4話 貴方へ
頭が真っ白になる。この表現の何たるかを説くことは容易だ。一度、もしくは繰り返し伝えられる情報に思考・反応する余裕がなくなるからこうなる。後に中断されていた思考が再開されたり、適切な反応を出せるようになる。これはあくまで持論だ。シリル王女が王宮を脱走したときも、帝国の侵攻時にシリル王女が最前線に出ると言い始めた時も、いつも頭が真っ白になっては、おてんば王女様に困らされたものだ。
頭が真っ白になるとはこのことだと、考えたくもない悲劇とは今まさにこれであると、私の脳は理解するのを拒むようで、思考がまとまらなかった。そうならないように手を尽くした。マリア様に内密に手紙を送り、レジスタンスに依頼し、逃げる算段を整えた。私自身を囮にして豊穣迷宮まで逃げ続けた。足りなかったとでもいうのか。激しい眩暈と同様で、近くの本棚にもたれこむようにして座る。
「本当に……本当にシリル様の本なのか? 同じ名で、同じ性別で、たまたま王女であった人ではないのか? ああ、ほら、私の元いた世界ではない、別の世界で似たような人物が…」
「いねぇよ。他所の世界にこんなお姫様はいなかったさ。この本をざっと見たけど、あんたの名前も載ってる。正真正銘って言い方もあれだけど、あんたが一番大切にしてたであろうシリル王女様だ」
「だが! だが、シリル様は逃げきれたはずだ! レジスタンスとも、マリア様からも連絡をいただいていた!この手紙にシリル様は無事だと!」
「…それもグロい話だよな。あんま言いたくないんだけど、聞くか?」
「凪さん! それはダメです! 館長の許可なく内容を話しちゃいけません! 規則に触れますよ!」
大きな声で叫ぶマリー嬢。規則というのは閲覧を許していない本の内容を他者に漏らしてはいけない、だろうか。
「メアリー嬢」
「ロ、ロンドおじ様…?」
「今は、少し黙ってもらえないか」
メアリー嬢の怯えた目。きっと私は他人には見せられない顔をしているのだろう。それでも私は認めたくはないのだ。信じたくはないのだ。年齢の離れた娘のごとく思っていた大切な人が死んだなどと。
凪が本を開き、確認をするようにゆっくりとページをめくり、読み上げる。
「レジスタンスの中にスパイがいた。マリアって王女様にも刺客が送られた。偽の内容の手紙を書かせる方法なんざ、いくらだってあるさ。一応関連の本も一通り見たけど大体あってる。」
「………」
「亡命した自由国家も帝国に侵攻され降伏。マリアはその後、帝国に身柄を正式に拘束され、ビシュラ王国の残存兵の戦意を削ぐためにいたぶられ続けた」
「…そだ」
「自由国家が進行される前に、継承者不在によりビシュラ王国は滅亡、帝国に統合。行き場も失ったレジスタンスも瓦解。残ったレジスタンスも帝国に正面から潰された」
「うそだ」
「いくら隠れたって限度はある。帝国兵に捕まえられた王女様は、自由国家にて公開処刑されて亡くなった。…これで終わり。オレが話したくねえ内容は省いてる。『亡命王女の悲劇』ってのも納得できる最悪な内容だったさ」
話していた凪の口調から軽薄さは完全に消えている。話し終わった凪の表情や、彼の雰囲気が、彼の持つ本がシリル王女の死亡が揺るぎないものであることを証明している。
重く、ため息を一つ。涙は流れない。
きっと、彼女の死を信じたくないのだろう。私は現実から目を背けることは得意なはずだった。いつもなら、親しい友がなくなった時も、職務に追われていた。どうしてもやらねばならないこと以外なら、目を瞑れば過ぎ去っていたし、忘れていた。
消沈する私と、何も言い出せずにいる二人。重苦しい空気が場に流れる。少しの間の後、重苦しい空気に耐えかねたであろう凪が、ため息を出した後、座り込む私の前に本を置いた。
「…この本をもらうときにさ、王女様にも会ってんのよ、オレ。本をもらった後、彼女に落書きしていいかなんて聞かれてさ。本の全部を無理して読まなくていいし、そこだけ読むのがオススメかな」
「死んだ、彼女に、会ったとでも?」
「ああ、そういう仕事だからな、ここの副館長ってのは。王女様、『一番世話になった人へ』って言ってた。あんたは読む資格があるさ」
「……この本を、私に?」
本を取ろうとする手が躊躇と緊張で震える。この本を読んでしまえば、私は彼女が死んでしまったことを認めることになる。読まなければ、そんなの戯言だと言えてしまう。だが、読まないという選択はなかった。失意の中でも。絶望の淵にいようと。私はロンド・ジルバーグ。彼女の祖国、ビシュラ王国に命を捧げた騎士である。震えながら伸ばす右腕に、僅かながら力が入る。
「……読ませて、いただこう。どこから、読み始めればいい?」
「一番最後のページだ。そこで読むか? 部屋に持ち帰って一人で読んでもいいんだぞ?」
「いま、すぐ、読まなければ」
私の返事に何か満足したのか、凪はひとつ頷いた。
「……うっし。んじゃ、俺行くわ、メアリーちゃん。俺もまだ仕事が残ってるし、もうそろそろ凛君もアリサちゃんが起きてくるでしょ。流石に一言ぐらい挨拶していこっかなーって」
「あ、え!? ロンドおじ様は? というか、もう行くんですか? まだ図書館にいてもいいんですよ?」
「そんな悠長にしてたら、兄貴が帰ってくるじゃん。お小言言われたり、怒られんのも嫌だし。じゃあな、ロンド。あんたにゃまたどっかで会いそうだわ」
そう言ってひらひらと手を振って歩き出す凪。私は顔をあげて、別れの挨拶をする余裕すらなかった。本を開く手も震えてしまう。覚悟してなお、私は本の一冊すら開けない。
「あの王女さん、笑ってたよ。笑って、本を俺に渡して、あとはお願いしますって」
「!!」
「『灯篭図書館職員として、貴方の読書に、尊い一時があらんことを』」
彼の言葉と同時に本が私の手を離れ、ページの隙間から光が漏れ出る。ゆっくりと本の裏表紙がめくられ、私は光に包まれた。
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貴方へ。
これを読んでるってことは、ナギさんに無事に届けてもらったのかしら。貴方が今どこで、何をしているか、私に知る術がないというのはもどかしい話ね。この本、私の人生が綴られているらしいわね? 私の初恋の人が誰だとか、実は夜更かししておやつを食べてたとか書かれてるのだから、貴方の手に渡るのが少し恥ずかしいの。貴方の本を読むことができたのなら、お相子かしらね?
貴方と別れてから色々あったわ。貴方が聞いたらびっくりするような冒険もしたし。道中で平民の友達もできたの。面白い方だったわ。「自分は別の世界から転生した勇者だー」なんておかしなことを言う方よ。元いた世界の話なんていっていろいろな空想の話をしては、元の世界に帰りたいだなんて言ってたり。この本を読んだらそのことも詳しくわかるだろうけど、全部は読んでほしくないわね。自分でも読み返したけど、最後の章は見栄えが悪かったから。
きっと貴方のことだから、私を守れなかった、だなんて変に責任を感じては落ち込んでるんでしょう。貴方のそれは美徳でもあるけど、直した方がいい悪癖ね。貴方は全知全能の神かしら? そうではないでしょう。どこにでもいる、ちょっとだけ腕の立つ私の騎士よ。できることから始めなさい。突飛なことはしないように。
最後に。
ビシュラ王国騎士、ロンド・ジルバーグ。貴公の数々の功績の褒美として、貴公にビシュラ王国永世名誉騎士の称号を与えるとともに、長く暇を与える。今後の貴公の活躍、期待している。
親愛なる私の騎士、ロンドへ。
ビシュラ王国王女 シリル・ビシュラ
追伸:幸せになりなさい。ただ、結婚は許しません。生まれ変わって、私は貴方のお嫁さんになるから
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