この国で一番野蛮だと噂の、次期辺境伯様に嫁ぐよう命じられました
暗躍しております、なんてわたし如きではとてもとても
『この国で一番野蛮だと噂の、次期辺境伯様に嫁ぐよう命じられました』のメイド、ヴェラ視点のお話です。お時間あれば、先にそちらをお読みいただくとわかり易いかと思います。
どうも。
わたしはヴェラ。プライセル公爵家の末のご令嬢マルグレート様付きのメイドでございます。
公爵家に雇われましたのは、お嬢様が着飾るよりも学ぶをお選びになった十二歳の時です。
将来、お嬢様が帝国に留学されることも考えておられた公爵ご夫妻が、特別なメイドをお探しになりました。
特別なメイド。
これは募集しても向こうから来るようなものではありません。
もし来たとすれば、最大限に警戒すべき相手。
すなわち、スパイまたは暗殺者です。
わたしの身分が平民というのは、真っ赤な嘘。
その実、別の大陸から渡って来た流民の子です。
傭兵と盗賊を足して二を掛けたような稼業だった両親の下、運動神経と察しが良かったわたしは周りの大人にずいぶん可愛がってもらいました。
子供を可愛がる、といえば一般的には甘やかす方向でしょう。
しかし、傭兵の可愛がるは、とことん鍛えるという意味なのです。
もちろん、いじめではありません。
傭兵にとって大事なのは、まず生き延びること。
自分の命を守る術を叩き込むというのは、やはり一種の愛情です。
わたしのような生まれの子供で、傭兵には全く向かない場合は早いうちに平民の養子にするか、従僕やメイドの見習いに出すかです。
わたしの場合、傭兵訓練により、どうやら暗殺者かスパイ、または影の護衛向きと判断されました。
こうなると、仕事は選り取り見取り。
もちろん、寿命は限りなく短くなる可能性込みです。
特別なメイドは、当然、特別なルートでなければ雇えません。
公爵家では、様々な裏稼業に詳しい者を執事の一人として雇っていました。
その執事から、様々な人脈を経てわたしのもとへ打診が届くのです。
雇う方が公爵家、雇われる方が流民の傭兵。
さて、どっちに選択権があると思いますか?
なんと、この場合、わたしに選ぶ権利があるのです。
ご令嬢全員に行き渡るほど、特別なメイドは数が多くありません。
まあ、仲介料を稼ぎたい者たちの都合もありますけれどね。
とりあえず、公爵家からの打診が、わたしが受けた最初のものでした。
それで、まずはどんなご令嬢に仕えることになるのか、陰から様子を窺わせてもらうことにしました。
その時、お嬢様は公爵家の庭のガゼボで読書中でした。
見ていましたら間の悪いことに、お嬢様のスカートに芋虫が一匹張り付いています。
ご令嬢はそれまで見たことがありませんでしたが、平民の少女なら知っています。
野良仕事をするような子ならともかく、そこそこ綺麗な格好をした女の子は、たいてい芋虫一匹に大騒ぎするのです。
あんなドレスを纏っているのですから、おそらく、この子も叫び声を上げるのだろうと思って観察していました。
「あら、まあ」
ふと視線を上げた令嬢が、芋虫に気付きました。
しかし、彼女は叫ぶことなく、キョロキョロと辺りを見回します。
それから、スカートを摘まみ上げ、ゆっくりと花壇まで歩いていきました。
そして、膝を曲げると、そっと生地を揺らし、芋虫を茂った葉の上に下ろします。
「本当は庭師のウド爺に怒られるんだけど、うまく隠れて蝶々になってね」
そして、何事もなかったかのように、ガゼボに戻るご令嬢。
『くっ!』
噴出しそうになった鼻血を堪え、わたしはご令嬢の可愛さに悶えました。
待っていた仲介屋に、わたしはこの家で働きたい旨を伝えました。
とはいえ、お嬢様とわたしの相性というものもあります。
まずは試用期間として、お仕えすることになりました。
「よろしくね、ヴェラ」
はにかむ笑顔が尊いお嬢様!
は、鼻血が出そう!
やっと堪えたわたしから出た言葉は……
「どうも」
メイド長は目をむきましたが、お嬢様は笑いました。
「面白い人ね。そういう言葉遣いも新鮮」
主人がそう言うのであれば、使用人に反論する術はありません。
こうして、わたしの塩態度は許されたのでした。
実のところ、それまで、可愛いものに全く耐性の無かったわたし。
気を引き締めていないと、マルグレート様の一挙手一投足に悶えそうになります。
それをなんとか、辛口態度で誤魔化していたのでした。
さすがに何年もお仕えするうちに、なんとか悶えないよう我慢できるようになりました。
しかし、口調を直そうとしたら主人に言われてしまったのです。
「もう慣れてしまったから、丁寧に話しかけられると、ヴェラじゃないみたいで変よ!」
もう、これは塩対応せよとのご命令です。
もちろん、従うしかありません。
マルグレート様は、華やかに着飾るよりも勉学を選ぶようなご令嬢です。
たいそう賢いのですが、残念なところもあります。
それもまた、人間らしくて可愛らしい所です。
とりあえず令嬢らしくない行動がよくあるので、ツッコミどころは満載。
賢いお嬢様のことですから、言葉にすれば理解してくださいます。
そして、人前で突っ込んでも、たいていの方はわたしの塩言葉に眉を顰め、お嬢様の天然ボケから目を逸らしてくれるのです。
とにかく、マルグレート様は可愛らしいのです。
見た目の可愛さもですが、中身も可愛い!
しかし、公爵家のご令嬢です。
これでは死んじまうと思いました。
このヴェラが命を懸けてお守りしなければ、生き延びられないと。
この可愛らしさは既に限界を超えています。
そして、誓ってもいいですが、将来とんでもねえ美女に育ちます。
おまけに公爵家は裕福。
誘拐を始め、さまざまな危険が考えられます。
帝国で学ばれるとなれば、危険度は爆上がり。
もちろん、護衛は十分に付けられますが、どこにでも隙間は出来てしまうものです。
わたしが陰に日向に張り付いて、お守りせねばなりません。
試用期間を切り上げ、わたしは本格的にお嬢様にお仕えすることに決めました。
その後、お嬢様は十五の歳に無事、帝国へ留学なさいました。
公爵家のご令嬢ですから、まずは宮殿へのご挨拶に伺わねばなりません。
「皇子殿下に、ご挨拶申し上げます。
わたくしは、プライセル公爵家が娘、マルグレートでございます。
この度は、留学をお許しいただきまして、まことにありがとうございます」
「丁寧な挨拶をありがとう。
私は第三皇子アンニーバレだ。
皇帝の代理として、君を歓迎する。
我が国で存分に学んでくれ」
「ありがとうぞんじます」
「と、まあ、挨拶が済んだところで、堅苦しいのは止めよう」
きれいな礼を決めたお嬢様は、目をパチクリさせています。
「いや、それにしても綺麗なご令嬢だね。
私も既に妻帯していなければ、と残念に思うよ」
「お眼鏡にかなって光栄でございます」
と無難に応えたお嬢様ですが、本心は王族の軽い言動に呆れていることでしょう。
まだ十五歳という年齢である以上に、お嬢様は固いというか、恋愛方面に疎いというか。
例え恋愛小説を熟読したとしても、誰もが、その機微を理解できるわけではありませんけれども。
とりあえず、必要な手続きも無事に終わり、高位貴族向けの寮にわたしたち使用人ともども収まったお嬢様。
留学一年目は、ひたすら勉学に励まれました。
さて、翌年のこと、再び第三皇子殿下とまみえることになりました。
一年ぶりに、宮殿へ招待されたのです。
「一年見ないうちに、また美しくなられた。
ホルストも、そう思わないか?」
応接室には、皇子殿下の他に、身なりの良い若者が同席していました。
ホルスト様と呼ばれた方は、お嬢様を見て固まっています。
「ホルスト?」
「……あ、いや、失礼。
プライセル公爵令嬢、お初にお目にかかる。
私はローゼンメラー辺境伯家のホルストだ。
アンニーバレ殿下とは友人で、今は彼の招きで、帝国に滞在させていただいている」
「初めまして。
同郷の方とお会いできて、心強いですわ。
よろしくお願いいたします」
「……こちらこそ」
ホルスト様は、お嬢様より五歳ほど年上でしょうか。
こりゃ、恋に落ちましたね。
ヴェラ姐さんには隠せませんよ。
彼の方が年上ですけどね。
対して、お嬢様は定型挨拶ですね。
今のところ、脈無しです。
辺境伯令息、ドンマイ!
「プライセル公爵令嬢は、お住まいはどうされているのですか?」
「はい。学生寮を使わせていただいております」
ホルスト様は、いくつか質問をなさると、少し考えてから仰いました。
「私の借りている屋敷の敷地内にお貸しできる離れがあります。
辺境伯騎士団から護衛も連れてきていますし、安全も保障いたします。
寮よりは自由がきくのではないかと思いますので、もしよろしければ、ご検討ください」
実のところ、せっかくの帝国滞在なのに、このまま寮にいては制約も多く、少々窮屈ではないかと考えていました。
願ったりな提案ですが、いくつか心配もあります。
とりあえず返事は保留され、その場を辞しました。
その夜、わたしは寮を抜け出し、大通りから何本か裏道に入ったところにある酒場に行きました。
店名『黒い天使』は一見すると普通の平民向け酒場です。
しかし、その実、裏稼業に関わる者にとってはなくてはならない店なのです。
わたしはカウンターで一杯注文しました。
酒と引き換えに、素早く手紙と依頼金を渡します。
手紙の宛先はプライセル公爵様。
中身は、ホルスト様の申し出を受けるかどうかのお伺いです。
正規の郵便でやり取りしていては時間がかかってしまいますが、このルートでは支払いの額次第で奇跡的な速度を期待できるのです。
この店は、いわゆる裏稼業の情報交換所兼仕事の依頼所。
ルールは簡単です。
敵対中の相手でも、絶対に店の中や周囲ではいがみ合わないこと。
完全な中立地帯であることを理解できない者は利用を禁じられますし、そもそも、明日生きていられるかも怪しくなるのです。
そのおかげで、現場では敵同士でも、情報交換が可能です。
まあ、嘘情報を掴まされ、それに踊らされても自己責任ですけれども。
カウンターで多めのチップとともに、情報屋の紹介も頼みました。
店の信用にかかわりますから、この額なら、一番信頼できる者を教えてくれるはずです。
バーテンダーは、情報屋の居るテーブルの場所を示しました。
「ホルスト・ローゼンメラーの情報が欲しいのだけれど」
「OK。期限は?」
「明日いっぱい」
フードを目深にかぶった情報屋が頷きます。
報酬と連絡先を渡し、交渉は終わりです。
公爵家からの返事は、最速で五日後と読んでいますから、その前に出来るだけ情報収集しなければいけません。
そう考えて席を立ち、歩き始めたわたしに声がかかります。
「お嬢さん、赤いオレンジのジュースでも一杯どう?」
「……一杯だけなら」
声をかけてきた若い男と、壁際の半個室に入ります。
別に疚しいことをしようというわけじゃありません。
赤いオレンジのジュース、それはわたしが昔いた傭兵団の合言葉みたいなものでした。
「あんた、ディルク?」
「お、よくわかったな」
その男は、傭兵団で一時期一緒だった昔なじみ。
わたしと同じく、ごく一般的な平民風の格好をしている、ということは変装中です。
「その雰囲気だと、裏執事の職にありついた?」
裏執事とは、裏稼業との繋ぎを取れることを条件に雇用される執事です。
「まだ、見習いだけどな」
見習い、と言われて思い出しました。
そういえば、こういう雰囲気の男がいました。
ホルスト様の従僕に。
「俺の主人のこと調べるんだろう?」
「あんたは、わたしの主人のことを調べるのね?」
「利害の一致だ。情報交換しようぜ」
「わかったわ」
諸々の調査検討の結果、お嬢様はホルスト様の離れを借りることになりました。
あの方は明らかに、お嬢様に好意をお持ちと見ましたが、不用意な接触はしてきません。
お二人とも、帝国に遊びに来ているわけではないので、空き時間が合うことも少ないのです。
それでも、週に一度程度、庭でお茶をご一緒されました。
話題は、帝国と王国の政治・経済・文化の違いについてが多かったでしょうか。
若い男女にしては色気も可愛げもが足りませんが、これはお嬢様のせいでしょう。
ホルスト様が少々、容姿について褒めただけでこうです。
「社交辞令は要りませんわ」
いやもう、かの方がお可哀そう。
本心から言ってますよ! と突っ込みそうになったことは数えきれません。
それに、お嬢様の容姿は褒めるところしかないので、純然たる事実です。
傍から見ていて、じれったいこと。
ですが、ここはツッコミ封印。
わたしが口を出す段階ではありません。
しかし、他の方が容姿を褒めても無難に返すだけなのに、こういうセリフが出るのは、ホルスト様に対してだけだったのです。
気付け、お嬢様!
まあ、かの方も負けてばかりではありませんでした。
帝国の貴族社会を学ぶ、という言い訳、いえ名目で、お嬢様を夜会に誘われたのです。
デビュタント前ですので、さすがに、そのままでは後の顔バレが心配されます。
そこはそれ、わたし、ヴェラの活躍の場面です。
髪色を変え、化粧を駆使し、別人のように着飾らせます。
マルグレート様は、わたしがファッションオタクだと思ってらっしゃいますが、少々違います。
確かに美しい衣類やジュエリーは大好きです。
見ていて幸福になりますからね。
しかし、それらについて真剣に学んだのは、全てマルグレート様のため。
主人がどこで何をするにしても、相応しく飾る、あるいは周囲に溶け込ませる。
それが出来なくて、何が側付きのメイドでしょうか!
わたしの気概を知って公爵夫人、マルグレート様のお母様が協力してくださいました。
夫人のクローゼット専属のメイドに、教えを乞う機会をくださったのです。
そのメイドの専門知識たるや。
なぜ、こんな生き字引のような方が、ただのメイドなのか不思議なくらいでした。
しかし、そこに踏み込んでは帰れなくなりそうなので、突っ込みかけた片足を慌てて戻しました。
それはともかく、ホルスト様との夜会のために、お支度をしたわけです。
大人っぽく、ということで、少々胸元の開いたドレスを選んだのですが、これには後から注意がありました。
「マルグレートは、どれだけ変装しても魅力的なのだから、あんな、誘うようなドレスは……」
ほほう、この若造(年上)は既に独占欲の塊か?
しかし、お嬢様を他の男の視線から守ろうとする姿勢は非常に頼もしくもあり。
お嬢様が鈍い分、いつの間にやらホルスト様を応援したい気分になっていたわたしです。
ホルスト様の借りているお屋敷は、非常に堅固に護られています。
あの方、ご本人が毎日のように点検をされているとか。
「お嬢様がいらっしゃることになってからだけどね~」
とはディルク情報です。
とにもかくにも、ホルスト様の庇護下に入ることで、わたしの護衛としての役割はぐっと軽減しました。
お嬢様に、これまで以上にツッコミを入れる余裕も出来たのです。
ホルスト様は既に辺境伯騎士団の団長というお立場でしたので、帝国の滞在は一年間が限度。
「デビュタントのエスコートは是非、私に」
帰国の際は、そう言い残し、表面上はあっさり帰って行かれました。
お嬢様は一瞬、ハッとなされたにもかかわらず平静を装っておられましたね。
しかし、かの方の去られた後、庭でお茶をされる時の、お嬢様の寂し気だったこと。
こればかりは、わたしでもお慰めできなかったのです。
お借りしている離れは、そのまま使わせていただけることになっていました。
本邸には建物管理のため、と称して常時、何人もの使用人が詰めております。
一般人なら気付かないでしょうが、わたしには分かりました。
そこにいたのは全て、お嬢様の警護のための人員です。
一個中隊ぐらいはいたでしょうか。
ディルクによれば、アンニーバレ殿下とホルスト様は、相当に仲がいいとのこと。
警備費用や計画は、ホルスト様が担ったにしても、クーデターなど疑われないよう、皇子殿下の協力も不可欠だったと思われます。
さて、その後、お嬢様は引き続き勉学に励まれまして一年後、デビュタントのために帰国されました。
エスコートを申し出られていたホルスト様は、辺境でのお仕事のため、いらっしゃることが出来ませんでした。
詫び状と共に贈られたブーケは、王都の一流店のもの。
縁起が良いとされる珍しい花は、それこそ、一年前には発注しないと間に合わなかったのではないでしょうか。
「まあ、エスコートのことなんて忘れていましたわ」
お嬢様は強がってらっしゃいますが、がっかりしているのが丸わかりです。
お兄様のエスコートで舞踏会に参加されたマルグレート様は注目の的。
シンプルな白いドレスがかえって、その魅力を引き立ててしまっています。
もっとも、ご本人は、珍しい花束のせいだと思われたようですが。
帝国で、ホルスト様や第三皇子殿下とともに夜会に出た経験のあるお嬢様には、自国の若い貴族男子たちは、まるで子供のように映ったのではないでしょうか。
軽いというより浮ついたダンスの誘いを、全て言葉巧みに躱しておられました。
そろそろ退出の頃合いを見計らい始めた頃、王太子殿下が幼馴染の公爵家令嬢が来ていることに気付きました。
からかい半分のダンスの誘いでしたが、これはさすがに断れません。
しかし、見ていたわたしは笑いをこらえるのが大変でした。
王太子殿下は踊り慣れているので、可もなく不可もなく。
対するお嬢様は技術的には全く問題ないのです。
ですが、言うなれば塩ダンス。
あの帝国王宮での夜会で、ホルスト様とのダンスでは夢見る少女のようだったお嬢様が、能面のごとき薄い笑顔を崩さずに踊り切りました。
これでは、王太子殿下にお嬢様への恋心が芽生える心配だけはない、と安堵したものです。
翌々日のこと、再び、王宮に出向くことになりました。
呼び出したのは王太子殿下。
この時、まだ殿下の婚約者は決まっていませんでした。
まさか婚約の打診か、と公爵家は戦慄したのですが拍子抜け。
「帝国で、なかなか立派な成績を修めて来たそうじゃないか。
そんなお前には、つまらないかもしれないが。
どうだ、腕試しに、王立学園の卒業試験を受けてみては?」
殿下の言い様に、お嬢様は腹が立ったのだそうです。
「王立学園の教授方も、生徒の皆さんも、真面目に頑張っていらっしゃるのに、まるで学業成績を上下関係のように扱うなんて!」
後から、そうおっしゃっていましたが、とりあえず、試験を受けることは承諾なさいました。
公爵家では、この試験の結果、お嬢様が王太子妃候補として認知されることを警戒しました。
派閥争いからも適度に距離を取って来た公爵家です。
万一、そんなことになれば、お嬢様の身が危険にさらされかねません。
しかし、情報集めは行われたものの、公爵家で表立った行動はありません。
確かに、藪蛇になるようなことは慎むべきですが、少々、不思議でした。
わたしは、公爵様から改めて命令を受けました。
お嬢様の命が危うくない限り、流れに任せるようにと。
それで、一つの可能性に思い当たったのです。
別の誰かの思惑で、既にお嬢様の身の安全が計られているのでは、と。
一人の若き女性を守るために、その力の全てをもって裏に表に網を張る男が存在するのです。
その女性の側に居るわたしは、既に同じ網に守られており、その全容を知ることは叶わないのでした。
試験の結果、マルグレート様は一位を取り、王太子殿下は二位。
後日行われた王宮での表彰式では、辺境伯家に嫁ぐよう命じられました。
王太子殿下を担ぐ派閥の面々は大慌てだったそうです。
将来的に王妃として国を支えることが出来るであろうと期待した、筆頭の令嬢を王太子自らが逃がしたのです。
お嬢様は即日、辺境伯領へ送られ、すべては後の祭りでした。
快適な馬車の旅の後、辺境伯領に着くと、全ての黒幕であるホルスト様が笑顔で迎えに出て来られました。
後日、裏執事たるディルクに聞いたところでは、ホルスト様が縁談を強引に進めなかった大きな理由は、ご自分の立場にあったそうです。
未だ、前線に赴くことも少なくない辺境伯騎士団長。
マルグレート様には、もっと安全な土地で安心して暮らして欲しい。
そう願っていたのだと。
『私は、生き延びる決意をしたよ。
彼女を残してなど、死んでも死にきれない』
きっと、今後の作戦は更に緻密に、全方向から勝利を掴みに行くことでしょう。
戦う相手が気の毒なほどに。
今では、わたしが昔、所属していた傭兵部隊とはすっかり疎遠です。
もし連絡がとれるなら、いくら積まれてもホルスト様の敵にはなるな、と忠告することでしょう。
人生はいつか必ず終わります。
けれど、自分の居場所が見つかるまでは生き延びて欲しい。
そして出来るならば、幸福を分かち合える誰かと共に、もっと遠くまで。
辺境伯家の若き後継者夫妻の婚姻式の日。
わたしは柄にもなく、感謝の祈りを、神に捧げました。