モナカ式☆身長のばし大作戦!
風鈴の音が、ちりんと鳴った。
朝の神社に、また一枚、新しい願い札が結ばれていた。
「よし、今日の願い札はこれだよ、ミタマ〜!」
モナカが、耳と尻尾をぴこぴこと揺らしながら拝殿の前で声をあげる。読み上げた願い札には、こう書かれていた。
「『背が伸びますように』──うんうん、いいねいいね! これはモナカ、ちょっと自信あるよ〜!」
ちゃぶ台の上で茶をすするミタマが、ふと顔を上げる。
「……モナカ。まさか、また変化術でどうにかしようとしてない?」
「えっ、なんでバレてるの!? モナカ、今回はちゃんと計画的にやろうと思ってたのにっ!」
「いや、声が弾みすぎていたから」
ミタマの淡々とした返しに、モナカはむぐぐ……と唸ってから、にっこり笑って言った。
「でもね、ミタマ。『背を伸ばしたい』って、結構真剣な願いかもしれないよ? 人間の世界だと、見た目ってすごく大事らしいし!」
「うん、わかってる。だからこそ、丁寧に向き合いたいの。いたずら半分では、ね?」
「いたずらじゃないよ〜! ……でも、モナカ、ちょっとだけ……すこーしだけ……おもしろくしちゃうかも?」
「そこは、モナカらしくていいけど」
二人が話していると、参道を上ってくる足音が聞こえた。小柄な少年が、絵馬掛けの近くで足を止め、じっと札を見上げている。
――たぶん、あの子だ。
ミタマが静かに立ち上がると、モナカも元気よく駆け寄る。
「おはよう〜! もしかして、あの札書いた子?」
「……うん」
少年はうなずいた。中学二年生くらいだろうか。小柄で細身、制服の襟元には小さく名前の刺繍がある。「海斗」と読めた。
「カイくん、だよね! はじめまして、モナカだよ!」
「……えっと、こんにちは」
少しだけ照れくさそうに、カイは頭を下げた。
背筋をピンと伸ばしているけど、どこか気にしている素振りが見え隠れする。
「背が低いこと、気にしてるの?」
「うん……。この間、クラスの子に『カイって小学生みたい』って言われて……」
「むむ〜っ、それは失礼しちゃうよ! よーし、カイくんの願い、モナカが絶対に叶えてみせるよっ!」
両手を腰にあてて胸を張るモナカに、カイはちょっとだけ笑った。
「……ほんとに?」
「ほんとほんと! モナカ、変化術とか得意だし! あと、モナカ式トレーニングもあるし!」
「なんか……不安になってきた……」
そんなカイのぼそりとした一言に、ミタマは喉の奥でくすりと笑う。
「まぁ、騒がしくなる予感はするけれど。せっかく来てくれたんだもの。願いの話、もう少し聞かせてくれる?」
カイはこくんとうなずいた。
境内には、セミの声と、どこかくすぐったい風が吹いていた。
拝殿の軒下で、ちゃぶ台を囲むように三人が座る。
「ふむふむ……カイくんはバスケ部なんだね?」
「うん。中学から始めたんだけど、試合にはまだ出てないんだ。上手い子が多くてさ……」
カイは紙コップに注がれた麦茶を手にしながら、ぽつりぽつりと話した。
「身長、低いからさ。リバウンド取れないし、シュートも届かないって言われることある。努力しても、結果が出ないって感じで……」
「うぐぐ……なんだか悔しいよぉ……!」
モナカは唇を尖らせて、テーブルをバンッと叩いた。
「大丈夫! モナカにまっかせなさいっ! さあ、さっそく『モナカ式・背のびトレーニング』を始めるよ!」
「えっ、今から?」
「今からーっ!」
モナカはちゃぶ台の横にあった引き出しから、竹馬を取り出した。……いつのまに?
「まずはこれ! “高いところに慣れる”ことで、身体が背を伸ばしたくなるんだって!」
「それ、聞いたことない……」
「モナカ調べだから安心してっ!」
カイは不安げに竹馬にまたがり、ふらふらと境内を歩く。が、すぐにバランスを崩し──
「うわっ、わっ、あぶ──」
「せいっ!」
スッとミタマが手を伸ばし、カイの腕を支えた。彼女の白衣の袖がふわりと揺れる。
「ありがとう……助かった」
「怪我をしない程度にね、モナカ」
「えへへ〜! じゃあ次は……ぶら下がり健康器!」
「神社にそんなのあるわけ──」
「あるよっ!」
今度は社務所の裏から、どこかで拾ってきたような金属製の懸垂器具を引っ張ってきた。
「腕をぶらーんってするだけでも、背がぐーんって伸びるらしいよ!」
「それ、ただのストレッチじゃ……」
「うんうん、それも大事!」
カイは渋々ぶら下がった。
ぷらーん、ぷらーん、と左右に揺れるたびに、ミタマが控えめに拍手する。
その後も、
・小魚中心のカルシウムおにぎり(モナカ特製)
・“背を伸ばすダンス”なるものをモナカが即興で披露
・太陽に向かって「伸びろ〜!」と叫ぶ儀式
──など、意味不明なトレーニングが続いた。
「……ねえ、これってほんとに意味あるのかな……」
カイがぼそりとつぶやく。
「え? あるよ! たぶん!」
「“たぶん”なんだ……」
「でもね、カイくん。モナカ、すごくいいと思うよ? がんばるカイくん、かっこいいもん!」
モナカが満面の笑顔でそう言ったときだった。
境内に、小学校時代の同級生らしき男子二人が姿を現した。
「あっ、カイじゃん!」
「お前、今なにしてんの? あいかわらずちっこいな〜」
「……!」
カイの表情が一瞬、強張る。
その顔を見て、モナカはぐっと拳を握った。
「コラ〜! 身長で人をからかうの、なしだよ〜! カイくんはね、ちっちゃくたってすっごく努力してるんだから!」
「え、だって別に悪口じゃ──」
「悪口じゃないなら、心が痛くなったりしないよっ!」
いつになく鋭いモナカの言葉に、少年たちは少しばつが悪そうに顔を見合わせて、
「……じゃあ、またな」と去っていった。
ぽつんと残されたカイは、つぶやく。
「……背が高くなれば、もっと目立てると思ってた。でも、なんか違うのかな」
ミタマがそっと隣に座り、静かに問いかける。
「ねえ、カイ。君がほんとうに望んでいるのは、“背が高い自分”なの? それとも、“誰かに見てほしい自分”? どっち?」
「…………」
言葉に詰まるカイの頬を、夏の風がそっとなでた。
陽が少し傾きかけた神社の境内。
カイはしゃがみ込み、地面の石を小枝でつつきながら、ぽつりとつぶやいた。
「ほんとはさ……目立ちたかったんだ。『すごいな』って言われたくて。小さいって笑われても、努力してるんだって、わかってほしくて」
モナカとミタマは、それぞれの位置から静かに彼の言葉を受け止めていた。
「バスケ部の先輩たちって、背が高い人ばっかりでさ。だから、チビは補欠って、なんとなく決まってるみたいで……。それでも諦めたくなくて、走って、飛んで、毎日練習してるのに……」
風が吹き抜け、セミの声が一瞬、遠く感じられる。
「でも結局、試合に出るのは背が高い子でさ。頑張ってるのに、誰にも気づいてもらえないって……なんか、むなしいなって思ったんだ」
「カイくん……」
モナカは、そっとカイの前にしゃがみ込んだ。
そして、変化術を使って自分の身長をぎゅいーんと伸ばした。カイより、ぐんと大きくなる。
「ねえ、どう? このモナカ、背が高いよ!」
「……うん。なんか、大人っぽく見える」
「そっか〜。じゃあ、次は……ちっちゃいモナカ!」
今度は一気に背を縮めて、カイの膝くらいの小ささに。
ぴょこぴょこ動く姿に、カイが思わず笑った。
「なにそれ……めっちゃちっちゃいじゃん」
「でしょ〜? でも、モナカはどっちのモナカでも、モナカなんだよね」
「え?」
モナカは元の大きさに戻り、指をぴんっと立てた。
「大事なのは、身長じゃなくて、何を見せるか! どうカッコよく生きるか! そう思わない?」
カイは一瞬、口を閉じて、それからゆっくりうなずいた。
「……うん。思う。俺、背が低くても、誰かの目にちゃんと映るようにがんばるよ。部活だって、声出したり、走ったり、やれることはあるもんね」
それを聞いて、モナカはふにゃ〜っと笑った。
「そーそーっ! カイくん、かっこいい〜〜っ!」
「褒めすぎだって……」
照れくさそうに笑うカイを見て、ミタマがそっと言葉を添える。
「……ねえ、カイ。ひとつ聞いていい?」
「うん?」
「あなたが憧れてるのは、“誰かからすごいと言われること”じゃなくて、きっと、“自分を認めてあげられること”なんじゃないかしら」
「…………」
「背が高い人にも、きっといろんな悩みがある。足が遅いとか、目立ちすぎるとか。でも、努力している姿って、それだけでちゃんと誰かに届いてるのよ。──少なくとも、私たちにはね」
ミタマの静かな言葉に、カイの目が少し潤んだ。
「……ありがとう。来てよかった」
「うんうんっ! 願い札、ちゃんと叶ったってことで、いいかな?」
「……うん。なんか、心が伸びた気がする」
そう言ったカイの顔は、来た時よりも、ずっと誇らしげだった。
境内を照らす陽射しが、少しだけ傾いてきた頃。
カイは立ち上がり、すぅっと背筋を伸ばした。
「……俺、もうちょっとだけ、自分を信じてみようかな」
「おぉ〜! なんか今、ちょっとだけ背、伸びた気がするよっ!」
モナカがぴょんっと跳ねて、冗談めかして言う。
カイはふっと笑って、胸を張るようにして言った。
「がんばるよ、明日からの練習。……っていうか、なんで俺こんなに元気出たんだろ。あれ? さっき、なにか変な……?」
ふと、カイの表情に戸惑いが浮かぶ。
頭の片隅に、“背の高いモナカ”や“ちっちゃいモナカ”の姿がかすかに浮かびかけて──
「……いや、なんでもない。変な夢でも見てたのかな」
すぐに、その記憶は霧がかかったように薄れていった。
残ったのは、「不思議と元気が出た」「自分を信じてみようと思えた」──その感覚だけだった。
モナカとミタマは、そっと見送るように立っていた。
「じゃ、俺……行くね!」
「うん! いってらっしゃい、カイくん! ファイトだよ〜!」
モナカが大きく手を振ると、カイも元気よく振り返した。
──風が吹いた。
その背中は、出会ったときより少しだけ大きく見えた。
少年の姿が参道の向こうに消えると、モナカはちゃぶ台の縁にぴょこんと腰をおろし、伸びをした。
「ふぇ〜、がんばった〜〜っ。今日もモナカ、全力でお手伝いしたよ!」
「うん。いい働きぶりだったわね」
ミタマはにこりと笑い、ポットからお茶を注いだ。
「……でも、モナカ。変化術はほどほどにね。下手をすると、人の記憶に違和感が残っちゃうから」
「わかってるよ〜〜。だからちゃんと、術がふわ〜って抜けるように調整したもん!」
「……ふわ〜、がちょっと怖いけど……」
モナカはそんなミタマの言葉にケラケラ笑いながら、ちゃぶ台にごろんと寝転んだ。
「でもさ、ミタマ。モナカは思うんだよ」
「なに?」
「背が伸びたかどうかなんて、たぶん、ほんとは大したことじゃないんだよね。大事なのは、誰かに“よかったね”って言ってもらえることなんじゃないかなぁ〜って!」
ミタマは一拍置いて、うん、と小さくうなずいた。
「……そうね。誰かにちゃんと見てもらえることって、それだけで心が伸びるのかも」
「心のストレッチ、大成功〜っ!」
モナカがバンザイしながら転がって、ちゃぶ台の脚に頭をぶつける。
「いたたたっ……やっぱり、背が伸びるのも考えものだよ……」
「モナカは、そのままでいて。私は、その方が嬉しいわ」
そう言って笑うミタマの横で、モナカの尻尾がふわふわ揺れた。
夏の風が、ふたりの間を通り抜けていった。
夕暮れが、山の端からゆっくりと顔を出していた。
神社の縁側には、二つの影が並んでいる。
「ミタマ〜、ほら見て〜! 今日も竹馬、ちょっとは乗れるようになったよ〜!」
モナカがふらふらと竹馬に乗り、縁側の前をぴょこぴょこと歩いていく。
でも──
「わ、わあっ! ミタマ、助け──」
ガタン。
竹馬は倒れ、モナカは見事にちゃぶ台へとダイブ。いつものように、まるっと丸くなった。
「いたたたた……やっぱり、地に足つけて生きるのがいちばんかも……」
「最初から、そうしておけばいいのに」
ミタマは、あきれたような、でも優しい声で笑った。
湯呑に注がれた麦茶から、小さな泡がぷつりと浮かんで消える。
「ねえミタマ。今日は、よかったよね?」
「うん。きっと、彼はまた前に進める」
「じゃあ、願い札はひとつ、かなったってことで……」
モナカは、ちゃぶ台の上でごろんと仰向けになり、天井の木目をじっと見つめた。
「今ごろカイくん、また走ってるのかなあ。背は変わらないかもだけど、きっと誰かに“がんばってる”って気づいてもらえる気がするよ」
「気づいてもらえるのを待つより、誰かを信じる方が、ずっと強いからね」
ミタマの言葉に、モナカは「ふーん……」と唸るように言ってから、
「ミタマって、たまに深いんだよね〜」
「たまに、は余計」
二人の笑い声が、神社の空に溶けていく。
ヒグラシの声が、夏の終わりをそっと告げていた。
ちゃぶ台の端には、まだ読まれていない願い札が数枚──。
どれも、小さくて、大切な願いばかりだ。
今日もまた、誰かの願いが風に揺れていた。