1話 灯篭図書館へようこそ
目を覚ましてすぐ、私は夢を見ているのだと分かった。そうでもなければあり得ないのだ。私の記憶が正しいのなら私が今いるここは、戦場なのだから。
辺りには何もなかったはずなのに、私はいつの間にか書架の森に迷い込んでいる。書架が終わる果てすら見えない。整頓された本の数々が私を圧倒するかのごとく、そこに存在していた。
私はおもむろに立ち上がると、身体の違和感に気づく。先程負った足の怪我がなかった。右足の筋を切られてしまい、動くこともままならなかったはずなのだ。年を重ねるにつれて見えづらくなっていった視力も、壮年のあの頃程に回復し、身体にまとわりつかれるように重くのしかかっていた疲れも感じない。体の調子を確かめるように少し体を動かしたが、どこにも問題はなかった。腰に佩いた長剣の存在を確認しつつ、辺りを再び見回す。
自分の身体の変化には驚かされたが、私の憂いはそこではない。
私が今いる場所の詳細な情報と、祖国の状勢だ。戦争に敗れ千年と続いた栄華を誇る我がビシュラ王国は潰えた。元々、ビシュラ王国は隣国のミスモ帝国と小競り合いが多々あった。帝国が狙うのは、我が国の希少鉱石や産業資源。世界三大ダンジョンである『豊穣迷宮』であった。国に尽くす王の甥という外面を被ったイドラ侯爵が帝国に売国したことが敗戦のきっかけだった。筒抜けな我が国の軍部の作戦や機密情報を把握、我が国の戦線では言葉の通り、瓦解。あろうことか王城の騎士の宿直の情報を仕入れ、ある夜、奴らは遂に王を暗殺したのだ。
「勇王」と民からの信頼も厚く、王国一の実力であったヴァン・ビシュラ王。その死は騎士や民の戦意を挫き、その後王国は帝国に降伏することとなった。
レジスタンスがいないわけではなかったのだ。敗戦を受け入れられない公爵による共同戦線がひかれ、王権を持たず処刑を免れていた王女のマリア様が、レジスタンスの助けもあって隣国のアスラ自由国家に亡命できた。それ以降の話は何も聞こえてこない。私も少数の精鋭を連れて、帝国の目を盗み、次女であるシリル王女を助け出した。しかし、亡命の協力者が帝国に密告し、隠れ蓑に使うつもりであった豊穣迷宮で待ち伏せされたのだ。途端、その地は戦場となり、怪我を負いながら私はアスラへとシリル王女を送り出し、殿を務めた。
そしてその後の記憶がない。
「どうなっている…? シリル様のご御身も心配だが、この場所は一体?」
「ようこそいらっしゃいました、灯篭図書館へ」
独り言に返ってきた予想外の返答。気配も感じられなかった彼に驚き、後ろに跳びながら剣を抜き、警戒を保つ。長年培った勘が、彼がただ者ではないことを告げる。
「貴様は何者だ。この場所がどこであるかも答えよ。さもなくば、貴様を斬り伏せるぞ」
「これは大変失礼いたしました。僕は灯篭図書館職員の大谷 凛です。まずは剣を納めてください。ここは図書館ですよ。争いの場ではありませんから」
警戒を少し緩め、納刀。距離を保ちつつ疑問を問い続ける。
「貴様の言う図書館とは何だ? 我らの王城でもこれほど壮大な書架はなかったぞ」
「図書館とは何か、ですか…? 難しい質問ですね。古今東西あらゆる書物を集め、整理し、利用者の皆様がいつでも快適に閲覧できるように書物を保管する施設、でしょうか。」
「そんな施設がこの時世で許されるはずがない。ある国で許された本が違う国で禁書指定になることなどザラだ。既に我が国の歴史書も全て焚書されたというのに…!」
「焚書ですか…。相容れぬ思想の本を燃やしたところでその思想が完全に消失するわけでもないのに…。思想にかかわらず、世界にとって有用な本も燃やされてしまうから嫌いなんですよね」
苦虫をかみつぶしたかのように答える彼からは私を害そうという気配が感じられない。完全に警戒を解いたわけではないが、私は彼に近づくために歩き出す。
「申し遅れた、リン殿。私は第一騎士団指南役、ロンド・ジルバーグだ。先程貴公に剣を向けてしまったことを謝罪する」
「ええ、構いませんよ。利用者の方の中にもここはどこだと錯乱する方もいましたので。ロンドさん、とお呼びしても?」
「ああ、構わない。しかし、これほどの書物が所蔵されいているとは…。ここの図書館とやらが一般的なのだろうか」
「いいえ、一般的ではないですよ。当館で取り扱っている書物・本はどれも一点物で、どこで出版されているというわけではありません。全て館長が集めた本です。館長は趣味に近いなんておっしゃてましたけどね」
嘘をついているとしか思えないような発言に私の脳が理解することを拒む。壁が見えない、果てがない。それほどの本棚が全て埋まり、しかもその全てが公に売っているものではないという。
「この山のようにある全ての本が一点物? 世に出回っていない? ではどうやって集めるのだ」
「それも昔館長に聞いたんですよ。そしたら館長、なんていったと思います? 『集めているという言葉は正しくない。勝手に集まっている、が正しいな。流れ着いてきたようなものだ。私はそれを読んでいるだけにすぎん』です」
「それはまた…摩訶不思議というか、なんというか…。待て、それより今なんて言った? この本を読んでいると?」
「ええ、館長はここにある全ての本を、必ず一度読んでいますよ。すごいですよね」
ありえない話についていけない。図書館というものがどういった施設なのかは概ね分かった。だがしかし、このリンという職員は、この図書館の長が、いくつあるかも計り知れないこの本たちを全て読了しているというのだ。本を一冊読むのに何時間かかるだろうか。果たして本が何冊あるのか。疑問が浮かんだとしても全てを読み切ることにかかる時間が何千時間、いや何百年、何千年になるのか、想像もつかなかった。
「信じられないな…色々と。そうだ、忘れていた。ここは豊穣迷宮の何層にあるのだ? 少なくとも我が国の調査では30層以降に何があるかわからないとは聞いていたが。それともアスラ自由国家か?」
「豊穣迷宮とかアスラ自由国家が何かはわかりませんが、この場所がどこの国にあるとかそういう場所ではありませんよ。ある種の異界というものでしょうか。ロンドさんが知っている地ではない、とだけしか説明できません。これ以上は職員規則に触れてしましますので」
「そう、か…。それで、どうやったら元の場所に戻れる?」
「戻れないこともないですが、生憎館長が不在でして。そういうことができるのは権限を持った人だけなんです。あと、1週間もすれば帰ってきますのでそれまで当館に滞在していただくしかないですね」
これは困った。王女様の安全が確実に確保できていない今、ここに1週間も滞在する余裕はない。
「もし、もし仮にだ。ここを強引に抜け出す方法があるのであれば教えてほしい」
「これも職員規則に触れてしまうのではっきりとは答えられませんが…。ロンドさん、空間魔法の心得はありますか?」
「クウカンマホウ? まほう…ああ、魔法か。御伽噺の。そんな高度なものはできぬ。魔法とは古代の人類が使っていたという代物だろう? とうに失われた技術で、今では専ら魔術だ。それに私は魔術の心得すらない。剣に生きてきたと言ってもいいほどにな」
「そうですか…。では、蘇ることはできますか? 魔法でも道具の効果でもいいので」
「よ、蘇る? 馬鹿な事を言うな、蘇生など通常の魔法よりも高度な魔法だというのではないか! 仮にそんな魔道具があったとして、それを使えるのは王族に限られるし、ましてや一介の騎士に下賜されるものではない!」
突然無理難題を並べる彼に私はついていけない。いやしかし、この場でそのようなものを口に出すということはつまり…。
「…リン殿。今君が挙げたものは、この場から強引に脱出するのに必要なものだというのか?」
「はい。それもそれがあってようやく最低限です。そこから脱出に成功する確率なんて考えるまでもなく、低いんです。命が惜しいのなら、当館で滞在なされるのがよろしいかと。勿論、ゲストルームもございますし、宿泊費も一切必要ありませんよ。お食事が必要でしたら、ルームサービスをご利用いただければ」
ここから単独で出ることはまず不可能。加えて衣食住の保証もあるときた。何かの罠かとも疑ったが、現状私はこの場でできることなど何もない。王女様の事も頭の中で横切るが、今は祈ることしかできないだろう。気持ちを切り替えるほかあるまい。
「わかった。それではここに泊めてもらえるだろうか。持ち合わせもないのでな、後にこの礼を返すことを約束しよう」
「ええ、そのほうがよろしいかと。早速ゲストルームに案内いたしましょうか?」
「いや、せっかくこれほどたくさんの本があるのだ。どれか一冊ほど読んでみたい。種類は問わないのでどれかおすすめの本などはあるだろうか」
「おすすめ、ですか…。当館が取り扱っている本のジャンルは一種類のみです。もちろん、恋愛や悲劇、喜劇など様々ありますが、どの本もそれが混ざったようなものですね」
「一種類のみでこれほどの本が集まるのか…。して、その種類の本は何と呼ばれているのだろうか」
図書館で取り扱う本の偏りに驚きながらも、本を読んでみたいという欲に駆られてしまう。途端、彼の気配が変わったかと思うと、ゆっくりと口を開き、こう答えた。
「『人生』です」
利用者名簿:ロンド・ジルバーグ様
性別:男性 年齢:60 出身地:ビシュラ王国ジルバーグ領
職業:騎士
補足:早急に退館したいとの申し出在り。館長不在のため一週間滞在。身体動作、所作、装備から高位の騎士であると推測。




