第11話:非論理的な励ましと、涙の表面張力
水の都『アクア・リミティア』の美しい夜景も、今のカズキの目にはただの「エラーログの集積」にしか見えなかった。 彼は運河沿いのベンチで、電池の切れた関数電卓のボタンを無意味にカチカチと叩き続けていた。
「……終わった。僕の大学生活も、単位も、就職活動も……全部、この世界の変数の中に消えたんだ」
「カズキ……」 アイリスが背後から声をかける。いつもなら「ポテチ食べる?」と茶化すところだが、今の彼女は管理者としての責任を感じていた。
「ごめんね。私のシステムがもっと強固なら、君の帰還式を守れたのに。……でもね、君がさっき直したリアクターのおかげで、この都の何万もの住人が救われたのは事実よ」
「そんなの、僕の人生と等価交換になるわけないだろ!」
カズキが叫ぶ。
「僕はただの学生だ! 世界を救う英雄になりたかったわけじゃない! 月曜の試験を受けて、普通のエンジニアになって、それなりの給料をもらって……そんな『設計図』があったんだ!」
その時、アリスがズカズカと歩み寄り、カズキの前に立った。 彼女の瞳には、難しい数式を理解しようとする時のような、不器用で真っ直ぐな光が宿っていた。
「師匠! 泣かないでください! 師匠が教えてくれたじゃないですか! 『エネルギーは消えない、形を変えるだけだ』って!」
「……それは熱力学第一法則だ。今の状況には関係ない」
「関係あります! 師匠の帰るための数式は、この世界の『安心』に形を変えたんです! だったら、私たちがそのエネルギーをもう一度、師匠のために集めればいいだけです!」
アリスは感覚派らしく、根拠のない、けれど力強い言葉を叩きつけた。
「アリスの言う通りです、カズキ殿」
いつの間にか背後に控えていたクレアが、月光に黄金の鎧(と結束バンド)を輝かせながら頷いた。 「あなたがこの世界を『修理』してくださるなら、私はあなたの行く手を阻むあらゆる『ノイズ』を切り伏せる盾となります。あなたが帰るための新しい数式を見つけるその日まで、私たちは何度でもあなたの『デバッグ』に付き合います」
「お前ら……」
「それにさ、カズキ」
アイリスが、カズキの隣に座って肩を寄せた。
「君がいなくなった世界、今さら見過ごせないわよ。君がこの世界の物理法則を書き換えちゃったんだから、最後まで責任取って、もっと『便利』にしてくれないと困るわ。……私、お風呂の給湯器とか欲しいし」
「……給湯器だと?」
カズキの指が、ピクリと動いた。
「そうよ! 師匠が言ってた『自動洗濯機』とか『エアコン』とか! そんな夢の魔法、師匠にしか作れません! 師匠がこの世界を全部『デバッグ』し終えたら、きっと世界が勝手に君を元の場所に送り出してくれるわ。……管理者(私)の勘だけどね」
カズキは、涙で歪む視界で、仲間たちの顔を見た。 論理的には、彼女たちの言葉はただの「希望的観測」に過ぎない。帰還の可能性は、限りなくゼロに近い。
だが。
「……効率が悪いな。僕を励ますために、三人がかりでそんな非科学的な理論を並べるなんて」
カズキは、袖で乱暴に目を拭った。
「……わかったよ。数式が消えたなら、また一から導き出すまでだ。電磁気学Ⅱの単位を落としたくらいで、僕のエンジニア人生が詰むわけじゃない。……留年くらい、計算の範囲内(誤差)だ」
カズキが立ち上がり、空の関数電卓を月にかざした。
「いいか。これからは帰還のエネルギーを溜めるだけじゃない。このデタラメな世界に、正しい『工学』を根付かせてやる。……世界そのものを、僕が戻れるレベルまでアップデートしてやるんだ」
「その意気です、師匠!」
「さあ、まずは何を修理しましょうか、カズキ殿!」
アイリスは、こっそりと自分の端末を操作した。 (カズキ、君は気づいてないだろうけど……君が前向きになった瞬間、停滞していた『復旧プログラム』が1%進んだわよ。やっぱり君こそが、この世界のメインエンジンなんだわ……)
カズキの絶望は、新たな野心へと形を変えた。
「工学部生・佐藤カズキ。……これより、異世界の全システムに対する『大規模パッチ適用(産業革命)』を開始する!」
彼の宣言と共に、水の都の運河が、共鳴するように美しく輝いた。




