第26話:目的の再インストールと、汚された聖典(ノート)
バランを場外へ滑り落とし、静寂が戻った塔の最上階前。
カズキたちは、重い扉を前に一度腰を下ろした。まだデボラの「処理落ち」の後遺症で、頭がぼんやりしている。
「……よし、一度整理しよう。僕たちは今、何のためにここにいる?」
カズキが腕に書き込んだ数式を眺めながら言った。
「えーっと……師匠が『ポチ』という名の神様を、魔王軍の魔手から救い出すため、ですよね?」
アリスが自信満々に答える。
「違う、アリス。それは僕のパスワードだ。……クレア、お前は?」
「私は……カズキ殿が、その『ルーター』という魔導具で、異世界(月曜日)への門を開くのを阻止……ではなく、騎士としてその守護を全うするためです」
クレアが微妙に本音を混ぜながら答える。
「(……だいたい合ってるわね)」
アイリスが溜息をつき、カズキの目を見据えた。
「いい、カズキ。問題はあの中にある『ノート』よ。あれには君が円周率や犬の名前だけじゃなく、工学部の講義で取った『この世界の物理法則を数式化したメモ』がびっしり書いてあったでしょ?」
カズキの顔色が、一瞬で真っ青になった。
「……そうだ。あのノートには、僕がこの世界に来てから分析した、魔力伝導率のグラフや、空間の多次元座標の近似式……つまり、この世界の『ソースコードの断片』が書いてある!」
もし魔王軍がそのノートを完璧に理解してしまったら、彼らは「バグ」としてではなく、「正規の管理者」としてこの世界を意のままに書き換え(クラッキング)できてしまうのだ。
「僕のパスワードがバレるのも最悪だが、僕の『学習の成果』が奴らに悪用されるのは、エンジニアのプライドが許さない。……アイリス、あの中にいるのは魔王か?」
「いいえ。魔王軍第4開発局、総責任者。コードネームは【リード・アーキテクト:プロトコル】。魔王軍の中でも唯一『論理』を解する、最も話が通じて、最も冷酷な男よ」
その時、扉の向こうから「カチ、カチ」と、キーボードを叩くような乾いた音が響いてきた。
『……素晴らしい。この「P = IV」という簡潔な力学の記述……。この世界の魔力循環を、これほどまでに美しく定義するとは。カズキ、君は「バグ」などではない。君こそが、この不完全な世界に必要な「デバッグ・ツール」だ……』
扉の隙間から漏れ出すのは、圧倒的な「秩序」の魔力。これまでの幹部たちが「バグ(混沌)」を武器にしていたのに対し、最上階にいる主は、カズキと同じ「理論」を武器にしようとしていた。
「……僕のノートを、勝手にリバースエンジニアリング(解析)してやがるな」
カズキがアンテナを強く握り直す。
「行こう。パスワードを奪還し、ノートを回収する。……それから、僕の汚い字で書いた『シュレディンガー音頭』の歌詞を読んだ奴は、一人残らず消去だ」
「「「シュレディンガー音頭……?」」」
ヒロインたちの困惑をよそに、カズキは最上階の扉を蹴り開けた。目的は再インストールされた。「エンジニアのノート(私物)」を覗き見した罪、万死に値する——!




