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ご令嬢九尾、人間のご令嬢に転生する ~畜生呼ばわりで王太子から婚約破棄されましたが、前世のチート級な妖力と根性とコミュ力で大逆転してみせます~

作者: 水狐舞楽

「村長様! ビュウ様!」


 のどかな村に響き渡る、悲鳴にも似た叫び声だった。ガラガラと勢いよく玄関の扉が開かれる。

 ただ事ではないと察する私。


 玄関に駆けていくと、そこには息を切らした(おおかみ)の妖怪・ペウが立っている。


「いかがなさいましたか」

「イサが……何かに襲われた!」

「なんですって⁉︎」


 遅れて、九尾の妖怪である村長も玄関に着いた。


「その『何か』というのは、わしらと同じ、妖怪かね?」


 ペウは首を横に振り「それすらもわからない!」と悔しそうに答える。

 ということは、妖力でどうにかなる相手ではない。村民が危険だ。


「とりあえず、私がイサさんのところに向かいます。ペウさんは村長と一緒に各地区長を回って、みんなに外に出ないことと、家の鍵を閉めることを伝えてください」

「学校にも連絡した方がいいよな?」

「もちろんそうですね」

「じゃあまず俺だけで学校に行く」


 勇ましい顔つきになるペウ。


「村長は先に各地区長のところへお願いします」

「承知した」


 素早く指示出しを終えると、私は真っ先にイサの家へと向かう。




 私の名前はコン・ビュウ。白金村の村長補佐をしている九尾の妖怪だ。

 この小さな白金村ではみんなが顔見知りであり、名前さえ聞けば家の場所までわかる。イサはペウの右隣に住む、猫又の妖怪である。


 妖力によって加速した私の体は、風と一体化しているように思えた。


「近くで暴行事件が起きました! みなさん家から出ずに戸締りをお願いします!」


 走りながら、私も声がけをしていく。こんなことは、私が千年生きた中で前代未聞のことである。これ以上被害者を増やさないようにしなければならない。


 少し息が切れてきたころに、イサの家付近に到着した。


 ガチャ、ガチャガチャ……


 私の耳が、金属と金属が触れ合うような音を感じ取った。

 サッとその方向を向く。民家のドアを何やらいじっている動物がいる。


 しかし、それは妖怪ではないとすぐに気づいた。人間だ。器用なその『手』で鍵穴を探っているようである。


「何をしているのですか」


 人間が振り返った。頭から黒い被り物をしており、目と口しか出ていないので、顔がわからない。


 人間は無言のまま、鍵穴を探っていた棒をバッグにしまって立ち上がる。棒の代わりに、手には五寸程度の刃物が握られていた。


 その刃物は既に使用済みだった。刃の半分くらいまでが血で染まっている。


 刃先を私に向けながら、人間は突進を始める。動きはのろい。私は妖怪なので、ひらりとそれをかわす。


「イサさんに何をしたのです」


 質問をしても、やはり無言のままだ。


「どうやってこの村に来たのかは知りませんが、あなたをそのまま返すわけにはいきませんよ」


 そう、生かしたまま捕まえなければならない。

 人間の生身は貧弱なので、生け捕りは難しい。()んだり引っ()いたりすれば、すぐに死んでしまう。


 それならば。


変化(へんげ)


 私は、銀髪で超長髪の人間の姿に変化した。

 九尾は色々な姿に化けることができる。人間を捕らえるならば人間の姿の方がやりやすいだろう。

 攻撃は、妖術ならばコントロールしやすい。


(くも)(がく)し」


 人間の周りを妖力の煙で覆う。内側から外は見えないものの、外側からは中が見えるものだ。


 人間がひるんでいる。捕まえる妖術を発動しようとした、その時。


「ビュウ様!」


 後ろからイサの声がした。


「俺を刺したのはあいつです!」


 その猫又の前足には、骨まで見えそうなほど深い切り傷が何個もあったのだ。


「ビュウ様、あいつを捕まえてください!」

「承知しました」


 返事のために、一瞬振り返ったのがいけなかった。気づいたときには、人間は私の懐に入り込んでいた。


「お前も殺す」


 人間が私に対して初めて口にした言葉だった。


 私は最期を悟った。


 この人間を逃がしてはならない。犠牲者は私で最後にしなくてはならない。

 その一心で、私は可能な限りの最速で妖術を放つ。


「脱力の惑い」


 私の妖術が人間に到達するより、人間の持つ刃物が私の胸を刺す方が早かった。

 刃の根本まで差し込まれているのを確認したとたん、猛烈な痛みを感じて私はその場に倒れ込んだ。


「ビュウ様ぁぁぁぁああ‼︎」


 ああ、イサの叫び声だ。


 その後、バタッとそばで倒れたような音がした。人間だろう。私の妖術が効いたようだ。よかった。これで人間の体が動くことはない。


 生暖かい液体が地面と触れる頬にまで到達した。急激に意識が遠のいていくのを、本能でなんとか現世に食い止めようとしている。


「ビュウ、様、俺の妖力を使って……」


 何か引きずる音が少しずつ近づいてくる。イサだろう。


「私はいいから……あなた自身を回復させるのに使いなさい。あと、この人間を然るべきところへ……」


 ここまで言ったところで、私の記憶は途絶えている。私の千年の人生が閉じた瞬間だった。十の位までが端数になるほど、長く生きた。

 最期は油断という呆気(あっけ)ない終わり方だった……のはずだった。


 目が覚めると、真っ白な天井に、半透明の布が()り下げられた部屋にいたのだ。






 眠気など、一瞬で覚めた。私はあのとき死んだはずなのに、生きている。


「こ、ここはどこ……?」


 柔らかい台の上にいるようだ。触り心地が滑らかな服を着ている。…………服⁉︎


「私、人間になってるーーーー⁉︎」


 そもそも、真上を向いて寝ていることに違和感を持つべきだった。そして、手があり足がある。

 しかも、変化のときに残ってしまう耳と尻尾すらない、完璧な人間の姿である。


 そもそもこの部屋の雰囲気は何だろう。私の知っているものと全く違うのだ。


 コンコンコン


「お嬢様、失礼いたします」


 お、お嬢様⁉︎


「おや、お嬢様、いかがなさいましたか」


 扉が開いて、黒髪に黒い服を着た人間の男が尋ねてきた。明らかに異国の服だが、きれいな身なりだということは私でもわかる。


「失礼ですが、あなたはどちら様ですか」

(わたくし)は執事のバルタサルでございますが……まさか」


 バルタサルは青ざめた顔をした。

 だが、私は少し安心している。言葉が通じるからだ。


「お嬢様、ご自身のお名前をお伺いいたします」


 な、名前? 名前って言った?


「ビュウです」

「おいくつでございましょうか」


 いくつ? 何が? えっと、この流れだと……。


「年齢のことですか?」

「そのとおりでございます」

「詳しくは覚えていませんが、だいたい千歳です」


 バルタサルは目を見開いて、しばらく無言になった。何かまずいことを言ってしまった雰囲気だ。


 十秒ほど経ってようやくバルサタルは口を開いた。


「医師をお呼びしましょう。記憶喪失か、()きものの可能性がございます」


 そう言って、バルタサルは焦るように部屋を出ていってしまった。


 ふと気づいた。確かに言葉は通じるが、私が今まで聞いたことのない(なま)りだ。単語はそのままなので意味はわかるものの、丁寧語や細かい言い回しが異なる。

 しかも私は今、人間にも通じる共通語で話しているというのに、この違和感。


 しばらくして、再び扉が(たた)かれ、バルタサルと白い上着を着た男が入ってきた。


「失礼いたします」


 医者とみられる白い上着の男は、私の寝床の横にひざまずいた。


「記憶喪失か憑きもののようだと伺っております。名前と年齢が全く違かったと」

「やっぱり違うんですね」

「言葉遣いもまるで違いますね。平民のような話し方をなさいます」


 執事に、専属の医者。この体の人は相当な身分なのではないか。


「もう一度お伺いいたします。お名前は」

「ビュウです」

「名字は」

「コンです」

「年齢は」

「千歳くらいです」


 医者は、手のひらに収まる大きさの紙の束に、何か書いていっている。私の答えを記録しているのだろう。 


「あなたは悪魔ですか」

「あくま……? 聞いたことがありません。私は妖怪です」

「よう……かい?」


 お互いが首を傾げてしまった。あくま、とは。しかも向こうは妖怪を知らない。


 これはいったいどういうことなのだろう。


 医者が重苦しい雰囲気で口を開いた。


「真実を申し上げますと、お嬢様のお名前はバネッサ・デ・ルスファでございます。ご年齢は二十一歳。ルスファ家のご嫡女として、王太子殿下とご結婚予定の方でございます」


「え、ええええぇぇぇぇええええ!!??」


 二十一とか若っ! しかも王太子と結婚とか言ってなかった⁉︎


「このご様子ですと、記憶喪失したのと同時に、誰かしら人間ではない生物の魂が入り込んできたのでしょう」

僭越(せんえつ)ながら、(わたくし)、このような現象の名前を耳にしたことがございます」


 診察を眺めていたバルタサルが、このタイミングで入り込んできた。私は固唾を飲んだ。


「転生、でございます」


 ああ、聞いたことがある。生まれ変わること、特に記憶を持ったまま生まれ変わることである。


「確かにそのような現象はございます。前世の記憶を持つ人は少なからずいるようです。ですが、記憶喪失して前世の記憶だけが残ることは、未だかつて聞いたことはございませんね……」


 千年生きた私でさえ、この医者と同じ考えである。が、今まさに己の身に、記憶喪失と転生が同時に起きているのだ。

 この事実を受け入れるしかないようだ。


「……承知しました。私はこの体に合わせてバネッサさんとして生きていきます」


 そう言うしかない。この体は人間なので、今までのように妖術は使えるはずもない。


 私が悶々(もんもん)としているうちに、「まずは旦那様と奥様、アグスティナ様にお伝えしてまいります」と医者が、「では(わたくし)が、使用人の皆に伝えておきます」とバルタサルが申し出て、部屋をあとにした。


 何もすることがわからない私は、とりあえず辺りを見渡して、鏡がある家具を見つけた。


「この体のバネッサという方は、どのようなお顔なの」


 起き上がって、履物もなしに裸足のままでペタペタとその家具の方へ歩いていく。


 鏡に自らの姿が写った。


 銀髪という点は同じだった。

 しかし、くせ毛なのか巻いているのか、大きくうねりがある。顔の彫りは深くて整っている。目の色は琥珀(こはく)のような黄色で美しい。


 これが他人の姿であるならば構わないのだが、間違いなく自分の姿である。「えっ……」という声と口の形が一致しているのもあって、より実感させられる。


「どうしてこうなった……」


 記憶を持って転生するなら、また妖怪として生まれ変わりたかった。こんな全くの異国では、この千年の経験はどこにも通じないではないか。唯一、会話が成立するのが奇跡的だ。


 私は絶望感に打ちひしがれながら、部屋の外でバタバタと走り回るような音を聞いているしかなかった。


 父と母は記憶喪失の私を見舞いにきたものの、アグスティナという妹だけは来なかった。貴族だというのに礼儀はどこにいってしまったのか。なんとも非常識な人だ。


 初日はバルタサルに最低限のルールやマナーを教えてもらい、眠りについた。







 次の日も、昨日と同じ天井だった。夢であればよかったのに。


「おはようございます、お嬢様」

「ごきげんよう」


 朝の挨拶に来たバルタサルに、しっかり貴族の言葉で返すことができた。


「本日は、午後二時より王太子殿下がお見舞いに来られます」

「殿下が直々に⁉︎」

「ご結婚予定の方とあれば当然でしょう」


 まぁ、そうか。妹が非常識なだけで。


「それまでは、少しずつ(わたくし)とお勉強とお作法の練習をいたしましょう」

「承知いたしました」


 王太子の人柄はどうなんだろう。

 私が記憶喪失だと知って、どのような反応をしたのだろう。そして、私とどのように接するのだろう。


 私はまだ貴族の正しい敬語もたどたどしい人間だ。王太子に失礼がないようにしなくてはならない。


 いや、こういうときは誠意を表せば大丈夫だ。たどたどしくても、貴族の人とあれば誠意はしっかり伝わるだろう。






 午前中に、身の回りのことの勉強と作法を徹底的に仕込まれ、午後になった。


 バルタサルは十分ほど前に「もうすぐ殿下がご到着なされる」とお迎えに行ってしまった。私はまだ病み上がりなのでベッドにいてよいらしい。


 廊下の方から声が聞こえてきた。複数人の足音。二人ではない。もっといる。


 ドアがノックされ、バルタサルとカルロス王太子と付き人が二人、部屋の中に入ってきた。


「バネッサ殿、お体の調子はいかがでしょうか」


 そのように言う王太子は、目が大きく、顔のパーツが整ったイケメンであった。こんな王太子と結婚できるなら、毎日が目の保養である。


「――と言うとでも思ったか」


 一瞬にして見下すような顔に変わる王太子。 


「殿下、どういうことですか」

「今のそなたは、私が結婚しようとしていたバネッサではない。全くの別人だ」


 王太子は続けて理由を述べる。 


「前世が人間ではないと聞いた。ということは、畜生の魂が入り込んだのだな。私はそんな畜生と結婚するつもりはない」


 ち、畜生だって……⁉︎


 私の前世は妖怪だ。確かに私は(きつね)の妖怪だったが、動物の狐と九尾は別の生き物である。


「私は妖怪であったことに誇りを持っています。畜生呼ばわりなんて許せません」


 空気が凍るのを感じた。バルタサルが王太子から目を逸らしている。


「ほう、私に口答えか」


 やってしまった。あれだけ王太子に失礼のないようにと(たた)き込まれたのに。


「そのような態度ならば、我々との縁談は破棄させてもらう。内政にも外交にも影響があっては困るからな」


 王太子は懐から封筒を取り出して、中の紙を広げてこちらに見せつけた。


「二ヶ月前、バネッサ殿に書いてもらった、婚約誓約書だ」


 両手で婚約誓約書の上辺を持ち、ビリビリと破っていく王太子。何回も破り、床に()き散らす。封筒も床に落とされると、足で踏みつけてグリグリと擦るのだ。


「所詮は畜生だからな! ハッハッハ!」


 そして、やることは終わったとばかりに、高笑いしながら部屋を出ていった。


 あれ以上、何も言い返せなかった。畜生だと言われたこと以外は、全て王太子の言う通りだからである。


 しかし、誇りを汚されたことには変わりない。

 私は怒りのあまり、封筒を拾って片手で握りつぶした。角が手のひらに刺さっても構わない。

 片手で握れないほど固くなると、今度は両手で握りしめていく。


 封筒が紙の塊になると、テーブルの横のゴミ箱に投げ入れ、捨てた。

 怒りで震えが止まらないとはこういうことかと、今、実感している。


「あら、お姉様のお部屋からたいへん(にぎ)やかな音が聞こえましたことよ」


 ドアが開いて、いわゆるお嬢様言葉を話す人が現れた。嫌味っぽい言い方だ。


「あなたが、私の妹でしょうか」

「あら、本当にお忘れなのね。オーホッホッホ!」


 人の不幸を笑うとは、やはり非常識な人である。


(わたくし)は、アグスティナ・デ・ルスファでございますわ! あなたの『記憶喪失の病』とやらを移されたくありませんので、この距離から失礼いたしますわ」


 失礼と言って、本当に失礼をする人がいるだろうか。


「ああ、恐ろしいですわ〜! ある日突然、目が覚めたら別人の魂が入り込んでいるなんて〜。ねえ、バルタサル?」


 わざとらしく私をけなし、さらにバルタサルまで味方につけようとするアグスティナ。


「魂が変わろうとも、こちらの方はあなた様のお姉様でございます。失礼な態度を続けなさるようでしたら、然るべき措置を取らせていただきます」


 鋭い目付きをしながら、アグスティナの元へ歩いていくバルタサル。


「あら、それでしたら、こちらも報復措置としてあなたを解雇することもできましてよ」

「解雇のご判断は旦那様しかできませんので」

「…………」


 父は、昨日すぐに見舞いにきてくれたことから、アグスティナよりはまともな人だと考えられる。きっと父親には敵わないのだろう。


 アグスティナは黙ったままドアを閉めて、どこかに行ってしまった。


「大変失礼いたしました。彼女には再教育をいたします」


 バルタサルが勢いよく頭を下げる。


「ご心配なさらず」


 私の千年生きた勘でわかる。あれは教育なんかで直せるものではない。表面上は取り繕えるようになっても性根は変わらないので、言葉の端々に出てしまうものだ。


「私は、最初からあなたが味方であることだけで、とても心強いのです」






 王太子と私の婚約破棄が決まるとすぐに、王太子の婚約候補は妹になった。


「右も左もわからないであろうお姉様に、教えてさしあげますわ!」


 妹がまた冷やかしに来た。


「結婚適齢期は十九歳まで。十八歳の(わたくし)はまさに結婚適齢期! 婚期を逃した貴族に、男性はもう残っておりませんの! さらに婚約破棄となれば、もう生涯独身であることは確定ですわ! オーホッホッホ!」


 結婚しているわけではないのに、どうしてそのような(あお)りができるのだろう。


 アグスティナはそれだけ言って、またいなくなってしまった。






 私は気づいた。


 王太子から婚約破棄され、妹からは罵られる。

 貴族女性は結婚が一番の華で、子孫を残すことが仕事だというのに、結婚適齢期を過ぎ、婚約破棄で生涯独身というのなら。


 私は、バネッサでなくてもいい。


「バルタサル、私はバネッサではなく、ビュウとして生きたいです」


 無理難題かもしれない。この体にバネッサという名前がつけられたのだから。

 私としては体が入れ替わった感覚だが、他の人からすれば魂が入れ替わったにすぎない。


「難しいですね……できればお嬢様のお気持ちを尊重したいのですが」


 予想と違い、バルタサルは私の考えを一蹴せずにしっかり向き合ってくれているようだ。


「でしたら『バネッサ』をミドルネームにする方法がございます」


 ミドルネーム。昨日、王太子が来る前に教わったものだ。

 貴族の中でも、昔から代々続く家系では名前が先祖と被ることがよくあるらしい。あとから別の名前をつけることで、家系内で区別するのだという。


 ただ、それまで使っていた名前をミドルネームにすることはないそうだが。


「ですが、ファーストネームが『ビュー』となると、なかなか奇異なお名前になりますけれども……」


 バルタサルは伏し目がちに目線を横にずらす。その時。


 コンコンコン


「ビュー様、いらっしゃいますでしょうか」


 知らない男性の声が聞こえた。……って、ビュウって言ったよね今!


「失礼ですが、どちら様でございましょうか」


 バルタサルでも知らない人とは……?


「シルビオ・デ・フェンダルタでございます」


 フェンダルタ、ということは。


「王室の方ですか!」

「はい、私は、昨日こちらにいらしたカルロス様の弟でございます」


 うん? 弟ということは、昨日の婚約破棄の件だろうか。


 バルタサルはドアを開け、「失礼いたしました。どうぞお入りください」とシルビオ王子を招き入れた。


 シルビオ王子は、あのカルロス王太子とそっくりな顔をしているが、王子の方が目元が優しい。そして髪が長く、髪を一つに結っている。


「何のご連絡もなしに、突然殿下がお一人でいらっしゃるだなんて、どのようなご要件でしょうか」


 昨日はお付きの人がいたが、王子という重要人物が一人でのこのこ来ていいものなのだろうか。


「昨日、お兄様がご無礼をした件で、本人に代わり謝罪申し上げます」


 私の足元にひざまずき、王子が頭を下げたのだ。

 こうなることは少し頭にあったが、さすがに目の前でやられると慌てるものだ。


「シルビオ殿下は何も悪くありません。お顔を上げてください」


 私の反応と反して、バルタサルは怒り気味に、低い声で尋ねる。


「ということは、婚約破棄を破棄するということで―――」

「いいえ、バネッサ殿との婚約は破棄のままでございます」


 ええ、じゃあ本当に謝りに来ただけってことなの?


「ですが、私の妃となるお気持ちはございませんか?」

「……縁談でございますか」

「仰る通りでございます」


 一瞬、結婚の話が来たから同意してもいいかと思ったが、あの王太子の弟だ。何をして何を言ってくるのかはわからない。


「いきなりでは難しいと思いますので、まずはお友達から始めるのはいかがでしょう」


 友達なら大丈夫だろう。


「お友達ですね。承知いたしました」

「ビュー様、よろしくお願いいたします」


 ちょっと待って。それ!


「どうして私をそうお呼びになるのでしょうか」


「昨日、私の執事から『妖であったことを誇りに思っていらっしゃる』と聞きました。私はそれを尊重して、今のあなた様をビュー様とお呼びしたいのでございます」


「ああ……お気遣い、誠に感謝申し上げます」


 バルタサルでさえ、ビュウと呼ぶには少しためらっていたものを、王子はさらっと呼んでみせたのだ。


 横で静かに話を聞いていたバルタサルが、ここで口を開く。


「それでしたら、ちょうどお嬢様が『バネッサではなくビューとして生きたい』と仰られたところでして――」


 私の代わりに、先ほどのファーストネームの件を王子に伝えてくれた。


「ほう……かしこまりました。お友達になったことですし、ご一緒に考えさせてください」


 ああ、きっと王子の方は本当に優しい人なのだと思った。


「ビューという音自体が珍しいものでして、何か良い案はありますでしょうか」


 私はこの国の名前のつけ方など微塵(みじん)も知らないので、ここはバルタサルと王子に任せようと思う。


「せっかく殿下にビュー様と仰っていただいたので、ビューを愛称にしたいですね」


 バルタサルがそう言ってしばらく無言が続いた後、王子が何かひらめいたようだ。


「ビュートリナ、はいかがでしょう」

「『ビュー』にtrを足して女性名の-inaをつけたものですね。可愛らしい響きで素晴らしいお名前と存じます」


 そんなに早く解析できるものなのか。名前のつけ方には規則性があるのかもしれない。


「ビュートリナ・バネッサ・デ・ルスファ。ビュートリナ、ビュートリナ……」


 私は、己の新しい名前を唱えてみた。何度も何度も。


「いかがでございましょう」


 こちらを伺うように王子は感想を聞いてきた。

 もちろん、答えはこれだ。


「大変気に入りました」

「それは何よりでございます」

「せっかく考えていただいて恐縮なのですが、これから私のことはビューと呼んでいただいてもよろしいでしょうか」

「構いませんよ。それならば、私のことはシルとお呼びください」

「承知いたしました」


 ここに来て、ここまで心地よい会話をしたのは初めてだ。幸せな時間だと心から思った。


 これが、私とシル王子との出会いだった。






 貴族の女性として結婚できないのならと、吹っ切れてビュウとして生きると言ってしまったものの、ルスファ家を抜けたわけではないので、勉強や所作には気をつけなければならない。


 勉強の中でも一番苦労しているのが、読み書きである。私が千年使ってきた文字とはまるで違うものだからだ。


「ビュートリナ……バネッサ……デ……ルスファ」


 まずは自分の名前を書けるようにならないと、話にならない。

 前世はコン・ビュウだったので楽だったが、この国の人の名前はいちいち長いのだ。


「書けました」

「……はい、しっかり書けております。お見事でございます」


 バルタサルに教わりながら、自分の名前を書くだけで半日が潰れた。


 トイレを済ませて手を洗っていると、トイレの外からドンッと音がした。人が倒れたような音である。

 私はさっと手を拭いてトイレの外に出る。


「イタタタタ……」


 女性の使用人が、床に座り込んでしまっている。


「いかがなさいましたか」


 使用人は私を見て一瞬ギョッとした顔をするが、すぐに普通の顔に戻った。


「何もないところで突然転んでしまいました。これくらいなんともございませんので……」


 そう言って手をパンパンと、こするようにはたく使用人。

 しかし、私の目は捉えていた。


「すり傷がございますよ。これでは業務に支障が出るのでは」


 使用人は水を使う仕事が多いので、手に傷があるととても痛いだろう。


 と、その時、私の内側からエネルギーが湧いてくるのを感じた。これは紛れもない、妖力である。


 私は使用人の両手を持ち、「水明(すいめい)の癒し」と妖術を唱えていた。


 使用人の両手が暖色の煙に包まれ、煙がスーッと消えていく。


「えっ⁉︎ なおっ、治った!」


 成功だ。


「バネッサ……間違えました、ビュートリナ様は不思議な力をお持ちなのですね!」


「はい、ですが転生してからは初めて使いましたが」


「そ、そんな貴重なお力は、使用人の私ではなく、もっと有効的にお使いくださいませ!」


「何を仰るのですか。ただ、目の前にケガをしている人がいらっしゃるから使っただけでございます」


 使用人の顔がぱぁっと明るくなり、目が輝いているように見えた。


「誠にありがとう存じます」

「お役に立てたようでうれしゅうございます」


 使用人がその場から立ち去っても、私はしばらく呆然(ぼうぜん)と立ち尽くしていた。


「ビュー様はどちらに……あ、あれ、ビュー様?」


 なかなかお手洗いから帰ってこなかったからであろう。バルタサルが部屋から出てきて、私を見ては首をかしげている。


 私は首だけを動かしてバルタサルの方を向き、伝えた。


「バルタサル……私、妖術が使えるようになりました」


 バルタサルは案の定ぽかんとしている。


「よ、ようじゅつとはどのようなものでしょうか」

「私が前世、妖怪のときに使っていた術でございます。妖怪であれば使える術ですが、どうやら人間は使えないようでございます」

「ですが、ビュー様は現在人間の体なのでは?」


 さすが執事、理解力が早い上に鋭い質問をしてくる。


「そのはずなのですが、使えてしまいました」


 そう、どうして使えたのかは自分が一番よくわかっていない。


 だが、これで思わぬ効果が出た。

 バルタサルにおんぶにだっこで何もできないと卑屈に考えていたが、「私には妖術がある」と前向きに考えられるようになった。

 千年生きた経験が、ようやく活かせると気づいたからだ。


 勉強が捗った。作法の練習もするすると頭に入っていった。


 勉強していく中で、素晴らしい言葉を見つけた。

 それは、アイデンティティだった。






 物珍しい妖術の話は、たちまちこの国の貴族の間に広まった。

 あるときはケガの治療で呼ばれたり、あるときはパフォーマンスとして妖術を披露したり、勉強の傍らでこなしていくのは一苦労だった。


 それでも、私が勉強を必死にこなし、メキメキ所作がお嬢様となっていくのを見て、私は他の貴族から再び信用を得ることに成功した。

 婚約破棄で信用がどん底に落ちた人が、ここまで他の貴族と渡り合えるようになるとは思ってもみなかった。


 さらに妖術を自分のためではなく他の人に、ましてや使用人に使ったという話も広まった。


 ものの数カ月で、私はバネッサと変わらないどころか、より心優しく生まれ変わったとして、貴族にもそれぞれの使用人にも一目置かれる存在となったのだ。





 そんな中、廊下で一枚の紙を拾った。どうやら手紙のようである。

 猛勉強の成果として、中身を読んでみることにした。




 親愛なるティナへ


 君からのお手紙、受け取ったよ。

 素晴らしい夢だと思う。私としても、メンブラード王国と良い関係でいられたら、大いに助かるからね。

 君がその手助けとなってくれるのなら、できる限りのサポートをするよ。何でも聞いてね。


 愛をこめて、チャーリーより




 ティナはアグスティナの、チャーリーはカルロス王太子の愛称だ。


「王太子殿下から妹への手紙?」


 恋文かと思いきや、メンブラード王国という隣の大国の名前が出てきた。

 何か嫌な予感がして、この手紙をアグスティナに返すことなく、自室に持ち帰った。


 椅子に座って、手紙を熟読する。


「『夢』ってなんだろう」


 メンブラード王国と何か友好的なことをするのが夢のように思えるが、それにしては書き方が遠回しすぎる。ということは、書き表してはならないことなのだろうか。


「お嬢様、お手紙をお読みなのですね」


 どこからともなくバルタサルが現れて、ほほえましそうにしている。


「私宛てではございませんよ」

「ほう、誰宛てのお手紙でしょうか」

「妹でございます」

「お読みになっても大丈夫なものでしょうか」

「廊下に落ちていたので、誰宛てか確かめたかっただけなのですが……不審な内容だったもので」

「……お見せいただいてもよろしいでしょうか」


 遠目から眺めていたバルタサルはこちらに歩み寄ってきて、私から手紙を受け取った。


「ふむ、怪しいですね。ただの外交であればこんな書き方をしなくてもよろしいかと」

「私も同じように思いました」


 共通語を五十年使ってきたバルタサルが言うのだから、間違いないだろう。私の勘も当たっていたらしい。


「これからアグスティナ様の言動には注意いたしましょう」

「その方がよさそうですね」


 そもそも私に対して「記憶喪失の病が移る」と言って、そばで話してくれなかった時点で怪しかったのだが。


 失礼な人かと思いきや、何か隠したいから私を遠ざけてる?


 頭に疑問が浮かぶばかりだった。


 手紙は、原文をそのままバルタサルが書き写して保存し、本体は何事もなかったように彼女の部屋に落としておいた。






「明後日、アグスティナ様がメンブラード王国のとある貴族とお食事会をなさると聞きました」


 数日後、朝の挨拶に来たバルタサルが、妹の予定の情報をくれた。


「ありがとうございます。彼女の言動に注意しておきましょう」


 幸いにも今日は、他貴族との交流の予定はないので、バルタサルの意向次第で予定はどうとでもなる。


「本日の予定は一日フリーで、お嬢様のお好きなようにお使いください。勉強したり、妖術を鍛えたり、何をなさっても構いません」

「承知いたしました」


 一日フリーだと言われても、私の家にはほぼ娯楽がない。あるとするならば、本を読むか、武術に励むかである。


 読書は前世から好きだった。千年生きても、まだ読み切れていない本がたくさんあったからだ。

 この国では知らないことばかりなので、より読書をする意欲が湧く。


 ということで、王立図書館で本を借りることにした。


 一応貴族の女性ではあるので、裁縫やダンスもできるようにならないといけない。


「まずは本から勉強してみよう」


 本を数冊借り、天気が良いので庭で本を読むことにした。


 しばらくしてちょうど集中力が途切れたころに、門の方からガラガラと何か物音が聞こえてきた。アグスティナの馬車のようだ。


「ありがとうですわ」


 アグスティナが馬車から降りてきた。どこかに行っていたのだろう。相変わらず家族がどこに行くというのは知らされない。これでいいのだろうか。


「ではまた明後日、お願いいたしますわ」

「はい、午前九時ごろお伺いいたします」


 なるほど。明後日は九時から行くのか。

 しかし、それ以上のことは何も会話がなかったので、情報を得ることはできなかった。






 夕食の時間になるまで少し暇があったので、妖術を鍛えることにした。


 ふと思い出した。「壁に耳あり」という妖術の存在を。

 簡単にいえば盗み聞きの妖術だ。しかし、私生活を脅かす妖術のため使用禁止とされていた。

 さらに盗み聞きしている間はずっと妖力を消費するため、使える妖怪は限られている。


 この国であれば、使用禁止の法など関係ない。問題は、それを使い続けられるほどの妖力があるかどうかだ。


「この時間なら妹も部屋で待機しているはず。やってみよう」


 私は手のひらを器のようにして、妖力でごく小さな羽虫のようなものを作る。

 部屋の窓を少し開けて、唱えた。


「壁に耳あり」


 フッと息を吹きかけると羽虫が飛んで行った。


『しん――――は、――が――の?』


 羽虫が周りの音を拾い、私の脳内に響いてくる。


 妖力の問題は心配なさそうだ。前世と同じくらいの感覚で使えている。

 妖術が使えるとわかってから、色々なところで妖術を使ってきたので、自然と妖力も増していたのかもしれない。


『明後日のお食事会の内容、少しは聞き出せたのかしら?』

『はい、どうもメンブラード家が絡むお話がなされるようでございます。かなりの大役を担うことになりそうです』

『オーホッホッホ! 大役! (わたくし)にぴったりのお言葉ですわ!』


 なるほど、そんな話が。

 高笑いだけは、妖術がなくとも壁をすり抜けて聞こえてきたが。


 このことは、バルタサルにこっそり報告しておいた。






 食事会の翌朝、私は同じ方法で盗み聞きを目論んだ。食事会で話されたであろう内容が一番聞けそうなタイミングだからだ。


 報告の手間を省くため、バルタサルに妖術をかけて、羽虫からの音が聞こえるようにしておく。


『――資金は潤沢、さらに王家負担で移り住める、統治領は今の倍。こんな良い条件ございませんよ、アグスティナ様』

『その通りでございますわ。(わたくし)の日頃の交流の成果ですの!』


 アグスティナの自信満々の声が、頭にキンキン響いてくる。

 ……ん? 今なんて言った? 王家負担で移り住むだって?


『いつ婚約破棄を実行するおつもりでしょうか』

『王太子殿下にとって一番損となる時が良いですわ。婚約当日の朝はいかがですの?』

『かしこまりました。そのようにお伝えしておきます』


 こ、婚約破棄だって⁉︎


『あ、もうすぐ朝食が運ばれてくるころ――』


 話題が変わったので、「壁に耳あり」をやめた。羽虫はその場でごく小さな煙となって消えているだろう。


 私とバルタサルとの間にはしばらく沈黙が流れた。絶句であった。

 情報が怒涛(どとう)の勢いで押し寄せてきて、何から言及すればよいのかわからない。


「つまりまとめると、アグスティナ様は、潤沢な資金と統治領欲しさに、お一人でメンブラード王国に移り住もうとなされており、さらに婚約破棄もなさると」


 さすがはバルタサル。要点をまとめるのが速い。


「おまとめ、ありがとうございます。それを聞いて思ったのですが、あまりにもおいしいお話すぎませんか?」


 アグスティナはまだ婚約前であり、普通の貴族である。そこまでメンブラードの王家が丁重にもてなす必要があるのだろうか。


「なにか裏があるように存じます」

「私もそう思います」


 バルタサルと意気投合した。


「そして、移り住むために婚約破棄となるならば、メンブラード王国にもうお相手がいらっしゃるということになります」


 言われてみれば確かにそうだ。


「……二股?」


 久しぶりに私の中の『女』が出て、言葉遣いがつい元に戻ってしまう。


「大罪では?」

「はい、浮気は懲役三十年でございます」

「すぐ出てくるのか」

「ビュー様の感覚で仰らないでください。出所は四十八歳でございますよ」

「若い」

「ビュー様は今人間なのですよ。妖術は使えておりますが」

「すみません、正気に戻ります」


 話が逸れてしまったので元に戻す。


「婚約破棄をするのが、婚約日の朝だと言っていましたよね」

「仰る通りでございます」

「婚約日は明後日では」

「そのようですね。…………あ」


 バルタサルが気づいたとおり、婚約日までに時間がないのだ。


 なんとかして本人に『(だま)されているかも』と伝えなければ。

 だが、未だにアグスティナには「記憶喪失の病が移る」と言って近づけさせてくれない。


「妹にどうしたら話しに行けますでしょうか」

「あいにくでございますが、(わたくし)の力をもってしても厳しいと存じます」

「本人に直接は、無しですね……」


 そうなると、周りから固めていくしかない。


「王太子! ……も厳しいですね。『畜生』は自分から遠ざけたいようですので」


 あと私が掛け合えそうなのは、一人だけだ。


「残るはシル殿下ですね」

(わたくし)もシル殿下しかいらっしゃらないと考えておりました」

「早急に殿下をお呼びしてください。なるべく早くお話し合いたいです」

「かしこまりました」


 なるべく早くといっても、連絡してからここに来てくれるまで、半日はかかるだろう。

 私は強大な気配に一人、(おのの)いていた。






 直接王城に向かって王子と話したらよいと思うだろう。

 しかし、私は王太子との婚約破棄で、王城への立ち入りが禁止されている。シル王子とはあのときに出会って以来、家に来てもらうか、文通でやり取りをしている。


 半日かかると思われたが、なんと三時間でシル王子が到着した。急いでいても、格好は整っていて完璧である。


「ビュー様、失礼いたします」

「急にお呼び出しして申し訳ございません」

「構いませんよ」


 シル王子はいつもの優しい笑みで返してくれた。


「実は妹が不審な動きをしておりまして――」


 私はバルタサルからではなく、自らの口で経緯を説明した。

 手紙のこと、メンブラード王国の貴族と食事会をしていたこと、禁断の妖術を使って盗み聞きしたこと。そして、


「どうやら、妹は潤沢な資金と統治領欲しさに、メンブラード王国に移り住もうとしておりまして、さらに王太子殿下との婚約を明日に破棄するつもりだそうです。ですが私は『あまりにもおいしい話ではないか。妹は(だま)されて、メンブラード家の操り人形になっているのではないか』と思ったのでございます」


 私が得た情報は全て伝え切った。


「なるほど」


 シル王子は驚きもせず、顎に軽く握った手を添わせて、考えるような仕草をする。


「ここだけの話ですが、メンブラード家は平気でそういうことをするような王家でございます。(わたくし)としましては、アグスティナ様を騙してメンブラード家がなにか裏工作をしていてもおかしくはないと考えてしまいます」


 そう、私が本で学べただけでも、メンブラード家の『悪行』は数多。家の存続のためならどんな手段でも(いと)わない人たちなのである。


「そして、兄上様とアグスティナ様の婚約日は明日……今日中にどうにかしたいものですが……」


 ここでふとシル王子が思いついたようだ。


(わたくし)であれば、アグスティナ様とお話できます。アグスティナ様は今どこに」

「誠に残念でございますが、朝食後すぐにメンブラード王国へ向かってしまいました」

「いつお帰りになる」

「夜までお帰りにならないでしょう」


 バルタサルに言われ、顔をしかめて悔しそうにするシル王子。私の代わりに話し合おうとしてくれたのだろう。


「それならば(わたくし)が直接父上様に――」

「どなたからこの情報を得たと国王殿下に仰るのでしょうか」


 私と王太子の婚約破棄があったことで、ただでさえ息子の結婚に関しては敏感になっているという国王。


「私からの情報と仰ったところで、おそらく信じていただけないでしょうね……」


 そこで思いついた。最終手段だ。


「もう私が直接、国王殿下にお伝えすればよいのではないでしょうか」


 バルタサルとシル王子は即座に驚嘆した。


「ですが……どのようにして王城にお入りになるおつもりでしょう」

「シル殿下のお力があれば、なんとかなりませんでしょうか」

(わたくし)がですか⁉︎」


 シル王子はしばらく熟慮し、「承知しました」と覚悟を決めた顔をした。


「護衛と掛け合って、私の婚約候補を王城に招きたいと伝えておきます。ビュー様には変装をしていただきたいのですが……」


 シル王子の婚約候補であることは間違いないので、事実を含めた巧妙な手である。


「変装なら大得意でございます」


 私がしようとしているのは、変装なんかよりももっと質の高い『変化(へんげ)』だが。


「よかった。そうしましたら、変装したビュー様とともに、父上様がいらっしゃる応接間に向かいましょう。応接間に入りましたら、父上様に事の顛末(てんまつ)をお伝えください。その間は(わたくし)がビュー様をお護りします」


「承知いたしました」


「ですが、場を整えなければならないので、今日中は厳しそうです」


 そりゃそうだろう。


 応接間に行き着くだけでも広い王城。その道すべての護衛に私のことを共有しなければならない。

 さらに、あの忙しい国王に時間を空けてもらわなければならないのだ。


「アグスティナ様が婚約破棄に来られる前に伝えなければならないのですよ」


 珍しく焦りを見せるバルタサル。


「はい、ですので明日の早朝しか時間はありません」

「ですよね、かしこまりました」


 婚約はたいてい正午に発表する。それに間に合うように動くとなると、朝から王城で準備が進められる。

 そうすると、起床直後くらいしか時間がないのだ。


「詳しい時間は、父上様に確認を取ってから、追ってご連絡いたします」


 これで作戦は決まった。


 半日後、シル王子から速達で手紙が届いた。

 作戦の決行は、朝食の前の午前六時となった。






「ビュー様、時間ですよ」


 バルタサルの声で目を開ける。まだ部屋は暗く、ランプの明かりが灯されている。


「ごきげんよう」


 目をこすろうとするが、そんな悠長なことをしている場合ではない。我に返って眠気を覚ます。


「妹はまだいますか」

「部屋は静かなので、まだ寝ていると思われます」

「よかった」


 身支度はしっかり整えなければならないので、着替え、髪を巻いてもらい、その間にバターロールパンを二個ほおばる。

 お嬢様らしからぬ所作だが仕方がない。


 化粧も済ませ、支度は整った。


「バルタサル、参りましょう」


 父や母を起こさないように、そーっと忍び足で廊下を歩き、静かに玄関のドアを開く。


 カチャ


 少し音は鳴ってしまったが、これくらいなら大丈夫だろう。


 敷地の外に出ると、私は変装ならぬ変化をする。

 架空の人物ではなく、実在する人物に変化した。私がよく妖術で腰痛の治療をしている貴族の娘・ルフィナだ。


 貴族の密なコミュニティから考えると、その方が適切だろう。


 ランプの明かりと記憶を頼りに、王城に静かに歩みを進める。一見私一人でいるように見えるが、後ろからバルタサルに尾行してもらっている。


 王城が見える位置までたどり着くと、突然(よろい)を来た人に声をかけられた。


「あなた様が、王子殿下の婚約候補という方でございましょうか」

「左様でございますわ」

「王子殿下があちらでお待ちでございます」

「承知いたしました」


 どうやら護衛のようだ。


 護衛はちらっと私の後ろに視線を飛ばし、うなずいた。それにつられて私が後ろを振り向くと、陰に隠れながら私の後を追っているバルタサルがいた。

 この一瞬で意思疎通をしたということだ。さすが、要人の保護になれている。


 ここでバルタサルとは別れた。


 王城の門まで来ると、扉が片方だけ開いて、シル王子が姿を現した。


「おはようございます」

「ごきげんよう」


 スカートを両手でつまみ、軽くおじぎをする。国王のいる応接間までは、今変化(へんげ)している『彼女』になりきらなければならない。


 無事、怪しまれずに王城の敷地内に入ることができた。


「父上様のところまでご案内いたしますね」


 シル王子は私に手を差し出してきた。


 はっ、これは。


 思い返せば、今までシル王子と家の外はおろか私の部屋以外で会ったことがなかった。一緒にこのようにして歩くこともなかった。

 だいぶ打ち解けてきたというのに、まだ手を(つな)いだことがないのだ。


 新鮮な面持ちで、優しく手を重ねる。


「お願いいたします」


 シル王子はどこか満足そうな微笑みをした。


 ここからは私語厳禁だ。

 早朝のしんとした空気に、私たちの足音だけがザッザッと響いている。


 道行くたびに会う護衛に会釈をしながら、ついに王城の中へと足を踏み入れる。


 歩きながら、「少しでもバネッサさんの記憶が残っていればよかったのに」と思う私。

 王太子の婚約候補だったのならば、王城には何回も出入りしていただろう。このように案内されなくとも、自力で応接間にたどり着けたはずだ。


 その王太子に見つからないように迂回(うかい)して向かっているそうだが、いつ着くのか見当もつかない。


 二階上り、ぐるっと(まわ)り、一階下りた先がこの事件の目的地だった。


 コンコンコン


「父上様、失礼いたします」


 大きく重そうな扉をノックするも、中から返事はない。代わりに聞こえてきたのは、「な、なんだと……!?」と怒気に満ちた中年男性の声であった。


 ただならぬ気配を察したシル王子が、扉を開けて応接間に突入する。手を繋がれていた私も、つられるように中に入った。


「…………え?」


 その姿を見たとたん、私の足は硬直した。


「あら、王子殿下に……ルフィナ様。ご無沙汰しておりますわ」

「シルビオ、何の用だ」


 なぜかアグスティナと王太子がいるのだ。


「それはこちらのセリフでございます、兄上様。昨日、この時間に父上様とお話しする約束をしましたので」

「こちらはそれどころの話ではない。アグスティナが私に婚約破棄を告げた。この私にだ」


 一歩、間に合わなかった。作戦失敗だ。

 アグスティナの部屋が静かだったのは、寝ていたからではなく、部屋にいなかったからということだったのだ。


 しかし、私はこれだけで諦めるような妖怪ではない。


変化(へんげ)解除」


 元々ここでビュートリナの姿に戻る予定だった。混乱させるにはちょうどいい。


「うわっ、ルフィナがバネッサ――あの畜生に変わったぞ!」

「ど、どうしてお姉様が⁉︎」

「バネッサもどきを捕らえろ!」

「待て、カルロス。なにか伝えたいことがあるのだろう」


 さすがは国王だ。状況がわかっている。

 促されたので、あの王太子とアグスティナのいる前で言ってやる。


「結論から申し上げますと、今 妹がした婚約破棄は、このフェンダルタ王国が侵略されることに繋がる恐れがございます」


 ポカンとするアグスティナ、「は?」と眉をひそめる王太子、かたや「確かに混乱しているから侵略しやすい状況ではあるが……」と冷静な国王。


 その時。


 バンッッッッ‼︎


 鼓膜が破れそうなほどの破壊音が耳をつんざく。振り返ると、廊下側の壁に大穴が空いていた。


 壁が崩れたことによる風塵(ふうじん)が、部屋を覆いつくす。


「ゲホッ、ゴホッ」


 みんなが風塵を吸ってむせてしまうが、涙目になりながら私の目は捉えていた。国王に向かっていく、黒い服の人の姿を。

 だが、この体のスピードでは間に合わない――はずだった。


 反射で動いた私の体は、風のように瞬時に動いてくれたのだ。

 相手は右手に持った何かを振るってきたので、袖に隠しておいた短剣で防御する。


 向こうは長剣だった。

 短剣に妖術をかけて、剣と剣が触れた瞬間に妖力で相手を押し返す。


 キーンッ!


 黒い服の男は後ろにのけぞって倒れた。それを見た王太子が剣を抜き、倒れた男に向けて警戒する。


「誰だ、貴様!」

「名乗るわけないだろ!」


 シル王子も剣を抜き、私を守るように黒服の男との間に入った。


 黒い服だが、背中側の襟口に刺繍(ししゅう)があるのを見つけた。刺繍があるということは、貴族か、貴族と(つな)がりのある平民だろう。


 そしてどこかで見たことがある。この特徴的な模様の刺繍。高度に抽象化されているが、この元となった花はあの国にしか咲いていない。


「メンブラード王国の方ですね」

「くっ、どうしてわかった!」

「その服の刺繍です。前に本で見たことがあったので」

「なんだこのアマ!」


 起き上がろうとした男は、王太子の剣によって止められる。


「話の続きを」

「はい、私はこうなることを予測していました。きっかけは廊下に落ちていた王太子殿下から妹への手紙です。

『君からのお手紙、受け取ったよ。素晴らしい夢だと思う。私としても、メンブラード王国と良い関係でいられたら、大いに助かるからね。君がその手助けとなってくれるのなら、できる限りのサポートをするよ。何でも聞いてね』という内容です」


 一言一句、手紙の内容を公開処刑され、気まずい表情になる王太子。 


「メンブラード王国と友好関係になることで果たされる夢というのが引っかかり、妹を注意深く見ていましたら、メンブラード王国の貴族と食事会をすると聞いたのです」


 アグスティナが「筒抜けですわね……」と苦虫を()み潰したような顔をする。


「そこで、やり方が卑怯(ひきょう)ですが、妖術を使って妹の部屋の盗み聞きをしました」

「なんですって⁉︎」

「食事会の内容は、メンブラード王家に関連することで、さらに王家負担で移り住み、潤沢な資金も用意され、統治領は今の倍になること、そして王太子殿下にとって一番損となる時に婚約破棄をすることだったそうです」


 みるみるうちに王太子の目が()り上がる。


「アグスティナ‼︎」


 怒号を上げた瞬間、男がニヤリと笑った。


「増援が来たな」


 男の視線の先には、今まさに壁の穴から入りこんできた、(よろい)の兵士の大群がいるではないか。


「あの鎧はメンブラード王国!」


 フェンダルタ王国のデザインとは異なる、典型的なメンブラード王国製の鎧である。


「兄上様は人質の監視を、(わたくし)とビュー様で父上様とアグスティナ様をお守りいたします」

「私に指図だと?」

「カルロスよ、今は緊急事態だ」


 こんなときにまで、王太子は上下関係に囚われているようだ。


「はぁ……最っ低だ」


 私はこの体たらくにため息をつくと、妖術を発動した。王城になるべく被害が出ないように工夫しなければ。


妖炎(ようえん)の舞・赤」


 金属だけ燃える妖しい炎をいくつも発生させると、次々に兵士の大群に投げつけていく。

 人間、服が燃えたら大やけど間違いなしなので、混乱させるにはもってこいの妖術である。


 案の定、鎮火させようと鎧をはたく兵士たち。

 それを潜り抜けた数人は、シル王子の流れるような剣(さば)きで斬られている。ただ、シル王子が斬っているのは急所以外で、殺しはしないようだ。


 妖炎を被った兵士たちは続々と鎧を脱ぎ捨てる。


 よし、今だ。殺さないなら、眠らすのが一番。


「脱力の惑い」


 妖力を多めに乗せて、広範囲に速く届くようにする。こちらに向かってくる兵士もまとめて。


 バタッ、バタバタバタッ……


 手前から次々に倒れていき、敵兵で立っている者は一人もいなかった。


「でかした。一人残らず捕らえろ」


 戦いが終わった瞬間だった。






 一週間後、すっかり修復された応接間で、国王からアグスティナと王太子に判決内容を告げられていた。


「アグスティナ・デ・ルスファを死刑に処し、カルロス・デ・フェンダルタを流刑に処す」


 アグスティナは、今回の戦犯である国家反逆罪と、メンブラード王国第三王子との二股が暴かれたのだから、当然の結果といえる。


 王太子は、メンブラード王国に協力的なアグスティナに手助けしようとした、共謀罪となっている。あの手紙が重要な証拠となったらしい。


 国王は自らの息子にさえ、法に従って然るべき判決を下すので、少し感心した。

 そんな父親から、どうしてカルロスという性格最低の人間が生まれてきてしまったのか。


 どうしてああなった。


 いや、父親の人の良さは、全部この人が持っていってしまったのかもしれない。


「本日をもって、シルビオを王太子とし、ビュートリナを王太子妃とする」


 婚約破棄されたのも、妹から差別されたのも、全てシルビオと結ばれるための過程にすぎなかったんだ。


「ビュー様、おめでとうございます」


 転生したあの日から、私の味方はバルタサルとシルビオだけだった。


「どうして私をお選びになったのでしょうか」


 どこからともなく現れて、私の味方になってくれた理由を聞いていなかったのである。


「最初はただ謝罪だけのつもりでございました。追い出される覚悟で参りましたが、ビュー様は私を無下にしませんでした。どうしてそんな方が悲しまなければならないのかと思い、放っておけずに妃を勧めました」


 なるほど、本当に謝罪だけのつもりだったんだ。でも。


「あのときも申し上げました。シル殿下は悪くないと。無下にするつもりは(はな)からございません」

「そうか」


 シルビオは憂いのある笑みをし、私の頬に初めてのキスをした。


「愛しています、ビュー様」


 私の胸には国を救った証として、聖女の勲章が輝いている。

 ふと目に入ったのか、勲章をまじまじと見るシルビオ。その横顔は無邪気な子どものようで、私は二重の愛おしさを感じるのだった。


【完】

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!


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作者のモチベに繋がります(`・ω・)b

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