第19話:認証エラーと、失われたパスフレーズ
「バリ5……。通信状態は完璧、電磁気学Ⅱのシラバスまで見えるのに……ッ!」
ルーターの接続ランプが美しく青色に輝く中、カズキは膝をつき、拳で地面を叩いた。 ホログラムスクリーンには、冷酷なまでにシンプルな一行が表示されている。
『Enter Password』
「……わ、忘れた。先週、セキュリティ講習を受けた後で『大文字小文字記号混じりの12桁以上』に変えたんだった……。思い出せない、昨日の昼飯は覚えてるのに、英数字の羅列が出てこない……!」
「師匠、もういいじゃないですか。きっと神様が『今は帰るな』って言ってるんですよ。ね? 帰りましょう、ガレージでおいしいお茶を淹れますから!」
アリスがここぞとばかりにカズキの肩を揉み、優しく語りかける。
「そうですよ、カズキ殿。パスワードという『形のない鍵』に固執するのは非効率です。一旦撤退し、防衛体制を整えるのが兵法の常……」
クレアも、内心の歓喜を押し殺して真剣な顔で頷く。
アイリスにいたっては、ポテチを食べながら鼻歌交じりだ。
「そうよカズキ。認証失敗回数が上限に達してロック(凍結)される前に、諦めるのがエンジニアの『損切り』ってやつじゃない?」
だが、カズキは死んだような目で顔を上げた。
「……いや、まだバックアップ(物理)がある。この森に転移してくるとき、僕はルーターと一緒に、計算用の『裏紙ノート』を抱えていたはずだ。その隅に、忘れたとき用のパスワードのヒント……『実家の犬の名前+円周率の数桁』をメモした記憶がある!」
カズキはアンテナを再び掲げ、森のさらに奥——より深く、より暗い、空間がノイズで歪んだ一角を指差した。
「ルーターがあの位置(祭壇)にあったなら、一緒に飛んできたノートは、風とバグの対流に流されて、あの『魔王軍の出張所』らしき建物に吸い込まれているはずだ!」
「「「えええええええっ!?」」」
ヒロインたちの悲鳴が重なる。 彼女たちが最も恐れていた展開——「カズキが自ら危険に飛び込み、しかもパスワードを見つけようとする」という最悪のルートが確定した瞬間だった。
その時、森の奥の歪みが一際激しくなり、空間を「上書き」するように、巨大なモニターを掲げた黒い影が現れた。
『——発見。ログに残る「幸運のデバッガー」……識別名、サトウ・カズキ。我ら「エラーコード・レギオン」のバグを、ただの転倒で修正した不届き者め』
現れたのは、魔王軍の刺客、【無限ループのゼノン】。 彼の周囲では、空間がレコードの針飛びのように同じ数秒間を繰り返しており、近づくことすら困難に見える。
「……あいつ、ノートを持ってるのか?」
カズキが身構える。
『フフフ……。お前が探している「紙の断片」か? あれは今、我らが魔王軍の「無限増殖バグ」の種として、解析に回されている。返して欲しくば、この「デッドエンド・ループ」を解いてみろ!』
「……解析だと? 他人の備忘録を勝手にスクレイピング(抽出)しようとするなんて……」
カズキの眼鏡の奥で、静かな、しかし激しい怒りの火が灯った。
「いいだろう。仕様書も読まずに他人のデータをいじるクソ野郎どもに、エンジニアの鉄槌を下してやる。……アリス、クレア、アイリス! 突撃だ! 僕のパスワード(個人情報)を取り戻すぞ!」
「(もう魔王軍なんてどうでもいいけど、パスワードだけは解析失敗してほしい……!)」
三人のヒロインは、それぞれに異なる「邪念」を抱えながら、絶叫と共に武器を構えた。




