35話 虚ろな瞳 <クルト視点>
私は二度、親を亡くした。
一度目は、まだほんの幼いころだった。
バラの家で襲撃に遭い、生みの親を亡くした。
悲しいというより怖くて、何が起きたのかも分からなくて、ただ強くならなければならないと思ったことを覚えている。
そして二度目は、今。
私は育ての親を亡くした。
親であり、師匠だった。
師匠は私に、外を見せてほしいと言った。
師匠を不安にさせたくなくて、私は精いっぱいの強がりをした。
いやだ、一緒にいたい、いなくならないでほしい。
そんな想いを、精一杯の強がりで押し殺した。
だから師匠が消えた後、私に残ったのは喪失感だった。
やるべきことはある。
でも、それは私じゃなくたってできるじゃないか。
師匠が希望を見出したのは、私じゃなくバラだ。
たまたまバラのそばにいたから。
たまたま師匠の気が向いたから。
偶然の積み重ねで、誰かの気まぐれで、私はこうして生きている。
私は別に、いてもいなくても変わらない。
もう、何もしたくない。
このまま朽ち果ててしまいたいと、強く願った。
でも自らの手で終わらせる勇気もなくて、怠惰に無気力を装うことしかできなかった。
誰かが、何かが、私を終わらせてくれることを祈って。
バラが私の手を引いて家まで連れ帰ってくれた。
トラスが何も言わず、抱きしめてくれた。
でも、そこに師匠はいない。
私の胸に、ぽっかりと穴が開いたようだった。
その日の夜、私は一睡もできなかった。
何やら屋根の上が騒がしい。
大方、鳥か何かだろう。
だが、そんなことはどうでもよかった。
夜は嫌いだ。
何も見えなくなるし、寒いし、どうしようもない不安が押し寄せる。
だから私は、夜はなるべく早く寝るようにしていた。
こんな時間まで起きているのは久々、いや、初めてかもしれない。
これが最低な悪夢であることを、心から祈った。
静寂の夜。
脳裏に浮かぶのは、師匠との思い出。
褒められたこと、叱られたこと。
笑いあったこと、泣いたこと。
この十数年の記憶が、走馬灯のように流れていく。
「……っ……っぅ……う……う……」
こみ上げる涙をこらえきれず、声を押し殺すように泣いた。
誰にも見られたくなくて、布団で顔を覆い隠す。
布団が嫌な湿り気を帯びるのに、そう長い時間はかからなかった。
気が付くと、いつの間にか朝になっていた。
まだじっとりと湿った布団が、今が現実であることをまざまざと突きつけてくる気がした。
あぁ、起きなければ……。
体に染みついた習慣は、私の意思とは関係なく私を皆のもとに連れ出す。
私の心は、誰とも会うことを拒否しているのに。
――――――
「クルトもいいよね?」
トラスが突然、ここを出ると言い出した。
バラは私たちを気遣ってまだ早いと主張しているようだが、正直、心底どうでもいい。
そんなことよりも、私は一刻も早く、この場所から消え去りたかった。
早く一人になりたかった。
「……いいんじゃない」
だからトラスに聞かれたとき、ここを出るのに賛同した。
この家さえなくなってしまえば、私とバラたちを繋ぎとめるものは何もないと思ったから。
この場所を出て、一人で生きていこうと思った。
もう、どうでもいいと思った。
……野垂れ死のうと、思った。
バラは心配そうに私を見ていたけど、バラにはやることがあるから、きっと最後は私よりそちらを優先してくれるだろう。
師匠の願いで、外を見に行かなくちゃ。
トラスの頼みで、世界を救わなくちゃ。
全部、バラが求められていることだ。
私は―――違う。
だからもう、私に構わないでほしい。
私のことなんて、忘れてしまってほしい。
…………
…………
…………
「クルト、ただいま。……その……これ、読んでくれないか」
バラがそういって渡してきたのは、大量のスクロールの束だった。
「それから、これ……お守りだってさ」
バラはそういって小さな木片を私のそばに置く。
「その……ちゃんと、読めよ」
それだけ言うと、バラは部屋を出て行ってしまった。
読む気も起きず、その束を適当に放り投げる。
ばさばさと音をたてて散らばったスクロールに目をくれず、私は布団にくるまる。
嫌だ、何もしたくない。
そんな雁字搦めの感情が、私の思考する意欲を奪っていった。
いつまでそうして不貞腐れていたのだろう。
……おなか減ったな。
何もかもが嫌になったはずなのに、身体だけは生存を訴えてくる。
そんな自分に、嫌悪感すら覚えた。
……水だけ飲もう。
そう思い、立ち上がる。
その時、足元に転がったスクロールの文字がふと目に入った。
『がんばれよ、クルト。俺はお前の中で、お前を見守ってるからな』
不器用だけど見間違えようもない、師匠の字。
散らばったスクロール全てに、小さく文字が書かれている。
「……ぁ…………」
しゃがみ込み、スクロールを拾い上げる。
師匠の字。
師匠の言葉。
ほかの誰でもない、私に向けられた言葉。
「あぁ……!」
突き刺すような痛みが、胸を締め上げた。
なんで、私は師匠を疑ったんだろう。
なんで、私を愛してくれた人を疑ってしまったんだろう。
あんなにも愛してくれていたのに。
愛してくれたことを、知っていたのに。
「あああぁぁぁぁあああ!!!」
私は、愛されていた。
頭を撫でてくれた。
肩車をしてくれた。
たくさんお話を聞かせてもらった。
叱ってくれた。
笑ってくれた。
全部全部、もらっていた。
なのに、なにもかも忘れて、なかったことにしようとしてしまった。
なんて馬鹿なんだろう。
私に託してくれた人がいたのに。
こんな私を、愛してくれていた人がいたのに。
悲しい。
申し訳ない。
悔しい。
嬉しい。
ぐちゃぐちゃの感情が波のように押し寄せて、涙となって溢れ出る。
涙が枯れて疲れ果てるまで、泣き続けた。
翌朝、差し込んだ朝日に照らされ目が覚めた。
どうやら、眠ってしまったらしい。
リビングに降りると、バラとトラスは先に朝食をとっていた。
二人とも、私と目が合うとどこか安心した顔をした。
そっと、胸に下げたお守りを握りしめる。
ひんやりと冷たい感触すら、今の私には心強かった。
そして私は息を吸い込む。
―――「おはよう、ふたりとも!」




