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嘘つきな願い

 朝の神社は、空気が澄んでいて気持ちがいい。


 鳥のさえずりが響く中、拝殿の前を掃き清めていたモナカは、ふと手を止めた。


「ミタマ〜! 今日も願い札、入ってたよっ!」


 大きな声で呼ぶと、奥からひょこっと顔を出したミタマが、手ぬぐいを肩にかけたままやってきた。


「そんなに叫ばなくても聞こえてるわよ。……どれどれ」


 モナカが差し出した木札には、短くこう書かれていた。


「試験に合格しますように」


「へぇ、受験生かな? 春だもんね〜」


 モナカがにこにこしながら言うと、ミタマはじっとその文字を見つめたまま、首を傾げた。


「……なんか、変ね」


「え? どこが?」


「願い方が不自然。筆圧も強くて、無理に書いたみたいに見える」


「え〜? ミタマ、また探偵ごっこ? それともフォント鑑定士さん?」


「いいから。ちょっと様子を見に行くわよ」


 そう言うと、ミタマはその木札を手に取り、ふんわりと目を閉じた。


「……この願い札を持ってきた子、今も近くにいる。モナカ、行くわよ」


「はーいっ!」


 


 神社の裏手にある小道。木漏れ日が差す静かな空間に、ひとりの少年がいた。


 中学生くらいのその少年は、制服の袖をまくりながら、スマホを覗いている。


「ねぇ、キミがこの札を……」


 突然、後ろから声をかけられ、少年はびくっと肩を跳ねさせた。


 振り向くと、そこには私服姿のモナカとミタマが立っていた。


「えっ……誰?」


「あっ、ごめんね! 私たち、ちょっと神社のお手伝いしてるの!」


 笑顔で応えるモナカに、少年は少し警戒したように身構える。


「札……返してほしいの?」


 ミタマは木札を見せながら言った。


「いえ、ただ……少し、気になったの」


 少年は、わずかに眉をひそめた。


「なんで?」


「願いの“気配”が、ちょっと嘘くさいの。キミ、本当に“試験に合格したい”って思ってる?」


「…………」


 少年は黙り込んだ。


 しばらくして、ポツリと口を開く。


「……嘘だよ。別に試験なんて、どうでもいいんだ」


「じゃあ、なんで書いたの?」


「母さんがうるさいんだ。“合格祈願しなさい”って……だから、言われたとおりにしただけ」


 モナカは目をぱちくりさせた。


「じゃあ、本当の願いは?」


「……」


 少年はしばらく目を伏せていたが、やがてゆっくりと、言葉を吐き出した。


「……母さんが、安心してくれたら、それでいいんだ」


「安心?」


「父さんが亡くなってから、ずっと働きづめで、俺のことまで気にしてばっかで……。俺がちゃんと“やってる”って見せないと、余計に心配かけちゃうから……だから、形だけでも“合格”って言っとけば、安心するかなって」


 その言葉に、モナカは静かに瞬きし、ミタマは木札をそっと撫でた。


「……優しい子ね、あなた」


「優しいって……そんなの意味ないよ。俺、成績も微妙だし……親孝行なんて、口だけだよ」


「口だけじゃないよ」


 モナカが、きっぱりとした声で言った。


「願い札って、ね。気持ちがこもってると、ちゃんと“響く”の。うちら、ちょっとだけだけど、それが“わかる”んだよ!」


 少年は、少し驚いたようにモナカを見つめた。


「うそ……」


「うそじゃないよ〜!」


 モナカは両手を広げてにんまり笑った。


「キミの願いは、“お母さんに安心してほしい”って気持ち。うそっぽかったのは、それをうまく言葉にできなかっただけ。だから大丈夫っ!」


 ミタマが小さく笑みを浮かべる。


「まったく、単純なくせに、たまにはいいこと言うのね」


「えへへ〜!」


 少年は、少しだけ目元を緩めた。


「……そっか。じゃあ、ちゃんと“本当の願い”を書いてみるよ」


 


 モナカとミタマが見守る中、少年は再び木札を手に取り、ゆっくりと筆を走らせた。


「お母さんが、笑ってくれますように」


 


 風が吹いた。


 札に書かれた文字が、日の光に照らされて優しく揺れる。


 それは、まぎれもない“本当の願い”だった。


 ──それからというもの、少年は毎日のように神社に足を運ぶようになった。


 学校帰りにふらりと立ち寄り、境内のベンチで参考書を開く姿もあれば、ときには何もせず、ただ拝殿をじっと見つめているだけの日もあった。


 モナカとミタマはそんな彼を、少し離れた場所から見守っていた。


「……頑張ってるねぇ、あの子」


「うん。自分から、っていうのがいいわ」


 ミタマが小さくうなずく。


 それは強制でも、義務でもなく、自分で決めたこと。

 “安心させたい”という願いが、ゆっくりと“行動”に変わり始めていた。


 ある日の午後。彼は、いつものようにベンチに座っていた。


 しかし、その手元にあるのは勉強道具ではなく──一枚の封筒だった。


「……これ、母さんに渡す手紙。試験のこと、今の気持ち、ちゃんと全部書いた」


 モナカとミタマの姿が見えているわけではない。けれど彼は、語りかけるように封筒を見つめていた。


「嘘をついてたことも。でも……ありがとうって言いたかったから」


 風がそっと吹いて、手紙を包む紙がかすかに揺れる。


 その様子を、社の影から見ていたモナカは、そっと手を握りしめた。


「ねぇミタマ……あたしたち、なにか、できないかな」


「十分、できてるじゃない」


「ううん、もっとこう……この“気持ち”に、応えたいなって」


 モナカの真剣な瞳を見て、ミタマはふっと微笑む。


「……じゃあ、少しだけ“お手伝い”しましょ。あくまで、ほんの少しよ」


 


 翌日、少年が帰宅すると、母親が不思議そうに声をかけてきた。


「ねえ……これ、あなたの?」


 彼女が手にしていたのは、白い封筒。──昨夜、神社の賽銭箱にそっと入れた手紙だ。


 彼は驚き、そしてすぐに、頷いた。


「……うん。読んでくれた?」


 母はしばらく黙ったあと、ふいに微笑んだ。


「ええ。……泣いちゃったわよ、ずるいわね、あなた」


「……ごめん」


「違うの。……ありがとう」


 静かな沈黙が、二人の間に訪れる。


 でも、それは気まずさでも、悲しさでもない。


 ただ、じんわりとあたたかく、心に染み入るような──安堵の沈黙だった。


 その夜。神社の片隅で、モナカは一人、境内にある梅の木の下で跳ねるようにくるくると回っていた。


「やった〜やった〜! ちゃんと届いた〜っ!」


 そこへ現れたミタマは、呆れたように笑う。


「賽銭箱にこっそり入れただけでしょ。まったく、おおげさなんだから」


「でもでもっ、あの子、ほんとに笑ってたよ。なんか、すっごく……いい気持ちになった」


「それが“願い札の力”ってやつよ」


 ミタマはそう言って、手にしていた札を一枚、そっと空に掲げる。


 それは、少年が最初に残した“嘘の願い”──『試験に合格しますように』の札だった。


「……ねぇミタマ、それって……」


「うん。変わったの。“中身”がね」


 木札からは、確かに“嘘”の気配が消えていた。

 今は、清らかな祈りの波が、微かに木目を震わせている。


「もう、嘘じゃない。自分の願いが、ちゃんと、自分の言葉になったから」


「……あたしたち、ちょっとだけ、お手伝いできたかな」


「ええ。ほんの、ちょっとだけね」


 二人は空を見上げた。


 夜の空には、いくつかの星がまたたいていた。


 その小さな光が、少年の願いと母の想いを、そっと結んでくれるように。


 


 数日後──。


 神社には、新たな木札が吊るされていた。


「ありがとう。また来ます」


 シンプルで、だけどとてもあたたかい言葉。


「うふふっ、ね、ミタマ。これって、“またお願いしに来ます”って意味かなぁ?」


「“またお礼を言いに来ます”かもしれないわよ」


 どちらでもいい。


 いずれにせよ、その札には“気持ち”がこもっている。


 願いが変わるたびに、人の心もまた変わっていく。


 そうやって、誰かの“気持ち”が今日も、そっと木に宿って──神社は静かに、それを見守り続けている。

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