第15話:異界のパケットと、三人の乙女の動揺
古代ダムの緊急デバッグを終え、水の都の拠点は束の間の静寂に包まれていた。 だが、カズキだけは眠っていなかった。ガレージの制御盤に向かい、アイリスが検知した「管理者システムへの外部パケット混入」の解析に、取り憑かれたように没頭していた。
「……出た。この暗号化、そしてパケットのヘッダ……間違いねぇ」
空中に投影された青白いホログラム。ノイズ混じりの画面には、魔導士アリスが見たこともない幾何学的な文字(日本語)が並び、カズキの心臓を激しく叩く。
『件名:物理学教室より。佐藤カズキ君、至急連絡乞う』
『差出人:高橋教授』
「タカハシ……? 師匠、これはこの世界の古い神様の名前ですか?」
アリスが不安げに覗き込む。
「いや、僕の指導教授だ。……生きてる。あっちの世界は、まだ僕がいた時のまま動いてるんだ」
カズキの瞳に、この世界に来てから初めて見る「郷愁」と、必死な「焦り」が宿る。その瞳に自分たちが映っていないことに、三人の乙女たちの間に言葉にならない衝撃が走った。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
アイリスがキーホルダーを激しく発光させ、カズキの前に割り込んだ。
「管理者である私を差し置いて、カズキに勝手な指示を出すなんて、そのタカハシってジジイは何様なのよ! そもそも、あっちの世界の文字がここに届くなんて、システムの深刻なセキュリティホールだわ!」
アイリスは管理者として怒鳴っていたが、その指先は震えていた。カズキがいなくなれば、誰が私のバグを直し、誰が夜中にくだらない工学の無駄話を語ってくれるのか。 (嫌よ。あんな冷たい光の向こうに、私のカズキを返してなるもんですか!)
アリスは、カズキの横顔が急に遠くなったように感じ、思わず彼の袖をギュッと掴んだ。
「師匠……? その画面の文字、すごく冷たくて嫌な感じがします。あっちに戻ったら、師匠はもう『魔法のアルミホイル』を作ってくれないんですか? 私は……師匠の計算がないと、もう……」
彼女にとって、カズキは世界に色彩と理をくれた恩人だ。彼が「数式」だけの冷たい世界に帰ってしまうことへの、根源的な恐怖が彼女を震わせる。
クレアは武人らしく泰然と立っていたが、剣を握る手に尋常ではない力がこもっていた。
「……カズキ殿。あのような紙片一枚で、これほどまでに心が乱れるとは。……あなたが真に守るべき『正義』は、ここではないということか」
カズキに騎士としての新しい生き方を教わり、共に死線を越えた。その絆が「掲示板の書き込み」という、自分たちの理解できない理屈で断ち切られることに、彼女は激しい敗北感を覚えていた。
「アイリス、アリス、手を貸せ! 今すぐこのパケットに『生存報告』を返信する! 接続を維持するんだ!」
カズキは狂ったようにキーボード(代わりの魔導具)を叩く。アリスは涙をこらえながら魔力を供給し、アイリスは複雑な顔で通信を維持する。だが、次元の壁を越える接続はあまりにも不安定だった。
「クソッ! ゲートウェイが閉じる……! あと数バイトあれば……返信できるんだ!」
無情にも、画面は砂嵐となって霧散した。 絶望に項垂れ、制御盤を叩くカズキ。だが、アイリスが震える声で、見つけてしまった「余計な情報」を口にする。
「……最後に一つだけ、位置情報が送られてきたわ。カズキ、君のいた世界の『物理的な残骸』が、この世界のどこかに転移してきている」
「何だと!? 教授のメールか? それとも研究室のノートか?」
「いいえ。……『工学部のWi-Fiルーター』よ。座標はここから北、禁足地の『電磁波の森』」
カズキは弾かれたように立ち上がった。 「ルーター……! あれがあれば、安定した双方向通信ができる。あっちの世界に、正式に救援を要請できるはずだ!」
カズキはすぐさま、荷物をまとめ始める。 一方、三人のヒロインたちは、ガレージの影で密かに視線を交わした。
「……ルーター、だっけ? それが見つかったら、カズキは本当に帰っちゃうのよね」
アイリスが低く呟く。
「……見つけたくない、です」
アリスが俯き、唇を噛む。
「……だが、主の願いを邪魔するのは騎士の道に反する。……だが……あのような無機質な箱に、殿を奪われるのは、耐え難い」
クレアが苦渋の表情で剣の柄を見つめる。
カズキの「帰還への希望」であるルーター。 それは、彼女たちにとっては「カズキとの別れ」を意味する忌むべき呪物だった。
「よし、出発だ! 夜明けと共に森へ向かう!」 意気揚々と歩き出すカズキの後ろを、「どうかルーターが見つかりませんように」という、三者三様の「願い」を抱えたヒロインたちが追っていく




