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第1話:工学部の日常、時々、時空のバグ

「……おい、嘘だろ。この計算だと、僕がこの科目の単位を取れる確率は限りなくゼロに近いじゃないか」


国立大学工学部2年、佐藤カズキは、図書館の隅っこで関数電卓を叩きながら絶望していた。 目の前には、教授が「単位をやる気がない」と公言してはばからない超難関科目『電磁気学Ⅱ』のノート。徹夜明けの脳には、数式が蠢くミミズのようにしか見えない。


「あー……。いっそ次元の壁でも突き抜けて、別の世界にでも行きたいな。そこなら物理法則ももう少し手加減してくれるだろ」


現実逃避気味に呟いた、その時だった。 視界の端で、空間がぐにゃりと歪んだ。 工学部生の習性か、彼はパニックになるより先に「光の屈折率の異常? 大気密度による蜃気楼か?」と分析しようとした。しかし、その歪みは一瞬でブラックホールのように広がり、カズキの身体をノートごと飲み込んだ。


「待て! ノート! ノートだけは置いていけぇええ!」


絶叫も虚しく、彼は無機質な図書館から、石造りの冷たい床の上へと叩きつけられた。


「……着地成功。衝撃分散率は……計算不能」


フラフラと立ち上がったカズキの目に飛び込んできたのは、見たこともない巨大な遺跡。そして、その中央でポテトチップスをかじりながら、妙に古臭い携帯型ゲーム機をいじっている女性だった。


「あ、来た? ちょっと早かったかな。まあいいや、いらっしゃい勇者候補くん」


「……誰だ。ここはどこだ。というか、勇者ってなんだ、僕は大学生だぞ」


「私は案内人の……まあ、名前はいいわ。年齢? 聞いたらこの遺跡ごと消し飛ばすわよ」


自称・案内人の女性は、二十代に見えるが、その瞳には数百年を生き延びたような「隠しきれない倦怠感」があった。彼女は面倒くさそうに指をパチンと鳴らす。


「次元の重なりでこっちに来ちゃったのよ。私の計算間違いでね」


「計算間違い!? 工学部でそれ言ったら即留年だぞ! 今すぐ戻せ!」


「無理無理。君がこっちに来た衝撃で、時空のコードがスパゲッティ状態になっちゃって。修復には『世界のバグ』を取り除いて、エネルギーを溜めなきゃいけないのよ。ま、協力しなさいな」


カズキが呆然としたその時、彼女の「計算間違い」の二次災害が牙を剥いた。 遺跡の守護者である巨大な石像ゴーレムが、ガガギギと不快な音を立てて起動したのだ。


「ちょっ、あれ、物理的に見てアウトだろ! 質量何トンあるんだよ!」


「あ、防衛システムまで起動しちゃった。ごめーん、私、今魔力が筋肉痛で動けないのよね。はい、これ使っていいわよ」


案内人がポイと投げ渡してきたのは、水晶のついた古びた杖。 それを受け取ろうとしたカズキは、あまりの恐怖に足を激しくもつれさせ、派手にひっくり返った。


その拍子に、手に持っていたカバンから「関数電卓」が飛び出す。 空中で杖が電卓にカツンと当たり、奇跡的な角度でゴーレムの胸部にある「排熱スリット」にスッポリと突き刺さった。


カチャッ。


「あ……」 カズキが持っていた電卓の電池から、液漏れした微弱な電流が、杖の魔力増幅回路を逆流して流れ込んだ。


ピコーン。


「……え?」 ゴーレムは、電子レンジが温め終わったような情けない音を立てて停止し、そのまま沈黙した。


「……今の、魔力逆流による回路ショートか? いや、そんな確率、数兆分の一だぞ?」


カズキは冷や汗を拭いながら立ち上がったが、案内人の様子がおかしいことに気づいた。 彼女は、持っていたポテトチップスを床に落とし、呆然とカズキを見ていた。


(え……? 今の、何……? 呪文も詠唱もなしに、杖の投擲だけでゴーレムの術式核をピンポイントで強制終了シャットダウンさせたの……? そんなこと、神の領域の演算能力がないと不可能じゃない……!)


「おい、案内人。壊れたみたいだけど、大丈夫か?」


「え、ええ……。まあ、私のナビが完璧だったからね。あはは……」


案内人は引きつった笑いを浮かべながら、心の中で戦慄していた。 (この子、とんでもない素材を引いちゃったかもしれない……!)


「さて、とにかくエネルギーを溜めに行くわよ。君のその……ええと、『知識』を使って、この世界のバグを解消して回るの。ほら、行くわよ」


案内人は立ち上がると、当然のようにカズキの背中に飛び乗った。


「……何してるんだ?」


「歩くの面倒だし、ふくらはぎパンパンになっちゃうから。私をおんぶして歩くなら、最短ルートを教えてあげる。感謝しなさいよ」


「お前、本当に何もできないのか……?」


「失礼ね。私には『君の能力を正しく導く』っていう立派な仕事があるの。ほら、あっちの崖から飛び降りて。あそこが一番効率的な近道よ」


「死ぬだろ!!」


絶叫しながら、カズキは無理やり崖へと突き飛ばされた。 しかし、落下した先には、本来この地形では起こり得ない「局所的な異常上昇気流」が発生しており、二人はふわふわと綿毛のように草原に着地する。 そこは、本来なら数ヶ月の登山が必要な「聖都」のすぐ裏手だった。


「ほらね、言った通りでしょ? 私の計算は完璧なの」


案内人は澄ました顔をしていたが、内心ではまたしても悲鳴を上げていた。 (嘘でしょ……今の気流、発生確率ほぼゼロよ!? この子、歩くだけで因果律を書き換えてるの!? え? すごすぎるんだけど……!)


カズキは、自分の運の良さに一ミリも気づかぬまま、握りしめた関数電卓を見て呟いた。


「……今の着地、空気抵抗の計算が合わないな。この世界の重力定数、バグってないか?」


「……君の存在が一番のバグよ」


案内人の呟きは、風に消された。 こうして、工学部生・佐藤カズキの、無自覚な世界改変の旅が幕を開けた。

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