第32話:偽のシステム要件と、乙女のオーバーライト
「待ってください、浅井教授! その『不可』の判子だけは押さないでくれー!」
幻覚胞子にまみれたカズキの目には、精霊の村の美しい広場が「工学部の薄暗い大講義室」に見えていた。村人たちは全員、カンニングを監視する助教に見え、世界樹の枝は巨大な赤ペンとなって自分を不合格にしようと迫っている。
「師匠、しっかりしてください! 私はアリスです、単位じゃありません!」
アリスは逃げるカズキの裾を必死に掴む。だが、カズキの耳にはその声すら「……再試験……追試……」という不吉な呪文に変換されて届いていた。
「離せ! 僕は帰るんだ! このルーターが示す『120分後のゲート』をくぐって、レポートを提出するんだ!」
カズキが狂ったようにルーターを操作しようとする。それを見たアリスの胸に、ある「悪魔的な閃き」が過った。
(……このままじゃ、師匠は本当に行っちゃう。だったら、師匠の『理論』を使って、帰れない理由を作っちゃえばいいんだ……!)
「し、師匠! 待ってください! 今のルーターの表示、間違ってます! 管理者設定を確認してください、ゲートを開くには**『この村の精霊100人分のログイン認証』**が必要だって書いてあります!」
アリスが咄嗟についた嘘。そんな仕様、あるはずがない。 だが、今のカズキは極限状態。そして、彼の**「運」**が、ここで最も「工学的」な奇跡を起こした。
アリスがデタラメに指差したルーターの画面。そこには偶然にも、キノコの胞子が液晶に付着して「0」が「100」に見える『物理的な表示バグ』が発生していたのだ。
「……何だって!? 100人分の認証!? そんなの、この静止した村人を全員再起動させなきゃ無理じゃないか!」
「そうです! だから、村を完璧に治さないと、ゲートは開かないんです!」
「くそっ、仕様変更(急なメンテ)かよ! 誰だこんな設計にした奴は!」
カズキは再び「デバッグ・モード」に火がついた。だが、焦りからくる彼の操作は、いつもの精密さを欠いていた。
一方、放置されていたルーター本体では、さらに深刻な事態が起きていた。 キノコの胞子がLANポートに詰まり、胞子から発せられる微弱な魔導信号を『無線マウスの入力』として誤認し始めていたのだ。
『——警告。新規ユーザー「Mush-Room」が管理者権限でログイン。全村人の「服のカラーリング」を「蛍光ピンク」に変更します』
「な、何よこれ!? 私の服が……目が痛い色に変わっていくわ!」
アイリスが悲鳴を上げる。
「カズキ! アリス! 遊んでる場合じゃないわ、ルーターがキノコにハッキングされて、村のテクスチャがメチャクチャに書き換えられてるわよ!」
「ええい、うるさい! 今は100人の認証が先だ!」
カズキは近くで固まっている村人の頭にLANケーブルを(強引に)押し当て始めた。
「おい、起きろ! IDとパスワードを入れろ! 単位がかかってるんだ!」
アリスは自分の嘘が現実をさらに混乱させていることに怯えつつも、カズキが自分を見てくれている状況に、歪んだ安心感を覚えていた。
「(……ごめんなさい師匠。でも、こうしてれば……まだ一緒にいられるから……)」
アリスの「小さな罪」と、ルーターの「キノコによる汚染」。 精霊の村は、感動の救出劇から遠く離れ、『蛍光ピンクのバグ地獄』へと突き進んでいく。




