花嫁と死神
―贄の少女は一人寂しく鳥籠の中に住んで居ました。否、少女は本当に鳥籠の中に住んでいた訳ではありません。大きな大きなお城に住んでいたのです。ですが少女は、何度もこう言い張るばかりでした。
「お城じゃない。此処は私を閉じ込める大きな檻なの。お城なんて美しいものじゃないわ。餌を貰う時に籠から出される鳥の様に、必要な時に必要な時間だけ、私も外に出させれる」
現に、少女の腕と踋には枷がついておりしました。それはそれはもう頑丈で、鉄で作られた枷でした。こんな物を付けていれば、この広い城の中でも自由に動けないでしょう。
私は可哀想な少女に尋ねました。
「このような身動きが取れない生活。貴方は嫌ではないの?」
少女は先程と変わらぬ顔をして言いました。
「ええ、私は贄の女。生まれた時から…否、胎児の時から既に決まっていた事。それが私の生きる意味、道なのならばそれに従い、生きるまでです……」
私は心底がっかりしました。この少女、先程生きる意味等を口にし、生きたいという素振りを見せたのです。そう、素振り。首元に突きつけられた刃を拒むことなく一点を見つめたまで淡々と話す、この少女。現に私は、今現在に至るまで少女の首元に鎌の刃を突き付けていました。ほら、真っ赤な血が首筋を通り服に吸収されていきます。ほら、刃が肉にくい込み、赤く輝く血が絶え間なく流れ出てきました。私が手を引けば、この皓く細い首は直ぐにでも胴と離れそうでした。
―それでも尚、少女は抵抗もせず、此方を見もしません。嗚呼、本当につまらない子。生きたいというのは口先だけで、きっとそのような事は、少しばかりも思っていないのでしょう。この少女には人間特有の『生きたい』という感情がないのでした。生にしがみつく人間はもがき、抗い、苦しむ。家族の為だとか愛人の為だとか。死にかけとなっても、それでも尚、生を求める人間が…私好きなのです。
嗚呼、其の姿、何と醜いのでしょう。その醜さが私を惹き付けたのでした。何れ死する魂なのに、何故そこまで拘るのか。否、今はそんな事どうだっていい。この少女―光のない闇のような瞳と感情を失った様に変わらない顔と平坦な声色。嗚呼、つまらない。何の意欲も意思もない人間の抜け殻となった者に、時間を費やす暇はない。私は少女から鎌を退け、少女が居る場所と反対に歩きだしました。
「……私は唯、奴らが憎い…」
憎い?だから何だと言うのでしょう。そんな感情を持ち合わせているのならば行動すればいいものを。その鎌で私の枷を断ち切ってと、私を自由にしてと言えばいいものを。あの少女の憎しみは所詮その程度なのでしょう。嗚呼、何ともくだらない。私は歩みを止めず、そのまま歩き続けました。
「そう、唯、只管に憎いの。私を此処に閉じ込めた人間が。私が此処にいる事を知っておきながら、見て見ぬふりをして助けてくれない人間共が。生憎、私にはもうその感情しか残っていなくて、気づいたらその感情に塗りつぶされていて―さっきは従うとか、その為に生きるだとか真っ赤な嘘をついたけどね、本当は違う。違うのよ。私は奴らに復讐する為に生きているの」
私は踋を止めました。
何でしょうか?
この奥底から湧き出る溶岩のように熱い熱い高揚感は…
「知ってるのよ?貴方は死神だって事を。だって此処の鳥籠、お城は、死神が出るという曰く付きの呪いの城。その贄として私が投げ込まれた―決して逃げられぬよう、手踋を拘束されて―」
先程の平坦な声色に色が付いた様な気がして、私は思わず振り返りました。その時に見た少女の表情。未だ忘れていないのです。その時、私は、背筋が凍るという体験を始めてしたのでした。
少女は先程とは打って違い、遠くから私の瞳を捉え、獲物を狙う肉食動物の様な眼をしておりました。目は弧を描き、口は鉄製の枷の鎖を噛んで居たのです。私の鎖を断ち切って、私を自由にしてを言わんばかりに。
恐怖を覚えさせるその姿、表情はまるで―――死神。
気づいてしまった―
嗚呼、嗚呼!この少女は抜け殻などでは無かったのです。私が求めていたものだった。この少女、この少女!何と醜いのでしょう!否、少女だけでは無い。この世の人間全てが醜く感じている!今この城の呪いを解こうと、贄として放り投げた少女が、憎しみを抱き反逆の意思を示している!人間が人間に与えた負の感情!畢竟、この少女は幼い乍も死神と化したのです!嗚呼、何と愚かで醜いのでしょうか!人間という生き物は!
―見たい、見たい見たい!あの少女が反逆し、人々を殺し周り、死を拒む醜い人間共が見たいのです!その時、その殺人鬼が贄の少女と知った者はどんな顔を見せるでしょう?顔を歪めるでしょうか?或いは自暴自棄になりますでしょうか?或いは喚き叫んでしまうか?嗚呼、嗚呼…どんな反応を見せるのでしょうか…
「貴方、人間共に復讐したいのでしょう?」
気がつけば私は少女の目の前にまで来ていました。
「ええ勿論。それよりも、私は此処から出れるのですか?貴方が助けてくれるのですか?鳥籠から出ても自由に外で遊べるのですか?」
「出られます。外で好きなだけ、人を殺せるように私が協力しましょう」
私は鎌で少女の枷を破壊しました。
「もう、神も人間も信じないわ。これからは貴方を信じることにする!」
少女は息を吹き返した様に意気揚々としています。
「だから髪の毛切りたい!」
少女の髪の毛は、床に着く程長く伸びていました。髪には神が宿るという噺を信じ、これまで髪を切っていなかったのでしょうか?こんな噺を信ずる人間共も又愚かでなりません。皆長い髪を持ち、流行りの物を身につける。私には、どうも人間共が皆同じに見えて仕方ないのです。群がる虫の様で気色が悪く感じるのです。私は、懐から黄金に輝く鋏を取り出し、肩位の長さまで髪を切り落としました。
「ありがとう、死神さん!」
私は、礼を言われたのは初めてで、返す言葉が思いつきませんでした。
「人を殺る時にはこれを使うといいでしょう」
私が渡したのは幼少期に使っていた大剣です。その大剣には、リボンが巻かれ、花の装飾が付いている可愛らしい剣でした。
「小さな貴方でも持てる重量ですが、殺傷能力は高く、人間の首程度なら簡単に落とせるでしょう」
「ありがとう、ありがとう!」
礼を二回も言われました。否、先程を合わせれば三回。今度、礼を言われた時の返しを考えておきましょう。
「よし!死神!今すぐにでも行こうよ!復讐しに!」
「…えぇ、ですが、その前に姿見を替えた方がいいでしょう」
どうも人間の区別が出来ない私には少女に魔法をかけようと考えました。人間共は皆、同じ格好をした虫けら共にしか見えないのだから。せめてこの少女だけは認識できる様姿を替えて上げなければ。そう思ったのでした。嗚呼、でもホントに気色悪いわ。人間というものは。
「うーん、最近流行りのフリルが沢山付いたの服がいいなぁ」
よりによって、この少女もあの虫けら共と同じでした。所詮人間、その事実は矢張り変わらないのかとがっかりしました。
「折角ですので、この時を期に自分が夢見た物など、それにもなれますが。例えば獣人、又は精霊に化ける等と言う事も可能ですが」
「夢、夢――。そうだ、私の夢。花嫁になりたかったの」
人を殺すと嘆く少女がこんな可愛らしい夢を抱いていたとは思いませんでした。この時、この少女が少し愛おしく見えました。
「花嫁ですか。いいでしょう。真っ白い派手なドレスを着るならば区別が着きそうですし」
「私、花嫁になれるのね!」
私は城の中にある衣装室から埃に塗れたウエディングドレスを取り出してきました。魔法をかけ、裾を上げ、大剣の飾りと合うようにドレスに可愛らしい装飾を施しました。最後に、顔が見えないように重厚感のあるベールを頭に被せました。
「きれい、ありがとう死神!」
クルクルと回る姿は、まぁ何とも無邪気で、とても人殺しをしようとしている人間に見えませんでした。
すると少女はドレスのスカートを持ち、玄関口の方に走って行ってしまいました。
「死神!遅い、遅い!早くしてー!こうしている間に醜い人間共は寿命が尽きて虫のように死んで行っちゃうのだから!」
言動もまぁ、我々死神に近づいてきました。この少女を外に出せば、きっと沢山の人を殺すでしょう。嗚呼、愉しみだ…我々に快楽を齎し、その生命尽きるまで人を殺し続けるのだ。その生き様も何と醜いのだろか―
私達は、等々玄関口まで来てしまいました。重く大きな扉を開けば、外は緑で満たされていました。さぁ、これでお別れです。
「私は死神。この城からは出れない掟があるのです。ですから、これからは貴方一人で―」
外に脚を踏み出していた少女は此方に振り返り、私に近づいてきました。
―!?あまりの衝撃に、私は地に額ずくような体制になってしまいました。私の口元から流れ出た、これは…血液?何故…
「あーあぁ…可哀想、痛そう、痛そうねぇ…ほらほらぁ、血が止まらないわ。そんな可哀想な死神ちゃんには私が死を与えてあげましょう」
抑、何故私の身体は具現化されていたでしょう?普段ならば、人間の攻撃も当たらないはず。
「馬鹿ねえ、馬鹿な死神ちゃん。私は醜く愚かに、執拗い程に生にしがみつく人間なのよ?もしもの事考えて罠を仕掛けて置くなんて当たり前じゃない。予想もしていないなんて本当に馬鹿な死神ちゃん」
―罠?こんな未熟な少女が…人間の分際で私に瑕を負わせるなんて!今すぐにでもその首を切り落とし地獄に送ってやりたいが…
「動けないよねぇ、動けないよね!毒を仕込めば殺傷能力は上がる。私を閉じ込めた人間から教わりました!本当は、それで人間を殺すつもりでしたが…先程、貴方は私を瑕つけた……痛かったの。だからこれは仕返しです。私を瑕つけた罰として」
私の腕を少女がぐいぐいと引っ張ります。城から身体がはみ出てていきます。掟を破った私は太陽の光に照らされ、その熱が私を蝕んでいくのです。
痛い、痛いイタイイタイイタイ…!この感情は何時ぶりなのでしょう…
「ふーん。掟を破ると焼けてしまうのね。―くふふ、それにしても貴方…なんて惨めなんでしょう。痛みから逃れようともがいている貴方。とっても惨めだわ」
風が吹き、ベールが一瞬捲れました。その時私がみた少女の最後の顔。人殺しを楽しむ顔。私が、殺しを楽んでいる時と同様な表情をしていました。
「聞イテ聞イテ、アノ子ノ噂。ナイショナイショ」
「聞イテ聞イテ、アノ子ノ噂。化ケ物ノ皮ヲ被ッタ少女」
「聞イテ聞イテ、アノ子ノ噂。花嫁ノ格好ヲシテルノ」
最近街中で盛り上がっている噂噺。何処に行っても、その噺は痛い程耳に入り込んでくる。噂では、無邪気な花嫁姿をした子供が無差別に人を殺し回っているのだそう。大剣を手に持ち、それギリギリと不調和音を奏で引き摺り歩く。それが合図で、夜明け頃には血で塗れた死体が放置されているという噂。にしても、子供の花嫁が人殺しだなんて…そんな御伽噺のような話、迚信じる事はできないな。
――まぁ、所詮噂噺。此処の街は盗賊だって殺人だって何だって起る場所だ。誰かが出鱈目な事を言い広めているのだろう。明日も親の仕事を手伝わないとな。早く寝よう。
――ギリ…ギャギャ、ギリギリギリ――
眠気の前に驚愕が僕の感情に訪れた。ギリギリという不気味な音…真逆、真逆!僕は急いで窓から身を乗り出し歩道を見た。大剣が月光に照らせれキラリと光る。そう僕が見たのは噂の花嫁…。
「くふふ、今日も惨めで憐れな人間共の表情を愉しみましょうか」