一日目
この世界には魔王と呼ばれる人類の敵が存在する。
王都と一部の都市には魔物の力を封じる特殊な結界があり魔王も簡単には攻め込めない。
だが、その結界の力が及ぶ範囲には限りがあり、それ故に人類が安全に暮らせる土地には限りがある。
結界を展開する装置は古代の遺物であり量産は出来ない。
人は増えるが安全な土地は広がらない。そうなれば当然安全な土地からはみ出して生きるしかない者たちが出てくる。そんな者たちが集まって暮らす集落は開拓村と呼ばれた。
開拓村の朝は早い。朝日が昇る前にベットから抜け出し仕事の準備を始める。硬いパンと保存用に加工した干し肉で手早く朝食を済ませて装備の点検を行う。
家を出て村の出口で少し待つと待ち人であるゼフさんが現れた。
「すまん、クラット。遅くなった。昨日の晩に雨が降ったせいかどうも足の古傷がうずいてな。」
クラットは僕の名前で、僕とゼフさんは狩人の仕事をしている。
「そんなに待ってないから大丈夫です。それより足は大丈夫なんですか?」
ゼフさんは狩人としてはベテランだが数年前に魔物に襲われ足に怪我をしており、日常生活には支障が無いもののあまり長距離を走れなくなってしまった。
「好調では無いのは確かだが、村の周辺の森の見回りを怠るわけにはいかない。出発しよう。」
狩人の仕事は獣を狩り糧を得ることのほかに、先ほどゼフさんの口から語られたように村の周囲の森の見回りがある。
魔王という脅威がいつ現れるかわからないこの世界では森の見回りは非常に重大な役割となる。
魔王には魔物を統率する力があるらしく、魔王が出現すると周辺の魔物はいつもと違う行動をとるようになるからだ。
森に入り暫くすると違和感に気づく。森がなんか妙に静かなのだ。
「ゼフさん、なんか今日の森、変じゃないですか?静か過ぎる気がします。」
「クラットもそう思うか。嫌な静けさに加えて胸騒ぎもする。もう少し森の奥まで見に行ってみよう。」
方針を決めて森の奥に向かうとその途中で更なる異変を目にすることとなった。昨晩の雨によりぬかるんだ土に何かの足跡が残されていた。
「この足跡は…狼でしょうか?」
「…確かにこれは狼の足跡だな。しかし、足跡が大きすぎる。この足跡がほんとに狼の足跡ならその狼は少なくとも全長が5mぐらいの大きさになるぞ。」
「どこかから強力な魔物流れてきたということでしょうか?」
「少なくともとんでもない魔物がいることは確かだろうな。我々だけでは討伐は到底できないだろう。騎士団が動いてくれればいいが、期待は出来んだろうな。もっと情報を集めてハンターギルドに討伐依頼を出すしかないだろうな。」
国家にとってさして重要でもない開拓村のために騎士団が討伐に動いてくれることはほとんどない。動いてくれるとしたらそれは、僕たちの村が蹂躙されてその危険性が認知された後の話だろう。
そうなと何とかお金を工面して魔物を狩ることとを生業としている武芸者集団の統括組織、ハンターギルドに討伐を依頼する以外に助かる道はない。
そのためには討伐対象となる魔物の情報がもっと必要だ。ハンターギルドが情報不足と判断すると調査依頼として受諾されることになる。
そうなると調査依頼と討伐依頼の二回分依頼料が必要になる。貧しい開拓村では二回分の依頼料を工面するのは難しい。
更なる情報を求めて森を進む新たな痕跡を発見した。
大木と言っても差し支えないほどの木の幹がへし折られていたのだ。さらに周囲には先ほどの大きな狼の足跡のほかに複数の普通サイズの狼の足跡も発見された。
「群れだったか。となるとここから先の調査は危険性が高い。クラットお前は先に戻ってこの事を村長に伝えろ。」
「待って下さい。もし魔物に見つかったらゼフさんの足では逃げ切れません。この先の調査は僕が行きます。」
「馬鹿を言うな。若者を死なせるわけにはいかん。」
「もしゼフさんが死んだらテイルはどうするんですか?」
テイルというのはゼフさんの一人娘で唯一家族だ。僕の幼馴染でもある。
5年前にはやり病が村を襲い、その時に僕の両親とゼフさんの奥さんは亡くなっている。
「天涯孤独の僕と違ってゼフさんには帰りを待つ家族がいる。それに、魔物に見つかった時生き残れる可能性が高いのは僕だ!」
「だがっ………。」
ゼフさんは葛藤しているようだが合理的に考えれば僕の意見の方が正しい。
「冷静に考えて下さい。魔物の姿を確認しその特徴を報告しないとハンターギルドは討伐依頼として受理してくれません。その足で魔物の姿を確認して村までもどる事が出来ますか?」
「…わかった、お前に任せよう。しかし、無理だと判断したら確認ができなくても戻ってこい。金銭的に厳しいのは確かだが村全体で協力すればなんとかなるかもしれない。」
こうしてゼフさんと別れて更なる森の奥へ向かうこととなった。
狼は鼻が利く。そのため風上に立てばすぐに気づかれるだろう。風見向きにも注意しつつ慎重に森を進むこと暫し。
道中では木に残された巨大な爪痕、灰色の体毛、強い力でへし折られた鹿の角などが見つかった。少しずつ魔物の情報が集まってきたがまだ足りない。そう思い、欲を出したのが悪かった。突然風向きが変わった。
まずい!と思った時には遅かった。遠くのほうで遠吠えが聞こえた。こちらの存在がばれたのはほぼ確実であろう。だが、まだこちら位置まではばれていないはずだ。
相手は巨大な狼の魔物とその群れだ。把捉されるのは時間の問題であろう。見つかるまでに少しでも距離を稼ぎたい。
素早く転身して出来るだけ静かにその場を離れる。焦りの中、足早に森の出口をめざす。群れの縄張りから出られれば追跡を諦めてくれる可能性がある。
しかし、そんな希望を打ち砕くように先ほどよりも近い距離からまた遠吠えが聞こえた。
補足されてから全力疾走したとしても狼と人間では瞬発力が違いすぎる。見つかるリスクは急激に上がるだろうがこちらも走ったほうがいいと判断する。
必死に走っていると背後に複数の気配を感じた。
じわじわと気配が近づいてきている。次第に背後からガサガサと草花をかきわける音と獣の息遣いが聞こえてきた。追いつかれるのは時間の問題だろう。
それでも諦めるわけにはいかない。追われているというプレッシャーと走りにくい森の中という悪条件により急速に体力を消耗していく。
絶望の中、必死に走っている不意に正面から走ってきた何かとすれ違った。
「森を抜けたら左に跳べ。」
すれ違いざまに言われたその言葉の意味を理解するのに数秒の間を要した。絶望的状況と酸欠のせいで幻覚でも見たのだろうか?
冷静に考えてこんな森の中で、しかも魔物群れに追われている状況で人とすれ違うなんてことあるわけない。
本当に誰かとすれ違ったとすれば、そのすれ違った人物は魔物の群れに突っ込んで行ったことになる。死にに行くようなものだ。
そうこうしていると前方の風景が開けてきた。もう少しで森を抜ける。
その瞬間、先ほどの言葉が頭の中で蘇る。どのみち体力的にもうまともに走れない。覚悟を決めて森を抜けた瞬間全力で左側に跳んだ。
その刹那、先程まで自分の体があった空間を何かが凄まじい速さで貫いた。
受け身を取る余裕も無く無様にゴロゴロと転がる。なんとか顔を上げて状況を確認すると、もうほとんど終わっていた。
森の出口の前に見事に鍛え抜かれてた体の戦士が槍を持ち仁王立ちしており、その手には血に濡れた槍を手にしていた。
どうやら僕が跳んだ後、あの戦士が後続で森から飛び出してきた狼たちを全滅させたらしい。
その後も森の中からさらに後続の狼たちが飛び出してきたがその戦士の敵では無かった。視認することすら難しい程の速さで槍が振るわれ、その都度狼の血しぶきと断末魔が響いた。
「やあ、さっきは災難だったね。」
不意に背後から話しかけられた。振り向くといつの間にか外套を被った人物がいた。
「我々も訳があってこの森を探索していてね。君が死にそうだったのを見かけたから助太刀させてもらったよ。」
「ありがとうございました。おかげさまで命拾いしました。」
礼を言いながら目の前の人物を観察する。
年頃は二十代半程だろう。本当に目を開けているのか疑問になる程の細目が特徴的な人物だった。
「指示した通りに動いてくて良かったよ。おかげで段取りが狂わなかった。」
その言葉で気が付いた。先程森の中ですれ違ったのは幻ではなくこの人のだったのだろう。
「自己紹介がまだだったね。私の名はシキシマ。」
「僕はクラットといいます。」
自己紹介をしている所に狼を始末してくれてた戦士も合流した。
「俺はクランだ。たまたま俺達がいて運が良かったな。」
こちらは三十代半ばから四十代前半ぐらいだろうか、無精ひげで判断がつきにくい。かなりの高身長でそこにがっしりとした筋肉が付いており勇ましさが滲み出ている。
「御二人はもしかしてハンターギルドから来たハンターの方々ですか?」
二人も森の調査ををしていたというのでピンときた。あの魔物が既に隣村辺りで目撃されておりその調査依頼を受けてきたハンターがこの二人なのだろう。だとしたら幸運だ隣村との共同で討伐依頼を出せれば負担は半分で済む。
そう思い尋ねたが帰ってきた来た答えは予想に反するものだった。
「いや、違うよ。私達は傭兵の国の者だ。」
それから僕はシキシマさん、クランさんと共に村へ戻ることとなった。この周辺の森の探索の拠点として僕たちの村を使いたいということらしい。
命の恩人の頼みであるし、調査の情報を共有してもらえればハンターギルドに討伐依頼出すことができる。
交渉次第では魔物の討伐そのものをお願いできるかもしれない。そうなれば村までの案内を断る理由はない。
村まで戻ると既に戻っていたゼフさんに迎えられた。
「クラット!無事だったか!」
「はい、こちらの二人に助けてもらえたのでなんとか無事です。」
同伴者の二人を紹介する。
「シキシマさんとクランさんです。二人は傭兵の国から来たそうで…。」
「傭兵の国…?まさか!」
ゼフさんは傭兵の国の人が来たことになにか思うところがあるようだ。
「あんたたちが来たってことはもしかして、魔王がらみなのか?」
「ひとまず、この村の村長殿の所に案内してもらえませんか?詳しい事情はそこでお話します。」
「…わかった。ついて来てくれ。」
こうして村長ところで話をすることとなった。
村長宅に着くと早速話しがはじまった。
「村長殿、まずははじめまして。私は傭兵の国『先触衆』第三部隊中隊長のシキシマです。」
「同じく傭兵の国『攻城衆』のクランだ。」
二人は自己紹介が終わるとそれぞれ金色のプレートと銀色のプレートを取り出した。
クランさんが金色、シキシマさんが銀色だ。
「傭兵の国か…ワシはこの村の村長のジバ。よろしく頼む。」
村長も自己紹介を返した。ちなみに村長宅への道中でゼフさんも二人への自己紹介を済ませている。
「さっそくですが単刀直入に話をさせてもらいます。現在傭兵の国の本隊がこちらに向かってきています。目的は魔王の討伐です。」
「やはりそうか…。」
「はい、我々の総大将がこの地に魔王の出現を予見しました。魔王の軍勢の規模などはこれか調査しますが、残念ながらこの村はそう遠くない内に戦火に飲まれる事になるでしょう。」
衝撃的な事実がその口から語られた。