第27話:リード・アーキテクトと、円周率の陥穽(わな)
扉の向こうにいたのは、全身に幾何学模様の回路が浮かぶ、端正な顔立ちの青年だった。彼は無数のホログラムに囲まれ、カズキのノートをまるで聖典のように掲げている。
「待っていたよ、カズキ。私がこの開発局の総帥、【プロトコル】だ」
彼はカズキを敵として見るのではなく、同志を見つけたかのように瞳を輝かせた。
「このノートに書かれた『マクスウェルの方程式』の応用……驚嘆した。我ら魔王軍はこれまでバグによる破壊を繰り返してきたが、君の理論があれば、世界を根底から再定義できる。どうだ、私と一緒にこのバグだらけの異世界を『完全なシステム』へ書き換えないか?」
カズキは一歩前へ出て、冷ややかに答えた。
「断る。他人のノートを勝手に読んでおいて、よくそんな提案ができるな。あと、その42ページ目に書いてあるのは、ただのポテチの特売日のメモだ。物理法則じゃない」
「な……!? これが、宇宙の真理……!」 プロトコルが驚愕に震える。
「茶番は終わりだ。僕のルーターとノートを返せ。あと、パスワードをグローバル放送した奴の謝罪文を要求する」
「……交渉決裂か。ならば、君の価値を証明してもらおう」
プロトコルが指を鳴らすと、祭壇に安置されたルーターが激しく明滅し、入力待機画面を空中に投影した。
「このルーターは現在、我が魔王軍の中枢サーバーと同期している。……君がノートに記した『暗号の鍵(円周率)』。これの続き……第100位までを正しく入力してみせろ。もし成功すれば、君を正当な管理者として認め、すべてを返そう。だが、一文字でも間違えれば、サーバーの全魔力が君たちを消去する」
アイリスが青ざめて叫ぶ。
「100位!? 無理よカズキ、デボラのせいでまだメモリが不安定なのに!」
カズキは冷汗を流しながら、ルーターのキーに指をかけた。 脳裏には、工学部の部室で延々と眺めた円周率の表が浮かぶ。
「……3.1415926535……8979323846……」
カズキの指が、機械的な正確さで打ち込んでいく。 プロトコルはその指先を陶酔したように見守っている。彼にとってカズキの知識は、絶対的な「正解」だった。
だが、80桁を超えたあたりで、カズキの脳内にノイズが走った。 デボラのメモリ・リークによる「焼き芋」の記憶が、一瞬だけ数字を書き換えたのだ。
(……えーっと、次は『7』だっけ。いや、『焼き芋』の『8』……?)
カズキは一瞬だけ逡巡した。しかし、彼の**「運」**が、ここで最も不条理な働きを見せる。
(ええい、ままよ! 『8』だ!)
カズキが打ち込んだ数字は、本来の円周率とは異なる**「完全な間違い」**だった。 だが、それを見たプロトコルは叫んだ。
「おお……! 素晴らしい! 私の計算予測をわずかに上回る、美しい数値だ! さすがカズキ、君の脳内こそが真理の演算器だ!」
プロトコルは、カズキが打ち込んだ「間違った円周率」を、あろうことか魔王軍の**「基幹定数」**としてそのまま即座に本番環境へ反映してしまったのだ!
その瞬間。 「——警告。宇宙の定数に矛盾を検知。円周率を『8』として計算を開始します」 システムメッセージが無機質に響く。
『円』を定義する数字が狂ったことで、円形を基本とする魔王軍の陣地、魔法陣、そしてプロトコルの浮遊メカの車輪までもが、突如として**『多角形』**に変形し始めた。
「な……っ!? なんだ、世界が……計算が合わない!? 1足す1が、ポテチになるぞ!?」
『アババババ! エラー! 数学的崩壊! 私は……私は間違った真理を信じてしまったのかぁぁぁ!!』
自ら「間違った定数」を組み込んでしまったプロトコルは、自分自身の演算回路の矛盾に耐えきれず、激しい火花を散らしてショート。 魔王軍の中枢サーバーは、カズキの「うろ覚え」によって引き起こされた大規模なシステム・クラッシュにより、爆発霧散した。
崩れ落ちる塔の中で、カズキは無事にルーターとノートをキャッチした。
「……ふぅ。……まあ、計算通りだ(※今のは絶対に間違いだったけど、黙っておこう)」
「カズキ殿! さすがです! 敵に嘘の真理を教え込み、内部から自壊させるとは!」 「師匠、かっこいいー!!」
称賛を浴びるカズキの横で、アイリスだけはルーターのログを覗き込み、戦慄していた。 「(……カズキ、あんた円周率の82桁目……思いっきり間違えてたわね。それが幸運で敵のシステムを物理的にバグらせるなんて……工学部どころか、もう『運の王』よ、あんたは)」




