表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/33

雨の日の約束

 しとしと、しとしと──。

 薄灰色の雲が空を覆い、神社の境内を優しく濡らしていた。


 葉の上で踊る雨粒、軒下を滑り落ちる雫。

 静かな雨音が、まるで古びた社の鼓動のように響いている。


 その神社の拝殿横、小さな軒下に、一組の子どもが立っていた。

 少年と少女。まだ小学校の高学年ほどだろうか。


「……来てくれたんだ」


 先に立っていた少年が、濡れた髪を払うようにして笑った。


「そっちこそ。こんな天気なのに、バカみたい」


 少女は照れ隠しのように口をとがらせる。けれど、どこか楽しそうだった。


 彼らの姿を、社の屋根裏からこっそり覗き見ていたのは──もちろん、モナカとミタマ。


「おっ、これはこれは! 青春のかほりがいたしますぞぉ、ミタマ殿!」


「はいはい、ちょっと静かにして」


 ミタマは扇を小さく開き、ふっと目を細める。


 雨の音と、ふたりの気配。まだ名前も知らぬ彼らの関係性を、そっと観察するように見つめていた。


 


 傘を忘れてしまったのか、二人は軒下から動けずにいた。

 けれど、どちらもそれを困った様子ではない。むしろ──。


「……また雨の日だね」


 ぽつりと、少年がつぶやいた。


 少女は頷く。


「うん。去年も、ほら……君が転校する前の日も、雨だった」


「覚えてたんだ」


「そりゃ、覚えてるよ。……傘、一緒に入ってくれたし」


 ふたりの間に、懐かしい雨音が落ちてくる。


 あの日の記憶と、今日の景色が重なって、どちらも少し顔を赤らめていた。


 モナカがぽそっと呟く。


「ねぇミタマ、こういうのって……“恋”なの?」


「まだそこまでは行ってないんじゃないかしら。でも──」


 ミタマは、そっと手のひらを開いた。


「芽は、ちゃんとあるわね」


 


 雨音が強くなった。


 けれど、不思議と心地いい。

 それはたぶん、ふたりの距離が“雨”に守られているからかもしれない。


 


「ねぇ」


 ふと、少女が口を開いた。


「今度、またこっち戻って来たらさ……、この神社、また一緒に来てくれる?」


「えっ……」


「や、約束とかじゃなくて……その……なんとなく、言ってみただけ」


 焦ったように視線を逸らす少女。


 けれど少年は、真っ直ぐに彼女の顔を見て──笑った。


「……うん。俺、この神社、好きだし。……また来るよ。きっと、すぐ」


 それは“願い”にも、“誓い”にも似た優しい言葉。


 軒下で交わされた、ささやかな約束。


 


 屋根裏のモナカは、顔をほんのり赤くしてくねくねしていた。


「うわぁ〜〜〜〜……! これ、きたよミタマ! これ、青春ってやつ!」


「落ち着きなさい」


 ミタマは微笑んで、指先を拝殿の柱にそっと当てる。


 そこには、今日吊るされたばかりの木札が、雨に濡れながらも静かに揺れていた。


 ──『また、ここに来られますように』


 それが、ふたりのどちらの願いかは分からない。

 けれど、確かにその札は“あたたかい気持ち”を宿していた。


 そして、雨の音がそっと包み込むように鳴り響いていた。


 ぽちゃん──と。


 大きめの雨粒が跳ねたのは、古びた傘が風で煽られた瞬間だった。


「あっ!」


 少女の手から傘が飛んだ。


 それを追うように、少年が思わず駆け出す。


 転びそうになりながらも片手でなんとか受け止め、ずぶ濡れになったまま、彼は笑った。


「へへっ、セーフ!」


「バカっ、濡れるでしょ!」


 少女が駆け寄り、袖で少年の髪を拭う。

 彼の顔はすっかり濡れていたけれど、目だけはどこか嬉しそうで。


 その光景を、拝殿の梁の上で見守っていたモナカは、ほわぁ……っと感嘆の息を漏らした。


「ミタマ……これってもう、“尊い”って言っていいやつだよね……?」


「ふふ、言ってもいいわ。……というより、私も言いたいくらい」


 ミタマは、濡れた傘の動きをなぞるように、扇をそっと広げた。


 すると、細く柔らかな風が吹き、傘の骨が自然に収まっていく。


「おっ、さりげなく助け舟!」


「目立たないようにね。……あくまで“偶然”に」


 


 二人は、相合い傘で歩き出した。

 ぴったりと肩を寄せ合って、ふたりで一本の傘を支えて。


 その姿は、まるで昔からずっと一緒に歩いていたかのように自然だった。


「……濡れてない?」


「そっちこそ、もうちょっと寄ってよ」


「……おっけ」


 雨音の中、たわいない会話がぽつりぽつりと続く。


 でも、何気ないそのやりとりの中に、これまでの時間の積み重ねが見えるようだった。


 ──戻って来る。


 ──また会える。


 その未来を信じられるような、静かな確信。


 傘の下に流れる時間は、雨の日特有の優しいスローモーションだった。


 


 しばらくして、二人が見えなくなった参道。


 そこに静かに降る雨の音が、また境内に戻ってきた。


 モナカとミタマは社の柱に並んで腰を掛け、しばし余韻に浸っていた。


「ねぇミタマ、さっきの子たち……ほんとにまた来てくれるかな?」


「ええ、きっと来るわ。……願い札にも、そう書いてあった」


「そっか……じゃあ……私、覚えておく」


 モナカが自分の胸をとん、と叩く。


「いつか、またあの子たちが来たときに、“あの雨の日の約束”って、ちゃんと伝えられるように」


「うん。それが、私たちにできる“叶え方”ね」


 


 二人はそっと微笑み合った。


 そして社殿に戻ると、雨に濡れた参道を見下ろしながら、小さな札を一枚だけ吊るし直した。


 ──『また、ここに来られますように』


 それは誰の筆跡か、分からない。

 けれど、雨音がそっと包み込み、風が優しく揺らしていた。


 モナカが呟いた。


「ねぇミタマ……雨の日って、なんか泣きたい気分になるの、どうしてかな?」


「それはね、心がちょっとだけ“ゆるむ”からよ。……泣いても、気づかれないから」


「そっか……優しいんだね、雨って」


 


 しとしと、しとしと──。


 雨はまだ止まない。


 けれど、願い札の下で揺れる二匹の尻尾だけは、晴れた日のようにふんわりと、揺れていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ