南方への旅路
一夜明けて次の日。
朝食を済ませた余と母上はそのままの足で城内の中庭まで移動し用意された馬車に乗り込んだ。
なお、余が昨日から感じている不思議な感覚は、昨日だけの勘違いだったわけではなさそうで今もしっかりと残っている。
「本日は帝国中央区の南端の街ホボロまでの移動の予定で御座います。道中で御気分が優れない等、何か御座いましたらお申し付け下さい。」
一団の責任者らしき人物がそう挨拶して馬車は動き出した。
余達の一団は城の南門を通って帝都の南大通りを進んで行く。
いつもなら大通りの道の脇には多くの出店が立ち並び賑わっているようだが、今日は皇族が通りことを告知されているので出店の類は一軒も出ていない。
そしてその代わり、一目でも皇族の一団を見物しようと多くの人々が集まって大通りの脇を固めていた。
本来であれば皇族とは見世物ではないので、そんな人々に応える必要は無いのだが母上は窓から顔を覗かせて笑顔で手を振り民衆に応えていた。
余も母上に倣って民衆に手を振るべきか少し悩んだが、
このまま順調に帝都を抜けるかに思えたが不意に馬車の動きが停まった。
何事かと耳をすませると、どうやら馬車の前方でなにやら騒ぎが起こったようだ。
「どうしたの?」
母上が馬車の外で警備している騎士団に問いかけるとすぐに答えが返ってきた。
「ハッ!ただいま状況確認中であります。申し訳ありませんがしばしお待ち下さい。」
そんな返答が返ってきたが、その返答に混じって前方から子供の泣き声のようなものが聞こえた。
そしてそれを聞いた瞬間、母上は馬車から飛び出して行った。
その動作は普段の姿からは想像できないほど素早かった。
もともと母上は余を抱きしめるために動く時ぐらいしか素早く動かないのだが、先ほどの動きはその時の動きよりも一段階は速かった。
余は外に出られないので事の成り行きを見守ることしかできないが、周りには護衛の騎士団もいるので母上が危険にさらされることも無いだろう。
「うぇ゙ぇ〜〜ーん」
「貴方達!止めなさい!」
母上が走って行った方に意識を集中させ耳をすませると、子供の泣き声と母上が警備兵を静止させるやりとりが聞こえてきた。
状況からしておそらく、見物に来ていたどこかの子供が人集りから押し出されて隊列に飛び出してしまい、警備兵に囲まれて泣き出してしまったとかだろう。
「大丈夫?ケガはない?」
「アニエス様!御召し物が…」
間を置かず別の馬車乗っていたワースが降りて来て母上を静止しようとする声をあげた。
余から言わせてればそれは悪手だ。
母上は普段はニコニコとしていて非常におおらかだが、そんな母上には一つだげ非常にわかりやすい逆鱗が存在する。
それは子供に関することだ。
母上は誰の子供であろうと関係無く〝子供〟という存在を強く愛している。
もちろんこれは性的な意味ではなく母親としてという意味だ。
もし今母上が駆け寄った子供が糞尿まみれの酷い格好だったとしても迷わず同じように駆け寄ったことだろう。
「わたくしの服の心配よりもこれから先の帝国を担っていくことになる子供達のことを心配なさい!」
「アニエス様!その子供は皇族の進む道を邪魔したのですぞ!むしろ必要なのは心配よりも罰で御座います!」
「罰ですって…」
母上の気持ちはわからなくはないが、今は公衆の面前でありワースの言い分の方が皇族としては正しい。
皇族が膝をついたのにこのまま心配だけして無罪放免では皇族としての沽券に関わる。
「坊や…いきなりお兄さん達に囲まれて怖かったね。でもお兄さん達も坊やが突然飛び出してきてびっくりしちゃったの。だからちゃんとごめんなさいできる?」
「うぇ゙ぇ〜〜んごめんなさ〜〜い、」
「よくできました。…さて、この子はちゃんと過ちを認め謝罪することができました。子供は誰でも間違いの一つや二つはおかすもの。わたくしはそんな子供の過ちを許すこともできない程器の小さい者ではありません。よってわたくしはこの子の過ちを許します。わたくしの決定です。当然何の文句もありませんわよね?」
泣きじゃくる子供から上手く謝罪の言葉を引き出したことでこの場を丸く納める流れを作った。
ここまで強い口調で言い切ったのだからもはやワースが食い下がる余地は無い。
それにこの流れならば皇帝がナメられる事なくむしろ母上が慈悲深い統治者であるという印象の方が強くなる。
「…アニエス様がそうお決めになられたのならこの件はここまでです。兵士の皆は持ち場に戻りなさい。」
こうして母上がこの場を上手く納めたことで再び南方領への移動が再開した。
帝都から出るまでに思わぬトラブルはあったものの、
その後の道中はトラブルらしいトラブルも無く拍子抜けするほどあっさりとホボロの街まで到着した。
馬車の周りを騎士団がガッチリと固めている上に皇帝一族の紋章が描かれた旗を掲げながらの行進だ。
こんな見るからに手を出したらとんでもないことになりそうな一団にわざわざ絡んでくるような者もいないだろうから、トラブルが起こらないのも当然といえば当然だろう。
街の門をくぐり完全に馬車が停車したところで馬車の扉が開かれる。
「予定通りホボロに到着いたしました。本日の移動はここまでとなります。」
外に出るとそこはどうやらホボロの街の庁舎のようだった。
この庁舎は皇族の所有物で普段は街の役場として使われているが、皇族が来た時のための宿泊設備を備えている。
また、皇族が居ない時にはその一部が代官に貸し出されることになっているので、街の代官の居住区も兼ねた建物にもなっている。
帝国内のある程度大きな街にはこのような建物が必ず存在している。
「御部屋に案内いたします。」
この建物には皇族専用の区画というものがあり、そこには掃除の者以外は立ち入ることを禁止されている。
余達と母上が今夜泊まる部屋もその区画にあるはずた。
ワースの案内に続いて建物の奥へ奥へと進んで行くと、明らかに調度品等の品質が違う区画にたどり着いた。
「こちらがアニエス様の御部屋、そちらがアレクサンドリウス殿下の御部屋となっております。」
「え〜〜アレクちゃんと一緒の部屋じゃないの?」
「アニエス様、皇家には格式というものが御座います。皇族ともあろう御方が一部屋を御二人で使うなどなりません。」
「むぅ~」
母上はむくれてしまったが、余としては一人の方がリラックスできるので一人一部屋の方が助かる。
「あっそうだ!寝る時だけアレクちゃんの御部屋に行けば良いんだ!」
部屋どうしの距離が近いのをいいことに母上が迷案を思いついてしまった。
止めてくれることを期待してワースの方を見るがさりげなく視線を逸らされてしまう。
これ以上否定して母上の不満が爆発するのを恐れて黙認するようだ。
正直、余はもはや一人寝ができぬ程の幼子という歳ではないので、いまさら母親に添い寝してもらうのも気恥ずかしいのだがこの流れは止められそうにない。
こうして余は、齢七歳にして母親に添い寝してもらうことが確定してしまった。
この後の予定は晩餐の後に寝るだけだが、食事の前にホボロの街の代官がぜひ挨拶がしたいと申し出てきたらしい。
ホボロは帝国中央領と南方領の境に近い街だが、位置的には帝国中央領に分類されるので代官は皇族が指名した者が選ばれる仕組みである。
そのため皇族にはある種の指名責任というものがあるので正統な理由も無しにこれを拒否することはできない。
まぁ、食事の前に顔を合わせて少し言葉を交わすだげなので片手間で済ませられる簡単な行事ではある。
ということで、食事の準備ができたと知らせを受けた余と母上は食堂に来ていた。
「失礼致します。わたくしめがこのホボロの街の代官を務めておりますホモンという者です。本日は遥々帝都からお越し頂きホボロを一夜の宿として選んで頂くという名誉に預かれたことを神に感情しております。」
そう言って挨拶して来たホモンと名乗った代官は日頃の不摂生が見て取るような太り方をした中年の男だった。
そして挨拶を終えたホモンが顔を上げ余と母上を視界に収めると、その目をカッと見開き思わずといった感じで微かな声を漏らした。
「なんと…美しい…」
おそらく母上に対して言ったのだろうが、母上は褒められて嬉しという感情よりも気持ち悪いという感情の方が先に来たような反応だった。
「挨拶ご苦労さまです。もう下がってよいですよ。」
意訳すると〝わかったからさっさと出て行け〟といったところだろう。
声色もいつものニコニコした感じとは違いどこか冷たさを感じるもので、母上にしては珍しくぞんさいなな社交辞令で返してホモンに退室を促す。
「…それでは失礼致します。」
ホモンは一瞬だけ名残惜しそうな視線を向けたが、そう言い残すと直ぐに踵を返して退室した。
「無礼があったようには見えませんでしたが…何か御座いましたか?」
「…ホモンといったわね。仕事はしっかりしているの?」
「今まで問題があったと報告を受けた記録はありませんが…調べさせますか?」
「…そうね。場合によっては代官を解任させて新しい者を就かせるわ。」
「かしこまりました。」
何がそんなに母上の怒りにふれてしまったのかはわからないが、どうやらホモンの言動は母上の逆鱗に近い琴線にふれてしまったらしい。
「母上?」
「なんでもないわ。それよりも御飯にしましょうか。」
あまりに珍しい母上の態度に思わず声をかけてしまったが、余が話しかけるとすぐにいつものニコニコした様子に戻った。
腑に落ちない感じはするがこれ以上突っ込むようなことではないのでそのまま流すことにして晩餐となった。
食事を終えて部屋に戻ると部屋に入った瞬間に直感的に何かがおかしいという違和感を感じた。
何に対して違和感を感じているのか確かめるために部屋の中を見て回るが、食事に行く前にチラッと見た部屋と今の部屋には何の違いもないように見えた。
次に部屋の中ではないのなら外かもしれないと考え窓から外の状況を確認するが、すぐにそうではなさそうだという結論が出た。
この建物の構造は皇族の専用区画に対して物理的に視線がいかないような作りになっているようで、皇族専用区画に面している方に窓を設けていなかったのだ。
この構造ならこちらを覗ける場所は屋上ぐらいしかないが、その屋上は警備のために兵が常駐している場所でもある。
不審者がうろついていれば即座に捕縛されることだろう。
部屋の中は初めてここを訪れた時と何も変わっておらず、かといって部屋の外で何かおかしなことが起こっていれば誰かが気がつく状況。
もはや今感じている違和感は余の勘違いなのかもしれないとも思ったが、まだ調べていない場所があることに気がついた。
ここは皇族専用の区画だ。であるならば万が一の備えとして、非常時の隠し通路のようなものが作られていてもおかしくはない。
早速壁を叩いて衝撃の反響のしかたがおかしい場所がないかを確かめてみることにする。
そして調査の結果、本棚の後の壁に空洞があることがわかった。
ただし、空洞を隠している本棚は壁に固定されており動かすことができなさそうだった。
おそらく非常時にはこの本棚を破壊して隠し通路に逃げ込み、隠し通路側から何かしらの方法で入り口を塞いで時間を稼いてその間に逃げる、という使い方を想定して作られているのだろう。
あやしい場所は特定できたものの、ここから本棚を破壊してまでこの違和感の正体を確かめに行くかどうかは即断できない。
誰かに相談しようと部屋を出たのだが、部屋を出たところで隣の母上の部屋から出てきた近衛騎士団副隊長のエルクとばったり出くわした。
「おや?アレク殿下、何かあったのですか?」
「少し誰かに相談したいことがあってな。そちらこそ、母上の部屋から出てきたということは何か頼まれごとでもされたのか?」
「まぁ、そんなところです。これからそのために動こうとしてるところなんですが…もしかしたら、俺がされた頼まれごとに関係があるかもしれません。その相談とやらを聞かせてもらってもいいですか?」
「ふむ…母上の頼まれごとと関係があるかもれないと?まぁ、よいだろう。実は食事が終わってから部屋に戻ると何か違和感のようなものを感じてな。その正体を確かめようと色々調べたのだ。それで、どうやら部屋の本棚の後に隠し通路があってその先があやしいというところまでは突き止めたのだが、その隠し通路の先を調べるには本棚を破壊する必要がありそうでな。余が感じた違和感程度のことで本棚を破壊してまで隠し通路を調べるのも大げさかもしれぬと思い誰かに相談しよかと…なぜさっきから頭を抱えておるのだ?」
「いえ…流石はハル坊の弟だと思っただけです。そういうことならそれは調べるべきですね。一応アニエス様に許可を取ってから…」
「話は聞かせてもらったわ。許可は出します。エルクちゃん、思う存分やってちょうだい。」
いきなり母上が話に入ってきて許可を出した。
まあ、話をしていた場所が母上の部屋の前の廊下なので余達の話が聞こえていたとしても何の不思議もない。
「アニエス様、そろそろ…エルクちゃん呼びは勘弁してもらえませんか?」
「あら、どうして?ここは公的な場じゃないから誰も気にしないわよ?」
「俺が気にするんですよ!もう子供じゃないし、俺にも立場ってものがあります。」
「…確かにエルクちゃんは立派な大人になったわ。でもね、どんなに貴方が大人になったとしてもわたくしは貴方のお母さんを辞めるつもりはないわ。」
「…はぁ、母さんには一生勝てる気がしないな。とりあえずあのホモンってやつの件は今から突入して明日の朝までにケリをつけます。ですが、突入後はアレク殿下の部屋が使えなくなってしまいますよ?」
「アレクちゃんは今夜わたくしの部屋で寝るから何の問題も無いわ!」
…元々今晩は母上と共に寝ることになるのは覚悟していたので、寝る部屋が余の部屋から母上の部屋に変わっただけではある。
「アレクちゃんと一緒に寝るのは久しぶりね〜。そうだ!御本とか読んであげよっか?」
「…余はもはや字が読めないような幼子ではありません。読みたい本があるなら自分で読みます。」
「そつか…じゃあお歌を謳ってあげるわ。」
「子守唄が必要な程幼いつもりもないのですが…」
「わたくしが謳ってあげたいの!寝るのに邪魔じゃないなら聴いて。」
「…わかりました。」
こうして今晩は母上と共に眠りにつくこととなった。
…ちなみに、久しいぶりに聴いた母上の子守唄は相変わらず凄まじい威力であり、悔しいがいつもよりも早く、かつ快適に眠れてしまった。
アニエスの子守唄は傭兵の国にいた頃に培われた技術で、親を亡くして悲しみにくれる子供や不安で眠れない子供達をことごとく〝すゃぁ〟させてきた実績があります。




