻った。 放たれようとしていた光の矢は、蛍のような光の粒となって消えていった。
「…………通ったわ」
アイリスは、呆然とカズキを見上げた。
「ねえ……君、本当に何者? 数千年も誰も解けなかった管理者のロックを、『デフォルト設定』なんていう謎の言葉で突破するなんて……」
「工学の基本だ。一番破られやすいのは、いつだって『一番簡単なパスワード』なんだよ」
カズキは肩の力を抜くと、再び関数電卓を太陽に向けた。
「アイリス・零式、だっけか。……まあ、アイリスでいいな。さっさとバグを直すぞ。月曜の試験に、名前の長い女神と遊んでたなんて言い訳、教授には通じないからな」
アイリスは、自分の真名をあんなに簡単に、しかも「設定ミス」扱いした男の背中を見つめ、少しだけ顔を赤らめた。
「……アイリスでいいわよ、カズキ。ただし、『零式』って呼んだら、マジで単位落とさせるからね」
「お前にそんな権限ないだろ」
二人の旅に、少しだけ「相棒」としての絆が(主にアイリスの恥ずかしさとともに)芽生えた瞬間だった。




